« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月の18件の記事

2007年6月30日 (土)

夏越の大祓

今日は「夏越の大祓」の日。

Img_2929「夏越」とは一年のちょうど半分がすぎる晦日の日のこと。この日に今年前半の穢れを祓い、来るべき次の半年を無事に過ごす事を願う行事を「大祓」という。

京都の神社では、神前に大きな「茅の輪」を設け、それを潜ることで大祓されるとする。

ちょうど祗園祭の事で、八坂さんに行っていたので、「茅の輪」を潜って来る。

八坂さんの「茅の輪」は、ちょっと細めだが横に茅の葉を折り戸の様に立て、新しい茅の青い匂いが微かにする。

Img_2936横にある説明書によると、「茅の輪」は三回潜る。

一度目は左側を反時計廻りに、二回目は右側を時計廻りに、そして三回目は左側を反時計廻り。

その廻る時に唱える言葉がある。一周目には、
「みな月の なごしの祓え する人は
千年の命 のぶというなり」
二周目は
「思う事 みなつきねとて 麻の葉を
きりにきりて 祓いつるかな」
三周目は、「蘇民将来、蘇民将来」

一周目の言葉と二周目の言葉は長過ぎて覚えられないので、始めの部分だけ唱えあとはむにゃむにゃ・・。
最後の「蘇民将来」はしつこく何度も。まぁ、いいでしょう。

これで無事「大祓」も終わった。さぁ、家に帰って「水無月」を食べるぞ!。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

6月の「べー レギューム ア ターブル」

春からちょっとご無沙汰していたが、暑くなって来たこの時期、ここの冷たいスープが味わいたくなってランチは「べ–」で。
フロアーの女の子が、足をくじいたらしくシェフ自らフロアーに出ている。目鼻立ちのはっきりした「イケ面」だが、ちょっとお痩せになったのかなぁ?(笑)  しばらくのご無沙汰をを詫びて、さて食事。

Img_2896思っていた通りスープは「グリーンアスパラガスの冷製スープ」。

ここのスープは色がきれい。素材の色を素直に表している。真ん中のジェレと白いクリームがアクセント。

ちょっとジャガイモのスープのような食感だが、冷たい感じが口に気持ちが良い。アスパラのちょっと白っぽい味(?)が微妙に口に広がる。
口の中でグチュとつぶすと、ジェレの味がまたアクセント。
ここのスープはいつも色なり、味なり、食感なり何らかの食べる楽しみが有る。

Img_2909メインは「大山鶏胸肉のパブール ヨーグルトのドレッシング グミンの香り」

パブールというとかっこいいが、要するに「蒸し鶏」。しかしその蒸し加減が絶品。蒸しすぎると胸肉だけにカスカスな感じになるが、これはそのちょっと前の状態。そういって生に近い状態ではなく、しっとり感と生に近い柔らかさが同居した感じ。

ここの料理の特徴で、上に色々な野菜がのっている。それにヨーグルト風味のドレッシング。そのちょっと酸味(バルサミコやレモンとはまたちょっと異なった酸っぱさ)の味が鶏によく合う。またレッドペッパーがアクセントになっている。

しかし「グミン」の香りとあったが、これはあまりわからなかった。
まず「グミン」というのを食べた事無いし、初めて聞くハーブ(だろう?)。

Img_2901こちらは、嫁さんが選んだ「鮮魚のポワレ 新里芋のローストパセリ風味 アサリのドレッシング」。

魚は鱸。新里芋とホタテがローストして付け合わされている。里芋の焦げ目のぶぶんが美味しそう。

しかし、贅沢なドレッシング。小さなアサリがコロコロはいっている。嫁さん曰く「海の香りがするドレッシング」。これは「べ–」でも初めて見た。

横目であっちも美味しそう!!!!

Img_2917デザートは「プリン」と「シフォンケーキ」、「チョコレートケーキ」、「ナッツ入りのアイスクリーム」。

ここのチョコレーチケーキ、濃厚で大人の味。もう一切れ食べたくなる。
ナッツ入りのアイスクリームもナッツのカリカリ感が残っており、私は好み。

おしまいに、エスップレソを飲んで、満足満足。
いつも裏切られる事の無い料理。

全体的に、あっさりとした感じが残るが、この暑くなって来た季節には最適。
家の近くにこのような気軽に行けるおいしい店が有る事を感謝。

B Legumes a table (ベー レギューム ア ターブル)
京都市中京区四条油小路上ル3軒目559-1
☎075− 213―5563

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月29日 (金)

「アンドリュー・ワイエス展」 青山ユニマット美術館

アンドリュー・ワイエスは1917年生まれの、アメリカンリアリズムの手法を引継いでいるアメリカの画家。
現在も90歳近いが、現役で絵を描いている。

彼の絵は、生まれ故郷のペンシルヴァニア州チャッズ・フォードの田舎の人々の様子や風景、メーン州クッシングの海辺の風景等を描いたものが多い。

その静謐な色調と構図は彼独特のものである。また、何の変哲も無い人々の仕草や風景を切り出す感覚は見る者に懐かしさを感じさせ、穏やかな気持ちにさせる。

Img_andrew1これは「SQUALL」と題された画。1986年の作品。

左側の窓からは海面が見えその一部には陽が差している。しかし、右側のドアから続く道は、今にも雨が降りそうな感じで、湿った空気が感じられる。

雨が降り出す直前か、止み始めかわからないが、雰囲気は安定しない感じである。

その雰囲気を象徴するかの様に、真ん中に黄色と黒のレインコートがかかっている。色も輝く黄色ではなく、少しくすんだ様な黄色である。

そのような海辺での生活を示す様に海を眺める使い古された双眼鏡がかかっている。この地の人々の生活が計り知れる感じである。

Img_andrew2これは「OPEN HAUSE」。1979年の作品。

ちょっと下目の位置から、古い納屋を画面一杯に描いている。ワイエスには同じ様な構図で描いた作品がいくつか有る。見ていて草の上に寝転んで眺めている様な感じがする気持ちの良い構図である。

その草、そして古い納屋の板、ワイエス独特の色調で細かく描かれている。左側の木の枝が何故か不安定な感じもするが、見ていて気持ちの穏やかになる画である。

Img_andrew3上の2作品がテンペラ画であるのに対して、この画は水彩画。
「RAG BAG」と題されている。

アメリカの田舎の家の玄関。日溜まりのような感じがする。
向こう側から、犬が一匹不思議そうな顔をしてこちらを眺めている。

よくみるとこの画の陽が当たっている部分は、紙の色の地色。水墨画の様な感じである。

画の好きな人たちと話していると、時たまワイエスの話が出る。皆さんこの画家の画には好感を持っている。何故か日本人の感性に訴えるものが感じられる。その要素にこのような手法もあるのだろう。
私もこの画家の画には好感を持っている。

アメリカンリアリティーはその後チャック・クロース等のようにスーパーリアリズムへと移って行くが、ワイエスはかたくなに自己の手法を守っている。

15点位の展示であるが、ワイエスの世界に浸れる美術展であった。

青山ユニマット美術館は初めて行く美術館であった。こじんまりとした美術館であったが、シャガールや印象派の良品があり、常設展も楽しめた。そのなかで目についたのはキスリングの「長椅子の裸婦」。
大胆な色合いと肌の美しさが印象に残った作品であった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年6月28日 (木)

