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2007年2月の14件の記事

2007年2月28日 (水)

滋賀県立近代美術館「常設展」

大津へ遊びに行っていて、「どこかでお茶でも?」という誘いに、「そうしたら近代美術館で」という話になり、滋賀県立近代美術館へ行った。
滋賀県立近代美術館は瀬田の山側の文化ゾーンにあり、日本庭園に囲まれた郊外型の美術館である。
駐車場から美術館へ行く途中、日本庭園の池の周りに梅が満開で咲いており良い香りがしていた。
美術館は、真ん中に大きな中庭があり、光があふれていて気持ちが良い。

午後のしばらくの時間、明るい光の差し込む美術館を見ながらとりとめの無い話をして時間を過ごす。
やがて話も終わり、いっしょにいった方々は庭に散策にいくという。
その間、別れてこちらは美術館を見る事にする。
今、館内では特別展「志村ふくみの紬織りを楽しむ」を開催しているが、時間的に無理なので常設展のみを見る事にする。常設展は「人物の表現ー近代日本画・郷土ゆかりの作品」と「現代美術第3期 世界を数える」の二つの展示。そのなかで良かった「小倉遊亀コーナー」について。

小倉遊亀は明治28年大津に生まれ、安田靫彦に師事し、女性特有の澄みきった色調の人物画や静物画の作品を多く残し、平成12年105歳で亡くなるまで絵を書き続けた。

今回展示されているのは、昭和3年の作品から亡くなる直前の平成12年の作品まで13点。
時代順に見て行くと、驚く事に歳を取るに連れて筆の勢いが強くなる。最晩年の作品が最も勢いがかんじられた。これが100歳を越えた人の絵かと感嘆する。

Imgyuki1これは昭和39年の「兄弟」。

この頃の絵は家族や兄弟等を題材に、微妙なデフォルメと太い線描によりそれまでの日本画とは異なった雰囲気をだしている。色調も明るく、昭和30年代の「戦後は終わった」と言われた時代の勢いのようなものを感じさせる。

この時代の小倉遊亀は変に伝統的な日本画にとらわれず、新しい感覚で時代を映す日本画を、何のてらいもなく描いている。今の時代から見て懐かしい画風であり、また新鮮な感じがする画風でもある。

ちょっと太り気味の母親とおかっぱ頭の子供達、家族の健康的な美しさは女性の画家でならではの観点であろう。

Imgyuki2これは昭和40年代に描かれた「観自在」。

この頃からの小倉遊亀の作品を見ると、画風が更に変わって来た事がわかる。流れとしては今までの延長線だが、線はより自由になり、表現はより簡素になっていく。

この時代、年齢としては約70歳代。年齢を感じさせない若々しい絵であり、瑞々しい感性が冴えている。画題も静物や観音菩薩等今までと違った分野に広げている。

観自在菩薩の裾模様の柔らかな表現、手に持つ蓮の花のあでやかさ、落ち着いた色調の中にも艶かしさを感じさせる一枚である。

最後に平成12年亡くなる前の作品があったが、そこに描かれている椿の花の美しさと線の強さには感心した。

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2007年2月27日 (火)

滋賀県立琵琶湖文化館「常設展」

大津のなぎさ公園の湖岸にお城の形をした建物がある。この建物が「滋賀県立琵琶湖文化館」。ここは滋賀県の神仏関連の美術品を展示する博物館となっている。

Img_9642昔は琵琶湖の魚等を飼っている水族館も併設されていたらしいが、今は水族館は草津の「琵琶湖博物館」へ移っている。そのためここを訪れる人も少なくなっている。滋賀県は、古代から交通の要所として栄えただけに、色々な文化の伝搬もされ、多くの文化財が残っている。
この文化館にも隠れた名品が多くある。それに、ここの企画展は見応えのある内容が多い。見逃せない文化スポットのひとつである。
大津へ行く用があったので、少し早く出て「琵琶湖文化館」に寄って来た。

この時期は常設展だが、その中から面白かったものをいくつか。

Imgkomainu1一階は仏画、仏像が中心だが目についたのは、「狛犬」。
神社に行くと必ずいる狛犬(神社に寄っては狐、猪、鼠等の場合もあるが)。しかし、博物館や美術館で見る事は少ない。中には、いかにも古そうなものもあり、表情も種々あり、眺めていてあきない。
これは滋賀県白髭神社の狛犬。鎌倉時代の作とされている。
虫に食われた部分もあるが、大きく張った胸、がっちりとした体躯、威嚇する面相、力強い「狛犬」である。

そもそも「狛犬」は、無角開口の像を「獅子」、有角閉口の像を「狛犬」とする。そして、何故だか知らないが現在はこの一対をもって「狛犬」と称する。
古来、印度や中国の仏像の台座には、2匹の獅子が置かれていた。これは金剛力士像などと同様に、仏を守る役割をもっていた。飛鳥時代に我国への仏教伝来の過程において、そこに朝鮮渡来の犬である「高麗犬」が角をはやして紛れ込み、最初舞楽の獅子舞にあらわれた。平安時代になってそれが守護獣の置物として宮中の高貴な人の簾を押さえる鎮子としてつかわれるようになり、やがて神社の守護獣とされるようになった。

Imgkomainu2よって、「狛犬」は、神代の時代から神社を守っていた訳ではなく、神仏習合が盛んとなった、平安時代中頃位から神社に座るようになったらしい。
しかし、平安・鎌倉時代の「狛犬」は残っているものは少ない。

