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2007年4月の37件の記事

2007年4月30日 (月)

「龍圃小吃館」の小龍包

大阪市立美術館へ行った時は、たいてい阿倍野近鉄HOOP館地下1階にある「龍圃小吃館」で食事する。

Img_1674この店は大阪の食べる事が好きな友人から教えてもらった。
ランチメニューなんかも多く有り、それに夕方4時までランチタイムが続くので、美術館で遅くなった場合など重宝する。

この店、表のウィンドウから調理場が見える。そこでいつも料理してるのが「刀削麺(けずり麺)」。
TVなんかで削っているのを見た事があるが、実際にやっているのを見たのはここだけ。
うまいもんである。ちょっと大きめの瓜のような塊を持って、小さな鎌みたいな包丁でちょっと離れた場所から削り飛ばしてお湯の中に入れる。
見ていてあきない。
料理人さんも見られている事を意識しながらも、眼を合わさずモクモクと削って行く。

Img_1672席に案内されて、この日に注文したのは刀削麺の料理人さんに敬意をはらって「ジャージャー麺(炸醤麺)」と「小龍包」。
ここの「黒酢酢豚」はおいしいのだが、ちょっと疲れていたので今日は軽め。

刀削麺はちょっと太めで平べったく、短い。日本の太めのうどんくらいかな。しかし、もちもち感としこしこ感が同居している様な感じでおいしい。
肉味噌がからみやすく、味噌のぴりぴりした辛さと良く合う。

Img_1671続いて「小龍包」。
ここの小龍包は、日本では特上の部類。肉汁は生姜効いていて口の中にビャーッとひろがるし、皮もモチモチしているし、おいしい。

台北の「鼎泰豊」と比べると、ちょっと皮が厚いのと、豚の味が違う。もう少し濃くがあった。
しかし、京都の高島屋で食べるより、本場にちかい。

満足、満足。しかし、これだけの料理で1000円までとは安い。さすが食い倒れの大阪である。

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2007年4月29日 (日)

「ギメ東洋美術館浮世絵名品展」 大阪市立美術館

大阪市立美術館で開催されている「ギメ東洋美術館所蔵浮世絵名品展」へ行って来た。
19世紀後半から20世紀初頭にかけてヨーロッパにおいて日本美術のブーム(ジャポニスム)が起こり多量の美術品が海を渡った。その中にはもちろん浮世絵の名品が多く含まれている。それらの浮世絵がゴッホ、モネ、ドニ等の有名な画家達に大きな影響を与えた。同時にヨーロッパに浮世絵の膨大なコレクションが出来上がった。その中心となるパリの「ギメ東洋美術館」、その所蔵する190点が今回里帰りした。いずれもが名品。保存の状態も良く見応えが有る。

Img_guime1その中から、目に付いた浮世絵を時代順に。

まずは、鈴木春信(1720〜1770)から。これは「風俗四季哥仙 竹間鶯」。

春信の頃から、今まで墨摺に手彩色で作成されていたのが、多色摺の版画の「錦絵」となっていく。しかし使われている色は、黒、紅、緑の3色が多い。

春信の女性はかわいい女であり、中性的な感じがする。細手でナヨッとした感じ。まだ世間ズレしていない清楚な感じ。
そんな女性が、春まだ浅き頃鶯の声に誘われて川べりに出て来たという風景。
この頃の浮世絵はまだ情景の中の美人を描く状態。人の心をとらえてはなさない様なな力強さは見いだせない。

Img_guime2これは、鳥居清長(1752〜1815)の「十體画風俗 狆をひく姫君」。
清長は浮世絵の本流から出て来た浮世絵師であり、菱川師宣、鈴木春信らの系統をひき、歌麿の人気が出るまでは美人画の第一人者であった。
清長の美人画は8頭身の美人画として有名で、なるほど見事なスタイルをしている。今の時代に持って来てもトップモデルとして充分通用する。胴長短足だと言われて来た日本人、やはり江戸のこの頃からあこがれているものは同じだったのだなぁ。

展示されている清長と歌麿の美人画の顔付きは非常によく似ている。一見見分けがつかない。あえて言うなら歌麿の方が細面かな。それと唇の描き方が違う。歌麿は少し唇が開いたような形になっている。
美人画の顔付きはそれなりに浮世絵師によって特徴があるのだが・・・。
しかし、この二人の美人画の顔付きがその後の美人画の基本となっていったことがよくわかる。

Img_guime3これが喜多川歌麿(?〜1806)。「美人気量競 兵庫楼 雛琴」。
歌麿を語る時、その後ろにいる「蔦屋」という版元ぬきには語れない。新興の版元であった「蔦屋」は歌麿を見いだし、清長に対抗するため大首絵を描かした。大首絵は上半身をクローズアップし、より本物らしく、より肉感的に美人を描き出した。清長なんかと比べると着物の模様や周りの風景は大胆にデフォルメされたり描かれなかったりしており、女の肌の白さや、柔らかさが強調されている。
これに当時の江戸の好き者達は飛びつき、歌麿は一躍美人画の第一人者になった。

今回10枚程の歌麿の大首絵が出展されているが、その中で気付く事に、彼の描く美人達のうなじの線の美しい事。抜き襟気味の襟元からスラーッと伸びるうなじ、そして結い上げられた髪の毛。この線が見事である。ぞくっとするような色気を感じる。
今回、大首絵だけでなく風俗や道中の様子を描いた絵も出されており、いずれもが歌麿の高度な技量を示している。これもまたすばらしい。


Img_guime4「蔦屋」の第2弾として出て来たのがこの「写楽」。
「2世瀬川富三郎のやどり木」。
写楽は寛政6年(1794)こつ然と現れ、約140枚の浮世絵を残し、10か月後に姿を消した。その正体を探る事が、明治以降行われたが、最近は阿波の国の能役者斉藤十朗兵衛とする説が有力。

今回写楽の浮世絵は、11枚展示されている。大首絵が7枚、役者の全身像を描いた絵が2枚、版下絵が2枚。大首絵の7枚はやはり蔦屋がプロデュースしたものだろう。歌麿の夢よもう一度という感じかな?

写楽の役者絵どれを見てもけったいな顔をしている。写楽なりのデフォルメはされているだろうが、実際とは大きくは異なっていないだろう。特に左図の富三郎は当時でも「いや富」「にく富」と呼ばれていた。そんな感じの顔してる。当時の薄暗い歌舞伎小屋では隠せ通せても、こう白日の下にさらされたら、役者としても立つ瀬がない。庶民は喜んでも、役者や小屋主にはたまったものではない。その反目が更に写楽の人気を高めたのだろうと思う。大衆は常に判官びいきなのだ。

写楽はそういう意味で正直な絵を描いた。雲母摺の背景(雲母の粉を混ぜたインク)に描かれたこれらの絵、惹き込まれる魅力が有る。

Img_guime6これは葛飾北斎(1760〜1849)の肉筆画で今回話題となっている「龍虎図」。

昨年、ギメ東洋美術美術館で行われたギメ所蔵の浮世絵調査において東京の太田記念美術館(原宿にある浮世絵専門の美術館)が所蔵する「(雨中の)虎図」とギメの所蔵する「龍図」の2点の北斎の作品が一対のものであることが発見された。並んでみると、この戦いは「龍」の勝ち。八の字になって黒雲に浮かぶ龍の眼の迫力。これは相当な物。龍だけが海外へ高値で売れた訳も納得する。

北斎は「富嶽三十六景」の印象が強いが、本質的には非常にエキセントリックな絵を得意とする浮世絵師。また、多くの古来からの画風を学び、また西洋版画の画風なども取入れ、それを自分なりの感覚で組み立てて行った努力と才能にあふれた人。宗達以来の天才ではないかと思う。ヨーロッパの画家達が驚いたのもうなずける。

そういう意味で、どの絵を見ても驚きと感心が入り乱れる。美人画を描かしてもうまいし、風景画をかかしても斬新だし、花鳥風月どれをとっても良く観察している。また、この人の「お化け」はたのしい。今回も「百物語」が2枚来ていたが、これ一度全部見たいなぁ。

Img_guime5最後は歌川広重(1797〜1858)の「月に雁」。

我々の世代には切手の図柄で有名な浮世絵である。満月を切り裂くように斜めに降りて行く雁3羽、縦長の画面に大胆な構図で描かれている。このような飛ぶ鳥を描いた絵に、長沢蘆雪の「富士越鶴図」を思い出す。あの構図も大胆だった。この2つの絵が飛ぶ鳥の姿を描いた物としては白眉である。

