« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月の22件の記事

2006年7月30日 (日)

祇園祭あれこれ(あれこれ)

7月初めの吉符入りから始まり、7月29日の神事済奉告祭、31日の疫神社夏越祭(八坂神社境内)にて今年の祇園祭は終了します。今年の祭りは20年来の雨の多い祭りでした。しかし、参加している方々はそれぞれが祇園祭を楽しんでいる様子でした。そんな様子を・・・・・

Img_6725_1
5月28日御田祭
Img_7316_1
7月10日お迎提灯
Img_7489
7月16日宵山
Img_7582
7月17日神幸祭
Img_7687
7月24日還幸祭

*祇園祭のことについて色々書いてきました。感想等あればコメント願います。大歓迎です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

坂田藤十郎襲名披露歌舞伎

ちょっと前だが、坂田藤十郎襲名披露歌舞伎に大阪の松竹座へ行ってきた。

Photo_29
去年の京都南座で始まった、中村雁次郎改め坂田藤十郎襲名披露が東京、博多を回り大阪へ帰ってきた。

演目は昼の部に行ったので、「信州川中島」「連獅子」「襲名口上」「夏祭浪速鑑」。

藤十郎さんは扇雀のころからごひいきだったので、今回の襲名は期待している。

演目は

「信州川中島 輝虎配膳」
上杉謙信が武田の軍師、山本勘助をヘッドハンティングするため、母親を接待し、謙信自ら給仕をしたのを、その老婆に虚仮にされ、怒り狂う、それを部下の妻が取りなすという話。
女形の三人、老婆役の坂東竹三郎、勘助の妻役の片岡秀太郎、部下の妻役の片岡孝太郎がそれぞれの持ち味を生かし好演。男役の松嶋屋の連中はくわれぱなし。ちょっと盛り上がりに欠ける。
Img_7515「連獅子」
首を回して髪の毛を振るやつ と言えばおわかりだろうと思う。赤と白の獅子(親と子)が合わせて長い毛を振る髪洗いが見物となるのだが、今回は子獅子(中村壱太郎・・・藤十郎の孫)の勢いが強すぎて親獅子(中村翫雀・・・・藤十郎息子)が大変。壱太郎の若さが微笑ましい。
「口上」
襲名披露狂言の楽しみは、この口上にあるのだが、ちょっと寂しい。扇雀もいないし。菊五郎、仁左衛門は貫禄でお客をつかむ口上を述べる。
「夏祭浪速鑑」
魚屋の団七という俠客が、義理のある人の息子を守るため、舅殺しを行うという世話物。色んな見せ場と夏らしい彩りがあり、今回、藤十郎は初演という事で期待の演目。随所に上方らしさが出ていて面白かった。序幕の住吉鳥居前では、団七の藤十郎と後で兄弟分となる徳兵衛の仁左衛門の二人が争う「逢引」の場で、二人の息があい、ピタ、ピタと型が決まるのは見ていて気持ちがよかった。仁左衛門がこの様な俠客の役をするのを初めて見たが、なかなか適役だと思う。
二幕の釣船三婦の場では、団七の後見役である三婦という老俠客を片岡我當が好演。関西弁も交え地で演じている様な感じ。それと徳兵衛の妻であるお辰を演じてた尾上菊五郎がよかった。台詞回しがはっきりしているので、鉄火な女ぷりが際立つ。引っ込みで胸をたたく振りも板についてる。
大詰の長屋裏の場では、泥場の舅殺しの場では、場面々で見得がはいる。藤十郎も一つ々の見得を丁寧に決めて行く。舅殺しの後「悪人でも舅は親、許して下さんせ」と言う台詞のタイミングにも、まただんじりの群衆にまぎれて立ち去る最後にも藤十郎の工夫がされている。
Img_7516

今回の藤十郎の襲名に関しては、先代の贋治郎の影響が大きいのではなかろうか。我々には先代の贋治郎と藤十郎の扇雀との舞台の印象が強く、やはり贋治郎という名跡は先代贋治郎の芸風に寄ってしまう。そこで以前からのあこがれである藤十郎の名跡を継ぎ、新しい芸風を生もうとしているのではなかろうか。

昨年から、中村勘三郎と坂田藤十郎という大名跡の襲名が続いている。この二人の芸風が似ており、同じ方向へ向かって行こうとしてると感じるのは、私だけだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月29日 (土)

7月の「ベー レギューム ア ターブル」

祗園祭が終わり一息つくつもりでいつもの「ベー レギューム ア ターブル」へランチに行った。

Img_7737
この店にはもう何度も来ているが、いつも満足している。

繊細な料理、気持ちのよいサービス。本当にレストランでの食事を楽しめる。

さて、今日の食事がはじまる。

今月のテーブルクロスの色はブルー。

今日のスープはコーンスープ。そのなかにコーヒーのジェルが入っている。

コーヒーのほろ苦さとコーンの甘さが混ざり合い、なんと言えずおいしい。

Img_7739

どのような発想から、コーンスープにコーヒージェルを入れようとするのだろうか?