これは、滋賀県不動神社の石作りの「狛犬」。桃山時代の作とされている。
鎌倉時代の「狛犬」と比べると、表情はおとなしい。おとなしいというよりも剽軽な感じがする。たてがみも波打つわけではなく、ストレートでおかっぱ頭風である。
「狛犬」も時代とともにその表情を変えている。
その他、仏画としては西明寺の「仏涅槃図」、市神神社の「弁財天像」「天神像」「稲荷大明神像」等の軸が面白かった。

2階は「近江の画人」と題して近江で活躍した海北友松、円山応挙、曾我蕭白、紀楳亭、長谷川玉峰、山本春挙等の作品が展示してあった。
その中では、曾我簫白の「比叡山図」、紀楳亭の「大津絵図」が近江の絵らしく良かった。

最上階からは琵琶湖そして比叡山が展望できる。いつも京都側から見ている比叡山とは異なり、滋賀県側からは、なだらかな山並が目新しい。

*「近江の画人」(テーマ展)
  滋賀県立琵琶湖文化館
  平成19年2月14日〜3月30日

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2007年2月24日 (土)

「鍋島展」大阪市立東洋陶磁美術館

国立国際美術館を出て、堂島川沿いに東洋陶磁美術館へ進む。この道沿いには、「ダイビル」を始めとして、「日銀」、「大阪市役所」、「中之島図書館」、「中央公会堂」と近代の名建築が並ぶ。

Imgnabesima1東洋陶磁美術館は、その中之島の東の端にある。今ここでちょっとすごい美術展が行われている。「将軍への献上 鍋島 ー日本磁器の最高峰ー」である。

「鍋島」は、1650年位から肥前の鍋島藩が将軍家への献上を目的として、採算を度外視して、藩窯で特別に作成した磁器である。
将軍に献上するのだから、藩の存亡がかかっている。そのため伊万里や有田の最高の技術を持つ陶工が集められ、精緻で斬新なデザインのものが作成されている。そして作られているのは皿。将軍の日常の食事等で用いられる皿が中心。

今回の美術展は、献上された将軍により「鍋島」の絵柄がどのように変化して行ったかがわかるように、1.草創期(3代家光)、2.成長期、3.隆盛期(5代綱吉)、4.成熟期(8代吉宗)、5.衰退期(10代家治)の時代別に展示されている。権力に近い所で作成された陶磁であるだけに、時代の雰囲気、将軍の好みがダイレクトに反映されていることが興味深い。

上のチラシの作品は「鍋島」と言えば必ず引き合いに出される「色絵桃文大皿」。尺皿と言われる大皿に桃の花と実が描かれている。この3個の桃果がなんともいえず美しい。真ん中の桃はダミ(染付の手法)により繊細なグラデーションがなされ、赤い2つの桃は更にその上から赤色の細かい点を無数に打つ事により桃の肌合いを見事に表現している。ため息が出る程すばらしい。

Imgnabesima2続くこれらの皿、いづれもが「鍋島」の名品。

染付の藍色および上絵の赤、緑、黄色の四色で彩色されており、それが白地に映えて空間の妙を醸し出す。

上左の藤棚の背景に描かれたダミの模様、上右の赤線で皿面一杯の描かれた桜のあでやかさ。
中左の「鷺」の絵柄の配置の素晴らしさや、中右の「月に兎」の精緻に一本ずつ描かれた毛の細かさ。
下左の組紐のバランス感覚の素晴らしさや、下中の瓢箪の配色の美しさ。

どれもこれも名も無き職人の、美的感覚および技術のすばらしさに、ただただ感心するのみ!


Imgnabe3この皿は衰退期に作られた「染付大川内藩窯図大皿」。
描かれている絵は「鍋島」が作られた藩窯の様子。真ん中に凹形に描かれている横長の建物の中でこれらのデザインと絵付けがなされていた。真ん中左部分に弧形に描かれているのが藩窯。ここで鍋島は焼かれた。皿面下部にある家々は陶工達が住んだ家屋。伊万里、有田から集められた腕利きの職人達は藩の監視のもと、この地に住み黙々と皿を作った。藩の役人達は皿面上部の石垣に囲まれた部分に住む。道の要所々には、関所が設けられ、「鍋島」の技法が他の地へ持ち出されるのを防いだ。

このように鍋島藩の威信をかけて作られ守られて来た鍋島だが、徳川時代が終わるとそれと同じくして衰退して行った。

約250点程の展示で、ほぼ「鍋島」の全容を知る事ができる美術展である。
官窯としての「鍋島」は、民窯として発展して来た「京焼」等とは、またちょっと違った美しさ(官により統制のされた、職人芸の美しさ)であると思うが、日本の陶磁器のなかで一つの頂点を示した作品群であることには間違いない。

*「将軍家への献上 鍋島」
 大阪市立東洋陶磁美術館
 平成19年2月10日〜3月25日

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2007年2月21日 (水)

ちょっとお腹がすいたので

さすがに、3つの美術展を連続してまわっているとお腹が減ってきた。

Img_9588この国立国際美術館には地下1階に「クイーン・アリスアクア」というレストランがある。
この店は、昔「料理の達人」という番組で名をはせたフレンチの石鍋シェフの店。

奥の部分はテラスとなっており、地下一階だが吹き抜けの地上から明るい光が差し込んでいる。
反対側は一面がガラスで覆われ、壁に飾られたミロの絵が眺められる。
美術館のレストランらしいなかなか良い雰囲気。人気があるらしく、ちょっと待たされる。

Img_9592ランチはプリフィックススタイルでメインをいろいろ選べる。
色々ある中から選んだのは「仔羊肉の網焼き、バジリコ風味」。それにパンとスープ。

しばらくして、パンとスープがくる。早速コーンスープから。
あれっ? ウ〜〜ン、普通の味。パン。可もなし不可もなし。
メインの「仔羊肉の網焼き」。肉に塩・胡椒を忘れたのかな?ソースも別に特色なし!