このころから、浮世絵に新しい色が使われるようになった。「べろ藍」と呼ばれる顔料である。このインクはヨーロッパで造られた合成顔料で明るい発色が特徴である。これにより浮世絵が更に立体感を持ち、また表現も豊かになった。
当時はまだ高価であったこの顔料をつかい、「広重ブルー」と呼ばれる、美しい風景画が描かれたのである。

左図でもその「広重ブルー」が効果的に使われている。全体に使うのではなく、雲の狭間に塗る事により、秋の澄み切った夜空を飛ぶ雁の孤独さ、そして清冽さを良く表している。
しかし、このような絵を見ると、広重は浮世絵の範疇をこえていますな・・・。

約180点どれもこれも見応えの有る物ばかりで、感動したり、勉強したり、喜んだり最後にはクタクタになってしまった。しかしこれらが日本を離れているという事実は(大量に刷られた浮世絵だから日本のどこかに有るのかも知れないが)残念な事である。

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2007年4月28日 (土)

「幕末浮世絵展」 大丸ミュージアムKYOTO

質素倹約を旨とした松平定信の寛政の改革が失敗に終わり、幕府の力の限界が見えて来ると、文化の主体は今までの公家、武士、豪商などの一部の特権階級から、広く庶民に移って行った。

Img_uki1文化・文政の時代から、天保の改革などの揺れ戻しはあったが、幕末までの間、庶民の文化は芝居、出版、岡場所等を中心に隆盛をきわめ、そして熟欄の時期を向かえて行く。

浮世絵はその時代を表す鏡として、様々な様相を見せ、庶民の欲望を満たす強力なメディアとして隆盛をきわめていった。

その時代を代表する、北斎、広重、國貞、國芳らの作品を中心とした、「中右コレクション」の浮世絵の展覧会が京都大丸で開催されていた。(4月24日まで。) これがすばらしく見応えの有る物であった。

Img_uki2
まず、会場の入口にあった歌川國芳の「相馬の古内裏」。この絵でググーッとこの展覧会に引き付けられましたね。おどろおどろしい世界。魑魅魍魎の世界。幕末の騒がしい世相にのった「武者絵の國芳」快心の作である。

「将門の娘瀧夜叉姫、父の敵を討たんとして妖術をつかい一族郎党を集める。それをやっつけようと乗り込んだ豪傑大宅太郎光國、獅子奮迅の大立ち回り」という物語である。

ワイドスクリーン3枚仕立てにひろがる迫力ある大画面、上から襲いかかる大骸骨(しかし骸骨、どうみてもニタニタしてますなぁ!!)。当時の人々のど肝をぬく絵である。

構図といい、色調といい、エンターテイナーとしての國芳の凄さに恐れ入谷の鬼子母神。

Img_uki3続いては「役者絵の國貞」。
このころ歌舞伎も盛んで、名優たちがその芸を競い合った。五代目松本幸四郎、三代目中村歌右衛門、七代目市川団十郎。國貞も多くの役者絵を残しているが、
これは文化11年(1814)に刷られた「大当狂言」シリーズ。ポスターに載っているのが坂東三津五郎の「梶原源太」。演目は「ひらがな盛衰記」でしょうかね?長い鼻筋、鋭角的な鼻、小さな口、とんがった顎、そしつり上がり大きな目、この頃の歌川派の役者絵の特徴を表している。
左は岩井半四郎の「八百屋お七」。寄った目にその狂気が潜んでいる感じがする。

役者絵の大首絵は、「写楽」が有名だが、写楽は正当の浮世絵のなかで突然現れた逸材。それに比べて國貞は時代を感じ、時代の受けをねらった、エンターテインメントに徹する気風が感じられる。役者も喜ぶ、小屋も喜ぶ、庶民も喜ぶという楽しみにあふれた絵振りがうれしい。

「待ってました〜」と大向こうがかかるような楽しさがある。

Img_iki6浮世絵と言えば「美人画」。これは渓斎英泉の「浮世風俗美女競 美艶仙女」。
英泉は美人画というよりも女郎絵を得意とした浮世絵師で、ちょっとした仕草や表情のなかに女の情念や色気を感じさせる絵が多い。

この絵は、「美艶仙女香」という白粉の宣伝用に刷られたもの。

切れ長の左目で白粉を見、右目で鏡に映る自分の顔を眺めている(不思議な表情・・・)。
美しくなりたいという女の情念がひしひしと感じられる。考えてみれば、資生堂などのポスターと同様なもので、今も昔も変わらない本質を持っている。

しかし色っぽい・・・。

その他北斎や広重、そして寄せ絵、マジック絵(そのへんははたこさんのブログで)も多数出展されており、百貨店での美術展としては、相当充実していた。大丸この頃企画の良いものがそろってる。
これと大阪で開催されている「ギメ東洋美術館展」を見れば、浮世絵の代表作は一通り見られる。
タイミングの良い美術展だった。

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2007年4月25日 (水)

「都のうつわ」展 京都市考古資料館

今出川大宮を東に向かった所に、大正時代に建てられた風格の有る建物がある。

Img_1452その前には「西陣」と彫った大きな石碑が立っている。
この建物は昔の「西陣織物館」で、今は「京都市考古資料館」となっている。
ここで開かれている「都のうつわ」展に行って来た。

この資料館は京都の埋蔵調査で発掘された物を展示している。
京都では条例により、遺跡のある場所に400平米以上の建物を立てる場合遺跡調査が必要とされている。といっても1200年の歴史が有る土地、ほぼ全域がなんらかの遺跡として指定されている。よって大規模な建物を建てる場合は必ず調査され、そこから発掘されたものにはすばらしい物が有る。
今回は「うつわ」関係が約2000点ほど展示されている。

Img_1461あの狭い所にそんな大量の陶器をどうやって展示しているのだろう? と思い入ってみると、なるほどケースの中に山積みにされている。
平安時代の皿なんか10枚〜20枚位が重ねて展示してある。それがケースの中に隙間なくビッシリと展示してある。その大胆なやりかたに驚くとともに、これだけ多くの良いものが(これでも一部。)地中に埋もれていると思うとため息の様な物が出る。

Img_1466そんな中から目についた物を。
まずは、中国は龍泉窯の青磁。龍泉窯は南宋の時代に盛んに焼かれた青磁。グレーかかった緑の色が落ち着いた感じをかもしだす。先月行った故宮にもその優品がいくつかあったが、これも負けず劣らずの優品。傷も無く状態はすこぶる良さそう。これは烏丸六角を下がったところで発掘された。よく歩き回っている付近である。これからあの辺歩くとき、踏む足に気をつけよう。

発掘された物を見ると、伝来ものも多く有る。中国はもとよりタイ、ベトナムの陶磁器もある。時代的には室町位だとおもうが、当時の京都のインターナショナルな性格が実感できる。

Img_1471これは発掘された「織部」の向付け。江戸時代のものだと思えるが、同時期の発掘されたもののなかでは「織部」の量が多い。

桃山時代、古田織部によってお茶のちゃわんとして考案された織部焼。その斬新なデザイン、明快な色が好のまれ、向付けや皿等の食器類までひろがって行った。また型にはめて成形したため大量生産に向いていた。そのような理由から、当時のしゃれた食器として、ひろく使われていったことが想像できる。

こんなん一つ持ってたら、何の料理を盛るだろう。この時期だったら、やっぱりタケノコの煮いたんなぁ。?

「ここ掘れワンワン」じゃないけれど、掘って見つけられるのなら我家の庭も一度掘ってみようか!!!

