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2007年5月 2日 (水)

「千本えんま堂大念仏狂言」 

千本鞍馬口にある「千本えんま堂」。そこで5月1日より「大念仏狂言」が始まったので見に行って来た。
京都に伝わる四つの念仏狂言といえば、「壬生念仏狂言」、「神泉苑念仏狂言」、「嵯峨釈迦堂念仏狂言」、そしてこの「千本えんま堂念仏狂言」。前の三つは同じ円覚上人が鎌倉時代に始めたもので、演目も似ているし、また演目全てが無言劇。そして「カンデンデン」のお囃子がすべて入る。それらと異なりこの「えんま堂狂言」は始まりが平安時代と考えられており、一時途絶えたが鎌倉時代に再興されたとされている。この狂言の特徴は、セリフがはいること。よってセリフのはいる演目にはお囃子が入らない。そのような点で、能楽堂で行われる、能・狂言の影響を色濃く受けている。

Img_1733舞台は本堂の横に造られたもので、能楽堂とおなじように鏡板の部分に松を描いた幕が張ってある。その他の狂言堂にこれは無い。その幕の寄贈者が国立劇場となっていたのには驚いた。
壬生、神泉苑、嵯峨は狂言堂で行われるため、橋懸かりの前に「飛び込み」といわれる観客からは見えない空地があり、「土蜘蛛」等の演目で鬼が飛び込み姿を消したりする部分があるが、ここには無い。

観客は、地面の椅子に座って観劇する。午後7時近くになると、皆さんはやく御飯を食べてぞろぞろと集まって来る。
雨が降らなければよいのだが・・・・。

Img_1747最初の演目は「閻魔庁」。この演目は、公演の一番最初にいつも演じられるもの。そのせいか、「カンデンデン」のお囃子が入る。
筋書は、「閻魔庁に鬼に連れられて亡者がやってくる。鬼は亡者をいじめるが、亡者が持っている不思議な巻物の力により負かされる。その巻物を閻魔法王と帳付(記録係)に見せると、そこにはこの亡者が善人であることが書いてある。そこで鬼を懲らしめ、この亡者を地獄から解放するよう命じ去って行く。鬼は再び亡者をいじめようとするが、やはり巻物に負け、亡者を極楽へ案内して行く。」
閻魔法王への感謝を表す演目で、「えんま堂」固有のもの。

鬼と亡者のやりとりが面白い。筋書を知らしめる為の念仏狂言独特のオーバーなアクション。
無言劇と思ってみていると、突然、打ち据えられた鬼が「ぎぇ〜」と声をあげて、びっくりさせられる。
しかし、閻魔さんの顔、本堂に安置してある閻魔法王像よりこわそう。地獄には行きたくないなぁ。

Img_1780これは「花盗人」。お囃子はなく「セリフ」のある狂言。
「大名が太郎冠者を供に連れて、花くらべに来るが、肝心の花を忘れて来る。そこで、太郎冠者に花を調達するよう命ずる。そこへ花で一儲けを企む悪人が来、太郎冠者はこれさいわいと花を得ようとする
が逆に小刀を取られてしまう。もう一度今度は大刀を持って花を得ようとするが、再び刀を奪われる。大名と太郎冠者は刀を取り戻そうと悪人を取り押さえるが、太郎冠者の失敗で花も得られず、刀も奪われてしまう。」というお話。

壬生系にも同じ演目がある。壬生系の方は旦那風の設定となっているが、こちらは大名。またセリフがあるため、細かい所が省かれている。しかし、どちらもお供の太郎冠者の性格が面白い。まじめそうでどこか抜けてる感じが笑いを誘う。今の世でも、こういう感じの人はいるなぁ。
このような演目を見ると、壬生系とえんま堂の違いがはっきりとでる。壬生系は泥臭い感じがするが、えんま堂の方が高尚な感じをだそうとしている。
念仏狂言としては、壬生系のほうがなじむなぁ。