味がどれも平凡、アクセントが無い。期待が大きかった分、評価は厳しい。

Img_8559嫁さん曰く、「これ、石鍋さんの店???」(選んだ私に対する非難あり)
「ウ〜〜ン、石鍋さんの店と書いたったけど・・・。色んな噂ではおいしいと書いたったけど・・・」

選んだ料理が悪かったのか、舌が絵を見すぎて痺れているのか?
誰か一回行ってみて・・・

デザート/コーヒーは止めて、早々に店をでる。
さて、国立国際美術館を後にして次行くのは・・・・。

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2007年2月20日 (火)

「Collection4」 国立国際美術館

2階ではもう一つ美術展がある。国立国際美術館の所蔵作品による常設展「Collection4」。今回の常設展は戦後の日本絵画界の主要な動向示す作品の展示。アンフォルメル(抽象)運動やアンチアート運動等の作品があったが、良かったのは戦後の版画についての展示。浜口陽三、浜田知明、駒井哲郎、吉原英雄、池田満寿夫、野田哲也の代表作が並んでいた。
ここで、こんなけ大量の版画が見られるとは思ってなかったので、得した気分。
個人的にもこの時代の版画は好きなのでよく見ているし、また集めている。

Imgikedaそんな中から、お勧めのものを。

これは池田満寿夫の「ヴォーグから来た女」(1966年)
イタリアのヴィネッチア・ヴィエンナーレで大賞をとった作品群の内の1枚。
60年代の池田満寿夫のドライポイントの作品は魅力的だ。自由奔放で瑞々しい感性にあふれている。
描いても描いても駄作はなく、描けば描く程良くなっていく。

作家にはこういう時代があるのだなぁ・・・・
同じ時代に生きて来たものとして、この感覚は肌で感じる事が出来る。
(このように書くと70年代以降の作品がつまらなく思われるが、それは私の好みではないだけ!)

Imghamadaこれは浜田知明の「狂った男」(1962年)

浜田知明は大正生まれの作家だが、戦後は戦争の悲哀と不条理を描いた作品を描き、その後は人間の不条理や心理の深層をえぐる作品をつくっている。

描かれる顔はおかしい表情をしているが、その裏には深い人間の「業」のようなものが感じられる。
最近は、版画から彫刻の分野へ向かい、新しい表現を試みている。

その他のものとしては、画像はないが、小林孝亘の一連の作品に惹かれた。
「FOREST」という作品は、東山魁夷の「道」の森版で、森の木々のところどころが木漏れ日でぼーっと光っている。その真ん中を、道が真っすぐ見え隠れしながら続いて行く状景。木々の葉の緑が明るい色調で描かれていた。

また、同じ作者のタクシーやトラックの夜の後ろ姿を画面いっぱいに淡い色調で描いてある連作もよかった。

この作者は、緑の中の光る木漏れ日やバックライトの赤い光に何を託しているのだろう?この疑問が絵をより印象的なものにしている。

国際国立美術館。建物も面白く、また美術展も多種多様なものが企画されており、楽しめる美術館である。ただちょっと気になるのは、京都近代美術館とその所蔵品においてかぶっているものがある点。この辺の位置付けが見ている側としてははっきりしない。

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2007年2月19日 (月)

「ピカソの版画と陶芸」国立国際美術館

国立国際美術館は地下3階の構造。地上部分は入口のみ。それから蟻の巣へ入り込む様な感じで地下へ降りて行く。最深部の地下3階で「大阪コレクションズ」を見終わり、次は2階へ。
上に上がって行くエスカレーターの横の壁面にはミロの大きな絵が飾られている。

Imgpcs02階ではまず「ピカソの版画と陶器」展。

今回は膨大なピカソの作品の中から、版画と陶芸のみにスポットをあてたもの。ピカソの作品は色んな展覧会でみられるが、版画に絞ったものは珍しい。

この絵はピカソの初期の頃(1905年)のドライポイントの作品である「サルタンバンク」シリーズの中からの「貧しき食事」。サルタンバンクとは旅回りのサーカス団のこと。その団員達の食べる食事の風景だが、その食事の簡素なこと。男は大きく女の肩に手を回しているが、目は遠くの方を見ている。女も男を気遣う事無くあらぬ方向を見ている。疲れきった人生における孤独感がひしひしと伝わって来る。
同じ作品は油絵にもあるそうだが、まだ見た事は無い。どんな色調なんだろうか?
このサルタンバンクシリーズは15枚構成だが、出展されていたのはそのうちの7枚。好きなシリーズなので、全部が見たかった!

Imgpcs1これは後期の作品(1962年)。「帽子を被った女の胸像」

リノカットという手法でつくられた作品で、色のノリも良く、タッチもくっきりとでている。

版画は、浮世絵でもそうだが、絵の作者と刷り師の共同作業。同じ版からつくった作品でも刷り師が変わるとイメージが微妙に変わって来る。ヨーロッパでは昔から刷り工房があり専門的に版画を刷っている。この版画は刷り師との関係がうまく行っており、ピカソらしさがよく出ている。

陶器は10点位あったが、ちょっと好みではないので省略!!!!

