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2007年1月30日 (火)

「揺らぐ近代」京都国立近代美術館

明治以降の日本の絵画をみる場合、「日本画」か「洋画」かの区別は、画材が油彩か膠彩・墨かで区別している。(現代絵画においては区別のつかない画材も多いが・・・)。

Imgyuragu_1しかし、面と向かって、その違いはと尋ねられると返答に困る。「なんとなく・・」というのが正直な所。

今回の美術展は、日本画と洋画のはざまをさぐるため、いや、はざまが存在するのかを問いかける事を目的として企画されている。そのため和洋折衷の不思議な絵も多く展示されている。

ポスターの絵はそのような状況を象徴するかの様な、彭城貞徳(さかきていとく)の「和洋合奏之(1906年頃)」。左側にヴァイオリンを奏でる女性が、右側には尺八を吹く男性がいる。間にいねむりをしているかのようにうなだれながらも、困惑している少女。洋楽と邦楽のこの合奏はさぞけったいなものだったろう。ちょうど、明治における絵画界もこれと同様な状況であった。近代化によって海外からはいってくる新しい絵、その技法、画題などをなんとか日本画に生かせないかと試行錯誤する画家達。そんな状況がかいま見られる絵である。

Imgkannon美術展は6章の構成。第1章は「日本画と洋画の始まり」として狩野芳崖と高橋由一の作品が並ぶ。この後の日本画の方向性を示した狩野芳崖と洋画を世に認めさした高橋由一。この両者の作品がズラーッと並ぶこの部屋は、見応えがあった。芳崖、由一の絵は関西ではなかなか見られない。

これは狩野芳崖の「悲毋観音(1888 膠彩)」。教科書によく載っている絵だが、今回が初見。高さが2m位ある大きな絵。フェノロサの指導を受け日本画の革新運動を行った芳崖の絶作。

最近の分析によるとこの絵は膠彩で描かれた日本画。中間色を生かした柔らかい色調で和様らしき雰囲気が漂う。

しかし、構成は西洋の聖母画によるとされている。マリアとキリストを日本画に取り入れ観音を表している。そのためか観音は女性の下絵から描かれている。(その下絵は京都文化博物館で開催されていた「NHK日曜美術館」展に展示されていた)。

この絵により、近代の日本画の方向が定まったとされている。そうすると、空中に浮かぶ嬰児は、これから生まれようとする新しい日本画を象徴するものか?

Imgmitizane第2章は「日本画と洋画の混成」として、日本画、洋画の区別が不明確な時代にその様式を模索した絵画群。ようするに和洋折衷の絵。
これは小林永濯「道真天拝山祈祷の図(1880年代 膠彩)」。東京でのこの展覧会のポスターになった絵。

菅原道真が九州に流され天神と化する場面の絵。黒雲が天を駈け、稲妻が空を這う。道真は吹きつける風に向かい、つま先立ちで天に叫んでいる。

ここに「祟りじゃ〜〜!」という吹き出しが描いてあれば、これは現代の劇画。明治の初期にこの絵を見た人達には衝撃が走ったろう。今までの日本画にない激しさにあふれている。
この絵を見ながら、ふと簫白の「群仙図屏風」を思い出した。あれも激しい絵であったなぁ。

この章にある絵は、油絵で屏風を描いてあるものや、日本古来の画題である観音と龍を油彩で描いたり、掛け軸に油彩で肖像が描いてあったり、けったいな絵が多い。しかし、このような和洋混合の試行錯誤を行う事で、現在の日本画なり洋画が成りたっている事を考えると、一概にこれを批判はできない。そのような時代の動きを感じさせる展示である。

Imgkuroa第3章は「日本絵画の探求」として、日本画、洋画との区別が制度化されたのち、両者の接点を求め、お互いの特徴を取入れて、新しい日本絵画を求めた時代の絵。

これは、黒田清輝の「赤き衣を来る女(1912 油彩)」。黒田清輝の絵は他にも有名な「湖畔」が展示されていた。どちらかと言うと、「赤き衣〜」の方が好み。バックの緑が美しい。椿らしいがまだそんなには咲いてはいない。そのため、女の赤い着物がより引き立つ。この緑はルノワールの緑を思い起こす。黒田とルノワールは時代としては同時代。この二人が、同じ様な暖かみを持つ色調に至ったことは興味深い。

しかし、この二人のタッチは大きく異なる。黒田のタッチは塗り重ねを避け、非常にフラットなタッチ。「湖畔」にしてもこの「赤き衣〜」にしても、油絵には珍しく透明感にあふれている。ちょうど日本画の持つ色調に通じるものがある。そういう点で、黒田の洋画は日本化された洋画であるといえる。

Imghouan第4章からは、個々の作家が日本画、洋画のさかい目を揺れ動いた様子を展示している。第4章は「日本画の中の洋画」、第5章は「洋画の中の日本画」、第6章は「揺らぐ近代の画家たち」と続いて行く。

その中で嬉しかった事は小杉放菴の絵が見られた事。放菴は明治の終わりの頃から昭和にかけて活躍した画家。彼は、今回の展覧会のテーマ通り、洋画から日本画、また洋画と揺れ動いた画家。そのためとらえ所が無いように受け取られ、一般には余り評価が高くない。

しかし、一点一点の絵を見てみれば、精緻な写実力、大胆な構図、落ち着いた色使いとその才能に感心させられる。

上図は「水郷(1911 油彩)」。放菴の出世作である。船端に立ち網を調べる漁師、この漁師には存在感がある。じっと見ていると、漁師がふと顔をあげてこちらを見る様な感じがする。うまい絵である。

このような洋画があるかと思うと、水墨画である「海南画册」、大胆に椿と猫を描いた屏風図「椿」、そして金箔と油彩で描いた「天のうずめの神」等が出展されている。
揺れ動いた放菴の真骨頂の絵が展示されていた。どの絵も素晴らしく、絵に真摯に取り組んだ様子が伝わって来る。美術史的には、再評価をすべき画家だと思う。


絵を見終わって思う事は、画家達は「揺らいでいる」のではなく、ただ、自分の描きたい題材を、自分の描きたい手法で、描きたい画材で描いたのであって、「揺らいでいる」のはそれを観る我々の持つ「日本画」なり「洋画」なりの固定概念ではないかと思う。

美術展の企画としては非常にわかりやすい企画である。明治以降の日本絵画の全容を知る事ができる美術展である。約150点程のいろいろな絵が展示されている。その中には、有名な絵もあるし、初めて名前を知る画家や初めて見る絵も多々ある。またけったいな絵もあるし、画家の気持ちがストレートに伝わって来る絵もある。絵の好きな人にとって本当に楽しめる美術展である。ぜひ見に行かれる事をすすめる。

*「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」
 京都国立近代美術館
 2007年1月10日〜2月25日

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