メインは、茶美豚のソティーにカシスソースがかかったもの。

豚の下にはジャガイモのマッシュがひいてあり、うえにはサツマイモのチップスがのっている。

カシスのソースが適度に酸っぱく、食欲をそそる。

相方の方は、牛肉に白インゲンのソースがかかったもの。

この店のソースにはいつも感心させられる。なにかの工夫がされている。
Img_7741
デザートにはシフォンケーキにメロンがかかったのがでてきた。

メロンのジューシーな甘さがよくあっていた。

今日は食事をしている間、よく店の人と話をした。

レストランでの話なので、ワインとか料理の話をするのかと思えばそうではなく、京都の街の話ばかりしていた。

京都の街中を歩いていての感想とか、祗園祭の事とか、ようするに井戸端会議のようなことを話していた。
Img_7742
肩肘張らずにゆっくりと食事をたのしめる。料理のおいしさはともかくとして、こういう雰囲気の店を大事にしたい。

お店は:

   B Legumes a table (ベー・レギューム・ ア・ ターブル)

   京都市中京区四条油小路上ル3軒目559―7

   TEL   213―5563

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月28日 (金)

祇園祭あれこれ(最後の神輿洗い) 

今年の祇園祭最後の行事である「神輿洗い」が行われた。
Img_7720
八坂神社の拝殿から中御座(スサノヲノミコト)の神輿を担ぎだし、四条大橋にて鴨川の水で神輿を清める。

それが終わると、神輿蔵に3基の神輿を納め、今年の祇園祭は終了する。

7月10日に行われた行事とほぼ同様の行事が行われるのである。

神輿が八坂さんを出た頃は晴れて居たが、四条通を進むに連れて稲光が夜空に走るようになった。

そして、四条大橋に着くと土砂降りの夕立となった。

なんとか神事を終え、八坂さんに戻る間も大粒の雨が神輿を打つ。

今年の祇園祭を象徴するかの様な天気である。
Img_7730
大松明の火も雨にかき消されそうな夕立である。

やっと、八坂さんに戻り、ずぶぬれの中、神輿蔵に神輿を納める。

神輿は奇麗に雨を拭き取られ、カバーを掛けられる。

これで、3基の神輿は来年の祗園祭まで見納めとなる。

関係者および輿丁の人々が集まって、神輿に対して最後の手を締める。

「ヨーイトセノ!、ヨーイトセノ!、ヨーイトセノ!」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月27日 (木)

サンガァ〜

京都サンガとジェフ千葉の試合を西京極へ見に行った。

Img_7716
前節、清水に勝ったので、連勝を期待して行った。

開始直後は、サンガが押しまくり、今日はいけるぞと思う反面、心の片隅では 「カウンターに気つけよ!」と弱気。

しかし、シュートはゴールの枠を大きく越えて行く。

30分、ジェフのバックスに連携ミスがあり、サンガのスルーパスが奇麗に通った。MF星が躊躇せずバシッと決める。

先制点! スタンドは大騒ぎ。応援歌が高らかに響き渡る。

その後、ハーフタイムまでは両チームとも大きなチャンスは無く、一進一退の状況が続く。

ハーフタイムの間、一緒にいったファンの予想。
 ① このまま押し切ってサンガの勝ち・・・・1名
 ②ジェフのカウンターが炸裂するがなんとかサンガが持ちこたえ引き分け・・・・2名
 ③ジェフのカウンターおよびFKによる失点でサンガの負け・・・・2名
なんと、サンガの勝ちを予想する者、たった一人!(実は私も引き分けを予想。スミマセン)

後半がはじまった。ジェフが前半とはうってかわったように攻め込んで来る。

サンガのバックスがバタバタしだす。

しかし、ジェフが前掛かりになって来れば、カウンターが効きやすくなる。

ファンの方も、それを期待し、サンガがボールを奪うたびに「前へ出せー」と大声援。

しかし、2点目は生まれなかった。

一度ならず二度も、絵に描いた様なカウンターが決まり、FWパウリーニョがキーパーと1対1となったがゴールはわれず。

そのような状況が続き逆にサンガが前掛かりになってしまった。

今度はジェフのカウンターの番。あっさりとジェフのFW巻へロングボールがとおり、おちょくったようなループシュートで同点とされる。

あぁ〜 サンガァ〜

同点になると、とたんにいつものサンガに戻ってしまう。やることが中途半端。
ボールのクリアーも、カウンターへの走り込みも、選手交代も!

でもなんとか、今日は引き分けかなと思ったロスタイム

負傷退場からのリスタートで一発のロングボールから、再びFW巻にヘッドで叩き込まれる!

あぁ〜 サンガァ〜負けたぁ〜

晩御飯は勝てば焼き肉の予定だったのに、ラーメンになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月24日 (月)

祇園祭あれこれ(還幸祭)