ピカソの絵は、見るものをウキウキさせる要素がある。最初に書いた「貧しい食事」にしても主題はシリアスだが、「そしたら次の絵は・・・」と思わせる雰囲気がある。多作な作家である事を知っているから、いつかは気持ち良くさせてくれるだろうという期待がある。(見る者のかってだが・・・)
だから、ピカソの絵は一点だけを見るのではなく、何点か続けてみるのがコツではないかと思っている。

*「ピカソの版画と陶器」
  国立国際美術館
  2007年1月13日〜3月25日

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2007年2月18日 (日)

「夢の美術館 大阪コレクションズ」国立国際美術館

2年程前から四条大宮に阪急の特急が止まらなくなり、大阪へ行くのがおっくうになっている。
四条大宮から大阪へ向かう急行(実際は各停)を待っている時、むちゃくちゃ落ち込む。なんかものすごく差別されている様な気になる。そんな気持ちの中、どうにか桂で特急に乗り換えて、いざ大阪へ。

Imgoosakac1今回の「大阪コレクションズ」とは、「大阪市立近代美術館建設準備室」、「国立国際美術館」、「サントリーミュージアム」という大阪の3つの美術館が持つ近代から現代の作品をあつめたもの。
しかし「大阪市立近代美術館」はまだ存在しない。バブルの頃、大量の作品を購入したがそこでバブルがはじけ息絶える。よってまだ名称には「準備室」が付く。その後作品は長い間倉庫保管されていたが、最近、市民の批判が高まり外に出すようになった。建物はまだ見込みが立っていない。
前置きが長くなったが、さて作品。まずはチラシにのっている作品から・・・

右上はモディリアーニの「髪をほどいた横たわる裸婦」。
いままで多くのモディリアーニの裸婦を見て来たがこれはそのなかでもベストに近い作品。絵具のノリといいタッチの丁寧さといい、裸婦の肌の質感がすばらしい。これが倉庫に眠っているなんてもったいない!
こちらをじっと見つめる女の目は忘れられないだろう。
右中はセザンヌの「宴の準備」。
これを見て作者がセザンヌと言い切る人はよほどの目利きか物知り。日本人が好むサント・ヴィクトワール山の風景画や静物とは大きく異なる。まず色の塗られてない余白がある。セザンヌの新しい一面を知る。
右下はカンディンスキーの「絵の中の絵」。(画像が小さいですが)
カンディンスキーはロシアの画家で、抽象画をはじめた人。精神を表す絵をめざした画家で、見るものにいろいろと考えさせる(悩ませる)元をつくった人。
真ん中はルネ・マグリットの「レディ・メイドの花束」
見慣れた風景の中に異質なものを描き、現実と非現実を同居させる絵が多い。シュルレアリスム運動の代表者とされている。この絵の真ん中に描かれているのはボッティチェリの「春」に描かれている女神。夏の森と春の女神。黒い山高帽に厚いフロックコートと女神の薄手の服。多くの対比が見られることで不思議な不調和(考え方によっては調和)が感じられる。
左上はクレーの「生け贄の獣」(これも画像が小さいですがすみません)
案外小さな絵。残念ながら色調がよかった位しか印象がない。
左下はバスキアの「無題」
1980年代、NYで活躍したヒップホップの画家。ヘタ絵をポピュラーにし、絵の中に多くのメッセージを書き込んだ。最近ユニクロがその絵柄をTシャツにしている。あの時代、彼の絵はショックだった。

その他、戦後の絵画に優れた作品が多い。デュシャンの髭をはやしたモナリザやウォーホルのマリリン・モンロー等よく知られている作品もあれば、現代絵画のマニアのみが喜びそうな作品もある。(私は喜ぶ方!)

Imgoosakac2そんな中からの1点。チャック・クロースの「ジョー」。
チャック・クロースはアメリカの画家で、スパーリアリズムの流れを代表する作家。
この絵も一見写真のように見えるが、実際は描かれたものである。それも2m×3m位の大きさがある。

顔の小さな傷、皺はもとより、毛穴の一つ々まで描かれており、その技術の素晴らしさに感嘆すると同時に非現実的な大きさに打ちのめされる。面白いのは観る人が、必ずこの大きな絵に顔をこすりつけるようにしてその細密さを確認することである。精緻に拡大された絵に対する人間の行為の極小化、この辺もこの作品のねらいであろう。

美術展全体としては、20世紀後半からの絵画に興味を持つ人にとっては見応えのある美術展であった。(モディリアーニのみを見に行く人にとっては、大半が退屈!)

