« 李朝石像群 京博 東庭園 | トップページ | 「三条あかり景色」 »

2006年9月15日 (金)

『街的ということ』を読んで

江 弘毅 『「街的」ということ —お好み焼き屋は街の学校だ— 』を読んだ。

Img_5関西の情報誌「ミーツ」の元編集長によるメディア論です。知り合いの人達に聞くと、案外読まれている。書店でも、ベストセラーにランクインしている。

この本を読んで気付くことは、「街」の捉え方が狭義である点だ。情報誌の元編集長であったことからか、基本的な視点が街=店=消費という図式で成り立っている。通常、我々が生活している街はもっと広義である。たしかに店も一つの要素ではあるが、それ以外に、街の風景、道行く人々、流れて来る匂い、色んな音等を感じ、街を楽しんでいる。その点については、著者もわかっており、本のなかでところどころ指摘はしているが、なにぶんこの本からは余り伝わってこない。あくまでも、本中の言葉で言う『街場(街の店)』の楽しみ方を示した内容である。そのような意味から、これはあくまでも作者の考える『価値ある情報雑誌の作り方』を示したメディア論である。

情報雑誌に関しては、私においては、「ミーツ」であろうと「Leaf」であろうと余り差はない。たまにカフェなんかに置いてあるのを見る程度である。それよりもブログで読んだ情報のほうが情報の精度は高い。情報雑誌のライターの顔は見えないが、ブログの作者は、過去ログをいくつか読めば感じはつかめて来る。そしてその情報の精度がわかってくる。そのような現状から見れば、情報雑誌の内容は、この本に書かれている、顔も見えないライターの思い入れが強い記事よりも、多くのカタログ化された情報のIndexの方が便利ではないかと思える。

『街的』という言葉が、街の楽しみ方(街の感じ方)という意味であるならば、それは千差万別であり、個人の考え方、個人の歴史、経験によって異なって来る。そして、その街が気に入らない人は、その街に行かないし、気に入れば街を楽しみにいく。その結果街の様子も変わって行く。店においても街に同化することねらった店もあれば、街から遊離することをねらう店もある。その中で寂れる店も有れば、栄える店も出て来る、そしてまた新しい店ができる。これらの変化を感じることが街を楽しむ事ではないだろうか。

この本は、『街』ということを色々と考える、きっかけとなった。

書名:「街的」ということ
作者:江 弘毅
出版:講談社 現代新書   ¥720


|

« 李朝石像群 京博 東庭園 | トップページ | 「三条あかり景色」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95018/3444194

この記事へのトラックバック一覧です: 『街的ということ』を読んで:

« 李朝石像群 京博 東庭園 | トップページ | 「三条あかり景色」 »