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2007年4月23日 (月)

「嵯峨大念仏狂言」

春には京都の念仏狂言が全て行われる。その第一弾として、もう終わってしまったが、4月8日〜9日に嵯峨清涼寺で行われた「嵯峨大念仏狂言」を見に行ってました。

Img_1101嵯峨狂言は壬生狂言と同様に鎌倉時代円覚上人によって始められたもので、その内容および様式も壬生狂言と同じである。もともとは円覚上人の徳を慕って集まって来た群衆に対して、上人が仏の教えを説明するのに身振り手振りとしておこなった仕草が始まりと説明されている。

円覚上人は奈良唐招提寺に関係する僧であり、念仏狂言を始めるにあたり、奈良の大神(おおみわ)神社に伝わる鎮花祭の様式を取入れ、鉦を打ち鳴らし踊りながら念仏を唱える形式で始めたらしい。それが、近世になり、猿楽、能等の影響を受け、レパートリーも増え、面を着け、芸能として演じられるようになった。

Img_1106嵯峨狂言と壬生狂言は元が同じでも、演目をみると少し異なる。嵯峨狂言には、現在壬生狂言では演じられていない演目が残っている。その内「百萬」は能からつくられた演目であり、嵯峨清涼寺の念仏会を題材とした物である。その頃からここの念仏会は盛んであった。

Img_1130今回見て来たのは「愛宕詣」。この演目はやはり関連深い嵯峨で見たい。
嵯峨狂言は清涼寺の境内にある狂言堂で演じられる。壬生狂言や神泉苑狂言は。狂言堂と目線が同じ位置にある観覧席から眺めるが、ここは狂言堂の下から見上げる形となる。近所のお年寄り、清涼寺へ来ていた観光客などが三々五々集まって来る。なんかのんびりした感じ。混み合う壬生さんなんかとはちょっと雰囲気が違う。椅子が満席になれば、横の鐘楼に腰掛けて眺めている。

Img_1135「愛宕詣」は愛宕さんに詣でた旦那が、帰りに寄った茶屋で、同じように休んでいる母娘の姿を見、その娘の姿に人目惚れ。お供になんとか話をつけさせ引き合わせさせて、さて、そのカムリを取れば娘の顔は二目と見られぬもの。旦那はあわてて逃げ出すし、娘は怒って旦那を追いかける。

念仏狂言で言う「ヤワラカ物」。念仏狂言はこの「ヤワラカ物」にその真骨頂がある。勧善懲悪、私利私欲、合縁奇縁に因果応報。庶民の考えている事のおかしさ、ずるさ、たのしさがユーモラスな動作と「カンデンデン」の単調な音にのって伝わって来る。

桜満開の頃(4月8日は今年一番の花見頃でした。)、明るい春の日差しの下、ゆるりと楽しい時をおくれました。

*嵯峨清涼寺念仏狂言
3月15日  
4月 第一日曜日、第二土曜日、第二日曜日
10月 円覚上人命日に近い日曜日
嵯峨清涼寺 狂言堂

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