「水と生きる 開館記念展Ⅱ」 サントリー美術館

赤坂見附にあったサントリー美術館が閉館され、六本木に新しくオープンした「東京ミッドタウン」内へ移され新たにオープンした。その開館記念展として「水と生きる」と題し、水に関連する、画、陶磁器、工芸等の名品が集められた展覧会が開催されている。
ビルの中に造られた美術館は、やはりその構造上の制限から、展示室の高さや、光源なんかが良くない例が多いのだが、さすがに当初よりこの美術館が入居することを前提として考えられていた為、そのような事も無く見やすい美術館になっている。
昔からサントリー美術館は「生活の中の美」という観点から色々な作品を収集しており、そのなかの一つにガラス器がある。今回その優品が多数展示されていた。いずれもがこの季節にピッタリのものである。

Img_suntory2これは江戸ガラスの「藍色ちろり」

深い藍色がすばらしいというよりも妖しい感じがする。また手ひねりの持ち手のひとつひとつの山が微妙に大きさを変えて独特のリズムを醸し出す。
注ぎ口の微妙な曲線、底から胴に掛けて伸び上がって来て張り出し、またそれが口元へ向かってすぼんで行く微妙さ。
ガラスの持つ冷たさ、緊張感等を内包しながらも、道具としての美しさを見せつける逸品である。

やはり、これで注ぐ冷酒としては、きりりとした辛口だろうか、それともちょっととろみがでて黄色みをおびた古酒だろうか。
しかし、受ける杯も難しそう。同じビードロでは芸がなさそうだし、薄手の京焼きか、朝鮮斑の唐津もいいかな?

Img_suntory1これは薩摩切子の「藍色船形鉢」。
これもきれいな藍色のガラス鉢。
船の先端には吉祥印の蝙蝠が彫られていて、船の艫には丸形陰陽文様が彫られている。
船の胴回りは切子独特ストロベリーダイアモンドのカット模様。
クリスタルの透明感と藍色との対比、また薩摩切子独特のぼかしが 美しく輝いている。

元は「杯洗」だが、やはり何か料理を盛りたい。しかしちょっと深いかな。
底の方に氷の砕いたのを敷いて、鱧や何かの洗いを盛るのは一般的かな。

Img_suntory3これも薩摩切子、「藍色酒瓶」。

薩摩切子は幕末、薩摩藩で作られたもの。10年間位しか作られなかったので残っているものは少ない。しかし、その完成された美しさ、またガラスの純度の高さで珍重されている。

透明のクリスタルに藍とか赤の色ガラスを貼付け、それをカットしていくことでこの独特の色調が生まれて来る。現在はその技術が復活されて、見慣れたものになっているが当時としては一級の技術であった。それに手仕事で行われていた為に、現在ものとは異なった柔らかさが感じられる。

この酒瓶にはやはり透明なお酒を入れたい。薩摩焼酎の古酒なんかいいんじゃないかなぁ。

ガラスだけではなく、広重の水にまつわる浮世絵や、水を模様とした小袖、鍋島等の陶磁器等も展示されており、我々の祖先が、水を尊び、水と戯れ、水を大事に扱い一つの文化的な基盤を作り上げて来たことが再認識できる面白いテーマのサントリーらしい展覧会であった。

また、あたらしいサントリー美術館だが展示ケースが見やすく、照明もよく考えられており良かったのだが、インテリアというか内部設計がもう一つ。木等を多様し和風強くを押し出しているのだが、茶色とか白の使い方が感覚的に浅いものになっている。隅健吾の設計だが非常に軽い感じがする。天井からつり下げた紐状のパーティションのオブジェ等も雰囲気としては軽すぎる感じがする。特に4階から3階へ降りる階段、女の人がヒールやミュールを履いて降りて来るとカンカンと高い音がホール中に響き渡る。あれはなんとかしてもらいたい。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2007年6月27日 (水)

「肉筆浮世絵のすべて(後期)」 出光美術館

浮世絵というとやはり東京が中心。京都ではなかなか見られない。よって東京へ来た時はなるべくみるようにしている。また東京で浮世絵を見ると、ちょっと雰囲気が変わる様な気がする。

Img_idemitu1_1去年位から、肉筆の浮世絵を見る機会が多かった。ボストン美術館の「江戸の誘惑」、ギメ美術館の名品、そして今回の出光美術館。しかし、「肉筆」とはウマイ言葉だ。浮世絵の持つ官能的な雰囲気、庶民の風俗を描いた猥雑な感じをうまく表現している言葉である。

まずはいった所で驚かされたのが「伝 菱川師宣」とされている「浄瑠璃芝居看板絵屏風」。
なんの芝居の場面絵か知らないが、「戦い」というか「出入り」というか殺伐とした場面がびっしりと描かれた屏風。中には胴をまっぷたつに切られた死体があったり、首をはねられたものがいたり、まるで岩佐又兵衛の世界。このような画、嫌いではないが頭から浮世絵の感じを吹き飛ばされた。
こんな芝居一度見てみたい。おもわず細部までじっくりと見てしまった。

そこを過ぎるといつもの浮世絵の世界。
展覧会は菱川派の風俗屏風絵から始まり、懐月堂派の反っくり返った美人画へと続き、浮世絵の変遷に従って名品が並んでいく。

Img_idemitu3これは勝川春章の「美人鑑賞図」。
手前の座敷に大きく7人の美女を配し、そこから奥の座敷を描いている。しかし、庭にかけての空間の描き方がアンバランス。特に右側の庭は非常にぎこちない。それにもかかわわず全体が明るい調子で、賑やかな感じの楽しい画である。

6人が案外シックな着物を来ているのに対して、一人赤い着物を来た娘が清々しい感じ。
見ている軸は「鶴」と「仙人」。なんか女性のサロンのような雰囲気。昔は美術館もないし、こんな感じで画を見ていたのだろう。そういえばこの展覧会も私のまわりは大方が女性・・・。

Img_idemitu5_1これは、あの酒井抱一の「遊女と禿図」。

見た時は、「歌川派」の誰かな?という感じだったが、名前を見てびっくり!!!
あの琳派の抱一ではないですか!

画自体はそんなに印象に残るものではないが、抱一がねぇ・・・この絵を描いたのですか??
たしかに、画を習い始めたのは「歌川派」の師匠であったというのは知っていたが、その画が残っているなんて思ってもいなかった。

これと京都の細見美術館にある「白蓮図」なんかを並べると、大変身した姿が見られ面白いのだが。
このような江戸文化の凝縮された浮世絵からはいった酒井抱一が、なぜ京都文化の華のような琳派へ変わって行ったのか興味の尽きない所である。

しかし、じっくりと見ればお腹の部分が肥えた遊女だな。前帯を強調するあまりお腹がでたのかなぁ。まあ、年代からいうと「お坊ちゃんのたしなみ」位の画だったんだろう。

Img_idemitu4これは歌川国芳の「役者夏之夜図」。

夏の夜、川端にそろった役者達といった感じだが、どうも様子がおかしい。
左側の4人と右側のグループがなにやら怪しい雰囲気。
あきらかに、たがいのグループの頭らしい人物が、「ガン」を飛ばし合っている。

お互い争う座長どうしが、偶然バッタリとこの川端で出くわしたのだろう。芝居はこの頃、江戸でもっとも人気のあった娯楽。その役者達が引くに引けない感じになれば、次に起るのはもう一つの江戸の華、「喧嘩」となるのは必須。
さて、この後どうなったことやら?