昼から心配されていた雨もやみ、祇園祭の最後のクライマックスである「還幸祭」が行われた。

17日に八坂神社から洛中の御旅所に来られていた八坂の神々が本日還られるのである。

Img_7686

昔は、17日を「先の祭り」、24日を「後の祭り」と言い、山鉾も24日に巡行していた。

現在は、山鉾は17日のみとなり、変わりに花傘行列が行われている。

よく言う「後の祭り」とは、この祇園祭の「後の祭り」を見逃した人が後悔することにその由来がある。

夕方、神輿の輿丁(神輿を担ぐ人)の人々が鳴りものをならし、「ホイット、ホイット」と声をかけながら御旅所へ集まって来る。

Img_7693
5時に「中御座神輿」から、順々に神泉苑に向かうため御旅所を出発する。

辻々で、神輿を差し上げ振りながら進んで行く。

「中御座神輿(スサノヲノミコト)」は寺町を下がり、高辻を西行、烏丸通を上がり。四条を西に進む。

Img_7697
四条大宮では「丹波太鼓」のお迎えを受け、神輿もそのリズムに合わせ振り揺すられる。

沿道では、神輿に向かって手を合わせ、無病息災を祈る人が多い。

氏子町に入り、狭い道を家の軒すれすれに神輿は進んで行く。

Img_7701
そもそも祇園祭の始まりは、疫病退散を願うため神泉苑でおこなった「御霊会」にある。

そのため、神輿は神泉苑へ向かうのである。

神泉苑での神事を終え、神輿は八坂神社へ戻るため、三条通を東へ進む。
Img_7705
八坂神社に戻った神輿は、今年最後の振りをする。

拝殿の周りを「ホイット、ホイット」の掛け声と共に振りながら回って行く。

拝殿の正面に着くと、更に掛け声も激しくなり、勇壮な神輿振りが続く。

Img_7712
やがて、力が尽きたように神輿はその動きをとめる。

しかし、輿丁の人々は手拍子と掛け声をいつまでも止めようとはしない。

拝殿へ神輿を上げてからも、まだその興奮は収まらない。

三基の神輿が全て拝殿に鎮座すると、その興奮を断ち切るように境内の電気がすべて消され、神輿で運ばれた荒魂を本殿へ移す「御魂移し」の神事が行なわれた。

今年の祗園祭もあと1週間を残すのみとなった。

*コメント・TB大歓迎です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月23日 (日)

祇園祭あれこれ(オハケ)

三条通の黒門通角(堀川三条から三条商店街を西へ)に祇園神社の御旅所の「御供社(ゴクウシャ)」という神社が有ります。
Img_7676
祇園祭の御旅所としては、神幸祭から還幸祭(24日午後5時から)までの間、神輿が安置される四条寺町の御旅所が知られているが、この御供社は還幸祭のときに利用される御旅所である。(ややこしいなぁ〜)

四条寺町の御旅所に対して、この御旅所を「又旅所(マタタビショ)」と呼ぶ。(ネコガヨロコブジンジャデス)

昔々、祇園祭は「祇園御霊会」と言い、疫病退散を願い「神泉苑(堀川御池西入る)」に66本の矛を立て、祇園社の神輿を迎え、疫神を鎮める神事が始まりとされている。

「神泉苑」へ神輿が集まるため、その三基の神輿が合流する三条大宮を「列見の辻」として神輿見物の中心地であった。(現在の山鉾見物の御池通のようなもの)

そして、「神泉苑」の南の端にあたるこの「御供社」に神輿を安置し神事が行われてきたのである。

Img_7683

さて、前置きが長くなったが、今回のタイトルである「オハケ」の説明となるが。

その「御供社」での神事のため、その社前に芝を張り、3本の「御幣」を建てる。これが「オハケ」と呼ばれるものである。

芝は水辺を表し、御幣は神の「依り代(ヨリシロ)」であり、神がこの地に降臨することを示すものである。(と八坂神社の宮司さんが言っていた。)

まぁこのように、色々な行事を行い、明日は「還幸祭」です。中御座神輿は夕方5時頃、四条寺町の御旅所を出発し、四条寺町から寺町高辻、高辻通りを西に進み烏丸高辻で烏丸通を北に進みます。途中、「大政所(秀吉時代までの御旅所があった烏丸綾小路下がる)」で休憩し、四条烏丸から四条通を西へ進みます。四条通を大宮まで行き、次は大宮通を北行し、大宮御池の「神泉苑」で神事を行います。神泉苑から千本三条を通り、三条通を寺町まで進みます。途中、「御供社」で神事と休憩をとります(8時前後)三条寺町から寺町通を四条へ抜けて、四条通を八坂神社へ進みます。八坂神社では拝殿の周りを回りながら最後の振回しを行います(9時前後)

明日の天気予報は雨!!!(今年はどうなってるんでしょうね!)
皆さん夕方から、雨が止むように祈ってください。
ついでに、コメント御願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月22日 (土)

「美のかけはし」京博110年記念展覧会

京都国立博物館開館110年記念展覧会「美のかけはし」に行ってきた。

05_20

展覧会は、京博の所蔵品および寄託品のうち、有名な作品を並べると同時に博物館の歴史を説明する事を企画したものであった。

しかし、さすが京博だけあり、出展されている作品は国宝級ばかりであった。

金曜日の夜間開館に行ったのだが、ガラガラだった。タイミングによっては、展示室に2〜3人になることもあった。

雪舟「天橋立図」、宗達「風神雷神図屏風」、「釈迦金棺出現図」等が独り占めですよ!至福の時間です。思わずええんかいなぁ〜と思ってしまった。

展示作品は、絵画、仏像、書、着物、工芸と多範囲に及んでいたが、その中からのピックアップ。

「地獄極楽図屏風」    
右下に現世、左下に地獄、真ん中上に極楽が描かれ間を海原が分けている。往生者を船で阿弥陀如来が運んでいる。海原の描き方や地獄の描き方に華厳宗祖師絵伝や地獄草紙に通じるものが有る。
Photo_23

「後白川法皇像」「文覚四十五か条起請文」
後白河像に意思の強さを感じ、起請文に残された、手印の優雅さに彼の繊細な心を感じる。
以前見た、妙法院本は頭がまるかったが、この像は平になっている。

「公家列影図」
上下二段にわかれ、12〜13世紀に活躍した、公家・武士の似絵が描かれている。一人一人の着物の模様が異なり、また風貌・体型も異なる。当時の様がよくわかる。
興味に引かれる作品である。

Photo_24
「桐矢襖文胴服」
胴服とは現在の羽織の原型となるもので、これは秀吉が所用したものである。肩に紫、裾に萌葱色を配した、現在でも通用するデザインである。細かい絞りによって成される辻が花染めの逸品である。当時に技術に高さに驚かされる。

「豊国祭礼図屏風」
豊国社の祭礼図屏風で6曲1双である。今回は右雙であった。洛中洛外図のように、細かいところまで描いてあり見応えがある。左雙の豊国踊は展示変え後再度来なくては・・・