あまり知られてなく、訪れる人も少ない資料館だが、陶器の好きな人にははずせない場所である。

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2007年4月24日 (火)

「大エルミタージュ美術館展」 京都市立美術館

この展覧会、東京で開催されたとき「大」が付くのは内容からしておおげさだと、批判の声が聞こえて来た。しかし、結論から言うと、私としては見て良かった展覧会であった。

Img_hermi_1ゴーギャン、モネ、ルソー、ルノワール等のレベル以上の作品も見られたし、ルネサンス時代の優品も見られた。また、あまり知らない作家ではあるが、心に残る作品もあった。

有名な作家の作品や目玉の作品はポスターにすべてのっているので、ポスターの順で感想を。

右上にある「聖母子」。15世紀のイタリア ヴィネツィア派の作品。豪華な衣装に身を包んだ聖母、その胸に抱かれ正面むいてあどけない笑顔を見せるキリスト。衣装の裾の質感、織り目まで描かれた緻密さ、この時代の「聖母子」像の優品である。この時代の作品らしく聖母は若く美しく、キリストはより人間らしく描かれている。ルネサンスの時代の豊僥さ、人間性への目覚めが現れた作品である。
中段にあるゴーギャンの「果実を持つ女」。エルミタージュにはゴーギャンの優品が揃っている。これはその内の一枚。タヒチの強烈な光に表される色の輝き、そして精神の開放感。見ていて気持ちが軽くなる。
その左にあるのがルソーの「リュクサンブール公園、ショパン記念碑」。ルソーの作品から発する、神秘性また幻想的な雰囲気は薄いが、じっくりと見ると、人物の描き方や、路の描きなんかにルソー独特の雰囲気がある。色調も緑を基準として描かれている。しかしルソーのこの構図決してうまいとは見えないがなんか惹かれるものがある。
下段、左はルノワールの「扇子を持つ女」。名品である。柔らかな色調、柔らかな線。触れてみたくなる様な肌。赤いソファーが印象的で有る。見ていて思うのだが、この扇子、形や骨の形からみて日本製ではなかろうか。ちょっと大きいがそんな気がする。この絵が描かれた19世紀後半、パリではジャポニズムがはやっていた時代だから、有りうる事である。

Img_hermi_elingその他80点程の作品が展示されてあったが、その中から気に入ったものを2点。

これは17世紀のオランダの画家、エリンハの「オランダの室内」。
フェルメールなんかもそうだが、この時代のオランダの画家は遠近感の表し方と、光の描き方が非常にうまい。見ている者が、絵と同じ空間にいるかの様な錯覚に落ち入る。

赤の3脚の椅子、カーテンが非常に印象的。しかし、じっと見ているとおかしな事に気付く。
椅子の影があり得ない所に描いてある。光の方向からしてこの描き方は不自然だ。
一種の「だまし絵」的な要素もあるのなぁ・・・。
不思議な雰囲気のする絵だが、なかなか目を離す事はできなかった。

Img_hermi_picasoもう一点はピカソの「農夫の妻(全身像)」
キュビスム時代のピカソの傑作。(だと思う。)
力強く、堂々とした農婦の様子を見事に表している。しかし決して泥臭くはなく、エネルギーに満ちている。人間の持つ根源的な生命力の様なものを感じる。

エルミタージュはピカソも素晴らしいコレクションを持っている。たいしたものである。

調べてみると、エルミタージュには約1万7000点近い絵画があるらしい。その中から今回展示されているのは約80点。ダ・ビンチの作品も来ていないし、レンブラントのコレクションも来ていない。マティスも1点しか来ていない。エルミタージュ美術館のすばらしさを知る者にとってはたしかに物足らない美術展かもしれない。それに主催者の宣伝の仕方がまずい。テレビの特集なんかで、エルミタージュの素晴らしさのみを情熱的に伝え(山口智子がどうのこうのでは無く)、それと今回の展覧会の内容を同一視させる様な方法をとっている。人を集めれば良いという姿勢はやめてもらいたい。それに招待券もほどほどにしておかないと終いにあきられる。

人の多さと、主催者の無神経さに腹をたてていたが、絵画自体は楽しめた展覧会であった。

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2007年4月23日 (月)

京都 桜逍遥(御室の桜)


「散る花を 惜しむ心や とどまりて また来ん春の たねになるべき」


西行 山家集

Img_1613

京都の中で最も遅咲きの「御室の桜」も、若葉の間にちらほらと花が見える状態になりました。

満開の頃は、桜園に入れない位訪れていた花見の人々も大分少なくなりました。ちょっと落ち着いて、桜と五重の塔をながめられます。しかし、蜂達が最後の蜜を吸おうと、残り少ない花の間を飛び交って邪魔をします。しかし、あれだけ多くの人々が訪れれば、花盛りの頃、蜂達も蜜を吸う事も出来なかったでしょう。

桜の名所でもある御室には多くの品種が揃っています。その一つ々に名札がさがっているので、桜の品種を覚えるには便利な所です。だから、毎年一段落付いた頃に訪れています。一年の総復習です。


三月の中頃から西行の歌と共に続けて来ました「桜 逍遥」も今回を最後とします。近所も入れて約40カ所程の桜を見て来ましたが、今年も奇麗でした。楽しめました。精一杯咲いてました。元気付けられました。

桜は昔から好きでしたが、このように記録に残すということは初めての事でした。こうやって読み返してみると、あまり有名な所へはいってませんね・・。やはり人混みは苦手です。そして最後はいつも「雨宝院」となってます。毎年のことです。
なんやかんやと色々書きましたが、感想や他の桜の話などあればコメントいただければうれしいです。

若葉濃くなる春の宵、今年の桜逍遥を終わります。

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「嵯峨大念仏狂言」

春には京都の念仏狂言が全て行われる。その第一弾として、もう終わってしまったが、4月8日〜9日に嵯峨清涼寺で行われた「嵯峨大念仏狂言」を見に行ってました。

Img_1101嵯峨狂言は壬生狂言と同様に鎌倉時代円覚上人によって始められたもので、その内容および様式も壬生狂言と同じである。もともとは円覚上人の徳を慕って集まって来た群衆に対して、上人が仏の教えを説明するのに身振り手振りとしておこなった仕草が始まりと説明されている。

円覚上人は奈良唐招提寺に関係する僧であり、念仏狂言を始めるにあたり、奈良の大神(おおみわ)神社に伝わる鎮花祭の様式を取入れ、鉦を打ち鳴らし踊りながら念仏を唱える形式で始めたらしい。それが、近世になり、猿楽、能等の影響を受け、レパートリーも増え、面を着け、芸能として演じられるようになった。

Img_1106嵯峨狂言と壬生狂言は元が同じでも、演目をみると少し異なる。嵯峨狂言には、現在壬生狂言では演じられていない演目が残っている。その内「百萬」は能からつくられた演目であり、嵯峨清涼寺の念仏会を題材とした物である。その頃からここの念仏会は盛んであった。

Img_1130今回見て来たのは「愛宕詣」。この演目はやはり関連深い嵯峨で見たい。
嵯峨狂言は清涼寺の境内にある狂言堂で演じられる。壬生狂言や神泉苑狂言は。狂言堂と目線が同じ位置にある観覧席から眺めるが、ここは狂言堂の下から見上げる形となる。近所のお年寄り、清涼寺へ来ていた観光客などが三々五々集まって来る。なんかのんびりした感じ。混み合う壬生さんなんかとはちょっと雰囲気が違う。椅子が満席になれば、横の鐘楼に腰掛けて眺めている。

Img_1135「愛宕詣」は愛宕さんに詣でた旦那が、帰りに寄った茶屋で、同じように休んでいる母娘の姿を見、その娘の姿に人目惚れ。お供になんとか話をつけさせ引き合わせさせて、さて、そのカムリを取れば娘の顔は二目と見られぬもの。旦那はあわてて逃げ出すし、娘は怒って旦那を追いかける。

念仏狂言で言う「ヤワラカ物」。念仏狂言はこの「ヤワラカ物」にその真骨頂がある。勧善懲悪、私利私欲、合縁奇縁に因果応報。庶民の考えている事のおかしさ、ずるさ、たのしさがユーモラスな動作と「カンデンデン」の単調な音にのって伝わって来る。

桜満開の頃(4月8日は今年一番の花見頃でした。)、明るい春の日差しの下、ゆるりと楽しい時をおくれました。

*嵯峨清涼寺念仏狂言
3月15日  
4月 第一日曜日、第二土曜日、第二日曜日
10月 円覚上人命日に近い日曜日
嵯峨清涼寺 狂言堂

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2007年4月22日 (日)

「壬生大念仏狂言」

「カンデンデン」で親しまれている壬生狂言の「春の大念仏会」が始まった。

念仏の教えを広く民衆に伝えるために円覚上人が鎌倉時代に始めた念仏狂言。京都では嵯峨清涼寺、千本閻魔堂、壬生寺、神泉苑に伝えられている。その壬生寺での「春の大念仏会」がはじまったので、さっそく見に行って来た。

この念仏狂言、能楽堂で行われる能・狂言とは大きく異なる。まず無言劇であること。(ただし、閻魔堂の狂言にはセリフがはいります。) おはやしは横笛、締太鼓、そして鉦(60㎝位の金属でできた皿を2枚合わせたようなものでそれを木槌でたたく)。また頭にさらしをかぶり面をつけて演じられる事。
無言劇のため見ているものにその筋書きがはっきりとわかるように、身振りはおおげさに演じられる。
それがまたユーモアにあふれた仕草に見え、庶民の芸能として受け入れられている。