そんな江戸の生活が垣間みられる画である。

その他、鳥文斎栄之や宮川派の美人画、そして北斎の初公開の画等、肉筆浮世絵を堪能できる展覧会であった。
それと最後に京都の画家である「祗園井特(ぎおんせいとく)」の「虎御前と曾我五郎図屏風」が並んでいた。あいかわらず独特のあくの強い画であったが、関西では祗園井特は美人画の画家とされている。関西の美人画、関東の肉筆浮世絵これは同じとしてとらえられるのかなぁ?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月26日 (火)

「山種コレクション名品選 《後期》」 山種美術館

今回の東京美術展巡りは、この展覧会を見るために計画した。
展覧会のリストを見ていて速水御舟の「炎舞」が突然見たくなったからだ。初見ではないが、この画にはこの様な魅力が有る。その他近代日本画の名品と宗達、岩佐又兵衛、鈴木基一の名品も並んでいる。
わくわくする様な期待を胸に、地下鉄半蔵門駅からの路を急ぐ。

Img_yam1これがその速水御舟の「炎舞」。

漆黒の闇の中で、炎が舞い踊っている。炎は煙を伴って上へ上へと昇って行く。あたかも天に続く道標かのようだ。この炎に誘われる様にして蛾が寄り集まって来ている。蛾達は炎の道標に沿うかのようにその周りを舞いながら上へと昇ろうとする。その内の何匹かは、天に続く道程が待てないかの様に炎の中に飛び込んで、その身を燃え尽きてしまう。

なんとも神秘的な、また強烈な印象を残す画である。

しばらくの間、この画の前にある椅子に座わってじっと見ていると、この立ち昇る煙の形が何か人物像のように思えて来た。ぼんやりとした形であるが、更に凝視していると「観音像」のように思えてくる。

下の炎の形から見て、浮かび上がるとすれば「不動明王」なんかが妥当なんだが、見えるのは「観音様」。するとこの画は一種の「来迎図」ではないだろうかと思えて来る。炎の中に飛び込んで行く蛾は救いを求めるもの達を表しているのではないだろうか・・・。そのような気持ちでこの画を見てみると非常に「感応的」な雰囲気のする画と思えて来る。

この絵に関しては、以前日本画を良く知っている人達と話していた時、面白い事に気付いた事が有る。
ある人はこの画から、画の持つ迫力のようなものを感じ、炎の熱さを肌に感じると言った。またある人はこの画にはいりこみ、心の中がその情念の炎に焦がされるという感じを持つという。
前者は男の人に多く、後者は女の人に多かった。
一緒に見ていた、嫁さんに聞くと、後者に近い感慨を持っていた。

同じ一枚の画を、同じ場所で見ても、男女により、また一人一人違った感想を持つ。それは当たり前の事かもしれないが、やはり画自体がそれだけ人を惹き付ける魅力を持たないと多くの人に見てもらえないしまた感慨も与えない。

やはりそのような意味でも、この画には計り知れない力がある。

Img_yam2これは奥村土牛の「鳴門」。

土牛70歳のときの作品である。101歳まで生き、画を書き続けた土牛としては最も油の乗った頃の作品。

海面と渦のみを描いた単純な構成だがその迫力はすばらしいものである。
思わずその渦に引き込まれそうな感じがする。

その海の荒々しさをなだめるかの様に、押さえ気味の緑を基調とした海の色が渦巻く海に落ち着いた雰囲気を醸し出す。
昭和の時代を代表する日本画の一つである。

Img_yam3これは上村松園の「牡丹雪」

画面の下の部分に若い二人の娘が、雪空の下を道を急いでいる。どんよりとした雪空で大きな余白をとった大胆な構成が、新鮮な感じを与える。

傘に積る雪の重さと足下の悪さに、「なんぎどすなぁ・・」「ほんまに」
という京都弁が聞こえて来る様な気がする。
京都らしい画である。
ほんの2〜3日離れたにもかかわらず、京都が懐かしく思えるのはおおげさかなぁ。

Img_yam4川合玉堂の「鵜飼」。

玉堂の故郷である長良川の鵜飼の風景を描いた画。
切り立った崖の下、流れが溜まったようになった所でおこなわれている鵜飼。上部の崖は中国の山水画風に描かれ、鵜飼の人達や船は大和絵風に描かれている。
玉堂の初期の画だが、日本の山村や働く人の風景を描き続けたその後の玉堂を彷彿する雰囲気が出ている。

玉堂は生涯に約400点程の「鵜飼」をテーマとした画を描いた。なにがそれだけ繰り返し「鵜飼」を描かせたのだろう。
玉堂にとっては「鵜飼」というテーマは幼い頃から見て親しんだ風景だけに、これを描く事によって自分の画の完成度というか到達点を量るバロメータ的なテーマであったのだろう。
彼が83歳の時に描いた最後の「鵜飼」の画を見たが、それには山は描かれず高い視点から川面の鵜飼の船と鵜匠が描かれたシンプルな構図であった。それが玉堂の画の到達点であったのだろうか?

玉堂の画業をこの「鵜飼」というテーマで追いかけるのも面白いだろう。

この「鵜飼」は玉堂が京都に居た頃の作品と思われる。この頃玉堂が描いていた写生帖を見た事が有る。京都の社寺や花、そして小禽などが丁寧に描かれていた。この頃の京都画壇の画家達が写生を基本とし、そこから自分の表現をあみだしていったことが理解できる。

そういう点で、この頃の京都画壇で育った画家の作品は安心して見られるし、また川合玉堂は好きな日本画家の一人である。その初期の画を見られた事は喜ばしいことであった。

Img_yam5山種美術館にこのような江戸時代の優品が多く有ることは知らなかった。

今回も、宗達の「槇楓図」、「四季草花下絵和歌短冊帖」、鈴木基一の「四季花鳥図」、椿椿山「久能山真景図」、そしてこの岩佐又兵衛の「官女観菊図」が展示されてあった。

岩佐又兵衛は桃山から江戸初期に掛けての画家で、東博舟木本といわれる「洛中洛外図」やMOA美術館にある「山中常磐物語絵巻」等、独特の癖のある作品を残した画家。(辻惟雄氏がいわれるエキセントリックな画家)。また、浮世絵の創始者ともいわれている。

この画は又兵衛独特の「豊頬長頤(ほうぎょうちょうい)」と言われる、豊かな頬と首から顎の部分が長い顔をした三人の女官が、柔らかな墨で描かれ何ともいえない上品な官能的雰囲気を匂わせる。

もともとは「金谷屏風」といわれる六曲一双の屏風であったのが、一枚ずつバラバラにされて軸装されたものである。軸としては大きなものだ。

小袖の絵柄や菊等も細かく描かれてはいるが、人物の描線等は非常に優雅で柔らかい線で描かれており肌に生気が感じられる。また御所車を大胆に描いた構図の妙もこの画をすばらしいものにしている。

岩佐又兵衛については、まだまだわかっていない事が多いが、その画を見る限り当時の時代感覚に溢れたすばらしい画家だと思う。
今回の東京美術展で見られた強く印象に残った画の一枚。

その他、速水御舟の琳派風の「翠苔緑芝」屏風や福田平八郎の「筍」、小倉遊亀の「憶昔」等、好みの日本画がズラ〜ッと並んでいた。

約2時間ほどかけて、見終わると満足感で一杯。
この展覧会のために東京へ来てよかったと実感した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月24日 (日)

「松方コレクション」 国立西洋美術館

国立西洋美術館が設立された目的は、フランスから返還寄贈された「松方コレクション」を保管、展示する為である。その「松方コレクション」とは川崎造船所の社長であった「松方幸次郎」氏が第二次世界大戦前にヨーロッパで収集したコレクションの一部で、戦後日本の返還されたものである。
「松方コレクション」というと、モネとロダンが有名だが、西洋美術館はその後15世紀から18世紀の絵画を増やし現在の常設コレクションへと発展した。
そんな中から目についたものを何点か。

