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2007年7月22日 (日)

祇園祭あれこれ07「2つの御旅所」

祇園祭の神輿の「御旅所(神輿が洛中に渡御したのち留まる社)」は現在四条寺町にある。

Img_329117日の「神幸祭」で八坂神社から運ばれた3基の神輿はこの場所に鎮座している。

24日の「還幸祭」までの間、多くの人が神輿を拝みにこの場所を訪れる。

人によっては「無言詣」と言い、神輿に参る道中は人としゃべらないことを定めた詣を7日間続け,願をかなえる詣をする人もいる。

しかし、この現在の御旅所は1591年に豊臣秀吉の命により移されたもの。
それまでは他の場所にあった。それも2カ所。

Img_3295これがその1カ所である「大政所御旅所」

烏丸仏光寺を下がった東側のビルの間にある。
この「大政所御旅所」は974年に作られた。

八坂神社に伝わる社伝では「祇園社から蜘蛛の糸が、この地にある『秦助正』という町の長者の家へと続いていた。それに基づき、この地を御旅所として定め、『秦助正』をその神官とした」とされている。

そしてこの「大政所御旅所」には、今の「中御座(スサノヲノミコト=牛頭天王)」と「西御座(ヤハシラノミコガミ)」が渡御され移られた。

この「御旅所」の開設に当たっては、一つに今まで高麗系の渡来人が代々務めていた「八坂神社(祇園社)」の神官が御旅所では突然百済系の渡来人である「秦氏」の名が付く神官に変わっている事。この時代、神社の神官には大きな権益が付いていた事を考えると、何か大きな変化があったと思われる。

もう一つは、疫病をもたらす神であった八坂の神が、渡御し洛中に滞在する事で、疫病から守る神へ変化したこと。八坂の神(スサノヲノミコト)の観念が大きく変わったことに他ならない。

もう一つの御旅所は「少将井の御旅所」。
場所は、現在の二条東洞院あたり(京都新聞社ビルの東側)にあったとされる井戸が御旅所となっていたとされている。町名では残っているが具体的な社等は見当たらない。

この御旅所には「東御座(クシイナダヒメ=ハリサイジョ)が渡御し滞在した。

現在「大政所御旅所」には還幸祭の時、3基の神輿が立ち寄り昔の情景を復元している。

祇園祭もその長い歴史において、時代の趨勢や経済基盤の変動により、また多くの要素を習合することでその姿を変えて来た。
しかし、基本となるのは京都の町衆の神への信仰であり、町衆としての誇りであった。
この精神は今後もずっと伝承されていかなければならないと思う。

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