Img_mibuこの「春の大念仏会」。最初の出し物は決まっている。「炮烙割り」。その筋書きは。

役人が街角に「一番に店を出した者には税を免じる」との高札を立てて行く。それを見た羯鼓売り(太鼓売り)が一番に店を出そうとするが、不覚にも寝てしまう。そこへ炮烙売りが来て一番乗りを騙しとろうとする。二人が争っている所へ、役人が戻って来、裁きを行う。裁きは芸比べで行われ、一旦羯鼓売りは引き下がる。喜んだ炮烙売りは店先(狂言堂の正面の桟)に炮烙を並べる。そこへ羯鼓売りが戻って来、その炮烙を全て落して割ってしまう。炮烙売りは商売ができなくなり、役人は羯鼓売りに権利を与える。

という勧善懲悪の話。
このとき使われる炮烙は今年の節分のとき、家族の年齢・性別を書いて奉納された炮烙が使われる。
昨年位から、壬生狂言はカメラやビデオの撮影が禁止され、画像は参考書から流用したものだが、実際は1回の公演で約1000枚の炮烙を割る。高さが約1m位まで積み上げられた炮烙が、狂言堂の端から端まで並べられ、それが一気に落されて割られる。壮観なものである。
この狂言で、奉納した炮烙が割られる事により厄除開運が得られるとされている。
9日間の公演で約9000枚の炮烙が割られる。今年我家が奉納した炮烙はどの日に割られるのかなぁ?

初日にもかかわらず多くの観客が集まっていた。笑う所では笑い、驚く所では驚きみんな狂言を楽しんでいた。開放感のある野外の舞台で庶民の芸能を堪能した。

*壬生狂言 春の大念仏会
  4月21日〜4月29日  午後1時〜5時頃まで(29日は夜間も有り)
 演目:毎日最初の演目は「炮烙割り」。以降は日毎に入れ替る。

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京都 桜逍遥(雨宝院 松月桜)


「花を見る 心はよそに 隔たりて 身につきたるは 君がおもかげ」


西行 山家集

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雨宝院の「松月桜」です。雨宝院の中では、最も最後に開花します。

この花は八重桜で、花びらは薄くふんわりし、柔らかい感じです。色も透き通る様な白色に花びらの付け根はすこし紅がかかったような様子です。

陽の光を通してみると、花びらが重なった部分は白い色が順々に重ねられて行くことによって、薄い青色がかかったようなグレーっぽい色に見えます。
なにか清純な心の深淵に導く様な色です。

重なり様によっては、紅が美しく出て来ます。
美しい花です。桜の花の終わりの時期を象徴する様な美しい花です。

花の味わい方として、風景の中にある花として見る場合と間近に近寄って花に埋もれるようにして見る場合とが有ります。周りの状況と花の様子とによって変わりますが、この桜はもちろん近づくべきです。

色々な桜が、時を変えてその盛りを迎える「雨宝院」。「歓喜桜」はその花を散らし葉桜の様子を見せていますし、「観音桜」は若葉の間にまだ名残りの花をつけています。「御衣黄桜」は日々その色を変え、「松月桜」は今盛りを迎えてます。この季節、境内全体が、毎日毎日移り変わる美しさを見せています。

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2007年4月21日 (土)

京都 桜逍遥(雨宝院 御衣黄桜)


「いかでかは 散らであれとも 思ふべき しばしと慕ふ 歎き知れ花」


西行 山家集

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以前にも載せました、知恵光院通上立売を西に入った所にある「雨宝院」です。
いま「御衣黄桜(ギョイコウサクラ)」が見頃です。

上の画像は、15日に行った時の様子です。この時はまだ花が開いてすぐだったので黄緑の部分がひろがっていました。

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これは20日の状態です。前の時と比べると白い部分が広がり、花心から紅色の線がひろがって来ています。

ここの「御衣黄桜」は色の移り変わりが大変奇麗です。薄い緑から白、そして薄紅へと日々変わって行きます。自然の営みの美しさをかいま見られる桜です。
優しい色調のグラデーションが続きます。

「御衣黄桜」が生けてあるのを、ときたま料亭なんかで見かけますが、なかなかこの様な美しさにはなっていません。生け花や切り花は、花のその時の美しさを飾ろうとするものですが、日々変わって行く移り変わりの美しさはそれを凌ぐものが在ります。花の盛りが過ぎて花が落ちようとする間際までその美しさは移ろって行きます。又、この花は落ちるとき一枚々の花びらが散るのではなく、花の首の部分からポロッと落ちて行きます。それもまた見頃です。

桜と言っても色々品種が有りますが、その基調となる美しさは、色なり、姿なり、散り際なり、その移ろいの美しさだと思います。そんな桜が好きです。

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2007年4月20日 (金)

京都 桜逍遥(白峯神社 鬱金桜)


「葉隠れに 散りとどまれる 花のみぞ 忍びし人に 逢ふ心地する」


西行 山家集

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「御衣黄桜」と同様に黄緑色の花を付ける「鬱金桜(ウコンサクラ)」です。堀川今出川の「白峯神社」に在り、今可憐な花を咲かせてます。

「御衣黄桜」と「鬱金桜」の違いと言われると、難しいです。少なくとも私には付きません。聞く所によると花弁の数が「御衣黄桜」の方が多く、緑の色も濃いとされてます。
しかし、花が咲いてしばらくすると両方とも白くなって行きますし、タイミングをずらすとその判別はつきません。名前を書いた札だけがたよりとなります。名前が書いてない場合は、神社やお寺の人に聞いてます。

この「鬱金桜」も、ここ何年も見続けているのですが、いまだ黄色ないしは黄緑色の時に見た事はありません。たいてい薄い黄緑か、白、もしくは薄紅がかかった状態です。今年もちょっと来るのが遅く薄紅かかっていました。しかしその紅色が何とも言えず優雅です。若葉の軽やかな緑と良く合ってます。

この白峰神社は、サッカーの神様として有名です。なぜなら、この神社の敷地は蹴鞠の宗家である飛鳥井家の屋敷の跡地であり、境内に蹴鞠の守護神祀である「精大明神」が祀られているからです。それが現在ではサッカーの守護神となっています。
この日も修学旅行の高校生が、まっさらなサッカーボールを持ってお詣りに来て、本殿前で記念写真を撮ってました。ほほえましいなぁ・・・

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2007年4月19日 (木)

京都 桜逍遥(六孫王神社)


「青葉さえ 見れば心の とまるかな 散りにし花の 名残り思へば」


西行 山家集

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八条壬生にある六孫王神社の「御衣黄桜(ギョイコウサクラ)」です。この桜は咲き始めの頃、花の色が緑色しています。そして咲き出すとだんだん白くなって行き、終わりの頃は花の中心から紅い色がひろがってきます。色の移り変わりが楽しめる桜です。どの色も色調が柔らかく優しい色です。

今、六孫王神社の「御衣黄桜」は薄いピンク系の白い色をしてますが、花びらが重なっている所では、日の光が透き通ると薄く緑かかった様に見えてます。

色で思うのですが、言葉で色の感じを伝えるのは難しいということです。色名に対する感じとか印象は、あんがい人によって異なっています。ですから今回の「御衣黄桜」の緑にしても、ある人は若葉のような緑を思い浮かべるし、ある人はもっと濃い緑を思い浮かべるかもしれません。

色を表す言葉を調べていると、昔の人の方が、現在よりも微妙な色彩感覚を持っていたと思われます。例えば、若草色(芽が出たばかりの草の色)と若葉色(木に生え出たばかりの葉の色)とは、異なった色として認識されてました。現在では皆さん(私も含めて)緑ということばでまとめると思います。

画像があれば伝わるかというと、やはりその微妙な色調は(腕のせいもありますが)きっちりとは伝わらないと思います。

ぜひ機会があれば、一度本物を見ていただいて、この花の優しい色調を味わってください。

「御衣黄桜」は、私の知ってるところでは、京都では、ここ以外に仁和寺、雨宝院、御所の出水の辺り、墨染寺等に咲いてます。

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2007年4月18日 (水)

「桜舞う、醍醐寺展」醍醐寺霊宝館

ちょっと前だが、醍醐寺へ桜を見に行って、醍醐寺の寺宝を納めた「醍醐寺霊宝館」へ寄って来た。

Img_daigoji醍醐寺は歴史のあるお寺だけに多くのすばらしい美術品を持っている。

この桜の季節、その中から桜に関する優品を展示していた。

ここで俵屋宗達の「舞楽図屏風」と再会した。
今まで京博等で何回も見て来たが、その度にこの屏風の持つ不思議な感覚に感心している。宗達の不思議の世界に浸れる会心の屏風である。