Img_seiyou1これは17世紀のフランスの画家、ジョルジュ・ド・ラ・トゥ−ルの「聖トマス」。

ラ・トゥ−ルに関しては、最近時々雑誌なんかで名前が出て来る様になった。ここ20年程で見直しがされた画家。作品も少なく、話題となる時は必ずこの画がでている。夜の闇のなかで、蠟燭の光に照らされた神秘的な画がおおく、「夜の画家」と言われている。

画題の「聖トマス」は、キリストの12使徒の一人で、キリストが復活して現れた時、その存在を疑い復活したキリストの槍に刺された傷跡をさわり初めて復活を信じた人物。キリスト教では猜疑心の象徴として見られている。

そのトマスの猜疑心を表すのに、この画は下向き加減の表情に、小さなまなざしを描き、彼の心のうちを示している。細かく見ると、禿げたひたいの皺までが細かく描かれ、また強く握りしめられた両手も精密に描かれ、この画のもつ暗い感じを強調している。

人間の性格は、顔の表情や何気ない動作にも影響があたえるのだなという感じを強く感じる画である。


Img_seiyou2これはマネの「ブラン氏の肖像」。松方コレクションである。

明るい色調の画が多いマネの雰囲気がよくでている。

色々とヨーロッパの画を見続けていると、こういう画に会うと正直「ホッ」とする。
何の変哲も無い山高帽のおっさんが立っている画だが、その「のほほんとした雰囲気」につい顔が緩む。

やはり、ヨーロッパの画をみるときは、意識はしないが構えて見ている感じがする。宗教画や物語の場面を描いた絵だけでなく、単なる風景画や人物画でも同じである。

その点この絵は色使いといい、モデルの格好といい何かスーッと入り込める雰囲気が有る。こういう感じは気に入った現代絵画(海外の作品でも日本の作品でも)の時にも感じる。

まあ、私にとってはなじめる画ということができるのかなぁ・・・
Img_seiyou3これは松方コレクションの中でも有名なルノアールの「ハーレム」。

ルノアールの画集なんかを見ていればだいたい掲載されている。ルノアールの柔らかい(言葉を変えればぼけた)輪郭線、赤みを帯びた柔らかい色調、肌の美しさすべてがそろった画である。

同じルノアールの画では「帽子の女」もこの西洋美術館にあるが、19世紀の初頭にこれらの画を揃えた松方コレクションの質の高さが伺い知れる。

ルノアールはこの後、一時はこの柔らかい輪郭線を捨てた様な画を書き出すが、また印象派のひろがりとともにこのような絵画にもどっていく。しかし、多くの印象派の画家達が戸外の風景における光と色を追い求めたのに対して、彼はとことん人物画、それも女性のやわらかさをその色とタッチに追い求めた。

その点が日本では人気のある理由だと思うが、私にはちょっと甘すぎる感じがする。甘い感じのフランス菓子の様な感じ、ちょっとビターがはいった菓子がいいなぁ・・・。

Img_seiyou4これも松方コレクションのゴーギャンの「海辺に立つブルターニュの少女たち」。

ゴーギャンのタヒチ時代の画は最近「エルミタージュ美術展」で見たが、これはタヒチへ行く以前の画。

何故か、タヒチに行ってはじめてゴーギャンのあの色彩が花開いた様に思われているが、フランス時代にもこれだけ鮮やかな色調を持っていた。赤、青、緑のなんと鮮やかな事。それに左側に子供達を大胆に寄せた構図が彼の色調をより効果的にしている。

子供達の目付き、手足の大きさがなんとなく、南米に生まれ子供の頃をその地で過ごしたゴーギャンの生い立ちを思い起こさせる。

このブログの最初にも書いたが、西洋美術館に常設されている「松方コレクション」はその一部である。一部は金融恐慌の余波で川崎造船の経営が傾いた時に手放され、一部はロンドンの空襲で焼けてしまった。それを考えると、当初の松方コレクションの凄さが思い知らされる。よくぞフランスが戻してくれたものである。国立西洋美術館をそのために設立しても充分その価値は有ると思う。
京都ではこのようなヨーロッパの絵画を系統的にみることはできない。そのため東京に来た時はこの美術館に立ち寄る事が大きな楽しみになっているし、また刺激にもなっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月22日 (金)

「パルマーイタリア美術、もう一つの都」 国立西洋美術館

「パルマ」、この街の名前を聞いて思い浮かぶのは、生ハム、パルメザンチーズ、スタンダールのパルムの僧院、そして中田英寿の属したサッカーチームがある街ぐらいだった。

Img_parma1東京へ来るちょっと前、雑誌でこの展覧会の事を知り、パルマがルネサンスの時代ローマ、フィレンツェ等と並ぶ芸術の都であった事、そしてルネサンスの巨匠コレッジョ、パルミジャニーノの作品が来ている事を知った。

東博のダヴィンチ、損保ジャパン美術館のペルジーノと合わせると、今東京はちょっとしたルネサンス美術の花盛り。

パルマはローマ時代に造られた街で、ローマからミラノ、ボローニャへ抜ける街道の中間点に有り交通の要所として古くから栄えた。位置的には長靴の形をした付け根に有り、フィレンツェの少し北側にある街。

歴史が有るだけに、古くからの教会も多く、その中に飾られている壁画などにもすばらしいものがある。16世紀初頭に、教皇領となり都市国家として発展し、16世紀から17世紀にかけて有名な芸術家が活躍し、「パルマ派」といわれる芸術様式を確立して行った。「パルマ派」の特徴としてはこの展覧会を見る限り、「古典主義」と「マニエリスム」にあるとされている。「マニエリスム」とはわかりにくい言葉だが、要するにラファエロ、ミケランジェロ等が確立した絵画の手法のこと。要するに日本でたとえれば、「狩野派の手法」みたいなものだと理解している。

Img_parma2これはコレッジョの「幼児キリストを礼拝する聖母」。

どこかの廃墟のようなところで、我が子キリストをいとおしむマリア。

背景の光の様子とマリアとキリストに当てられた光の描き方の違いが独特のコントラストを持って、この絵に深い印象を与える。茶色を基調とした色彩の柔らかさがマリアの慈愛をうまく表現している。ダ・ヴィンチの「受胎告知」と比べると主題のちがいもあるだろうが、「愛」に満ちあふれた画という感じがする。ふと、ラファエロの画を思い出す。

この「愛」。それは自分の子供に対する「母性愛」なのか、「神の子」に対する「敬虔な愛」なのか?キリスト教徒である当時のイタリアの人々にとっては「神」に対する「愛」がまず第一に感じられるのだろうが、異教徒である私には我が子に対する「母性愛」の方が強い様な気がする。

見ていて心が和らぐ絵である。

Img_parma3これはパルミジャニーノの「ルクレティア」。

パルミニジャニーノは官能的で、幻想的な絵を得意とした画家。ちょっと特異な雰囲気のある画を描いている。若くして亡くなったが、死ぬ間際は錬金術に没頭していたと伝えられている。

「ルクレティア」というのは、古代ローマの物語で、ルクレティアという女性が王の息子によって乱暴され、それから逃れるため自害したという話。

黒い背景に浮かび上がった、肌の色がすばらしい。そして高揚し赤くなった頬、耳たぶがこの女性の強い意志を表している。上目使いに見ているのは誰なんだろう?目付きの様子から、乱暴した相手とは思えない。神なんであろうか?

