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2007年3月26日 (月)

京都 桜逍遥(御所 出水の桜)


「願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」

西行 山家集

Img_0406

西行の歌のなかで最も親しまれている歌です。
西行は建久元年(1190)旧暦の2月16日に亡くなりました。今の新暦で表すと3月23日頃(3月30日とする説もあります。)になります。ちょうど今時分です。

この歌は西行の辞世の歌ではなく、亡くなる10年程前に作られた歌です。
ではこの歌を詠んだ春、西行はどの様な気持ちで花を眺めていたのでしょうか?

花が咲き、花が散る、それを愛でる喜び。それは同時に自分に訪れる死を、死を待つ自分を愛でることでもあったのでしょう。死することで初めて花と同化出来ると思っていたのでしょう。

そして、この歌通りに西行は花咲くこの時に亡くなったのです。

この西行の死に様が、日本人の潔くありたいという人生観とマッチし、桜に我が人生や心模様を写す風情がひろがっていったのです。

この季節、満開の花の下、しばしの間桜を眺め我が人生、我が心の奥底を今一度想って見ませんか。

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コメント

ようやく御所へ行ってきたので、出水の桜の方に
TBさせて頂きました。
よ~やくぼちぼちと行き始めましたが、
あちこち一斉開花で、kodama、体が足りないです。
西行、お好きなのですか?
西行というと、あの若さでの出家。
西行物語の出家時に子どもを蹴落して俗世を捨てていく話、
待賢門院が想い人だったという噂、
実は男色の餌食にされたのではという塾講師の想像、
源頼朝の憧れの歌人だったなど、ある意味伝説の多い人物です。

投稿: kodama | 2007年3月29日 (木) 13時55分

kodamaさんへ
桜が好きで、西行を知り、その歌に驚かされました。
それから約20年たちましたが、いまだ西行の歌は新鮮です。毎年新しい桜を見て西行の歌を思い出し、桜が散った跡には西行の歌を詠んで桜を思い出しています。

西行伝説もいろいろ聞きましたが、「男色説」は初めてですね・・・。おもしろそうですね。詳しく知りたいなぁ

投稿: 好日 | 2007年3月29日 (木) 22時52分

西行の男色説は確か日本史の予備校の講師の
想像の粋をでないと思いますが、
「悪左」と呼ばれ、男色趣味で有名な
藤原頼長の日記の話の波及だったと思います。
たぶん、はっきりしてないと思いますが、
日記にそれ臭い記述がある…のだと思います。
で、世を儚んで出家という繋がりに。
真偽はともかく、インパクトがありました…

投稿: kodama | 2007年3月29日 (木) 23時08分

kodamaさんへ
確かに、頼長および鳥羽上皇は美男が好みであったらしく「台記(頼長の日記?)」にそのような事が書いてあったと記憶してます。「北面の武士」になる条件の一つに「イケメン」があったようにも記憶しています。西行も元は北面の武士だったから、その可能性も・・・・・。
今の予備校、色々と教えてくれるんでねぇ。
面白い説です。

投稿: 好日 | 2007年4月 1日 (日) 02時10分

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