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2007年7月19日 (木)

祇園祭あれこれ07「駒形稚児」

「神幸祭」「還幸祭」において中御座神輿の先頭をとるのは、白馬に乗ったお稚児さん。
このお稚児さんが「駒形稚児」。

祇園祭の稚児さんとしては、長刀鉾の稚児さんが有名だが、この祭りの歴史を調べると神事としてこの「駒形稚児」は重要な役目をになっていることがわかる。

Img_9886京都の南にある「久世」地区に「綾戸國中社」がある。
「駒形稚児」はこの神社から出て来られる。

「綾戸國中神社」は元々は「綾戸神社」と「國中神社」に分かれていたが、16世紀頃に「國中神社」が遷されて、現在の「綾戸國中神社」となった。

「綾戸神社」の御祭神は、この地を流れる大堰川(桂川)の祓神である「大綾津日神」。この地の産土神である。

「國中神社」の御祭神は「スサノヲノミコト」。八坂神社の主祭神と同じ。しかし八坂神社に祀られている「スサノヲノミコト」はこの神の優しい側面を表した「和御魂(にぎみたま)」。そして「國中神社」にはこの神の荒々しい側面をあらわす「荒御魂(あらみたま)」が祀られている。

この二つの御魂が一つになって初めて「スサノヲノミコト」の実体が現れ、霊験があらたかになるとされている。平安時代の記録にも「この稚児が八坂に来なければ、神輿渡御を行ってはならない。」としたものが残っている。よってこの稚児無くしては「祇園祭」は成り立たないのである。

では、八坂神社から遠くは慣れた久世の地に何故「スサノヲノミコト」が祀られているかというと、社伝には、「神代の時代、この地がまだ大水に覆われていた時、天から「スサノヲノミコト」が降臨し、水を切り、この地を開き、それが印に愛馬「天幸駒」の頭を木に彫り残した」とされている。

この御神体である駒形(馬の頭の木彫)をこの稚児は胸に掛けているため「駒形稚児」と呼ばれる。

御神体を身に着けているのでこの稚児さんは神と同格。そのため「皇族下馬」とされる八坂神社の境内も馬上で参内する。長刀鉾の稚児はあくまでも神の使いであり、神である駒形稚児とはその地位、扱いにおいて大きく異なる。駒形稚児は別格の扱いとされている。

古来、八坂神社の神官は代々高麗系の渡来人である「狛氏」一族によって引継がれていた。久世地区から八幡に掛けての地区も古来には木津川あたりにいた高麗系の渡来人が進出していたと考えられている。同じ高麗系の渡来人達が、同じ神を祀り、一緒になって祭りを行う事はあり得る事である。疫病の災厄除去を願う祗園祭は、それ以外にも渡来人達の祭という一面をその華やかな様子のなかに隠し持っているのである。

この「駒形稚児」の神事が何時から行われていたかは不明だが、平安末期に編集された「年中行事絵巻」にその記述が残っている事を見ると、祇園祭の初期の段階から行われていた由緒ある神事であることがわかる。

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コメント

これも知らなかったことばかり・・・。
二社のご祭神は、荒御魂と和御魂の、二位一体のような関係だったのですね。
長刀鉾のお稚児さんが有名なので、位(?)が上なのだと思っていました。駒形稚児は神そのもの・・・。

コマ氏にゆかりの祇園社、ハタ氏にゆかりの伏見稲荷や松尾大社・・・。京都には渡来人の歴史が脈々と受け継がれているのですね。

投稿: はたこ | 2007年7月20日 (金) 22時23分

はたこさんへ
京都の古い事を調べていますと、必ずどこかで「渡来人」と出会います。それだけ京都が昔からインターナショナルな都であった事を思い知らされます。

祗園社についても狛氏と秦氏の間でなにか関係があったと思っていますが、まだ詳しい事は調べられてません。四条坊城にある「梛の宮神社」もその点では不思議な神社です。
まだまだ奥が深いですね・・・・。

それから、この「駒形稚児」さん還幸祭のとき、夕方の休息を三若の町会所でとられます。当たり前ですけど近くで見ると普通のお子さんです。

投稿: 好日 | 2007年7月21日 (土) 02時19分

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