「龍智像(真言七祖像)」
空海書とされている上部に書いてある墨書を今回じっくりと見たが、面白い。独特のデザインされた字が目新しい。

「風天像(十二天像のうち)」
これは初めて見る。絵全体に迫力が有り、これが十二幅掛かれば素晴らしいものであろう。また、風天像の顔が同時に出展されている風天面とそっくりなのはおかしい。

「天橋立図」「風神雷神図屏風」
何回見ても素晴らしい。

Photo_25Photo_26

Photo_27

「柳橋水車図屏風」
以前見たときには、左雙の柳の葉が小さいなと思っていたのだが、その後左雙からう右雙へ季節が移り変わる様を表していると知り、今回ゆっくり眺めて、そのスケールの大きさに新たに感心した。

その他、今まで常設展等で見てきたものが多いですが、これだけ同時に並ぶことは少ないと思います。

人出も少ないようですから、じっくりと名品を見るには良い機会です。

Photo_28

その他有名な作品では、「目無経」「釈迦如来像」「釈迦金棺出現図」「遠浦帰帆図」「堀江物語絵巻」「一遍聖図」「阿弥陀二十五菩薩来迎図」「東福寺伽藍図」等が展示されていました。

同時に開催している、常設展も色々と見るべきものが有りますので、お見逃し無く。

京博は、常設館の建て直しをするそうです。どのような計画かはわかりませんが、ある意味京博の存在価値は常設展にあるのではないかと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年7月21日 (金)

祇園祭あれこれ(無言詣)

7月17日の神幸祭から24日の還幸祭までの間、神輿は四条寺町の御旅所に祭られます。

Img_7640

この御神輿に祗園の舞妓さんや、芸者さんが願掛けにこられます。

御旅所にくるまでの間、誰とも口をきかず、御神輿さんに願をかけ、そしてまた誰に会ってもしゃべらず家に帰る。

これを7日間続けると、願がかなうそうです。

これが「無言詣」です。

私なんぞは、毎年願掛けは行くのですが、願掛けしたとたん相方に「しゃべるなよー」と言ってしまい、今だに願いはかないません。

Img_7642

時代の流れが早くなってきた事を思うと、1日でも願いがかなう世に成ったかもしれません。

今晩も、願いをかけている人がおられました。

願いがかなうといいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月20日 (木)

祇園祭あれこれ(扇と御榊)

神輿の小道具です。

Img_7622
一つは扇子。扇面の赤い図案は八坂さんの紋です。

この形がキュウリに似ているので、祇園祭の間、関係者はキュウリを食べないという話があります。

ほんまに、そうだったら八百屋さんと漬けもん屋さんは、困るやろなぁ。

実際のところ、みんなキュウリを食べてると思います。

真ん中に有るのは、御榊です。これには「蘇民将来子孫也」のお札が2枚付いてます。

「蘇民将来」の話は、昔、北に住む疫病を流行らす神であった「武塔神(牛頭天王)」が南の姫へ夜這いに行く途中、一夜の宿を頼んだところ、裕福な巨旦将来は断り、貧乏な蘇民将来が快くもてなした。その一宿一飯の恩義から、蘇民将来の子孫は疫病から免れる事が出来る様に成った。また、蘇民将来の子孫である事を示す為に腰に「茅の輪」をぶら下げておけば良いというものです。

この故事にまつわり、祇園祭でのお札には「蘇民将来」の字が書いてある。

鉾や山で買ったチマキも、中をのぞくと必ずこの字が見つかるはずです。

神輿の輿丁(担ぎ手)も安全を祈願して、この札の付いた御榊を体のどこかにつけてます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月19日 (水)

祇園祭あれこれ(神輿弁当)

祇園祭の神輿渡御(17日の神幸祭、24日の還幸祭)の時、「中御座」神輿(真ん中に飾ってある神輿)では、神輿を担ぐ輿丁の晩ご飯のため、また地元や氏子の方々の厄よけのため、弁当を作ります。

これが「神輿弁当」です。

Img_7617Img_7619
竹の皮に、御飯を型にはめて打ちつけ、上にごま塩と梅干しを載せ、横に沢庵を付けただけの素朴な弁当です。

この素朴さが、おいしいんです。

神輿の休憩時に、ちょっと固くなった御飯をほおばり、ビールをグビ、沢庵をぼりぼり食べ、ビールをグビ。
これが最高!

一個位ペロリです。

特に、沢庵の黄色い色が付いた御飯のところや、梅干しの紅い色が付いた御飯のところが本当においしい。

この弁当欲しさに、神輿を担ぎにくる人もいると言う噂も有ります。

また、この弁当は厄よけにも成るそうで、。配った先でも好評で、1つの弁当を一家四人で分けて食べているという話も聞きます。(沢庵を誰が食べるか、梅干しは誰かで喧嘩の種にもなるそうです。)

祭りの後でも、「今年の弁当は塩がきいてなかった。」とか「沢庵がつかり過ぎだ。」とか「梅干しが小さい。」とか色々と話のネタになります。(担当の人は大変だそうです。)

とかく、色んな噂と御利益が多い「神輿弁当」です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月18日 (火)

祇園祭あれこれ(神幸祭)

