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2007年4月29日 (日)

「ギメ東洋美術館浮世絵名品展」 大阪市立美術館

大阪市立美術館で開催されている「ギメ東洋美術館所蔵浮世絵名品展」へ行って来た。
19世紀後半から20世紀初頭にかけてヨーロッパにおいて日本美術のブーム(ジャポニスム)が起こり多量の美術品が海を渡った。その中にはもちろん浮世絵の名品が多く含まれている。それらの浮世絵がゴッホ、モネ、ドニ等の有名な画家達に大きな影響を与えた。同時にヨーロッパに浮世絵の膨大なコレクションが出来上がった。その中心となるパリの「ギメ東洋美術館」、その所蔵する190点が今回里帰りした。いずれもが名品。保存の状態も良く見応えが有る。

Img_guime1その中から、目に付いた浮世絵を時代順に。

まずは、鈴木春信(1720〜1770)から。これは「風俗四季哥仙 竹間鶯」。

春信の頃から、今まで墨摺に手彩色で作成されていたのが、多色摺の版画の「錦絵」となっていく。しかし使われている色は、黒、紅、緑の3色が多い。

春信の女性はかわいい女であり、中性的な感じがする。細手でナヨッとした感じ。まだ世間ズレしていない清楚な感じ。
そんな女性が、春まだ浅き頃鶯の声に誘われて川べりに出て来たという風景。
この頃の浮世絵はまだ情景の中の美人を描く状態。人の心をとらえてはなさない様なな力強さは見いだせない。

Img_guime2これは、鳥居清長(1752〜1815)の「十體画風俗 狆をひく姫君」。
清長は浮世絵の本流から出て来た浮世絵師であり、菱川師宣、鈴木春信らの系統をひき、歌麿の人気が出るまでは美人画の第一人者であった。
清長の美人画は8頭身の美人画として有名で、なるほど見事なスタイルをしている。今の時代に持って来てもトップモデルとして充分通用する。胴長短足だと言われて来た日本人、やはり江戸のこの頃からあこがれているものは同じだったのだなぁ。

展示されている清長と歌麿の美人画の顔付きは非常によく似ている。一見見分けがつかない。あえて言うなら歌麿の方が細面かな。それと唇の描き方が違う。歌麿は少し唇が開いたような形になっている。
美人画の顔付きはそれなりに浮世絵師によって特徴があるのだが・・・。
しかし、この二人の美人画の顔付きがその後の美人画の基本となっていったことがよくわかる。

Img_guime3これが喜多川歌麿(?〜1806)。「美人気量競 兵庫楼 雛琴」。
歌麿を語る時、その後ろにいる「蔦屋」という版元ぬきには語れない。新興の版元であった「蔦屋」は歌麿を見いだし、清長に対抗するため大首絵を描かした。大首絵は上半身をクローズアップし、より本物らしく、より肉感的に美人を描き出した。清長なんかと比べると着物の模様や周りの風景は大胆にデフォルメされたり描かれなかったりしており、女の肌の白さや、柔らかさが強調されている。
これに当時の江戸の好き者達は飛びつき、歌麿は一躍美人画の第一人者になった。

今回10枚程の歌麿の大首絵が出展されているが、その中で気付く事に、彼の描く美人達のうなじの線の美しい事。抜き襟気味の襟元からスラーッと伸びるうなじ、そして結い上げられた髪の毛。この線が見事である。ぞくっとするような色気を感じる。
今回、大首絵だけでなく風俗や道中の様子を描いた絵も出されており、いずれもが歌麿の高度な技量を示している。これもまたすばらしい。


Img_guime4「蔦屋」の第2弾として出て来たのがこの「写楽」。
「2世瀬川富三郎のやどり木」。
写楽は寛政6年(1794)こつ然と現れ、約140枚の浮世絵を残し、10か月後に姿を消した。その正体を探る事が、明治以降行われたが、最近は阿波の国の能役者斉藤十朗兵衛とする説が有力。

今回写楽の浮世絵は、11枚展示されている。大首絵が7枚、役者の全身像を描いた絵が2枚、版下絵が2枚。大首絵の7枚はやはり蔦屋がプロデュースしたものだろう。歌麿の夢よもう一度という感じかな?

