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2007年3月 6日 (火)

「山辺の道」古(いにしえ)の奈良の神々(その2)

「崇神天皇陵(すじん)」横のトレイルセンターでお昼を食べ、30分程休憩してからまた歩き出した。

Img7098崇神天皇陵は全長240m位ある大きな前方後円墳で、周りには壕があり、満々と水をたたえている。
陵の森は所々桜が咲いているが、全体は黒々とし、なにか不気味な感じがする。
崇神天皇は実在した最初の天皇だと言われているが、確かな事ではない。またこの古墳も作られたのは4世紀頃で記紀のいう崇神天皇の亡くなった頃(約3世紀中頃)と合わないが、そこの点は神話の世界としておく。(宮内庁が管理している「天皇陵」は、江戸時代の調査結果を基にして制定されたもので、現在の考古学での結果とは相容れない天皇陵が散見される。特に古代の天皇陵に関しては疑問視されているものが多い)

Img_9695崇神天皇陵、景行天皇陵をすぎると再び野の道となる。

梅が咲き誇る道端には、いつの時代のものかわからない石仏が点在し、その仏前に黄色い菜の花がそなえてあった。

この辺は邪馬台国近畿説における邪馬台国の地、卑弥呼の墓とされる「箸塚」が少し西にある。邪馬台国の時代に、このあたりで卑弥呼が鬼道を行っていたと想うと、感慨もひとしお。

しばらくすると相撲発祥の地とされる「相撲神社」がある。どんな神社かと興味が有ったが、小さな祠があっただけで、ちょっと肩すかし。

崇神天皇陵から約1時間余りで「桧原神社」に着く。

Img_9714この神社は「元伊勢」とも呼ばれ、天照大御神が宮中を離れ、伊勢に鎮座するまで祀られていたとされる神社。この神社の御神体は三輪山であり、社殿はなく、神域との境界線を示す「三輪鳥居(鳥居が3つ連なった形式)」が瑞垣のなかにポツンと立っている。また、この神社の入口には「注連柱」が立っている。注連柱とは、二本の生木の間に注連縄を渡し、神社の境界線としたもの。現在よくみられる鳥居の原型と考えられている。旧い神社形式が見事に残った神社である。

Img_9723道はここから神山である三輪山の麓をまわりこむ。人が入り込む事を拒否して来た森の外縁に続く細い道を「大神神社」へと進んで行く。
約30分程歩くと、摂社である狭井神社に出る。この辺りまで来ると参拝の人が増えて来、やがて「大神神社(おおみわ)」に着く。

「大神神社」は大和国一宮で、大物主を祀っている。御神体は三輪山。そのため本殿はなく拝殿のみがある。
古の時代、日本の神々は山の磐座(いわくら)や大きな木に依りつくものであり、神社はその祭事の際に設けられる物であった。そして祭りが終われば神はその依り代から去って行き、祭壇も壊されていた。
それが仏教の影響もあり、神が依り代に常に鎮座するようになり、それを常に拝むために常設された遥拝所が設けられるようになった。これが初期形態の神社である。この時代、神はあくまでも山中の磐座に鎮座されており、御神体は山となる。神社内の本殿に鎮座するようになるのは、もう少し後の頃からである。

この山辺の道にある神社達、石上神社・桧原神社・大神神社等はこの古の神社の形態を色濃く残している。

Img_9726ここにも「注連柱」が立っている。

この大神神社はまたお酒の神様ともされており、境内にある「巳の杉」の葉で作った「杉玉」が酒屋のお守りとして軒下や酒倉につるされるようになったとされている。

この神社の門前には、特産の三輪そうめんの店があり、多くの人で賑わっていたが、時間の都合で今回はあきらめる!!

大神神社を過ぎるとあとは桜井まで平坦な道が続く。
「金屋の石仏」を通り、泊瀬川(はつせ)の川縁を下っていくと約30分ほどで桜井の駅に着く。ここが終点。

天理から桜井まで約16㎞。6時間程かけて歩き通した。
古の神々の姿を想いながら、万葉の歌人達の声を聞きながら、花と鳥のさえずりの中を歩き続け、心地よい疲れと満足感が残った。

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