髪の毛や髪飾り、そして肩にかかるバックル、胸に深々と刺さった剣のつか等の細部も緻密に描かれており、それがこの絵の緊張感を増している。

思わず「ホ〜ッ」と感歎の声が出る画である。

Img_parma4_1この画は今回の東京美術展巡りで巡り会った強く印象に残った画の一つ。
パルトロメオ・スケドーニの「キリストの墓の前のマリア達」

光と色のコントラストがすばらしくで、劇的な雰囲気が見る者に強烈に伝わって来る。大きな画で3m×2m位有る。
はっきりとした輪郭線、白、紺、緑、赤、黄土色等の明快な色調。特に右側からの強烈な光に照らされる白の輝きがすごい。

キリストの復活を確認に来たマリア達に天使が天上を指差し、復活を告げる画面である。

スケドーニという画家は今回初めて知った。17世紀のイタリアにこれほど現代的な画を描く画家がいたなんて。世の中にはまだまだ知らない素晴らしい画家がいることを思い知らされた。

しかし、イタリア恐るべしである!!!!

多くの画を見、初めて知った画家達も多く、得る所の多い展覧会であった。
これ京都にも巡回すれば、きっと驚く人も多いだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月21日 (木)

「法隆寺宝物館」 東京国立博物館

東京国立博物館へ行く楽しみに、「法隆寺宝物館」がある。明治11年法隆寺が皇室に献上した宝物(若冲の「動植物綵図」と同様に)の内、約300点が戦後国有となり、東京国立博物館に寄託された。その常設館として平成11年に「法隆寺宝物館」が建設されそれ以後常設で展示されている。

Img_houryuuji

内部は第1室が仏堂内の天蓋にかける「灌頂幡(かんちょうばん)」、第2室が「金銅仏」、第3室が「伎楽面」、第4室が「木・漆工」、第5室が「金工」、第6室が「染織」となっている。
この中で、「金銅仏」の部屋がすばらしい。6世紀から7世紀に造られた、30㎝位の飛鳥仏、白鳳仏が約40体ほど、独立した形で展示されている。実際には、部屋はもっと暗く、一つ々の仏に、天井と台座部分からスポットライトがあたり、仏達は空中に浮かんでいるかのように感じる。

Img_2677あれだけ多くの人がダ・ヴィンチの絵を見に訪れていたにもかかわらず、この宝物館まで足を伸ばす人は少なく、この広い部屋に4〜5人しか居ない。

この仏に囲まれた宇宙の中を彷徨っていると、本当に心が静まる。
何の気負いもなく、素直な気持ちで仏達と対面できる。
数ある仏像の中から、自分の気持ちに合った仏像を捜して歩く。

飛鳥、白鳳の仏像は優しい顔をしている。アルカイックスマイルといわれる微笑みをたたえ慈悲に溢れた表情をしている。
初めて仏像を見た飛鳥人がその魅力のとらわれて、深く仏教に帰依していった気持ちがわかる様な気がする。

止利仏師が造ったとされる「如来立像」「如来坐像」「菩薩半跏像」、白鳳時代の「観音菩薩立像」「阿弥陀如来像」等の多くの仏像の中から選んだのがこの仏像。
No.165とよばれる「観音菩薩立像」。目鼻立ちはくっきりとしているがその穏やかで福よかな表情に惹き付けられる。大陸風から一歩抜け出した日本独自の感覚が見られる像である。

Img_2674これは「摩耶夫人および天人像」。7世紀の作とされている。

4月8日に、釈迦の母である摩耶夫人がムユウジュの木の枝に右手を伸ばしたところ、腋から釈迦がうまれたという釈迦誕生物語を表したもの。

本館に現在展示されているダ・ヴィンチの「受胎告知」の仏教版。
どの宗教でも、その創始者は特異な誕生物語に飾られる。それを祝う天人達が舞っているのもまた同じ。

摩耶夫人の表情も、「受胎告知」のマリアと同様、驚くよりも喜びの表情に満ちている。

東と西に分かれていても、この様な物語を表す場合には何か共通する作者の心持ちが見られるのは面白い。

その他、金工の部屋には国宝の「竜首水瓶」があったり見る物にことかかない常設展示である。
考えれば、日本最古の作品が並んでいるわけで贅沢な内容である。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年6月20日 (水)

「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像」 東京国立博物館

ずーっと昔にフィレンツェで見たことは覚えているが、記憶の澱の中に沈みこみ具体的な絵の感想や、絵の細部は思い出せない。ただ、あの髭もじゃらの老人の顔と、この美しい絵がつながらなかった事を覚えている。

Img_leo1_2
そんなことを思い出しながら、朝の10時前に東博へ行ったが、もう既に多くの人が並んでいる。行列の最後は30分待ち、梅雨を越えて夏になったかの様な日照りの中を少しばかりの興奮を抱きながら並びだす。

国内の展覧会では初めて経験する金属探知器のチェックを通り、第一会場の薄暗い部屋に入る。正面の人々の間から光に照らされた「受胎告知」が見え隠れする。この部屋には「受胎告知」のみが展示されている。そのため人の流れが一定方向に流れ、まもなく絵の正面に着いた。

すこし離れた位置から、絵の全体を眺める。思っている以上に大きな絵。それに縦が1m位、横が2m位の変形な形のため、なかなか全体像がつかみにくい。無意識の内に各部分々に気持ちが寄って行く。
大天使ガブリエル。その後ろに並ぶ木々。そして中心にそびえこの絵の遠近の頂点となっている白く輝く山。そしてマリア。手前にある書見台。と順々に絵の部分を追いかけて行く。なかなか全体像をつかむことがむつかしい。

この様な経験は余りない。大作の画でも、大きな障壁画でも大体全体像を掴んでから細部に意識が動く。このような経験をしたのは以前東寺の講堂に安置されている「金剛界曼荼羅」を見たとき。あれも一体々がすばらしい彫刻であったため結局全体像というのはつかめなかった。考えてみれば「金剛界曼荼羅」は仏も含んだ世界全体を表すものである。見る者の意識を越えた大きさを表現しているものである。同じ事はこの「受胎告知」にも言えるかもしれない。この絵の世界も神の国を象徴するとしている白い山を中心に、その使いである大天使ガブリエル、人間であるマリア、そのお腹の中には神と人間をつなぐイエス。言ってみればキリスト教の世界全てを表現しているものであり「曼荼羅」と同じ構造ではなかろうか。

Img_leo3じっと止まって、心ゆくまで見られる状態ではなく人の流れにのって絵の真下に行き着いた。ここで間近に細部を見る。

この大天使ガブリエル、レオナルドの描いた顔らしく非常に中性的な顔付をしている。天使に男女の区別が有るか知らないが、男だとすると白人特有の少年期から青年期へ変わる直前の汚れ泣き少年という感じ。柔らかい髪の毛にかかったウエーブがそれを強調している。

左手に持つ白い百合はマリアの清純さを象徴するものらしいが、そのわりには余り白く輝いていない。腕にかかる服の量感がすばらしい。

右手はマリアを祝福するかの様に、軽く握られて空中に伸ばされている。ちょうどミサで神父が祝福をあたえるため、空中に十字をきるかのように。

天使としては、非常に人間ぽい感じがする。それが証拠にガブリエルがひざまずく芝生には彼の影が描かれている。羽根と光輪がなければ、マリアに愛の告白をしている青年の様に思える。
しかし、目付きはマリアを説き伏せる様に鋭い感じがする。

Img_leo2幼い顔をしたマリアである。しかし、その表情は「受胎告知」の宣言に驚くでも無く、それを当然の事の様にうけいれた表情をしている。
そして、神の子イエスの母となることを自覚した威厳がもう表れている。

驚きの感じが残るのは左手。自分の運命を受け取るが様に大きく広げられているが、またその反対にそれを拒否するかのようにも見える。マリアの複雑な心境を表すかのようである。