この3館のコレクションを見て思う事だが、大阪にコレクションの対象がよく似た、国公立の国立国際美術館と大阪市立近代美術館が併設されるのは現実的に無理があると思える。(現代美術を好む者としては見られる作品が増えるのは大歓迎だが・・・)。ここで発想を変えて、東京の新国立美術館がコレクションを持たない美術館ならば、大阪市立近代美術館は「建物」を持たない美術館として、あたらしい美術館の在り方を模索して行くのも手ではないかと思う。デジタルで常に情報は見られるようにし(原寸大で見られるディスプレイは備える)、そして年に2回程今回の様な共催で借会場に展示して行く。建物は保存庫のみとする。このようにすれば財政的にも、コレクション的にも生きて行けるのではなかろうか。

*「夢の美術館 大阪コレクションズ」
  国立国際美術館
  2007年1月13日〜3月25日

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2007年2月17日 (土)

二条城障壁画

家から歩いて10分で二条城の堀に着く。そこから正門に向かっても15分。こんなけ近いと中に入る事はめったにない。
その二条城に昨年新しく築城400年記念として、収蔵館ができた。そこで障壁画の展示がされているので、何年ぶりかに行って来た。

Img_9572堀川通りに面した東大手門からはいる。入った所にある番所には昔ながら侍姿の人形が入ってくる人々を見張っている。
そのまま玉砂利の道を二の丸御殿へ行く。二の丸御殿の唐門の彫刻を見上げる。見事な彫刻である。鶴や龍など細かい所まで丁寧に彫られており、損傷も無い。将軍の威光を示す豪華な門である。
二の丸御殿の中は、障壁画の保存のため、障子が閉め切られており、薄暗い。そのため画ははっきりとはわからない。昔にもここへ画を見に来たが、距離も遠く、薄暗いため細部までは見られなかった。今も同様。
観光客も少なく、鶯張りの廊下がキュッキュッと鳴り響く。時々驚かすように、案内のテープが話し出す。
見にくい状況の中で見て行く障壁画の中では、大名達の控えの間である「遠侍 虎の間」と黒書院の「牡丹の間」の画がよかった。狩野派らしい雰囲気が伝わって来る。しかし、余りにも見る条件が悪い。
二の丸御殿を出ると、外は雨が降り出していた。激しい雨ではなく、春雨を思わせる様な細かい雨が降っている。
近場とあなどって傘は持っていない。同じように傘を持っていない人の様子を見ていると、日本人と中国・韓国の人達は、じっと雨が止むのを軒下で待っているが、ヨーロッパやアフリカの人々は濡れる事をいとわず出て行く。国民性かなぁ。私は小降りになるのを待つ。
15分程待っていたが、止みそうにないので、庭の見学をあきらめて、収蔵館のほうへショートカット。
収蔵館は修復された障壁画の保存と展示のために東大手門の近くに新しく建てられていた。

Imgnijyoujyou1二の丸御殿の障壁画は、二条城が築城された17世紀初め、狩野探幽を中心とする狩野派一門によって描かれたもの。総数で1000面近くある。
狩野永徳が確立した桃山風の金箔と鮮やかな絵具で描く豪華絢爛な金碧障壁画を孫の探幽がその技法を引継いで製作したもの。この二の丸御殿の障壁画を描いたとき探幽は25歳の若さであったらしい。

初めてこの収蔵館を訪れたが、展示室はなかなかよく出来ている。大きさは京都博物館の1つの部屋位しかないが、全面ガラス張りで大きな障壁画を見るには最適な条件。
二の丸御殿からは雲泥の差で細かい所までよくわかる。

Imgnijyoujyou2今回の展示は大広間の「松鷹図」。
金箔の地に堂々とした太い松がうねるようにその枝をのばしている。その枝には緑あふれた松葉が茂り、あたりを睥睨するかのように鷹と鷲が描かれている。一匹の鷹は前方を睨み、もう一匹はその強力な爪で幹をつかみあたりを睥睨している。将軍の武士としての力を示すとともに、その部下である大名達を鼓舞するかのように、力強く雄大な絵である。その構成のすばらしさに感嘆する。
描き方を見ると、まず色を塗り、その上から、黒や白い色で輪郭を描いて行く様な方法であることがわかる。やはり大きな障壁画を描くには、狩野派独特の方法があることがわかる。あまり細部にこだわらず全体の色調、構成、そして絵を見るものの位置を重要視したのだろう。

今回の「松鷹図」は狩野探幽の作とされているが、一説には叔父である狩野山楽の説もあるらしい。

現在、京博で御所の障壁画が展示されているが、それは洗練された公家社会の中の障壁画。それに対して武家社会の中に描かれたこの障壁画は、題材、色調、構図の点で大きく異なる。この二つの障壁画を見比べるのも面白い。

今後、二の丸御殿の障壁画は膨大な時間をかけて修復と模写が行われ、その結果をこの収蔵館で順々に展示して行くらしい。
これでしばらくの間、二条城に来る機会が多くなりそうだと思いながら雨の中を家へ帰った。

*「築城400年記念 展示・収蔵館 第4期公開 松鷹図」
  元離宮 二条城
  2007年1月20日〜3月11日

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2007年2月13日 (火)

「五百羅漢 若冲」石峰寺

お稲荷さんの帰り道、近くに有る石峰寺(せきほうじ)へ行った。
石峰寺は禅宗の黄檗宗のお寺。最近人気の有る伊藤若冲がその妹と晩年を過ごしたところでお墓もこの地にある。

Img_9532若冲はこの寺で絵を描き続けるとともに、裏庭の竹林に「五百羅漢」を造った。造ったと言っても若冲が彫ったのではなく、下図を描き、石工に彫らせたもの。
この「五百羅漢」が素朴で素晴らしい。
細い石段を登って行くと黄檗宗の寺らしく中国風の門にあたる。赤壁の門と側に咲く満開の白梅の取り合せが美しい。この門を潜り境内に入る。

Img_9540拝観の受付をし本堂の横を抜け奥の竹林へ進む。手前に表の門と同じ様な門が有る。この門をくぐれば「羅漢の世界」。
竹林に差し込む春の様な陽の光と陰が折りなす風景の中に羅漢達がひっそりと佇んでいる。ここの石仏群は釈迦の一生を表す物語風になっている。

