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2007年6月11日 (月)

「祈り 中村晋也、内なる精神を刻む」京セラ美術館

京セラ美術館で開催されている「祈り 中村晋也、内なる精神を刻む」に行って来た。京セラ美術館はパルスプラザの隣にある京セラ本社ビルの1階にある企業の美術館。日曜日が休みなのと、場所が不便なのでなかなか行く機会は少ない。

Img_nakamura今回この展覧会に行こうと思ったのは、以前薬師寺で中村晋也の「釈迦十大弟子」を見て良かったから。薬師寺の本尊の裏側にその像は並んでいる。その研ぎすまされた雰囲気に惹かれ今回足を運んだ。

中村晋也は大正15生まれで、具象彫刻の作家。鹿児島にその本拠地を構え「祈り」をテーマに多くの作品を作っている。

具象彫刻は人物や静物の形を利用して、作家が考えるその物の本質をあらわそうとするものだと思っている。中村晋也の具象彫像はおおかたが痩せており、純粋な気持ちを表すような表情をしている。中村晋也にとって人間の本質は非常にピュアーなものであり、精神的にシンプルなものとして捉えられているのであろう。それがあのような形となって表現されているのだろう。

期待していた「釈迦十大弟子」は薬師寺で見た彫像の1/3位のミニチュア版だった。薬師寺で見た時はその周りの雰囲気や、大きさから厳しさや修行の末に到達した鋭さのようなものを感じたが、今回間近に見ると、人間らしさが強く感じられた。人間としての哀しみや、人間としての弱々しさをその精神力で打ち破ろうとする気持ちがその表情に浮かんでいるように思えた。悟り切らない弱さを持つ人間の気持ちが今回のテーマである「祈り」という行為に結びつくのであろう。

もう一つのシリーズとして「ミゼレーレ」と題された一群の彫像があった。これは阪神大震災の状況を中村が見て、今までの彼の彫刻では表せなかった人々の哀しみ、絶望感、救いをもとめる気持ちを感じ新たに刻み出した作品群である。男とも女とも見分けがつかない位に削られた彫像群は、その深い哀しみの底から、それを乗り越えようとする人間の崇高さ、気高さを表そうとしている様に思える。打ちのめされた精神の底から生まれて来る人間の精神の純粋な気持ち、それがまた「祈り」という気持ちと重なるのであろう。

人間をあらわす具象彫刻は写真や絵画以上に生々しい部分が有る。自分と同じ体が表現されていることを考えると、つい自分の肉体と比較してしまう。彫刻に刻まれている、削ぎ落された肉体と比べ、己の肉体のなんと弛緩していること。それはそのまま精神の弛緩につながっていることを痛感させられた。

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