二曲一双の屏風で下地は金箔。
この時代、金箔を使った画は多かったが、それは豪華さや派手さをねらったものが大半である。特に狩野派の障壁画や屏風等がそうである。しかし宗達の金箔には、それらとは異なった雰囲気がする。「風神雷神図屏風」においてもそうだが、ある種の別世界を表しているような感じがする。
その世界は、金のもつ神秘性、魔力に象徴される現実味を越えた空間である。

Img_soutatuその異空間に宗達独特の感覚で選択された舞人達が配置される。
まず右雙(上の画像)には左側には緑と紺色の衣装を付け、二人で舞う「納曾利」。右側には老人が白装束で不老不死の薬を求める姿を描く「採桑老」。左雙(下の画像)の左下には輪になって舞う「崑崙八仙」。右上には蛇を捕まえて喜ぶ赤色の服を着た「還城楽」。右下には龍の面をかぶった「羅陵王」。
そして、右雙下には和太鼓(幔幕の後ろに上部だけ)、左雙左上には松(ほとんど根の部分だが)が相対する様に描かれている。

舞楽に関しては、余り知らないが、幾多ある舞楽の中から、この五曲の舞人が描かれているのは何故だろう?
見る感じ、踊りの持つ呪術性をこの金箔の異空間に描くことでこの画の持つ不思議性を高めている。

また、この画の構図においても、宗達独自の工夫がされている。
この画には2つの対称となる線がある。
右雙の右上角から左雙の左下角を結ぶ対角線と右雙・左雙を区分する線である。これらの線の対称の位置に舞人が描かれている。微妙な位置関係で彼らは舞い、そしてその視線は、対称の相手方を外した方向の舞人を見ている。このシンメトリーとそれを外した視線が、この画に不思議な不均衡さを感じさせている。

ともあれ、私にとっては見れば見る程不思議な感じがして、謎が謎を呼ぶ感じの屏風である。

宗達以外には、歌麿の「太閤五妻洛東遊観之図」(太閤醍醐花見の図)、国宝の「五大尊像(五つ全部)」等、国宝、重文級がずらりと並んでいた。
桜と共に「眼福、眼福」

*世界遺産醍醐寺展 「桜舞う、醍醐寺」
  醍醐寺霊宝館
  3月24日〜5月6日

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2007年4月17日 (火)

京都 桜逍遥(落花の雪に踏み迷う)


「惜しめども 思ひげもなく あだに散る 花は心ぞ かしこかりける」


西行 山家集

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音も無くハラハラと舞うように散る花。
京都の桜もそろそろ終末を迎えようとしています。

巡って来た桜の路は、いま花びらに埋もる路となっています。
咲いている花を見るのも楽しみですが、散る花を見るのも心に滲みいるものがあります。

満開の花の下、じっと花を見つめていると風もないのに突然狂ったように花が散る事があります。
ちょうど我が想いに応えるかのように・・・
ひと春に何回もある訳ではありませんが、そんなとき桜と同化したような気持ちになります。

残りの日を惜しみながら、もう少し今年の花を楽しみたいと思います。

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2007年4月16日 (月)

知らないパンが増えてるぞ(ル・プチメック)

西陣付近の桜を見た後、お昼は「ル・プチメック」へ行った。営業日が金〜日曜日のみになってから、お昼前後はいっぱいだし、遅く行くとパンはなくなるしでちょっとご無沙汰している。

Img_1446今日(15日)表を通ると、奇跡的にすいている。午前中だったのでパンも豊富にある。
ここでのパンの買い方は、イートインで食べる分でパンの棚を一周して、持って変える分で又一周。2回まわる。
お昼はいつもの定番の「小エビとゆで卵のカスクルート」と「クリームパン」。これらはすぐ決まる。それから・・・

あれ〜。パンの並びがカウンターの方へも続いている。知らないパンが並んでる。一応以前一通り征服したつもりだったが、なんとなんと焼き菓子類、タルト類が色々増えている。
アーモンドのスライスしたタルトや、クリームの乗った焼き菓子やらおいしそう!!!(名前が覚えられないので、詳しい解説ははたこさんのブログへ。)

Img_1448これもあれもと結局12個のパンを買ってしまった。

席は、左のポスターの前。店の入口の方を見ていると、どんどん人が入って来る。人気があるなぁ。

早速、カスクルートから。小エビがプリプリ、ソースはねっとり、パンを歯で噛みちぎる様にして食べて行く。相変わらずおいしい。このパン、特に端の細くなっている所がカリカリとした感じで好みだ。

クリームパンもペロッと食べてしまい、いつもの事だが持ち帰り用の袋の中をごそごそと探り出す。「ちょっと重たいな? 軽しょうか」とかなんとか理由をつけて、タルトを嫁さんと一つずつ食べてしまう。

混んで来て待ってる人もおられる様なので、軽くなった袋をさげて満足して店を出る。全品制覇のためまた通いそう。

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京都 桜逍遥(龍安寺)


「憂き世には 留め置かじと 春風の 散らすは花を 心ある身ぞ」


西行 山家集

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龍安寺の石庭にかかる枝垂桜が見頃です。
枯山水の代表作として有名な「虎の子渡し」の庭ですが、この時期はいつもと違う感じになります。

この季節以外は、敷き詰められた白砂、そこに描かれる帚目、そして15個の大小の庭石、その奥には微妙なグラデーションを付けられた油土塀。モノトーンに囲まれた庭です。
しかし、この季節は正面に紅枝垂の大きな花が流れ、静寂な世界に華やかな世界がひろがる庭になります。
桜の季節とそれ以外の季節では、庭の印象も異なって来るでしょうが、春の華やかな庭、真夏の油照りの庭、秋の紅葉の庭、冬の清冽な空気の庭、四季折々のこの庭を見てこそこの庭の神髄がわかるのではないでしょうか?

人はこの庭に何を見るのか? 訪れた人達はみなそれぞれの想いを持って石庭と向かい合っています。
特に外国の人達は真剣な顔をしてこの日本の神秘と対面しています。

この庭は季節毎に、また見る人の創造力により、それぞれの庭の姿を見せているのでしょう。

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2007年4月15日 (日)

京都 桜逍遥(雨宝院)


「花ざかり 梢をさそふ 風なくて のどかに散らす 春にあはばや」


西行 山家集

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知恵光院通上立売を西に入った所にある「雨宝院」の桜です。このお寺は「西陣聖天さん」として西陣の方々には親しまれているお寺です。ここの桜が今見頃です。

小さなお寺なのですが、その狭い境内に「歓喜桜」「観音桜」「松月桜」「御衣黄桜」等何本も桜が植えられています。その中で御室桜系の「歓喜桜」と「観音桜」が満開散り始め。
時たま吹く気まぐれな風にのって、花が舞い散る様子は「すごい!」の一言です。

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この境内は花の密度が濃く、花に酔ってしまいます。酔えば酔う程に花はその美しさを増し、心苦しい程の気持ちになります。

このお寺も近年多くの人が訪れるようになりました。ほんの3〜4年程前は、近所の人か噂を聞きつけた桜好きの人達が訪れる位だったのに、最近は「京の隠れた桜の名所」として取り上げられ、ツアーの方々も来られます。皆さん「こんな桜はじめてだ!」と驚嘆されてます。しかし境内が狭いので長居もできず、波のように訪れて、波のように去って行かれます。その後は、暫しの間昔の静かなお寺の戻ります。
「隠れた桜の名所」も少なくなって来ました。

緑かかった八重の花を付ける「御衣黄桜」は今週後半が見頃かと思います。その頃にまた再び訪れるでしょう。

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2007年4月14日 (土)

京都 桜逍遥(冷泉通)


「梢ふく 風の心は いかがせん したがふ花の 恨めしきかな」


西行 山家集

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岡崎から疏水に沿って冷泉通を東に向かう所にある「夷川発電所」の桜です。
土日の岡崎疏水べりは余りにも人が多く、ちょっと立ち止まって花を見るという雰囲気にはなれません。
しかし、ちょっと離れて冷泉通にはいると人も少なくなり、特に東大路通を西に越えると人静かになります。

蹴上から岡崎を越えてきた疏水はこの夷川発電所で一度堰き止められ、放水路から、再び勢い良く流れていく。その緑の流れのうえに、放水路の上の桜から白い花びらが舞い落ちて行ってます。しかし、疏水の水の色はなぜあんなに緑色をしているのかな?