Img_9539羅漢とは「尊敬されるべき修行僧」とされ仏と人の間にある者達とされている。しかし、ここの羅漢達は仏よりも人間に近い表情をしている。ある者は不貞腐れて寝ころばり、ある者は怒り、ある者は嘆き悲しみ、ある者は泣き、ある者は笑っている。
苔むし、長い年月雨風にさらされ、彫は丸くなり、凸凹しかわからなくなっている像もある。

Img_9559木漏れ日の中、その顔をじっと見つめているとその表情の中に怒っている時や笑っている時の自分の顔、親しくしている者達の顔が浮かんで来る。
判別のつかない様な石の面が、見る者の心境や自然のうつろいによりその表情を変えて行くのは不思議なものである。
心から親しめる羅漢達である。

この最近の若冲人気で訪れる人が増えていたが、この頃は落ち着いて来たようだ。この日も小一時間程いたが、一人であった。好みの場所に戻って来た。

Img_9542もし、石峰寺へ行こうと思われる方がおられたら、この寒い季節に行かれた方が良い。
暑くなって来るとヤブ蚊が大変。以前秋口に来て、殺生も出来ず往生したことがあった。噂では、夏にはお寺の受付に団扇と防虫スプレーとキンカンが用意されているらしい。


石峰(峯)寺(せきほうじ)
京都市伏見区深草石峰町26 
 (京阪深草駅から東へ徒歩10分)

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2007年2月12日 (月)

お稲荷さん

伏見稲荷大社へお詣りに行って来た。
お正月に初詣には行ったが、その時は本殿のみ。「お山」には登ってない。やはりお稲荷さんというとお山巡り。本当は初午(2月最初の午の日)の日に登ると良かったのだが都合が付かず今日になった。

Img_9491まずは、本殿にお詣り。祀ってある神は「ウカノミタマ(宇迦之御魂)」。
本殿の横には、狛犬ならぬ狛狐。お稲荷さんのお使いは狐とされている。何故「狐」かと言うと・・・。

お稲荷さんは現在は商売繁盛の神として有名だが、元々は農業神。奈良時代の始め(711年)秦氏がこの地の氏神に稲の豊作を祈願するために祀ったのが創建とされている。稲荷の古名は「稲成り」。

この「農業神」としての稲荷神と田畑を荒らす小動物を捕らえる狐を田の神の使いとして崇める古来の農民信仰が結びついて「狐」が「稲荷神」の使いとされたと考えられている。よってこのお山には至る所に狛狐がおり、木々や鳥居の隙間から登る人々を覗いている。

お山巡りとはこの山頂にある神蹟めぐり。「一の峯」の上の社、「二の峯」の中の社、「間の峯」の荷田社「三の峯」の下の社、そして「田中社」を詣でて巡る。

Img_9493お山は本殿向かって左側の奥から登る。

千本鳥居の入口でおかしな狐に出会う。昔からあったかどうかは定かではないが、今回初めて気付く。

手か口を二匹の狐が合わせた格好。こりゃなんぞ?。狛狐の変形かなぁ?
それにしてもモダンなデザインだ。献灯と書いてある所から思うに、真ん中の宝珠のような丸い所に蠟燭を入れるのだろう。しかし石の状態を見るとそんなに新しいものではなさそう。

Img_9496_1早速「千本鳥居」が始まる。山頂までズーッと鳥居が並ぶ。
鳥居と鳥居の隙間から、春の柔らかい光がさしこみ、ちょっとした別世界。

景気が上向いていたきたせいか、新しい鳥居が多い。見ていると平成10年代の鳥居も多々ある。
以前は古い鳥居が多く色もはげた様子であったが、新しい鳥居は鮮やかで陽の光もきらびやか。

奥の院では「重かる石」がある。願い事をして、灯篭の頭の部分を持ち上げそれが思っていたより軽ければ願い事がかなうとされている。みなさん軽そうな感じで持ち上げている。(しかし持ってみるとなかなか・・い?)

「熊鷹社」を過ぎ、三の辻からいよいよ石段道。鳥居の中を階段が続く。途中大きな社の前には茶店がある。どれも鄙びた感じがして、和蠟燭や小さな鳥居が並び、お稲荷さんの雰囲気を醸し出す。甘酒やおうどん等を食べている人も多い。

Img_9510時たま走って登って行く子供達に抜かれながらも、ゆっくりと歩を進めて行く。(この前登った時は、こんな感じではなかったのになぁ・・・)

鳥居の間からチラチラと京都の街並みを見ながらやっと頂上に近い「四つ辻」に着く。ここから京都市内が眺められる。ちょっと霞がかかった様だが、西山一帯までよく見える。ちょうど同じ秦氏の氏神である松尾の山への線上に東寺の五重塔が見える。

Img_9501ここから、一の峯(稲荷山最高峯233mらしい)、二の峯、三の峯と巡って行く。(これらの峯にある社は古代の古墳の跡らしく、鏡や勾玉が発掘されている。)廻り方は時計廻り、反時計廻りどちらでも良いが、廻った経験からすれば反時計廻りの方が楽なような気がする。一つ々の社を拝んで行く。
また四つ辻に戻り、今度は「田中社」へ登る。

今回の「お山巡り」の目的の一つに、町内にある「武信稲荷」の御塚へ参る事。田中社の途中にあり、蠟燭とお供えをあげる。

Img_9530これでお山巡りは完了。
転ばないように気をつけて来た道を戻る。途中三つ辻から八島池の方へ道を変える。
この道には新しい社が多い。お稲荷さん本体とは異なった名前の新興宗教の神社がいくつか出来ている。(これは狛蛙のある神社)
まあ、信仰の山だから何でも有りなんかなぁ?

