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2006年10月27日 (金)

御歳88歳の地名表示板

京都の街中を歩いていると、角家の二階の柱等に「地名表示板」(正式名称はしらない)が貼られているのを見かける。通り名前等が不確かな時には重宝する。
この頃、看板に興味が有り此の様な「地名表示板」にもよく目が行く。そんな中から一枚。

Img_8422これは、千本御池(二条駅前)を東に入った「西ノ京職司町」に飾ってある「地名表示板」
そうとうの年代が経っているらしく、琺瑯の看板の一部が錆びている。
細かい所まで見ると「下京區」となっている。
しかし、現在、此の地域は「中京区」である。
不思議だなぁと思い家に帰って調べてみると色んな事が解って来た。

明治になり京都は自治組織として「番組」が設けられた。その「番組」単位に小学校が設立され「番組小学校」(旧学区)となった。
明治2年、三条通を境に「上京」と「下京」が分けられ、明治12年に「区制」が始まり、「上京区」と「下京区」となった。
明治22年「市制」が始まり、その時此の地域(西ノ京職司町)は壬生、聚落廻の各村と統合され「葛野郡朱雀野村」となった。
大正7年京都市域拡大により「朱雀野村」は下京区に編入された。
そして、昭和4年下京区の一部と上京区の一部を合わせ「中京区」が誕生した。

驚いた事に、上京と下京の境が三条通であったこと。
これは、知らなかった!そうすると我が家は下京の北の端だったんだなぁ・・・
また、中京区が案外新しい区だった事! 

それらから考えると「下京區」と書いてあるこの「地名表示板」は大正7年(1918)から昭和4年(1929)の間に作られた事になる。
そうすると、最高、此の地名表示板の御歳は88歳になる!!!
そう言えば、下の方に描いてある「仁丹」の軍人さんも威厳があるなぁ!

小さい頃はよく「琺瑯(ほうろう)の看板」があったが、この頃めっきり少なくなった。
この様な物もどこかで残してもらいたいものである。
(東京では、江戸博物館に展示されています。)

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コメント

知ってます!この表示板。御池通でしたか。たまに通って、古いなあ、と思っていました。わたしも市内にある古いのを写真に撮って記録するのもおもしろそうだなあと、考えたことがありますよ。
最近のはライオンズクラブですが、昔のは仁丹ですね。

昔は下京と上京しかなかったと祖母から昔聞きました。電話番号とかも「下○○」とかだったようです。

投稿: はたこ | 2006年10月29日 (日) 00時23分

アッ! はたこさんも気付いておられたのですか!
確かにこの表示板、貼ってある位置といい、古さといい、気になりますね。
それと、電話番号ですが、それは交換手がいた時代の事ですね。(ダイアルに漢字はなかったですから)
昭和の30年代には、伏見の親戚の家では、まだ電磁式の電話機(電話機にグルグル回すハンドルが付いているやつ)で交換手を呼んでいたのを思い出しました。

投稿: 好日 | 2006年10月29日 (日) 03時22分

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