この夷川発電所の堰止めたところで、昔は夏に「踏水会」が水泳訓練所(今で言うスィミングスクール)を開いていました。ある時期の京都の小学生にとっては懐かしい場所です。昔は疏水でも泳げていたのですよ! 私も1回行かされましたが何故かなじまなかったなぁ・・・。

京都のあちこちでソメイヨシノがほぼ満開を過ぎその花吹雪が舞ってます。桜の季節もあと1週間ぐらいかな。


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2007年4月13日 (金)

京都 桜逍遥(二条城 夜桜)


「月見れば 風に桜の 枝なえて 花よと告ぐる 心地こそすれ」


西行 山家集

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二条城が15日までライトアップされています。8時頃から夜桜を見に行ってきました。
日中は温かだったのですが、さすがに8時を過ぎると寒くなって来ます。しかし二条城の切符売場には多くの人達が並んでいます。皆さん夜桜を楽しみに来られています。
その中には案外多くの人が和服で来られています。このライトアップの期間、和服の方は無料となっているんです。

入城してしばらくは、行灯で照らされた道を桜園の方に進みます。夜間は二の丸御殿には入れません。そのまま、桜園に向かいます。暗闇の中に突然ライトアップの光が見えて来ます。桜園です。
桜園では、ソメイヨシノ系の花は盛りを過ぎて散りかけていますが、八重桜が満開です。その重たげな花が枝一杯に咲き誇っています。どの位置から見ても影ができるようにライティングされているので、遠近感が強調され、別の世界を眺めている様です。

そこから、本丸御殿の前を通り、清流園へ抜けて行きます。清流園で不思議な風景に出会いました。池の奥の桜がポツンと一本ライトアップされているのですが、その姿が池に写り今まで見た事のないような風景になっています。風でもあって池の水面が波打てば動きがでて別の風景になるのでしょうが、この時は風もなく静止した状態です。まわりは見物の人達の声もあるのですが、この空間だけは音も無く、時間が止まったような感じがします。『幽玄』の世界というのはこういう感じでしょう。

しばらく、この場所に立ち止まってじっとこの風景に見とれていました。その後、桜のトンネルや、紅枝垂を見て回ったのですが、先程の風景に圧倒され、その後は印象が薄くなりました。

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2007年4月12日 (木)

京都 桜逍遥(東本願寺前)


「なにとかく あだなる春の 色をしも 心に深く 染めはじめけん」


西行 山家集

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東本願寺の前の分離帯から見た景色です。今この分離帯の桜が満開です。京都駅から車で烏丸通を北へ上がると、すぐ目の前にひろがります。北行きの車線はこの分離帯により東よりと西よりの2つに分かれますが、西よりの車線の方が桜はきれいです。

はじめこの桜と東本願寺の御影堂門を撮ろうとしたのですが、御影堂の修復工事の建物が大きくはいるので、京都タワーが背景になりました。お寺や神社が背景の桜ばかりではなく、このような背景もいいものです。

京都タワーは山田守の設計で1964年に建てられました。高さは131m。建築当時、その奇抜な外観から賛否両論がおこりました。(大半は否定的でした。) 和蠟燭の形をしていると言われていますが、設計した山田氏は灯台としています。このタワーも建築後約40年たち、京都の風景にすっかりなじんできました。建築当時は異端でも、時代がたつとなじんできます。東寺の塔も建築当時は異端な風景だったと思います。
今、33年後に建てられた京都駅ビル(これも酷評されている。)とコラボレーションして、駅ビルの巨大なミラー壁面にその姿を写しています。これも美しい風景です。

今回はちょっと桜とは縁遠い話ですねぇ・・・・・。

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2007年4月11日 (水)

京都 桜逍遥(近所の桜)


「春ふかみ 枝もゆるがで 散る花は 風のとがには あらぬなるべき」


西行 山家集

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我家の近所の桜も、今まさに満開です。家から歩いて10分位の距離の範囲で気に入っている桜の風景をいくつか紹介します。

二条城の西側にある「美福通」です。二条城の周りは松の木が多いんですがこの美福通側だけが桜並木になっています。桜の頃、二条城の周りをジョギングしていて、この通りに掛かると足取りが軽くなります。桜から元気が伝わって来るようです。
今朝も、散歩やジョギングをする人達に桜の花びらが舞い降りています。

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「神泉苑」です。今年は京都市が発行している「京都さくらマップ」というパンフレットに突然桜の名所として載っていました。昔は地元の鄙びたお寺(神社?)だったんですけど。苑内に料亭が出来て、龍頭船が池に浮かんだり、夜にライトアップされたりして訪れる人も多くなりました。
池の東側に大きく水面に張り出した桜があり、その花が池に写るときれいです。
(今年はなぜか池に張り出した枝のみまだ開花してません。)

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「JR二条駅前」の枝垂桜です。二条駅が建て替えらてから移植された桜です。(しかし、旧二条駅は良かったなぁ!)。この桜は円山の枝垂桜の子供にあたる桜です。十六代目の佐野さんが植えられました。
まだ、若いため花数は少ないですが、将来が楽しみな桜です。きっと、二条駅のシンボルになるでしょう。

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新町六角にある「逓信病院の桜」です。この病院は昔どこかのお屋敷跡(三井家だったかな?)に建てられたものだから、院内の庭に桜の木が多くあります。その中でも正面入口にあるこの桜はひときわ立派です。六角通から見ると見とれてしまいます。
友人の話で不確かですが、この庭のどこかに「信長の首洗いの池」といわれる窪地があるそうです。そういえば信長が殺された本能寺はこのすぐ西です。

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六角神泉苑通にある「光明寺」の桜です。このお寺は道に面した所は幼稚園になっているのですが、その運動場になっている所の桜が見事です。そんなに大きな木ではないのですが、花数が多く目立ちます。
それにこのお寺、桜の季節の間、一週間だけライトアップします。今年は8日までやっておられました。その期間、夜会社からの帰り道、この明かりが遠目に見えて来るとホッとします。

その他、壬生寺の桜やら、洛中小学校の桜やら、武信神社の桜やら色々あります。有名な桜ではないですが、眺めて歩く事を思うと、通勤の足取りも軽くなります。

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2007年4月10日 (火)

京都 桜逍遥(円山公園)


「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あらた桜の とがにはありける」


西行 山家集

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京都の桜と言えばまず一番に挙げられるのが「円山の枝垂桜」。正確には「一重白彼岸枝垂桜」。
京都の春のポスターや写真等に必ず載っている。しかし夜桜が多い。
この桜、夜桜でライトアップされている時はあまり判らないが、昼間みると大分痛んでいる。
かわいそうな位痛んでいる。

昼間の写真は昔のものが多い。2000年頃までは枝振りも大きくひろがり、また枝垂れた枝も長く全体に広がり形の良い桜であった。本当に日本を代表する桜だった。
しかし、2000年以降は毎年、どこかの枝が折れたり、また病気等で切り取られたりして、形が大きく変わってしまった。ここ3〜4年程は真ん中部分が大きく空いて、昔の面影が想像できないくらいになっている。

円山の桜としては、この桜は2代目で昭和の初めに桜守の15代佐野藤右衛門氏によって育成されてきたものを、昭和24年にこの場所に植栽された。樹齢としては80年くらいである。

それにしても痛み方がひどい。何故なんだろう?。よくこの木に烏が巣をかけているがそのせいなのだろうか?。もし、それが一つの原因なら、烏としてもえさのある所に集まって来るのは当然のことで、やはりゴミを散らかす我々人間にその責任はあるのだろう。悲しい事である。

この桜の血筋を引く桜は、京都のあちこちで見るし、佐野さん所でも育っているし、血筋が絶えることはないと思うが、さてこの桜をどうするのかというのは問題である。
幸い、花数や花の勢いは衰える事なく、せいいっぱい咲いている。やはりこのまま見守るしかないのかなぁ・・・。できれば、私の見られる間は、この桜を見続けていたい。

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2007年4月 9日 (月)

京都 桜逍遥(嵐山 小倉山)


「いざ今年 散れと桜を 語らはん なかなかさらば 風や惜しむと」


西行 山家集

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古より桜の名所として有名な「嵐山の小倉山」です。山のあちこちで山桜が咲き、花の白と若芽の薄紅、そして常緑の濃い緑とが絶妙の色合いを見せています。ふもとを流れる大堰(おおい)川も春の陽の光にキラキラと輝いています。

この日(8日)は久し振りの晴れた日曜日で、桜を求めて嵐山の周りはものすごい人出でした。桜もその期待に応えるように満開となり、中之島から渡月橋辺りは、花と人で埋まっていました。

しかしちょっと中心地から離れると、人混みもなくなり突然塀越しに立派な桜に出会ったりします。
さすが嵐山!