こうしてまた本殿に戻る。約2時間程。

ある特別な神さんを信じているわけではないが、こうやって無心にお山を巡り、清らかな雰囲気の中にいると、登る前に色々と考えていた事や、悩んでいた事が消え去ったことに気付く。ほんとに清々しい気持ちになれる。古来から伝わる、何か超越したパワーを得られた様な気がする。

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2007年2月10日 (土)

シンポジウム「日本画の変貌」

京都国立美術館で開催されている「揺らぐ近代」、そして堂本印象美術館で開催されている「堂本印象の挑戦」との関連企画として「日本画の変貌」と題するシンポジウムが立命館大学で開催された。

Imgsimpo「揺らぐ近代」が面白かったので、もう少し詳しく知りたいと思いいそいそと出かけた。

立命の衣笠キャンパス、子供が通っている所だ。行ってみて改めてその設備の立派さに感心!(学費を払っている身としては、ちょっと複雑な心境)

シンポジウムは明治以降の近代美術の動きをたどり、そのなかで伝統の世界から抽象画へと戦後に切り替わった「堂本印象」の軌跡を見直すというのがねらい。

まず、基調講演として美術評論家富山秀男氏の「日本画の近代化」から始まった。

この講演がよかった。富山氏は京都近代美術館、東京国立近代美術館、ブリヂストン美術館の館長を歴任されたかたで、京都画壇、東京画壇(?)にも詳しく戦後の日本画の状況について詳しい説明がなされた。特に日本画における抽象という概念について、同じ作家の50年代の作品と60年代の作品を並列してその違いを説明されたのは良かった。東山魁夷、徳岡神泉、奥村土牛等の変遷に加え、現代日本画の浅野 均、内田 あぐり、菅原健彦、斉藤典彦、奥村美佳、町田久美の作品についても紹介があった。

Imgmatida現在、西洋絵画および日本の洋画は抽象から具象への動きが見られるが、日本画はこれに逆らうように具象から抽象への動きが見られる。富山氏によるとこれからの日本画は面白くなるそうである。(左図は町田久美氏の作品)
確かに最近の日本画を見ていると今までの日本画の概念から外れたものが多い。しかし決してそれは西洋画に近づいて行くというものではなく、新しい絵画へ向かっていると感じられる。

続いて、次のテーマについて各パネラーによる講演が行われた。
・「近代日本画の成立」古田亮(東京芸術大学大学美術館助教授)
・「京都画壇の日本画近代化と印象」(立命館大学文学部教授)
・「”別の芸術”としての日本画」(鳥取県立博物館美術振興課長)

各パネラー共熱心に説明されるので、予定の時間を大幅に過ぎ、シンポジウムの一つの大きなテーマである「堂本印象」についてまではなかなか説明が進まなかったが、明治以降の日本画の変遷と、現在の状況を確認するには有意義なシンポジウムであった。

この様なシンポジウムとか講演会に行って感心するのだが、今回も廻りを見回すと高齢の方々(少なくとも外見が60歳以上の方)が約7割程。あらためてこの年代の方々の知識欲に驚かされる。

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2007年2月 5日 (月)

『食べる西洋美術史』を読んで

『食べる西洋美術史』 宮下規久朗 (光文社新書)

Imgtabehon昨年来からの新書ブームで、毎月多くの出版社から何冊もの新書が出る。タイトルだけを見るとどれもこれも面白そうだが、なかなか表題と内容の面白さが一致するのは少ない。
そんな中から、この一冊。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の審判」から始まり、ポップアートのアンディ・ウォーホルの「最後の審判」まで、「食」という行為を通じての絵画の意味を説明する内容。

本書の構成は
第一章 『最後の晩餐』と西洋美術
第二章 良い食事と悪い食事
第三章 台所と市場の罠
第四章 静物画 ー 食材への誘惑
第五章 近代美術と飲食
第六章 最後の晩餐

作者の「宮下規久郎」氏は神戸大学助教授でイタリアを中心とする西洋美術史が専攻。
最近人気が出ているルネサンスの画家「カラヴァッジョ」を広めた先見者。

この本では、絵画のカラー写真も多く載せ、ルネッサンスからフランドル、スペイン、オランダ、フランス、そして近代の名画についてその絵の持つ宗教的意味合いや隠喩されるもの、作家のこめた意味を大胆にかつ緻密に展開している。特に、ルネサンスからフランドルに関する部分は特筆もの。

単なる美術史、絵画鑑賞の手引きの域をこえて、文化論、思想論に至っている。絵画を単なる美術品から、その時代の人間を表すものとして評価している。思想も因習も知らない国の美術品を見ても本当の意味の感動は得られない。やはり知識としてでもそれらの事を知っておいた上で鑑賞するほうがより楽しい。
そのへんの西洋絵画にたいする知識を、万国共通の「食べる」という行為を媒介することで、観る側はより確実に知る事が出来る。

そのへんの所を筆者は次のように述べている。
『人は臨終になったら、いったい何が食べたいと思うだろうか
食事こそはコミュニケーションの最大の手段であり、宗教と芸術につながる文化であった。人と人、社会と個人、文明と自然、神と人、罪と救い、生と死、それらすべてを結合させる営みが食事であった。また真の芸術は、単なる感覚の喜びなどではない。人間の生の証であり、宗教にも通じるものである。その意味において、食事と美術、さらに宗教は一直線につながっているのである。』(本文 エピローグから)

今年はダ・ヴィンチの「受胎告知」が日本にやってくる。それにあわせてルネサンス時代の絵画を見る事も多くなるだろう。その意味ではグッドタイミング。
ルネサンスの部分だけを読むだけでも充分価値が有る。

西洋絵画をより理解して見る為の好著である。私はこの様な本を待っていた!