雨、雨・・・。宵山から続く雨が今日(17日)も降り続く。

Img_7540

恨めしそうに空を見上げながら、朝8時頃から神輿の会所へ急ぐ。
もうすぐ止むだろうと思う心意気を示し、傘はささない。

会所では、もう既に、輿丁の男衆が集まり、「弁当打ち(弁当の作成)」、神輿の準備が始まっている。

作業の合間に横目で「鉾の巡行」のTVを見る。雨の中の巡行も大変そう。

山鉾もびしょびしょ、着物もびしょびしょ、見物客もびしょびしょ。

誰彼とも無く、「神輿のときには、止む止む」と空元気。しかし、だんだん気合いは入ってくる。

Img_7545

「よっしゃ、行くで!」の声で、午後3時前、会所の前に集まり手を締める。

「ヨイトセノ (チャチャチャ)」「ヨイトセノ(チャチャチャ)」「ヨイトセノ(チャチャチャ)」と三本締める。

神輿につける「鳴りカン」(振るとシャンシャンと音がする)を先頭に、八坂さんまで手を打ちながら進んで行く。

同じ、「中御座」神輿を担ぐ面々境内で1年ぶりに会う。

挨拶代わりに、「止むで!」。気合いが通じ、雨足は小振りに成って来る。

Img_7578

5時前、いよいよ、神輿の担ぎ出しを始める。舞殿から神輿を降ろし、境内の中を3周する。

「ホイット」「ホイット」のかけ声が掛かれば、もう雨は関係なし。

熱狂と興奮につつまれて、神輿は八坂さんを出て行く。

八坂さんを出たところで、神輿に「長柄」(神輿を大勢で担ぐ為の長い棒)を付け、他の神輿が揃うまでしばし休憩。はやる気持ちが押さえられる。

三基の神輿が揃ったところで、石段下への揃い踏みに繰り出す。

Img_7587
お祓いを受け、いよいよ三社そろって神輿を差し上げ、振りながら回す。

「回せ、舞わせ」のかけ声と一緒に各神輿が舞踊る。

見物の人々も、雨の中、一緒に「回せ、舞わせ」とかけ声をかけてくれる。

差し回しの後、「中御座」神輿は四条通を西へ進む。

見物人が多いと、神輿もそれに合わせて威勢があがる。

「ホイット、ホイット」のかけ声に会わせ、蹴り踊るような独特の足さばきで、神輿を前後に揺すりながら進んで行く。
Img_7596
各自担ぐ場所が決まっており、同じ場所に大体4人〜5人が割り当てられている。

振りながら進むと5分とは持たない。次の者が引っ張りだすように交代して行く。

縄手通を進み、三条京阪に着く。

いよいよ鴨川を渡御し、洛中へ入る。

三条大橋の真ん中で音頭をとる扇子に合わせて、再び差し振る。「ヨイット。ヨイット!」
Img_7602
木屋町を二条まで進み、ここで一休み。神輿に提灯がつくが、生憎の雨ですぐ消えてしまう。
輿丁の我々も一休み。神輿弁当をほおばる。

一休みも終わり、もう一度気合いを入れて、後半戦に臨む。

二条から寺町を通り御池を越える。

寺町のアーケードに入ると、かけ声と神輿の鳴り者が響き、否が応でもボルテージは上がる。
もちろん、振りながら進む。こうなるともう陶酔郷に入った気分!まるで別世界!
Img_7611
河原町に出て、河原町四条の交差点の真ん中で差し回し。

そして、最後の力を振り絞り、四条寺町の御旅所の前で神輿を練り回す。

もう、どうにでもなれぇ〜という感じ。

運んできた「スサノヲノミコト」を御旅所に移し、神輿を御旅所に飾ると、思い出したように雨に気づいた。

火照った体に雨の冷たさが気持ちよい。

24日は晴れかなぁー

*コメント・トラックパック大歓迎。宜しく御願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月15日 (土)

祇園祭あれこれ(夜店)

宵々山であったが、夕方から一雨来た。

Img_7398

そのおかげで、少し涼しくなったが、四条烏丸界隈はさすがに人の波であった。

子供の頃、祭の楽しみは夜店であった。

時代は変わっても、子供の楽しみは同じで、多くの夜店に群がっていた。

それに加えて、若い人達も楽しそうに夜店を冷やかしていた。

しかし、夜店の内容が昔とは大きく違ってきている。

昔は、たこやき、水飴、花火、金魚すくい、かき氷等であったが、今は色んな種類の食べ物が主と成っている。

Img_7445

まずは、定番の「たこ焼き」。昔のたこ焼きと比べると、1.5倍くらいの大きさである。

子供が昔と比べると大きくなったら、たこ焼きまで大きくなるのかなー?

夜店のお兄ちゃん、お姉ちゃんが、マクドナルドみたいに揃いのユニフォーム姿で、帽子をかぶっているのが今風である。

つぎは、どう呼ぶのかわからないが、発光おもちゃ。

スターウォーズのライトセーバーみたいのから、頭の飾り、腕輪、そして首輪(売ってるお兄ちゃんは首輪といっていたが、ほんまにつけるのかなー)まである。

Img_7470

若い人に結構人気があり、アベックが同じものをつけて歩いているのよく見かけた。

次は、「金魚すくい」。

昔は、金魚すくいだけでは無く、大きくなった金魚を釣るのがあったが、今年はそれを見なかった。(夜店の幕には「金魚釣り」と書いてあるのだが・・・)

それに、もっと沢山出ていたように思えたが、案外少なかった。

小さい頃、夜店ですくった金魚は祭りが終わる頃には、すぐに死んでしまった事を思い出した。

今の子供は、生き物を飼ったりしないのかなぁー

そして「お面」。

時代が変わり、お面も「鉄腕アトム」から「キティちゃん」に変わっている。

Img_7433

しかし、こうやってじっくりと見ていると、まるで現代アートのようである。

真ん中の右側の女の子の面なんか、ちょっと奈良智美風だなー

この他に食べ物関係では、クレープ、唐揚げ、スパゲッティ風、ステーキ風のものもあり、夜店の世界は「ギオン ワンダーランド」である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月14日 (金)

