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2007年6月12日 (火)

6月12日に思う事

朝、会社でふとカレンダーを見ていて思い出した。今日、6月12日は父親の誕生日だった。過去形になるのは、父は14年前に死んでしまった。

Img_2611父親の事で思い出すのは、私の就職の時の事である。
その頃は、今と違って6月頃から就職活動を行い、7月頃には内定が出ていた。

私の大学は大体ゼミ単位で就職活動を行い、ゼミの教授の顔が効く会社であれば推薦状を持って行けば大体内定をもらえていた。私もそのラインで就職活動を行い、7月には某鉄鋼会社から内定をもらっていた。その最終面接のとき、その頃まだ英語がしゃべれていたのでその話題となり、「入社したら海外へ行く事になるでしょう。」と言われていた。

家に帰って母親とその話をしていると、突然、隣の部屋に居た親父が襖をあけて、
「また海外へ行くのか」とポツンと言った。
実は学生時代ちょっと長い間(といっても1年位だが)海外を彷徨っていて普通より長く学生をやっている。
親父はそれだけいうとまただまってしまった。べつに非難する様子もなくフト言ってみたと言う感じだった。

その年の祗園祭も自分では「これが最後だなぁ」と思いながら参加していた。

それから、長い夏休み私の方もいろいろ事情が合ってなんとなく「京都にいてもいいかなぁ・・・」と思う様になった。

10月のある日、今度はこちらから「家どうすの?」と親父に聞くと、「なんとかなるやろ」と答えが帰って来た。そこで「こっちで就職してもええで」と言うと「今から見つかるのか?」と聞いて来た。「わからん」と答えると、「好きにし」と言ってまた黙り込んだ。

それから、4〜5日して、突然親父が「XX会社、行ってこい」と言い出した。今まで考えていた業種とは全く異なるため面食らったが、まあこれも縁と思って行くと「ここで返事をもらえるなら採用します。」と言われてしまい、ちょっと考えたが結局決めてしまった。帰って親父に報告すると、ちょっと驚いた様子で「お前が決めたんやで!」と言った。

その後、ゼミの教授からは嫌味を言われるし、某鉄鋼会社では叱られるし散々な目に会ったけれども、結局京都に居付いてしまった。今では正解だったと思っている。

後から、いろいろ聞くと親父も持ってる人脈を使い動いてくれたらしい。親戚の連中によると喜んでいたらしい。「あの、親父がねぇ・・・」と今でも思っている。

特に親孝行をしたと言う気はないが、親父の誕生日を何十年降りに思い出し、こんなことまで思い出した。

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コメント

 好日さん、こんにちは。
 子供が巣立っていくことは喜ばしい事ではあるけれど、嬉しいことではない・・・のが親としての本音でしょうか?
 「7歳までは神のうち」と言いますが、子供って幾つになっても親にとっては神様みたいなもんやなぁと最近思います。 
 父の命日は覚えていますが、誕生日は知らないことに今更ながら気が付きました(笑)このまま順調に齢を重ねれば、父の五十周忌の供養が出来る孝行娘なので父も許してくれるでしょう(^^;

投稿: ごうやん | 2007年6月13日 (水) 10時37分

ごうやんさんへ
我家の二人の息子達は、いっこうに巣立つ様子も見せずマイペースですごしておられます。(私も親父から見ればそんな感じだったのでしょう???)まあ時期がくればそれなりにするでしょう。(楽観的すぎるかなぁ・・)
大きな大人が2人もいれば、神様でも疫病神に近いのかなぁと思ってしまいます。
しかし疫病神も居着かれるとかわいいものです。(笑)

投稿: 好日 | 2007年6月13日 (水) 23時28分

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久保田 萬寿水のように飲めてしまう日本酒です。私が実家に住んでいたときには、正月に久保田 萬寿を飲むのが恒例行事でした。 [続きを読む]

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