寺内に咲く「普賢象桜」がまだ花をつけていた。この桜の縁で「えんま堂狂言」は足利義満から扶持米を与えられてたと言う。そういう意味でも、この狂言は幕府に近く、能・狂言とも近かったのだろう。

花も見られたし、狂言も見られたし、天気だけが心配だったが、楽しめた狂言だった。

*千本えんま堂狂言(千本鞍馬口下がる西側) 無料
  5月1日〜4日(1日・2日は夜のみ 7:00から、3日・4日は午後1時からと夜7時から)
*神泉苑狂言(堀川御池から西へ200m) 無料
  5月1日〜4日(1・2・3日は午後のみ、4日は午後と夜)

  

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コメント

まだ、念仏狂言は見に行ったことないですが、
もともと、えんま堂の狂言は無言劇でこちらが
本元だとか。
今は台詞付になってしまったので、壬生寺の方が
有名になったという話でした。
そういえば、ご近所、神泉苑には行かれないのですか?

投稿: kodama | 2007年5月 3日 (木) 01時25分

kodamaさんへ
えんま堂の念仏狂言については、詳しい資料が手に入らず、どの様な過程で今の様な狂言になったかわかりません。ただ、演目の内容からみて、壬生・嵯峨系とは異なると思います。どちらが元かはわかりません。
神泉苑ですが、29日の準備から始まり暇を見つけて参加していますが、順番は最後になりそうです。
もうすぐアップしますので、よろしく。
念仏狂言、一度見に来てください。今、つつじが奇麗です。

投稿: 好日 | 2007年5月 3日 (木) 23時28分

つつじ、いいですね。桜の頃に行けなかったのが残念です。
↑の話は、「洛中洛外図屏風のなかの芸能世界」コンソーシアムの科目で立命の講師の話だったと思います。
確か、発祥はえんま堂だったと思います。
暇なときに、資料をひっくり返してみます。

投稿: kodama | 2007年5月 4日 (金) 23時39分

kodamaさんへ
上杉本「洛中洛外図屏風」に描いてあるのは、確かに「えんま堂狂言」です。でも、その頃にはもう既に壬生も嵯峨も行われていましたし、それは文献的にも示されてます。
まぁ、どこが最初か、何を最初とするかは、難しいとおもいます。
また、資料が見つかれば教えてください。

投稿: 好日 | 2007年5月 5日 (土) 00時18分

チェックしてみました。が、話メインの先生だったようで、
自分のノートしかないです(汗)なので、これの解読なんで、
信憑性は確かではないですが、
・大念仏狂言
「鎌倉時代に導御がこの地で始めた」←嘘、始めたのは大念仏。

・千本えんま堂
一番初めに始めた。室町後期。
壬生寺で今やっていたような狂言。
千本えんま堂は狂言を習い、せりふ劇になってしまった。
パントマイムという特徴がなくなる。→衰退

・壬生寺
サル(人々が扮した)の曲芸(綱渡り)
大念仏の時に人を集める。
叡山の末寺、サルは神の使いとして説明するが…。
後は壬生寺が有名になった。

・清涼寺
壬生寺より早い

ノートには初見資料が何か…とか何も書いてないので…
今となってはどこから出た話か不明です(汗)
もしかして、事実と違う…??
私が聞き間違えたり、読み間違えたりしている可能性もありますし、
もしかすると色々な説があったり?するのかもしれないですが、
専門家ではないkodamaは↑を信じていました(笑)
はっきりしていない所、間違っている所、わかりましたら
教えてください。

投稿: kodama | 2007年5月 5日 (土) 20時53分

kodamaさんへ
念仏狂言に付いては、諸説いろいろあり、不確かなところも多いのですが、知っている範囲内で、近日中にまとめてみようかと思ってます。

「猿」に関しても、江戸時代まで演目に合ったらしいいのですが、その後なくなりました。でも壬生さんに伝わる最も古い面のひとつに猿の面があります。

念仏狂言、庶民の芸として面白いものですから、また機会があれば見てください。

投稿: 好日 | 2007年5月 6日 (日) 11時46分

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