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2007年5月17日 (木)

「境界線」

京都駅から歩いて家に帰る事が多い。別に急ぐ訳でもなし、プラプラと歩いてる。たまには本屋さんに寄ったり、文房具屋さんに寄ったりしながら街の様子を眺めている。
しかし、歩いていながら、微妙な気持ちの変化が起る「境界線」の有る事に気付く。

Img_6328例えば新町通りを歩くとすると、高辻通りを境にして気持ちが変わる。それまでは見慣れた道筋だが、他所の土地を歩いていると言う感じで、のんびりしながらも何処か緊張感みたいなものを感じている。しかし高辻通を越えると自分のテリトリーに戻って来たと言う感じの安心感を持つ。微妙な気持ちの変化だが確実に起る。とくに新町高辻の信号にひっかかった時は、「あ〜、もうちょっとで帰れるのに・・・」と思ってしまう。
このような境界線は、西は御前通、北は丸太町通、東は河原町通である。
この境界線の中は、自分のテリトリー。いわば常の格好でうろついている所。夏ならば短パン、Tシャツでうろつける範囲。逆にこの範囲を出るときは長ズボンになる。
(ここで困るのが、大丸や高島屋。とくに地下へ行くときなんか、つい近所のスーパー感覚で行ってしまうから、会社の若い連中なんかに会うと恥ずかしい目に会う。)

同じ様な帰って来たという気持ちの変化を遠い所で一度だけ経験した事が有る。昔、ヨーロッパをうろついていて、ギリシアからトルコに入りイスタンブールのボスポラス海峡を5分ほどのフェリーに乗ってアジア側に着いた時「帰って来た」と言う感じがした。まあ、ヨーロッパでいろいろあった事によるものか、長い旅の感傷かわからないが、そんな気持ちになったことを覚えている。

人間どんな場所でも良いが、戻る所が有るというのは良いもんである。それが家庭でも、地域でもかまわない。気持ちの安らぐ場所というのは必要だし、また大事にしたい物だと思う。

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コメント

そういう感覚はとてもわかります。
範囲の大きさはその旅の大きさ(?)に比例するのかもしれません。
日常では、わたしは好日さんよりもずっと狭い範囲に「テリトリー」を感じていますが、東方面の旅行から帰ってくると山科を越えたあたりですでに「帰ってきた感」が出たりします。

投稿: はたこ | 2007年5月18日 (金) 10時08分

はたこさんへ
確かに旅の大きさに関係あるのかもしれませんね。
あの旅は私に取って、距離的にも、精神的にも大きな旅でした。
思えば、大なり小なり、毎日が旅みたいなものかもしれませんね。テリトリーから離れて、また帰って来るというのは。
当たり前の日常生活ですが、そのような感覚を大事にしたいと思います。

投稿: 好日 | 2007年5月18日 (金) 22時23分

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