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2006年12月 2日 (土)

「光悦と楽道入」楽美術館

11月にいった美術展をもうひとつ。
9月12日〜11月26日まで油小路中立売上るの楽美術館でおこなわれた「光悦と楽道入」展に行った。

Raku1光悦は17世紀はじめ鷹峯に芸術村をつくり、書、蒔絵、陶器等にその独特の美意識を示し、琳派様式の祖とされるものである。道入は「のんこう」とも呼ばれ、楽の三代目で17世紀に活躍し、「長次郎(楽初代)は上手、道入は名人」と評判をとっていた。
その道入に大きな影響を与えたのが、光悦とされている。
今回の展示は、両者の名品を並べ、その影響を見られるように企画されたものであった。

香のにおいが漂う中、約30点ほどの名品が並んでいる。ひとつひとつが個々にその存在を示している。

光悦には、光悦の美があり、それは外に広がるような美である。ちゃわんを中心として外へ発散していく様な美しさであり、しかしその美の中心はちゃわんにある。ちゃわん一つでその場がパーッとあかるくなるような雰囲気がある。
道入は「楽」の伝統に従い、ちゃわんの中にひきずりこもうとするような美である。茶室のなかでちゃわんと対峙するような厳しさがある美である。茶室でちゃわんをはさんで主人と客が対峙するような雰囲気がある。

そんななかなら気に入ったものを・・・

まずは光悦から。

Raku2光悦 黒楽ちゃわん 「雨雲」
光悦ちゃわんの傑作。
高台からかすかに開くようにのびあがって来て、口縁でふいっと外にひろがる。
花びらが、根元からすーっと伸びて来てぱっと開く様な感じがする。
しかしその口縁はスパッと何のためらいもなく切り取られており、釉をかけずに土肌が露出している。

手をかけて来た口縁を、それを突然切り取る、その思いが見るものに「あーっ」と思わせる。その思いはちゃわんから発し、その場に拡がっていく。そんな感じがする。

この黒釉は、土そのものの黒のように思え、口に見える土肌が逆に重ね釉のようにも見える。
不思議なちゃわんである。

Raku3光悦 赤楽茶碗 「乙御前」
これも傑作。

柔らかに膨らんだ腰、それにくい込んでしまった高台。一部はそりかえり、一部は中へすぼむ口縁。
色といい形といい、まことにふくよかなちゃわんである。まるでお尻のようである。
あっけからんとした自然な性的魅力にあふれている。

数寄者益田鈍翁が「たまらぬものなり」と言った意味がよくわかる。

光悦は自らの作陶を趣味として行い、決して職業とはしないと書き残している。
そのような意味からも、このちゃわんは趣味として自由奔放に、何の規制も無く作られ、光悦の好みの集約であるだろう。
美への概念のみでつくられた、このようなちゃわんもう二度とあらわれないと思う。

Raku4楽道入 赤楽茶碗 「禿」
錦秋の紅葉を思わす鮮やかな赤が目を奪う。

道入の黒と同様に、光沢を持ち艶やかに光り輝く赤。その赤をより引き立てる所々にみられる黒い斑紋。
大振りのちゃわんを絞るように大きな削りがなされており、それがこのちゃわんをより爽快にしている。
道入の赤楽の特徴をあまねく示すちゃわんである。

今回の展示の中には、光悦と楽家の交流を示す、手紙等も展示されており、ちゃわんもふくめて、互いに相手を敬いながらも、それぞれが己の美を追求していった様子を知る事が出来た。

しかし、光悦の美意識が道入にどのように影響を与えたのかは、残念ながらわたしにはわからなかった!

しかしながら、焼くまでわからない、焼けば後戻りはできない、という焼き物の宿命のなかに、いかに自分の気持ちと美意識を織り込んでいくかという難しさを感じることができたすばらしい企画であった。

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