祇園祭あれこれ(屏風祭)

宵々々山とは言え、金曜日ということで、もう大変な込みようでした。

新町通りの町家では、表の格子戸を開け、秘蔵の屏風を飾る「屏風祭」が始まっている。

Img_7411

「洛中洛外図」「花鳥画」「平家物語」等、色々な屏風が飾られている。

京都の町家では、玄関に打ち水をし、朝顔等の鉢植え等を飾り、涼しげな様子が感じられる。

開け放された表の間は、少し薄暗く、屏風の金地が、表通りの光を写しきらめいている。

奥の座敷では、ご馳走をならべ、歓談をしながら、祭りのにぎわいを楽しんでいる風情が見られる。

Img_7415

表通りのざわめき、屏風の飾られた表の間の静けさ、奥の座敷のにぎわい、これらが一連の空間として続いていき、祭りの雰囲気を漂わせている。

祗園祭は、昼間に行われる鉾の巡行の明るさと、夜に行われる宵山や神輿渡御の暗さとが同居して、またそのコントラストが際立っている祭りである。

その明暗の差が、祭りと日常の「ケ」と「ハレ」の違いを感じさせるものである。

京都の町衆が、祇園祭を大切にし、熱心に1200年近くも続けているのも、この差の大きさを楽しんでいるからかも知れない。

Img_7436

この宵山はちょうど土・日にあたり大変な人出となりそうだ。

昔から、祇園祭の主祭神である、スサノヲノミコトは「荒ぶる神」であり、人々の熱狂が高まる程、神は喜び、ご利益も大きいとされてる。

今年もご利益は大きそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月13日 (木)

祇園祭あれこれ(神輿、神輿、神輿)

祇園祭の神幸祭(17日)、還幸祭(24日)で担がれる神輿は3基です。

Img_7349_1

真ん中は「中御座」
主祭神であるスサノヲノミコトが運ばれる神輿で、形は六角。屋根には鳳凰。担ぎ手は三若神輿会。17日の巡行路は午後6時、祇園石段下(三社揃い踏み)→四条通を大和大路まで西行→大和大路を三条京阪まで北行→三条大橋を渡御→三条木屋町から木屋町通を北行→二条木屋町で折返し(休憩 午後7:15〜8:00)→二条通を寺町まで西行→寺町通を三条まで南行→三条寺町から三条河原町まで東行→三条河原町から四条河原町まで南行→四条河原町から御旅所(四条寺町)まで西行(午後9時頃)

東側は「東御座」
スサノヲノミコトの妻であるクシイナダヒメノミコトが運ばれる神輿で、形は四角。屋根には宝珠。担ぎ手は四若神輿会。17日の巡行路は午後6時、祇園石段下(三社揃い踏み)→東大路を新橋通りまで北行→新橋通を花見小路まで西行→花見小路を大和大路まで西行→大和大路を若松通りまで北行→若松通を東行→花見小路を北行→三条通を西→河原町通を南→仏光寺通折返→四条通を西→御旅所(午後9時20分頃)

西側は「西御座」
スサノヲノミコトの子供達であるヤハシラノミコガミが運ばれ、形は八角。屋根には中御座と同様に鳳凰。担ぎ手は錦神輿会。17日の巡行路は午後6時、祇園石段下(三社揃い踏み)→四条通を西→花見小路を南→団栗通を西→川端通を北→四条通を東→大和大路を北→有済校折返→三条通を西→木屋町通を北→二条通を西→寺町通を南→三条通を東→河原町通を南→四条通を東→木屋町通を南→松原通を西→河原町通を北→四条通を西→御旅所(午後9時40分頃)

Img_7330Img_7333

Img_7343

中御座の正面、支え柱、回りの飾りの拡大写真です。大変細かいところまで精巧に作られています。

三社が揃い踏みする頃、ちょうど夕日が差し、担ぎ上げられた神輿がキラキラと輝く様は、大変美しいものです。

今年の17日、天気が良ければよいのだが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月12日 (水)

祇園祭あれこれ(鉾建て)

鉾町での「鉾建て」が始まった。
放下鉾、月鉾、函谷鉾、長刀鉾、鶏鉾、菊水鉾はその姿を現している。
鉾は釘を使わず、縄のみで組み立てられて行く。
見ていると、慣れた調子で縄を縛って行くが、出来上がりは大変美しいものである。
縄目も模様を考え、対象に構成されている。隠れたところにも繊細な美しさへの意思が働いている。

鉾のうち、最大のものはその飾り、囃子方も含め12トンの重さに達するものもある。
それが、縄だけで組まれていると思うと、ちょっと恐ろしい気がする。
伝統の技術のすごさに感心する。

Img_7369Img_7373Img_7368

鉾、山は三条通りよりも南側、烏丸通より西側(長刀鉾を除いて)、高辻通りよりも北側、油小路通りよりも東側の区域で建てられる。

散策のコースとしては、三条新町位から、新町通りを南に下がって行き、四条を超えて高辻通りまで行き、高辻通から室町通りを北にあがっていくコースがいいのではないか。(ただし一部一方通行有り)

「碁盤の目」とよく言われる、京都の通りをくるくると回って見るのも、また面白い。
Img_7376

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 9日 (日)

祇園祭あれこれ(神輿洗い)