写楽の役者絵どれを見てもけったいな顔をしている。写楽なりのデフォルメはされているだろうが、実際とは大きくは異なっていないだろう。特に左図の富三郎は当時でも「いや富」「にく富」と呼ばれていた。そんな感じの顔してる。当時の薄暗い歌舞伎小屋では隠せ通せても、こう白日の下にさらされたら、役者としても立つ瀬がない。庶民は喜んでも、役者や小屋主にはたまったものではない。その反目が更に写楽の人気を高めたのだろうと思う。大衆は常に判官びいきなのだ。

写楽はそういう意味で正直な絵を描いた。雲母摺の背景(雲母の粉を混ぜたインク)に描かれたこれらの絵、惹き込まれる魅力が有る。

Img_guime6これは葛飾北斎(1760〜1849)の肉筆画で今回話題となっている「龍虎図」。

昨年、ギメ東洋美術美術館で行われたギメ所蔵の浮世絵調査において東京の太田記念美術館(原宿にある浮世絵専門の美術館)が所蔵する「(雨中の)虎図」とギメの所蔵する「龍図」の2点の北斎の作品が一対のものであることが発見された。並んでみると、この戦いは「龍」の勝ち。八の字になって黒雲に浮かぶ龍の眼の迫力。これは相当な物。龍だけが海外へ高値で売れた訳も納得する。

北斎は「富嶽三十六景」の印象が強いが、本質的には非常にエキセントリックな絵を得意とする浮世絵師。また、多くの古来からの画風を学び、また西洋版画の画風なども取入れ、それを自分なりの感覚で組み立てて行った努力と才能にあふれた人。宗達以来の天才ではないかと思う。ヨーロッパの画家達が驚いたのもうなずける。

そういう意味で、どの絵を見ても驚きと感心が入り乱れる。美人画を描かしてもうまいし、風景画をかかしても斬新だし、花鳥風月どれをとっても良く観察している。また、この人の「お化け」はたのしい。今回も「百物語」が2枚来ていたが、これ一度全部見たいなぁ。

Img_guime5最後は歌川広重(1797〜1858)の「月に雁」。

我々の世代には切手の図柄で有名な浮世絵である。満月を切り裂くように斜めに降りて行く雁3羽、縦長の画面に大胆な構図で描かれている。このような飛ぶ鳥を描いた絵に、長沢蘆雪の「富士越鶴図」を思い出す。あの構図も大胆だった。この2つの絵が飛ぶ鳥の姿を描いた物としては白眉である。

このころから、浮世絵に新しい色が使われるようになった。「べろ藍」と呼ばれる顔料である。このインクはヨーロッパで造られた合成顔料で明るい発色が特徴である。これにより浮世絵が更に立体感を持ち、また表現も豊かになった。
当時はまだ高価であったこの顔料をつかい、「広重ブルー」と呼ばれる、美しい風景画が描かれたのである。

左図でもその「広重ブルー」が効果的に使われている。全体に使うのではなく、雲の狭間に塗る事により、秋の澄み切った夜空を飛ぶ雁の孤独さ、そして清冽さを良く表している。
しかし、このような絵を見ると、広重は浮世絵の範疇をこえていますな・・・。

約180点どれもこれも見応えの有る物ばかりで、感動したり、勉強したり、喜んだり最後にはクタクタになってしまった。しかしこれらが日本を離れているという事実は(大量に刷られた浮世絵だから日本のどこかに有るのかも知れないが)残念な事である。

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コメント

わたしも楽しんでまいりました。
初期の浮世絵がたくさん出ていましたね。あまりよく知らないので、こういうものだったのかと思いました。

 龍虎図はテレビでちょっと見ていたのですが、実際にみるとすごい迫力でしたね。見入ってしまいました。
 
 昔々、パリに行ったとき、パリまで来て東洋はもういいやと、ギメ美術館に行かなかったんですが、もったいないことをしたと今になって思います。

投稿: はたこ | 2007年4月30日 (月) 00時13分

はたこさんへ
展覧会で初期の浮世絵を見た時、わたしは「大津絵か!」と思ってしまいました。(笑)しかし、だんだん見て行くうちに興奮しましたね。
昔、パリのギメに行ったときは、日本のものは少なかったですよ。狩野派の屏風と、仏画関係とそして仏像・法具なんかが有りましたね。浮世絵も展示はありましたが少なかったと記憶してます。それより、アンコールワット等のクメール関連が面白かったですよ。(なんせ20年くらい前の話です。)

投稿: 好日 | 2007年4月30日 (月) 00時34分

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