今日も清涼寺へいくまでに裏道で2〜3本見とれてしまう様な桜に出会いました。

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2007年4月 8日 (日)

京都 桜逍遥(まとめ読み)

「京都 桜逍遥」まとめて読むのにカテゴリーを見つけにくい・・・・
との苦情(笑)をいただきましたので、ここからまとめ読みが出来るようにしました。

尚、「桜逍遥」は書き終えましたが、この記事はしばらくトップに固定しておきます。

こちらからどうぞ!!!

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京都 桜逍遥(六角堂)


「初花の ひらけはじむる 梢より そばへて風の わたるなりけり」


西行 山家集

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烏丸通六角を東に入った「六角堂」の紅枝垂桜です。この桜、紅の色調が大変良く、形は支柱が多く入り下から見上げると桜の傘のように見え、またちょっと離れてみるとまるで桜のUFOのように見えます。
しかし、美しい桜です。満開となったのは2〜3日前位だったと思われ少し散りかけていますが、一見の価値がある桜だと思います。

人によっては、この作為的な姿を嫌う人もいるかもしれませんが、都会の真ん中でビルに囲まれた中に咲く桜としては、この場所の雰囲気に非常にマッチした桜です。

六角堂は寺伝によると、聖徳太子の頃からのお寺で、京都のへそにあたるお寺とされています。(実際「へそ石」とされるものが寺内にあります)。その本堂は「六角宝形造」で造られ、見事に六角形をしています。
京都の町衆にとっては、上の「革堂」とこの「六角堂」は、何か問題が起った時の、協議の場でもあったらしく町衆の拠り所の場となっていました。またこの地は華道の池坊流の発祥の地でもあります。

池坊の拠点にある桜のせいかもしれませんが、都会的な美しさと桜本来の美しさを両有する不思議な桜です。

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京都 桜逍遥(下鴨疎水付近)


「山桜 枝きる風の 名残りなく 花をさながら わがものにする」


西行 山家集

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松ヶ崎の浄水場から下鴨の住宅地の間を通って流れている下鴨疏水(正確には第二疏水分線)。この両岸にはソメイヨシノの並木が続いています。この桜が今満開。

明治の時代、京都の産業振興を目指し作られた疏水。その両岸は建設当時から、多くの桜が植えられていました。疏水が作られて約100年たち、その桜も大きく育ち、疎水沿いは桜の名所となっています。
琵琶湖側から、「山科疏水」「蹴上のインクライン」「岡崎」「鴨川沿い」、北へ上がって「哲学の道」と続きます。しかし、この「下鴨疏水」はまわりに観光地もなく住宅地の真ん中を通っているため、もう一つ知られてません。その分地元の人達に愛されている桜です。

高校時代、友人の家がこの付近に何軒か合ったため、よくこの桜並木の下を走り回っていました。その頃から不思議に思っていたのですが、この疏水、ルートを考えれば、高野川と賀茂川を越えているんですね。その辺に導管が見える訳で無し、川の地下を通っているのでしょうか?
確か昔は、下鴨から鴨川を越えて紫明通を通って堀川まで続いていたと覚えてます。今はその跡もありません。私の中ではまだ謎のままです。

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京都 桜逍遥(植物園)


「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり」


西行 山家集

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植物園の紅枝垂桜です。園内中央の芝生広場の北側に一本だけ離れて植えられています。植物園へ桜を楽しみに来られる人達は、正門から正面に見える桜園の方へ行かれる方が多いので、この桜の周りは案外静かです。

この桜は円山の枝垂桜の姪にあたるそうですが、ちょっと花の色が違います。円山のよりもうちょっと紅がつよいかな。姪というから女桜でしょう・・・。この桜は樹齢50年位だそうです。女盛りにはいるちょっと前。10年位たつともっと良くなるでしょう。

円山の桜の親戚筋にあたる桜は京都に何本もあります。いずれもまだ若い桜が多いですが、30〜50年位たてば立派な桜になると思います。見られるかな・・・。そうなると京都の桜地図が塗り変わると思います。

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2007年4月 7日 (土)

京都 桜逍遥(妙顕寺)


「散りまがふ 花の匂ひを 先立てて 光を法の むしろにぞ敷く」


西行 山家集

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小川通寺之内を東に少し行った所にある「妙顕寺」です。
この堀川寺之内付近は隠れた桜の名所が集まっています。堀川通りの東側には前回までに紹介した、「火水天満宮」「本法寺」そしてこの「妙顕寺」。西側には「雨宝院」があります。
桜好きにとっては、はずせない地域です。

このお寺の桜はソメイヨシノが主ですが、満開の頃は、お寺全体が桜の花に埋もれてしまうようになります。サクラ、サクラ、サクラ・・・・。

この写真はお寺の東端にある「石塔」にかかる桜です。この石塔案外大きなもので、その最下層の部分に仏様が彫られています。
見た感じ、そんなに古くはなさそうですが、(古くないといっても江戸初期くらいかなぁ?)素朴な感じの仏様です。

このお寺のどこかに、あの「雁金屋」のお墓があるそうです。そう、あの尾形光琳、尾形乾山の兄弟が眠っているらしいです。いつも展覧会等でお世話になってるお二人ですが、桜が待ってくれませんので、お墓参りはまた今度。

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京都 桜逍遥(本法寺)


「今日のみと 思へばながき 春の日も 程なく暮るる 心地こそすれ」


西行 山家集

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小川通寺之内にある「本法寺」の桜です。このお寺は長谷川等伯の「釈迦大涅槃図」、本阿弥光悦の「三つ巴の庭」がある事で有名ですが、仁王門や本堂等の文化財も多数あります。しかし、訪れる観光客も少なく落ち着いたお寺です。

この桜は、裏千家の今日庵に面した仁王門の側にあるソメイヨシノです。久し振りの青空に、白い花が鮮やかです。枝垂桜が散り始め、次にソメイヨシノが満開の頃を迎え出しました。

京都の街中が桜に埋まる季節となりました。

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2007年4月 6日 (金)

「近世 都の工芸」 京都文化博物館

京都の凄さを再認識させられた展覧会であった。何も京都が一番という気はないが、やはりこの街に根付いている伝統の重み、永年蓄積された美意識、それらは他の街ではなかなか見られないものである。日常そのような事は余り気付いていないが、あらためてこのように見せつけられると、この土地で生まれ育った事が良かったと思える。

Img_kinnse794年に平安の都が築かれてから明治に入り東京へ移るまでの約1000年間、この地は色々と体制は変わったが、政治の中心の一つであった。それはまた、この地が権力と結びついた宗教の中心であったことでもある。権力と宗教の集まった所には、情報と富が集まって来る。そのような環境の中で、権力者階級において熟成された美意識はゆっくりと庶民にも広がり、それが近世、消費が拡大するにつれ大きく花開いて行くことになる。

今回の美術展で面白かったのは、光悦、仁清、光琳、乾山等の大家の作品ではなく、名もない職人達の作品や、生活や街の様子を示した資料。(光悦、仁清等の作品がつまらないということではなく、過去に何回も見たものが多かった。)

Img_bigまず、展示室にはいって目についたのは「洛中洛外図屏風」(狩野孝信)。
洛中洛外図屏風は今まで多くの作品を見て来たが、これは初見。この屏風の特徴は、店や通りの様子が主題である事。右雙は祗園社から五条大橋(今の松原橋)までの様子。左雙は内裏から南の様子(新町通か室町通かな?)。画像は部分で左雙の1扇、2扇。

南蛮人がふらふらとそぞろ歩きをしているし、それを見て子供達が後を追いかけている。店口では呼び込みの女達が客の応対をし、道行く女達は嬌声をあげている。今の繁華街の様子と基本的には変わっていない。
洛中洛外図とか絵巻とかは好きな画題である。昔の人々、特に庶民の生活が描かれたものは理解しやすく、生活をかいま見るようで興味が尽きない。その頃の街のざわめきが聞こえて来るようだ。

Img_mise続いて、「職人尽図」。この画題の絵も色々ある。この歴博本は全部で12枚の構成。今回展示されているのはその内の8枚。江戸初期の京都の職人の様子を克明に描いている。当時の生活を知るのには絶好の資料。