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2007年2月 4日 (日)

立春

節分が過ぎて、今日は立春です。
風はまだ冷たいですが、陽の光はなんか春を思わす様な感じで輝いています。

Img_9457日だまりを歩いていると、コートなんかは脱ぎたくなります。

2月の京都は観光客も少なく、落ち着いた感じです。
寺社仏閣も訪れる人も少なく、たまに会う人も地元の人がふと立ち寄ったかの様子で閑散としており、動くものも少なく、松の緑や白壁に写る影がくっきりと目にはいります。

これは御所で見た梅の花。
まだ、まわりの梅の蕾は堅いのに、なぜかこの木だけ花をつけていました。

「梅一輪、一輪程の 暖かさ」(嵐雪)

の俳句にもあるように、これから一日一日暖かくなっていくでしょう。

清冽で澄み切った空気の中を生き物たちは次の季節に向かってゆっくりと歩を進めています。
そして、街としては暫しの休息です。

Img_9416花で思い出しましたが、これは1週間程前に見た桜の花です。
御池柳馬場の北東角に早咲きの桜が咲いていました。(写真がピンぼけですみません!)

「御池桜」(初めて聞く名前)と名付けた札が掛かっていました。
年に4回程花を付けるそうです、

お寺や神社の境内で時折早咲きの桜は見る事が有るのですが、街の真ん中の交差点にこのような桜があるのは驚きです。角の敷地は2年程前に建て替えられた御池中学校(旧柳池中学)の一角で、御池通りに面した部分はイタリア料理の店やカフェが有り、しゃれた雰囲気になってます。

桜の木は建て替えられた頃に植えられたものらしく、まだ若木です。
今後大きくなるのが楽しみです。

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2007年2月 3日 (土)

節分

今日は節分。旧暦でいう大晦日。京都中のお寺や神社で節分祭がおこなわれる。
昔は、「四方参り」といって鬼門にあたる四社、北東は「吉田神社」、北西は「北野天満宮」、南西は「壬生寺」、南東は「伏見稲荷大社」へお参りすると厄がはらえるとしていたらしいが、いまは表鬼門の「吉田神社」、裏鬼門の「壬生寺」へ行く人が多い。

Img_9444昼間、廬山寺の近くに用があって行ってたので、「追儺式鬼法楽」を観ようとしたのですが、時間が間に合わず、3匹の鬼が追儺師に追い払われる鬼踊りは終わっていた。そのかわり、鬼に厄をはらってもらう「鬼のお加持」をやっていた。

皆さん、鬼の前で頭を垂れ、痛い所や悪い場所を、宝刀でさすってもらっていた。
子供が、「頭!」と大きな声で言っていたのには笑ってしまった。きっと良くなるでしょう?

夜は、家で「鰯」と「恵方巻」と「豆」を食べる。
昔、「鰯」を焼く煙が煙たいとばあさんに文句を言ったら、この煙で鬼が居んようになるのだと言われた事を思い出す。食べた鰯の頭を柊に刺して表に飾るといいのだがさすがにそこまではしない。
ところで、「恵方巻」は昔はなかった。恵方(今年は北北西)に向かって太巻きにかぶりつくのだが、何故太巻なのか知らない。しかし、この頃はやっていることなので、我家でも縁起物として食べる。
豆は歳の数だけ食べるのだが、段々苦しくなるので(数が多い)、10歳を一個に換算して、端数を加えて簡略化。

食べ終わると、壬生さんへ行く。
家族一人々の歳の数だけ豆を包んで、持って行く。
まず、四条坊城角の「梛の宮」へ。いつも、この節分のころが1年で最も寒いのだが、今年は温暖化のせいかそれほどでもない。そのため、いつもなら古いお札を燃やす火に皆さんへばりついているのだが、今年はそうでもない。お神楽を舞う巫女さんをしばらく眺める。

Img_9476京福電車の踏切を渡り、壬生さんへ。
狭い坊城通りは人でいっぱい。イカ焼きやたこ焼き等の屋台の匂いがお祭りの雰囲気を盛り立てる。
やっとこさ壬生寺に着き、炮烙に家族全員の性別と生まれ年を書き、これを納める。この炮烙は4月の壬生念仏狂言の「炮烙割」という演目のとき、狂言堂の桟に並べられ、一斉に落されて割られることで厄払いとされる。その時はちょっとした見物である。

本堂に向かい、地蔵菩薩に家内安全をお願いする。
お賽銭と持って来た豆を奉納する。

Img_9467狂言堂にて壬生狂言が演じられているが、ものすごい人が並んでいるのであきらめて境内をブラブラする。と、南の一角に長い行列ができている。いつもこの位置に出てる鯛焼きの店である。まだ食べた事は無いが、こんなに行列ができているのだからさぞおいしいのだろう?

帰りも同じ道を変える。幸福堂の「きんつば」も相変わらずの行列。ここもあきらめて帰る。
暖かいせいか、いつもより人の出が多い壬生さんでした。

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