その心を鎮めるかの様に、右手は書物の上の言葉を捜している。たぶんこの本は「ルカ福音書」の受胎告知の部分を差しているのだろう。

清純な表情と比べ、下半身は豊かに描かれている。キリストの母としての母性を象徴するかの様に。
また、そのスカートの質感および柔らかさの表現もすばらしい。

立ち止まる事は許されず、ゆっくりと進みながら約20分間程の鑑賞であったが、この絵のすばらしさは堪能できた。絵の状態も修復され洗われたようで申し分内状態であった。この様な絵を日本でみられることの嬉しさがじんわりと湧いて来た。見に来てよかったと実感できる絵である。

この後、建物を変えて第二会場へ進む。そこではレオナルドの色々な業績について模型等を作り再現してあった。さすがにそこでは混雑に耐えきれず、素通りの状態であった。そのへんは詳しい図録があったのでそれを購入し、帰ってから見直そう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月18日 (月)

東京美術展めぐり

6月15日から18日まで東京へ行っていた。

Img_283915日は仕事だったが、16日からは美術展・ギャラリー巡り。
東京への出張はたまにするが、金曜日にあたることは稀。
また、見たい展覧会や画が展示されているタイミングもある。

今回、ちょうど16日から18日がそのタイミングだったため、東京に長居をしてしまった。

上は六本木の防衛庁後にできている。「国立新美術館」。設計は黒川紀章さん。斬新なデザインだということで建物として期待していた。しかし、まわりの「六本木ヒルズ」や「TOKYO MID TOWN」と比べると思っていたよりまとまった感じのする建物で、ちょっと拍子抜け。

見て来た展覧会は、
16日 
「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」 東京国立博物館
「平常展」 東京国立博物館
「パルマ展-イタリア美術、もう一つの都展」 国立西洋美術館
「平常展」 国立西洋美術館
17日
「開館40周年記念展 山種コレクション名品展」 山種美術館
「肉筆浮世絵のすべて-その誕生から歌麿・北斎・広重」 出光美術館
「風俗画と肉筆浮世絵〜館蔵肉筆画の精華〜」 たばこと塩の博物館
「アンドリュー・ワイエス展」 青山ユニマット美術館
18日
「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産」 国立新美術館
「水と生きる サントリー美術館 開館記念Ⅱ」 サントリー美術館

それと幕見だったが歌舞伎座6月大歌舞伎、ギャラリー展を2カ所。

さすがに「よく見たなぁ・・・」と言う感じ。
これからしばらくこの感想が続きます。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年6月13日 (水)

家(うち)のごっつぉ (ホタテのソテー)

今回はちょっとフランス料理風です。
といっても、手のかかる料理では有りません。ホタテのソテーです。

Img_2608作り方は、ホタテに軽く塩胡椒しておいて、まずアスパラから炒めます。
3〜4等分したアスパラを塩胡椒してオリーブオイルで炒め、その中に先のホタテをいれもう少し炒めます。ホタテの表面が白くなって来た位で火を止めます。中までは火を通しません。
ミディアム・レアという感じです。

これをお皿に盛って、あとはバルサミコソースをかけて出来上がりです。ほら、簡単でしょう。

アスパラのシャキシャキ感とホタテの柔らかさが交互に口の中でリズム感をはもしだし、それにバルサミコのちょっと甘さを感じる酸っぱさとオリーブオイルが混じり合う。

遅い目の休日のランチはこんな感じです。あとは昨日の残りのポテトとトマトやレタスをはさんだサンドイッチ。本当はここに白ワインでもあれば良かったのですが、この日はこのあと外出の予定だったので、それは我慢。

嫁さん曰く、遊びに行くには「休みの日のお昼はカンタンなものでなければならない!」との事です。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年6月12日 (火)

6月12日に思う事

朝、会社でふとカレンダーを見ていて思い出した。今日、6月12日は父親の誕生日だった。過去形になるのは、父は14年前に死んでしまった。

Img_2611父親の事で思い出すのは、私の就職の時の事である。
その頃は、今と違って6月頃から就職活動を行い、7月頃には内定が出ていた。

私の大学は大体ゼミ単位で就職活動を行い、ゼミの教授の顔が効く会社であれば推薦状を持って行けば大体内定をもらえていた。私もそのラインで就職活動を行い、7月には某鉄鋼会社から内定をもらっていた。その最終面接のとき、その頃まだ英語がしゃべれていたのでその話題となり、「入社したら海外へ行く事になるでしょう。」と言われていた。

家に帰って母親とその話をしていると、突然、隣の部屋に居た親父が襖をあけて、
「また海外へ行くのか」とポツンと言った。
実は学生時代ちょっと長い間(といっても1年位だが)海外を彷徨っていて普通より長く学生をやっている。
親父はそれだけいうとまただまってしまった。べつに非難する様子もなくフト言ってみたと言う感じだった。

その年の祗園祭も自分では「これが最後だなぁ」と思いながら参加していた。

それから、長い夏休み私の方もいろいろ事情が合ってなんとなく「京都にいてもいいかなぁ・・・」と思う様になった。

10月のある日、今度はこちらから「家どうすの?」と親父に聞くと、「なんとかなるやろ」と答えが帰って来た。そこで「こっちで就職してもええで」と言うと「今から見つかるのか?」と聞いて来た。「わからん」と答えると、「好きにし」と言ってまた黙り込んだ。

それから、4〜5日して、突然親父が「XX会社、行ってこい」と言い出した。今まで考えていた業種とは全く異なるため面食らったが、まあこれも縁と思って行くと「ここで返事をもらえるなら採用します。」と言われてしまい、ちょっと考えたが結局決めてしまった。帰って親父に報告すると、ちょっと驚いた様子で「お前が決めたんやで!」と言った。

その後、ゼミの教授からは嫌味を言われるし、某鉄鋼会社では叱られるし散々な目に会ったけれども、結局京都に居付いてしまった。今では正解だったと思っている。

後から、いろいろ聞くと親父も持ってる人脈を使い動いてくれたらしい。親戚の連中によると喜んでいたらしい。「あの、親父がねぇ・・・」と今でも思っている。

特に親孝行をしたと言う気はないが、親父の誕生日を何十年降りに思い出し、こんなことまで思い出した。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年6月11日 (月)

「祈り 中村晋也、内なる精神を刻む」京セラ美術館

京セラ美術館で開催されている「祈り 中村晋也、内なる精神を刻む」に行って来た。京セラ美術館はパルスプラザの隣にある京セラ本社ビルの1階にある企業の美術館。日曜日が休みなのと、場所が不便なのでなかなか行く機会は少ない。

Img_nakamura今回この展覧会に行こうと思ったのは、以前薬師寺で中村晋也の「釈迦十大弟子」を見て良かったから。薬師寺の本尊の裏側にその像は並んでいる。その研ぎすまされた雰囲気に惹かれ今回足を運んだ。

中村晋也は大正15生まれで、具象彫刻の作家。鹿児島にその本拠地を構え「祈り」をテーマに多くの作品を作っている。

具象彫刻は人物や静物の形を利用して、作家が考えるその物の本質をあらわそうとするものだと思っている。中村晋也の具象彫像はおおかたが痩せており、純粋な気持ちを表すような表情をしている。中村晋也にとって人間の本質は非常にピュアーなものであり、精神的にシンプルなものとして捉えられているのであろう。それがあのような形となって表現されているのだろう。

期待していた「釈迦十大弟子」は薬師寺で見た彫像の1/3位のミニチュア版だった。薬師寺で見た時はその周りの雰囲気や、大きさから厳しさや修行の末に到達した鋭さのようなものを感じたが、今回間近に見ると、人間らしさが強く感じられた。人間としての哀しみや、人間としての弱々しさをその精神力で打ち破ろうとする気持ちがその表情に浮かんでいるように思えた。悟り切らない弱さを持つ人間の気持ちが今回のテーマである「祈り」という行為に結びつくのであろう。