明日(7月10日)は祇園祭の行事が色々とある。

まず、「鉾建て」が始まる。10日から13日にかけて各町内で鉾・山を建てだす。

Img_7316

次に、「お迎提灯」。神輿洗いの神輿を迎えるため、八坂神社から四条河原町、市役所を通り、寺町通りを四条通りに戻り、再び八坂神社にて神輿を迎える。午後4時30分頃から出発し、午後9時頃八坂神社へ戻る。

そして、「神輿洗い」。神輿洗いとは、三基ある神輿(中御座、東御座、西御座)のうちの一つを、四条大橋まで担ぎだし、鴨川の水で清める神事である。

夕方から三基の神輿を神輿蔵(八坂神社境内にある)から出し舞殿に運び上げ、「中御座」をのぞき、飾り付けを行う。

Img_7304

7時30分頃から、大松明に火をつけ、それを神輿の先導として四条大橋までの道を清める。

大松明が戻ると、いよいよ「中御座」を舞殿から下ろし、輿丁(神輿の担ぎ手)の男衆に担がれ、もまれながら四条大橋まで運ばれる。

四条大橋では、担ぎ手が神輿を差し上げながらゆっくりと回して行く。

その後、鴨川の水で神輿を祓い清める。

この水をかぶると無病息災になるとして、見物の人々も大にぎわいとなる。

Img_7346

神輿は再び八坂神社にもどり、17日の神幸祭を待つのである。

八坂神社の三基の神輿は、中央の「中御座」にスサノヲノミコト(牛頭天王)が乗られ、向かって右の「東御座」にはスサノヲノミコトの妻であるクシイナダヒメ(婆梨釆女)が、左の「西御座」にはスサノヲノミコトの子供達であるヤハシラノミコガミ(八王子)が乗られる。( )内はスサノヲノミコトが牛頭天王と習合される前の呼び名である。

(写真は今年の7月10日の神輿洗いの様子を再アップしました。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 6日 (木)

祇園祭あれこれ(二階囃子)

吉符入りも終わり、いよいよ祇園祭の準備にはいった。

Img_7155

鉾が建つまでの間、鉾町では寄合所に囃子方が集まり、祗園囃子の練習をする。

寄合所の二階の窓を全て取り払い、提灯を付けて、道行く人々にも聞こえるように練習をする。

これを「二階囃子」と言う。

この練習への出席率により、鉾での座る位置が決まるそうだ。

祇園囃子は横笛と太鼓、そして鉦によって奏じられる。

ちょっと聞くだけでは単純に「コンチキチン」と鳴らしているようであるが、じっくりと聞くとなかなか複雑な調子である。

拍子も八坂神社へ向かう時と、鉾町へ戻るときとでは異なるし、また曵き方への音頭を取るものであるから、変な拍子になれば鉾が進まない。

そのため、練習も熟練者を中心として厳しいものであるらしい。

Img_7151

今日も、薄暗くなった新町通りを、鉾の名前が入ったそろいの浴衣をきて、囃子方が小走りに寄合所へ急ぐ姿が見られた。

町は、祭りの前の落ち着かない様子ながら、一日一日祇園祭に近づいていく。

夕方7時頃より、新町通を六角通位から南へ下がれば、「北観音山」「南観音山」「放下鉾」、そして四条通を渡れば「船鉾」の二階囃子が聞かれます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 4日 (火)

祇園祭あれこれ(その歴史は)

祇園祭は八坂神社のお祭りである。では、何故「祇園祭」と呼ぶのであろうか。

実は、八坂神社は明治の神仏分離令以降の呼び名で、それまでは「祇園社(祇園感神院)」と呼ばれていたのである。

その、お祭りだから「祇園祭」と呼ばれるのである。

Img_7118

八坂神社の歴史をひもとくと、もともと、彼の地は、京都盆地のなかでも早くから開けた地で、八坂の塔で知られる「法観寺」は飛鳥時代の創立とされている。

そのころ、八坂の地を治めていたのは高麗からの帰化人である「狛氏」であった。

狛氏は彼らの疫神である、「武塔天神(ムトウ)」を八坂の地に祭り、「蘇民将来」の伝承とともに無病息災を願った。

平安時代に入り、「武塔天神」は同様の渡来神の疫神である「牛頭天王(ゴズ)」と習合(神の合体)し、洛外に祇園天神社として祭られるようになった。

祇園の由来は、関白藤原基経が彼の地に寺を寄進したことが、印度にて須達長者が祇園精舎を寄進した仏教の故事に類似しているとして、「祇園」と名付けられたとされている。

現在の八坂神社(祇園社)の創建は9世紀半ばとされている。

都が栄えるにつれ、疫病もはやり、政府は人心の畏れを鎮めるため、「御霊会」を行うようになった。

色々な場所で行われたが、神泉苑(中京区堀川御池西入る)での御霊会において、祇園社の牛頭天王を洛中に勧進し、疫病退散を願ったのが、「祇園祭」の始まりで、10世紀半ばより定例化された。

牛頭天王を洛中に迎えるのに、行われたのが神輿による渡御で、この周りを神を楽しませるために、踊りや舞曲をおこなったものが、「山」となった。

平安末期の後白川法皇の時代に、法皇が神輿3基と獅子舞を寄付し、皇族・公家達に祇園御霊会への参加を促した記録がある。

祭りが盛んになるにつれ、その費用の維持も問題となり、その頃経済的な力をもってきた、商人達にその費用の負担を求めたのもこの頃からである。

Img_6610

鎌倉時代、室町時代と祇園祭はますます華美になり、現在の山鉾の始まりは南北朝時代頃(14世紀頃)とされている。この頃になると、神輿渡御がされなくても、山鉾の運行がなされるようになり、京都の1大イベントとなってきた。