画像はその内の「向縢師(ムカバキ)」。向縢師とは皮細工師のことで、武士が馬に乗るときにはく乗馬ズボン(覆い)を毛皮で作る職人。この時代、デザイン的にも派手なものが好まれたようで、店先に飾ってあるものには色鮮やかなものが多い。毛皮も虎の毛皮が飾ってある。この時代でも大層高価なものだったろう。今で言うブランド品かな。
この頃になると、海外からの製品も一部の特権階級だけではなく、一般人でも手にはいるようになっていたことがよくわかる。

今回展示されている、8枚の「職人尽絵」を見ていて感じる事は、女性が多く働いている事である。「向縢師」「機織師」「型置師」「扇師」「檜物師」「畳師」等、職人とよばれて働いている人々の半分は女性である。この時代、家内制手工業が盛んになって来て、職人とよばれる職業が多くの分野で確立した。その半分近くが女性であったということは、特筆に値する事である。描かれている女性のなんとバイタリティにあふれていること。

また、江戸時代の京都で刊行された「京雀」等の町案内図書が展示されていた。今で言う「タウンページ(職業別)」です。
思わず、我家を捜しましたね。我家は江戸時代薬屋だったそうです。残念ながら載っているのかいないのかわかりませんでした。

この資料類は、この頃から色んな職業があったのがわかるし、またそれが旧市内に広くひろがっていた事がわかる。これはおもしろかった。
この頃の京都は、政治、宗教の中心地であると同時に、商業、工芸の中心地でもあったことが実感できた。

チラシにあるように、光悦、仁清、光琳、乾山等の作品や漆器、着物、京焼等の名品も多く展示されており、歴史的な資料類も多く展示され、非常に興味深く見られた展覧会であった。

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京都 桜逍遥(水火天満宮)


「ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ」


西行 山家集

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堀川寺之内を上がった所にある「水火天満宮」の枝垂桜です。水火天満宮は名前の通り、水難火難の厄よけとして有名です。平安時代、醍醐天皇が左遷した菅原道真の霊を慰めるため、祈祷を行ったところ、鴨川の水が氾濫して道真の霊が現れたとされる「登天石」が境内に安置されています。

もともとこの神社は、現在の位置より堀川通を隔てた西側にあったのですが、堀川通の拡張にともない昭和になってこの地に移されました。そのためこの桜もまだ若い桜です。

そんなに大きな桜ではないのですが、枝垂れた枝が、優雅な曲線を描いており、こんもりとした形で、優しい女の人の雰囲気がする桜です。

この桜を訪れたのは、2日前でしたが、時折風が強く吹く日でした。咲き乱れる紅い花を付けた枝が、時折吹く風に大きく流されていました。それでもまだ花は散っていません。
いっしょに見ていた近所の方が、「今年は花が長いですねぇ」と言われてました。

今週一杯は見頃が続きそうです。

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2007年4月 5日 (木)

京都 桜逍遥(上賀茂神社 御所桜)


「花ときくは 誰もさこそは うれしけれ 思ひしづめぬ わが心かな」


西行 山家集
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やっと上賀茂神社の桜が咲き出しました。咲いたといっても「御所桜」だけですが・・・
「斎王桜」はまだ蕾みです。もう少し早く咲くと思っていたのですが、思いのほかの花冷えと悪天候により遅れている様子です。

この「御所桜」は由緒板によると、斉明天皇が上賀茂神社のの社家さんである蒋池さんに下賜され、それを蒋池さんが明治6年に奉納したものらしい。おおよそ樹齢は140年位でしょう。
なぜか、上の方が切られている。そのためちょっと形がいびつに見えます。

広い上賀茂神社の芝生の中に白い玉砂利と「御所桜」の白い花が美しいコントラストとなっている。向こうにある鳥居の朱色が目にしみます。

桜の後は、「神馬堂」へ寄り、焼きもちが焼けるのを20分ほど待ち、熱々を頬張って帰りました。

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2007年4月 4日 (水)

京都 桜逍遥(本満寺 紅枝垂)


「風さそふ 花のゆくへは 知らねども 惜しむ心は 身にとまりけり」


西行 山家集

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寺町今出川を上がったところにある「本満寺」の紅枝垂桜です。今、満開です。
この桜からは勢いの様なものを感じます。まだ若い桜の様です(枝垂桜の50年未満はまだ若い樹と思う)。そのためでしょうか、花から、はつらつとした気を感じます。
見ていて気持ちが高揚して来ます。

この桜は最近ブログ等で知られるようになりましたが、まだ訪れる人も少なく、じっくりと眺められます。
境内の一角にある桜なのですか、これが本格的に散り出したら、この一角全てが桜の花びらで埋め尽くされるでしょう。足を踏み入れるのがためらわれる様な感じになるでしょう。

樹も大事に育てられてる見たいです。こういう桜を見ると嬉しくなります。

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2007年4月 3日 (火)

反省!!!

3月分のBlogを見ていて、はたと気付いたことがある。
美術関連の記事が一つもない!!
確かに、3月は会社の年度替わりや、ボランティアの団体の引継ぎや、台北への旅行なんかでバタバタしており、桜も予定寄りも遅れたりして、忙しかった。
しかし、ちょこちょこと美術展や展覧会には時間を作って行っていた。
しかし、書くまでは余裕がなかった。
反省します!!
もう、終わった美術展もあるが、あらためて書きだします。

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京都 桜逍遥(地蔵院 枝垂桜)


「風越の 峯のつづきに 咲く花は いつ盛りとも なくや散るらん」


西行 山家集

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JR奈良線に乗って、井手町にある地蔵院の枝垂桜を見に行きました。この桜は京都府の天然記念物に指定されており、祗園円山公園にあった先代の桜と兄弟桜になるといわれているものです。由緒案内によると寛永5年(1728)に植えられたそうで、樹齢は約270年になるそうです。

玉水駅で降り、玉川の桜並木が続く堤を山の方へ向かいます。ちょうどこの日は「桜祭り」をやってられ、お寿司やのり巻きを売る屋台があちこちに並んでいました。しばらくすると川と分かれ、山の方への昇り坂となります。その辺りから山の中腹に桜が見えて来ます。
15分程掛かり、階段を昇りきると地蔵院です。境内の鐘撞堂のそばに目的の桜がありました。
立派な桜です。山背の国一番の桜と言われるのがわかります。花は満開です。

桜の周りをグルーッと廻り下から眺めると、天気がもうひとつの曇り空の中へ黒々とした幹を引っ掻くように伸ばしているのがよくわかります。白い花々が枝からしたたるように下がっています。ちょっと、老獪な感じのする桜です。芦雪の「山姥」の画を思い出します。

しばし、桜を眺めているとポツポツと雨が落ちて来たので、名残惜しかったですが駅の方へ戻りました。

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2007年4月 2日 (月)

京都 桜逍遥(一ノ船入)


「桜咲く 四方の山辺を 兼ぬるまに のどかに花を 見ぬ心地する」


西行 山家集

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木屋町二条にある高瀬川一ノ船入の桜です。木屋町通の桜は毎年一斉にパーッと咲きますが、ことしは何故か不揃いに咲いてます。満開の桜があると思うと5分咲の桜があり。バラバラという感じです。
この一ノ船入の高瀬船の前は、この桜だけが満開でした。

木屋町も、御池通の上(北側)と下(南側)とで、雰囲気が異なります。下側は若者の街という感じですが、上側はしっとりと落ち着いた感じです。この一ノ船入あたりの「島津創業記念資料館」の前で祗園祭のとき中御座の神輿が休憩し、神輿弁当を食べます。

ちょっと桜の話題とははずれましたが、もう少し時が過ぎ、高瀬川に桜の花びらが舞い落ちて流れ出すと、桜の風情を感じられる場所となります。

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2007年4月 1日 (日)

京都 桜逍遥(平野神社 魁桜)


「わきて見ん 老木は花も あはれなり 今いくたびか 春にあふべき」


西行 山家集

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衣笠の平野神社も桜の名所です。特に夜桜が有名です。境内に桟敷等も作られ、提灯のした、毎夜宴会が行われています。私も以前行ったことがありますが、あいにくその時は花冷えのする夜で、だれもコートを脱がずに酒を飲んでいました。

上の写真はこの神社で有名桜の一つに挙げられる「魁桜(さきがけさくら)」です。相当の老木らしく、その幹の中心は腐ってありません。外皮だけで立っている状態です。しかし、健気に白い花を咲かせています。毎年、今年が最後かも知れないと思い、この桜を見に来てます。

境内のその他の桜は、一部の早咲きの品種を除いては、5分咲き位です。特に西大路通り側の境内(宴会を行う所)は来週頃が宴会頃かと思います。

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