もう一つのシリーズとして「ミゼレーレ」と題された一群の彫像があった。これは阪神大震災の状況を中村が見て、今までの彼の彫刻では表せなかった人々の哀しみ、絶望感、救いをもとめる気持ちを感じ新たに刻み出した作品群である。男とも女とも見分けがつかない位に削られた彫像群は、その深い哀しみの底から、それを乗り越えようとする人間の崇高さ、気高さを表そうとしている様に思える。打ちのめされた精神の底から生まれて来る人間の精神の純粋な気持ち、それがまた「祈り」という気持ちと重なるのであろう。

人間をあらわす具象彫刻は写真や絵画以上に生々しい部分が有る。自分と同じ体が表現されていることを考えると、つい自分の肉体と比較してしまう。彫刻に刻まれている、削ぎ落された肉体と比べ、己の肉体のなんと弛緩していること。それはそのまま精神の弛緩につながっていることを痛感させられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 9日 (土)

「水無月」

家に帰ると「水無月」が机の上に置いてあった。
6月のお菓子といえばこの「水無月」。名前の通りである。

Img_2606このお菓子は白い外郎の上に小豆がのっている。
もともとは6月30日に行われる「夏越」の祓の時に厄祓いとして食べるもの。1年のちょうど折り返しにあたる6月30日にこの半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願して食べる。白い外郎の部分は氷を表し、小豆は悪神を祓うとされている。

この頃は季節感もなくなり、ほぼいつでも手に入るが、やはり6月に入るとデパ地下なんかの和菓子の店にはこの水無月が並ぶ。

小さいときから、この季節の「水無月」が好きだ。ひんやりした外郎の歯ごたえに、上に乗っている小豆の甘さがゆっくりと口中に広がって行く。広がるにつれて、その甘さは外郎と混ざりうっすらとしたものになって行く。

梅雨の季節の鬱陶しさの中に、一抹の冷ややかさが感じられるお菓子である。

「水無月」も見ていると上の小豆がびっしりとのっている感じのと、小豆の間から下地の外郎が見え隠れしているものと二通りある様に思える。びっしりとのっているのは「お菓子屋さん」といわれる名のある店舗に多く、下地が見えるのは「おまんやさん」といわれるような店に多い。どちらかというと、下地が見える様な方が好み。あまり甘すぎるのはひつこいような感じがする。

さて、ちょっとぬるめの白湯で濃いめの緑茶でも煎れてボサノヴァでも聞きながら食べようか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年6月 6日 (水)

家(うち)のごっつぉ (鰯の生姜煮)

えーっと、また和食系に戻ります。

Img_2565_1「鰯の生姜煮」です。
新聞などによると今年は鰯が不漁だそうです。
何年か周期で大漁と不漁が繰り返されるそうですが、全体的な量は減少傾向にあるそうです。
マグロなんかもそうですが資源が減りつつあるところへ、いままで余り魚を食べなかった国々で魚に対する消費が増加傾向にあるらしく、魚資源の確保が難しくなっているそうです。
一部の高級魚だけではなく、それが鯖、鰺、鰯なんかにも及びつつ有るとのことです。
魚好きの者としては、困った傾向です。

ところで、話は変わるのですが「魚屋さん」と書いて「さかな屋さん」と読む場合と「うお屋さん」と読む場合がありますが、どのように使い分けるのでしょうかね??

Img_2547もう一つは「ひじきの炊いたん」。
家のは、あまり油を使いません。ちょっと香り付け程度にゴマ油をたらす程度です。

ひじきと一緒に炊くのも、人参と油揚げ位です。よそで食べるのよりもちょっと汁気が多いかな?

今日は作り置き的なおかずですが、実は嫁さんが「不良妻」をしてまして「およばれ」に行ってます。
よって、作り方なんかは聞けませんでした。
まぁ、そういう日もあります。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年6月 3日 (日)

「EXHIBITION尼崎コレクション」京都工芸繊維大学

新しく見つかった「洛中洛外図屏風」が展示されていると聞いて、最終日だったが京都工芸繊維大学美術資料館で開催されていた「EXHIBITION尼崎コレクションー洛中洛外図から大阪万博までー」に行って来た。

Img_2598京都工繊大学は初めて行く。行ってみると思っていたより大きな敷地で迷ってしまった。なんとか学生さんに教えてもらい(土曜日だったせいか学生さんも少なかった)やっとたどりつけた。

この美術展は尼崎教育委員会が尼崎歴史博物館創立のため、尼崎に関する美術品を地元から収集したもの。今回はじめての公開らしい。何故その初公開の場所が京都工繊なのかは知らない。

集められた作品には、前述の洛中洛外図屏風や、江戸時代の絵画、初代尼崎市長で画家であった「櫻井忠剛」の作品とその友人であった「浅井忠」の油絵、そして明治のはじめからの博覧会のポスターや資料類である。

この美術展、チラシや展示リストも無いし、資料類もなく、もちろん写真撮影禁止だから記憶だけがたよりとなる。

まずは「洛中洛外図屏風」。6曲屏風1双で、金雲の部分が多く、保存状態は良い立派なもの。
この屏風は17世紀後半の作と考えられている。落款には「土佐重信」とあったが帰って手持ちの資料類を調べたが、この絵師のことはわからない。
この屏風の特徴は左雙に「聚楽第」と「二条城」が描かれている事。聚楽第は豊臣秀吉の京都での住居として天正14年(1586)から建築され、次の関白豊臣秀次に譲られたが、秀次の失脚とともに1595年取り壊された。現行の二条城は徳川家康により1601年から築城されたものである。よって現実的にはこの二つの建築物が同時に存在はしない。それがこの屏風ではあたかも同時に存在したかの様に描いてある。
また、この屏風の左右雙の下の部分には1588年に行われた「後陽成天皇」の聚楽第行幸が描かれており、秀吉をはじめ豊臣の諸大名がそれを向かえている様子が描かれている。
洛中洛外図屏風としては比較的新しい物であるだけに、内容的には過去の屏風を写した様な感じがする。二条城や行幸の様子は「歴博C本」といわれているものに似ている。また、過去の洛中洛外図の持っている人々の生活を描いた猥雑さやなまなましさは薄れている。そのかわり京都の当時の名所は細かく描かれており、ちょっとした観光案内屏風のような雰囲気が有る。
京都の街中にはいまは無いが当時は色々な「名所」があったことがわかる。たとえば三条大橋のふもとに「畜生塚」があったり、西院に城の様なものがあったり。このような洛中洛外図見ていて飽きない。

Img_amagasaki2続いてあったのが歌川國芳の浮世絵2枚。
上が「大物浦海底之図」
下が「大物浦平家の亡霊」
尼崎の沖合、大物浦で義経の一行が平家の亡霊によって遭難した場面。
國芳のおどろおどしさと、色使いの巧みさがよくわかる。
去年、今年と多くの浮世絵を見て来て國芳の「浮世絵」に強く惹かれている。幕末の世相をこれでもかという構図および色調で描くサービス精神に浮世絵の真髄を見る様な気がする。

Img_amagasaki3上の画の左の描かれている平家蟹。その甲羅にのり移った平家郎党達の怨念の表情の面白さ。また下の画の荒れ狂う波間に黒く漂う、平家の怨霊の不気味さ。