応仁・文明の乱(15世紀)で一時的な中断があったが、復興がなり、ますます力を付けた商人たちが、山や鉾を珍しいもので飾るようになり、現在でもその多くのものが継承されている。山・鉾は現在の移動ショールームとなり、その効果は絶大で、彼らの力を見せびらかした。

明治となり、都が東京へ移ったのに伴い、祇園祭を支えた制度も変えられたが、祭りの主体は庶民のまま変わらなかった。太陽暦の採用とともに、6月の14日、24日に行われていた祭りが、7月に変わった。

太平洋戦争の間は、休止されたが、戦後復活されたが、観光を主眼とする事から、24日の後の祭りが縮小され、鉾の巡行は17日のみとなった。神輿渡御は従来通り、17日の神幸祭(八坂の神を御旅所まで迎える祭)と24日の還幸祭(御旅所から八坂神社へ送る祭)と行われている。

参考文献:中公新書「中世京都と祇園祭」   脇田晴子 著
              学生社「八坂神社」  八坂神社編

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 3日 (月)

「藤田 嗣治」展

「藤田 嗣治」展へ行ってきた。

Img_7108

展覧会は、1.エコール ド パリ時代、2.中南米そして日本、3.ふたたびパリへ の3部で構成されており、藤田嗣治の全貌がわかりやすく展示されている。

「エコール ド パリの時代」では、渡仏しモディリアニらとの交流の中で、あの乳白色と細い描線の技法を確立していく流れがよくわかった。

この時代、藤田としては、西洋的な中で、最も日本的な表現を求めたのではないだろうか。

日本画のもつ柔らかさ、細かさ、そして優美さがベースとなり、その追求の結果があの乳白色の色となったのであろう。

パリに行き、日本画に近づいていく、それがこの時代の藤田であったと思う。

この時代の絵にカソリックを主題とする「十字架降下」があるが、その背景は金箔が施され、琳派の様式が取り入れられているのは面白かった。


Img_7107

「中南米そして日本」。この時代は、逆に西洋の表現をいかにするのかを追求した時代だと思える。

それが色や描かれるものの表現に現れている。

その集大成が、「アッツ島玉砕」等の戦争画となっていった。

その主題の題名とは別に、これらの戦争画は構図といい、細かい描写といい、色の塗り重ねの様子といい、素晴らしいものである。

「ふたたび、パリへ」では、精神性が前面にでてくる。

この時代に描かれた子供たちは、私には何かを象徴しているように思える。何を象徴しているのかはわからないが、じっと見ているとなにか畏れのようなものを感じる。

Img_7106

藤田といえば、「猫」が有名だ。すべての時代に猫は描かれている。決してかわいくは描かれていないが、常に絵の向こうから、絵を見る我々をじっと観察しているような雰囲気を持っている。

色んなところのブログで、評判の良い展覧会であったので、大きな期待をしていったのだが、期待通りの展覧会であった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年7月 1日 (土)

鴨川の「リブ ゴーシュ」

鴨川の「リブ ゴーシュ(左岸)」においしいレストランを見つけた。

Photo_22

場所は、川端通の二条交差点、東南角。

名前は、そのものずばり「Rive gauche(左岸)」。

フランス料理の店である。

以前から、美術館へ行くときに前をとおり、何となくおいしそうな感じがしており、気になっていた。


今回、二回目の来店だが、二回ともおいしかったし、気持ちの良いレストランだった。

Img_7077

私のコースは1800円ので、相方は2500円のコースを選択する。

違いは、前菜の内容とデザートの内容が異なる。

写真は相方のコースの前菜である「鱧と季節野菜のコンソメジュレ」。

京都の夏と言えば、「鱧のおとし」が定番だが、フランス料理も京都ではそれに従う。

ちょっと味見をさせてもらうと、コンソメジュレがだんだん溶けていって、その濃くが鱧と野菜にからまって絶妙のハーモニーとなっている。

私のコースは「生ハムとグリーンアスパラのサラダ」
Img_7083

これもドレッシングが野菜の味を引き立てる役目を十分に果たしており、おいしかった。

メインは「仔羊もも肉のエスカロップソテーマスタードソース」。

ソースのマスタードが肉のうまみを引き立て、付け合わせの野菜も色々種類があり楽しめた。

この店のパンは、自家製だそうで、小さなプチパンが2個ずつ出てくる。

もちもち感が何とも言えずおいしい。(おかわりは自由みたい)


Img_7084

デザートは、ムースと果物だった。相方の方にはウーロン茶のブリュレがあった。ウーロン茶のほろ苦さと表面の飴が混ざって珍しい味がした。

若い感覚で作られている料理だが、すべてに手が込んでおり、シェフの熱意が感じられる。
サーブの方も、若い方であったが感じがよく、タイミングも的確で気持ちがよかった。

今後が楽しみな店である。

お店は:

Rive gauche (リブ ゴーシュ)」

京都市左京区川端二条東入る

TEL  (075) 752ー8028

| | コメント (1) | トラックバック (0)

東本願寺の睡蓮と蓮の花

京都、独特の蒸した暑さが昨日、今日と続いています。

東本願寺の周りの堀に睡蓮と蓮の花が咲いており、道行く人々の目を楽しましています。

Photo_20

Photo_21

睡蓮は西側の烏丸通に面した堀に咲いています。

ちょっと花が小さいので、見にくいかもしれません。

蓮は南側の堀に咲いています。

七条通りから一筋北側で、車も人通りも少なく、町の真ん中とは思えない、静かな木陰の道です。


まだ、蕾みの蓮が多いので、来週始めが見御頃かなと思えます。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »