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2007年1月26日 (金)

「富士と桜」 えき美術館

京都駅にあるえき美術館で開催されている「富士と桜」展へ行って来た。

Imgfujitosakura伊勢丹の中はバーゲンの様子で人が混み合っていたが、美術館の一角は訪れる人も少なく別個の世界となっている。

今回の展示は東京の山種美術館が保有する、近代の日本画。その中から「富士」と「桜」に関する優品44点が並んでいる。この美術館には多過ぎもせず、すくなすぎる訳でもなく、ゆっくりと見られる。

さて、「富士山」だが、私(京都人)にとっては遠い存在。東京へ行く時に、新幹線の車窓から眺める程度の存在。そのため富士山のイメージとしては絵や写真で作られたものしかない。特に松竹映画の最初に出て来る富士山と北斎の富士山が影響が大きい。(それと、子供の頃砂場で作った富士山)。

知ってそうで知らない富士。

だから今回、様々な富士をみてもイメージと異なるものは「フ〜〜ン」で終わるし、イメージに近いものは「これこれ!」と熱心に見てしまう。ちょっと差が大きかった。

Imgfujiそのなかで好のみはと言うと、橋本関雪の「夏日富嶽」。

夏の蒼い富士。冬の雪をかぶった富士の清冽さもいいが、夏の猛々しく堂々とした富士も良い。
北斎の「凱風快晴」に相通じるものがある。
裾野には龍のように広がる白雲。富士を巻き込むようにたなびいている。
画面下部には関雪の木々。

京都の人間が持っている富士のイメージに合っている様に思える。
同じ様な富士は横山大観とか奥村土牛にあったがなぜか関雪の富士の方が肌に合う。
関雪も京都の北白川で富士を想いながらこの絵を描いたのだろうか?

Imgsakura「桜」は富士と違ってイメージが膨らむ。
陰に入るとまだ肌寒さを感じる山中で見上げる山桜。風もないのに突然散り出す満開の桜。
桜の花が咲く頃の、陽の光のあたたかさ、春の風の匂い、そばを流れる水のきらめき。等イメージがどんどん膨らんで行く。

上の絵は川合玉堂の「渡所晩晴」
玉堂らしい絵である。山合いの渡し場に有る一本の山桜。人物はあくまでも小さく、自然の一部となっている。日本的な自然観をよく表している。
満開の桜か、山中の山桜か、どちらを好むかと聞かれれば、私は山桜を選ぶだろう。
山間の静けさ、まだ冷たい谷川の水、日が落ち始め冷えだした空気、家路へ急ぐ農夫。それを見送る山桜。春の夕刻である。
すべてのものが和やかな情味に満ち、争いもなく、人と自然が互いに渾然として融け合っている絵である。

桜の絵を見ていて気付く事だが、満開の桜と女を描いた絵が3点あった。
守屋多々志の「聴花(式子内親王)」、森田曠平「百萬」、加藤登美子「桜の森の満開の下」。
この女達の表情がおかしい。皆が狂気をおびている。
梶井基次郎は「桜の樹の下には」という小説で、桜の樹の下には屍体が埋まっている、と書いているし、また坂口安吾の「桜の森の満開の下」では、主人公の男は桜の樹の下で、自分の女房を鬼と間違えて殺してしまう。さらに石川淳の「山桜」では、山桜の下に佇んだ主人公は、死んだ筈の女の幻影にとりつかれてしまう。

確かに満開の桜の持つ一種独特の雰囲気は、女達をある種の狂気へと誘っていくのだろう。

ゆっくりと見られたので色々と考えてしまったが、楽しめた展覧会であった。

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