見ていて、平家物語の世界に引きずり込まれる。
この日、帰りしな早速岩波文庫の「平家物語」を買って来た。

その他目についたものは、久隅守景の娘である清原雪信の幾枚かの画。狩野派の雰囲気はあるが、女らしい筆使いで好感がもてた。
また、初めて見る絵師だが、月岡雪鼎の「宇治蛍狩り」も上品な感じのする画だった。

この「尼崎コレクション」展、入口にはこの資料館の常設展示物である古いフランス映画の大きなポスター(「昼顔」)やカッサンドルのポスターがあり、小部屋に入ると洛中洛外図があり、奥の部屋には江戸後期の森派の「猿」がいたり、二階へ行けば浅井忠のこってりとした「油絵」、そして明治からの「博覧会のポスター」ときれいに言えばバラエティーにとんだ内容、言葉を変えれば「ごっちゃまぜ」。
しかし、そのアンバランス観が非常におもしろい展覧会であった

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 1日 (金)

「神仏習合」 奈良国立博物館

終了した展覧会だが、はたこさんのブログにさそわれて最終日の27日に奈良博へ「神仏習合ーかみとほとけが織りなす信仰と美」を見に行って来た。内容的には非常に密度の濃い内容であり、約200点ある展示物一つ一つが面白かった。

太古、日本人は森羅万象の中に神々を感じ、それを崇まい、畏怖しそして感謝してきた。その神々は心の原風景に存在するもので、具体的な姿は持っていなかった。6世紀に、大陸から仏教が伝来すると「仏」は姿を持ち、その教えを「教典」として話し始めた。これは日本人にとって「驚愕」のことであったと思われる。伝来当時「仏」は「蕃神」として受け入れられており、「神」が実体を持つと言う概念の転回は、ちょうど終戦により、神であった天皇が人間天皇となり、社会の体制がひっくりかえった終戦当時のショックと同様のものであったろう。終戦後、我々日本人が「象徴天皇制」を捨てる事をせず、平和主義の謳歌を享受して発展して来たと同様、当時の日本人も「神」を捨てる事も無く、国家仏教としての「仏」を受け入れて両者を使い分けて来た。日本人の持つ寛容さ(言葉を変えればい曖昧さ)が「神仏習合」を生み出して行ったと思われる。

Img_mara1_1これは広島県御調八幡宮に伝わる女神像。約9世紀末頃の作とされている。

八幡神の信仰は、大分の国東半島にある宇佐八幡宮が本宮であり、東大寺大仏殿の建立にあたり、奈良との結びつきを強め、ついには東大寺の鎮守社となり、東大寺の中に摂社である「手向山神社」へ宇佐の神々が勧進された。この辺を描いた「八幡縁起絵巻」も出展されていた。

地方の神であった宇佐八幡宮が東大寺と結びついて、その勢力を広げて行く様は、日本の神々が生き残って行った一つの典型的な形である。八幡系の神社における神像は「僧形八幡神」と言われる形態をとるものが多く、「八幡神(応神天皇)」の男性像と、「神功皇后」「比売姫(仲津姫)」の三神で祀られることが多い。これはその中の「比売姫」の神像と考えられている。

男神の神像が仏教の影響を受け、僧形をとるのに比べ、女神像はそのふくよかな体型およびおだやかな表情から、日本の古来の女神の持つ多産と豊饒を示し、地母神のイメージに近いものであるような気がする。
様式とか思想面においては「神仏習合」は進んで行ったが、心の中のイメージとか神々に抱く神聖観とかはまだ古来のものが色濃くのこっている状況だったと思われる。

Img_nara2_1これは鳥取県三朝にある「三法寺」の投入堂に伝わる7体の「蔵王権現像」の内の一体。
蔵王権現は役行者が吉野の金峯山で感得した山岳修行者の守護神であるが、あまり詳しい事は知らない。
山岳修行者からの修験道よりこのような激しい神が現れたのは、山神に対する古代から持っていた怖れ、おどろおどろさの感覚と天台・真言密教の持つ山岳修行の行法が結びつき現れたのだろう。

インドで始まった仏教は、その布教のなかで多くの神々をその世界に内包して行った。その中には怒れる不動もいれば、鬼の形相をした菩薩もいる。
それらの者のイメージと、日本古来の山の神が習合が蔵王権現を産み出したのだろう。

「役の行者」の像も出展されていたが、このような特異な神像を産み出した修験道およびその創始者とされている「役の行者」には興味が尽きない。ただこの蔵王権現に関して、その本地となる仏が日本独自のものと考えられるため、通常の神仏習合とは少し異なる様な感じがする。

しかし、この蔵王権現力強い。しっかりと地面を踏みつける片足の太い事。下唇を噛み締めて怒る形相は何に対して発せられる怒りなんだろう。

Img_nara3_1これは京都の松尾神社に伝わる「牛頭天王像」。

「牛頭天王」と言えば、京都の八坂神社。祗園祭はこの「牛頭天王」を祀る事により疫病、災害の厄災から逃れようとするお祭り。

もともと「牛頭天王」はインドの祇園精舎の守り神とされ、それが中国で密教・道教、陰陽道と結びつき、日本では「御霊信仰」と結びついた「除疫神」としてひろがった。

日本では最初「天神」とされており、本地垂迹のなかで「スサノヲノミコト」とされて来た。「スサノヲ」の持つ荒魂(アラタマ)としての姿がこの異様な形相をした仏と結びついたのだろう。

この像は四面二臂で、牛頭を頭頂にいだいた武神像である。このように姿が異様な程その効力は大きいとされたのであろう。

平安時代において、「御霊信仰」はこのような異様な神を祀るパターンと怨霊を祀るパターンとがある。
疫病とか災害はこれらの神の祟りであり、それを仏教功徳の読経(神前読経)や芸能を奉納して慰撫することにより逃れようとしたのである。神を仏の力で慰撫する、祗園祭も神仏習合の一つの事例である。
現在でも、祗園祭の神輿を神泉苑では僧侶が迎えるし、稲荷祭の神輿は東寺で儀礼を受ける。

Img_nara5これは「春日鹿曼荼羅」。
鎌倉時代の作だが、神仏習合の最も顕著な例として考えられる。

神鹿の背に神木である榊に支えられた大きな円形の鏡が描かれている。この鏡は「春日大明神」の御正体であるが、ここに五体の仏菩薩が描かれている。文殊菩薩、釈迦、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音の五体である。これらの仏菩薩はそれぞれ若宮、一宮、二宮、三宮、四宮の本地仏である。

「本地垂迹」とは、日本の神は、仏(本地)が衆生を救済するためにこの世に現れた姿であるとする考え方で、仏を神の上位とするものである。中世にはこれに反して神を本地とする「反本地垂迹説」も出て来たが、片側をもう片側の仮の姿であるとする点で思想的には同じ形式をとる。ヨーロッパ等でギリシアの神々がキリスト教では異端とされた点とはまた異なる。そのところは日本独特の流れとなっている。

この「春日鹿曼荼羅」と細見美術館所有の「春日神鹿御正体」の像、両者とも美術的にも非常に美しいものである。垂迹美術の逸品として心に残った。

このように、日本においては「神」と「仏」は日本人において「習合」という形で解釈され、我々の生活・思想のベースとなってきた。日本人の知恵および特性がこのような形態をとってきたのである。異なった考え方、思想を受け入れる精神的な懐の深さを持ってきたのが我々日本人であると思う。しかしこの頃の状況を見るとその特性も薄れて来たのかなと思えて来る。文頭でも述べた様に、仏教伝来以降の大きな思想の伝来は戦後の民主主義であり、平和憲法であると思う。その辺が最近の状況を見ているとどうもおかしな方向にむかっているような気がする。「神仏習合」という先人の考え方をここででもう一度考えてみる事は、現在にも通じる事であると思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »