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2007年8月の13件の記事

2007年8月31日 (金)

フィラデルフィア美術館展 「クレーとミロ」

「画を見るってたのしいなぁ!」という事を実感させるのがこの二枚の画。

Phila1これはクレーの「魚の魔術」。
クレー独特の世界が現れた代表作である。

カンバスに順々に黄色や、朱色、青色を塗り重ねていき最後に黒い色を塗る。そして、そのカンバスを削る様にして魚屋、花、時計台等が描かれている。

具体的にこの画が何を示そうとしているのかはわからない。単なるイメージの羅列かもしれない。しかし色調、描かれているフォルム、ひとつひとつの事物の間、それらが魔法の世界に引きずり込む。画を見る快感が得られる画である。

子供の頃、何気なく拡げた絵本の中に驚く様な不思議な世界が描かれており見取れた経験を思い出す。見る者を幼い頃の思い出に沈め込む。そんな力がこの画にはある。

この画の近くにカンディンスキーの画もあったが、抽象画の創始者とされるカンディンスキーとこのクレーはある時期同じ学校の教師をしていた。その学校はドイツの工芸学校である「バウハウス」。カンディンスキーはステンドグラスを、クレーはタピストリを教えていたらしい。近代、現代の建築やデザインに大きな影響を与えた「バウハウス」。あらためてその凄さを知らされる。

Phila6この画はミロの「月の吠える犬」。

とぼけた色に塗り分けられた犬が、またまた奇妙な月に向かって吠えている。その月へはなにか梯子がかかっている。なんとまぁ、とぼけた画であるが微笑みを浮かべながら思わず魅入ってしまう。
わけのわからない「なごみ」を感じる画である。

今回の展覧会でもミロのこの画は、「シュルレアリスムの夢」と名付けられたコーナーにキリコやマグリットと並んで展示されていた。しかしこの画も含めて色々なミロの作品をみてきたが、単にシュルレアリストと呼ぶ以上の才能を彼には感じる。彼はスペインのカタルーニャ地方の出身だが、この地はガウディとかピカソとかちょっと想像を絶する天才があらわれる地域で、ミロもそのひとりかなと思う。(あっ、ダリもカタルーニャだ!)

この2枚の画、画像で見ると暗い感じがするが、実物はいい感じの色がでていますよ。ぜひ本物をどうぞ!そして、お子さんがいられるなら一緒に見に連れて行ってあげてください。絵を描く楽しみ、絵を見る楽しみが実感できますよ。けっしてひねくった大人の眼で見てはだめですよ。子供の眼で、純粋に!

*フィラデルフィア美術館展「印象派と20世紀の美術」
 京都市美術館  7/14〜9/24

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2007年8月27日 (月)

フィラデルフィア美術館展 「マティスとピカソ」

20世紀を代表するマティスとピカソ、この二人の画もいいのが来ていた。

11これはマティスの「青いドレスの女」(1932)

マティスの画は一言で言えば「洗練されている」という感じがする。色使い、構図すべてがいいなぁ。
この画においても、使われている色はたったの5色。青、赤、黄色、黒、そして白。大きく広がった青色のスカート。背景に描かれているマティスの肖像画。すべてが調和を保っている。好みの画である。

マティスは自叙伝等や解説書を読むと、非常に作品を作るプロセスを重要視した。絵というものは結果ではなく、プロセスに意義があると考えていた様に思える。そのプロセスに置いて対象と画家とのかかわり、時間的な変化、画家自身の意識と葛藤、これらの総合結果が一枚の絵になると考えていた。

個展なんかでも、画と一緒に途中経過を写した写真を同時に展示していた位である。

この画も簡単に描かれた様に見えるが、マティスとしては考えて考え抜いた結果生まれた構図であり色の配色であろう。

そのような意味から見て、マティスの画は奔放な様に見えるが実は非常に知的な行為の産物であるという事が出来る。だから揺れ動く制作の過程で生まれて来る画は一枚とは限らず、色々なバリエーションを生む事もある。向かいの国立近代美術館にもちょうどこの時期に描かれた「鏡の前の青いドレス」と名付けられているマティスの画が今展示されている。

22これはピカソの「三人の音楽師」

ピカソのキュビスム時代の傑作である。立体をペシャンと押しつぶした様な平面でとらえ、面の構成で描いて行く技法による画である。

思っていた以上に大きく見える絵でその迫力に圧倒される。

マティスの画と異なり、ピカソの画にはピカソから発せられる野性的な力の様なものを感じる。「俺はピカソだぞ!」という様な生々しさが感じられる。それが押し付けがましい感じではなく、見る者を納得させる様な感じで迫って来る。そこがピカソのすごいところである。

(実はこの画、パッと見た時「スターウォーズ」を思い出した。右にオビ=ワン・ケノービ、真中が白い戦闘服を着たルーク、左がベイダー。その3人が楽器をならしてる!と思ってしまった。ちょっと突飛かなぁ?
そんな感じしませんか?)

マティスとピカソ、おたがいライバルとして競そうように作品を作っていった。しかしこの二人お互いにそのすごさは認めあっていた。マティスは「もし今やっているようなことをやっていなければ、ピカソのように描きたい」と言い、ピカソは「私程、マティスの作品を注意深く見て来たものはいないし、マティス程私の作品を注意深く見て来た者はいない。」と言っている。

この二人の作品が向かい合って並んでいる。間に入って見比べるのも面白いではないだろうか。

*フィラデルフィア美術館展「印象派と20世紀の美術」
 京都市美術館  7/14〜9/24

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2007年8月26日 (日)

フィラデルフィア美術館展 「ルノアールとモネ」

有名な美術館の名前を付けた美術展は期待倒れに終わるものが多いが、京都市美術館で開催されている「フィラデルフィア美術館展」はその構成、展示作品において非常に趣味の良いものである。

そんな中からまずルノアールとモネ。

Img_phila1ルノアールは今回4点来ている。ポスターにもなっている「ルグラン嬢の肖像」、「アリーヌ・シャリゴの肖像」「大きな浴女」「レース編みをする少女」。そのなかで目につくのは「大きな浴女」。(「ルグラン嬢の肖像」に惹かれる部分もあるが、それはあの少女の顔立ちによるものが多い。)

ルノアールは印象派の画家であると思われているが、印象派としての絵を描いたのは案外短い期間。
時代的には1860〜1880年くらいの間。それ以降はむしろ古典的な雰囲気の画に、ルノアール独特の色彩を持ち込んだ画を描いた。この「大きな浴女」は1905年の作とされているから晩年の作。

まず目につくのは、豊満な下半身。この頃のルノアールの裸婦にはこの様な体型の女性が多い。豊かな下半身に比べ、異様に小さいのが頭部。そのアンバランスさを補っているのが豊かな髪と浴女と同化するような背景。同じ様に目につくのが顔の色と下半身の肌色とが異なった色調を見せている事。

顔の部分は赤を基調としているが、体の部分は本当に微妙な色調である。ルノアールらしいのは体の部分。影になる部分やへこんだ部分においては肌色に薄い青や灰色を重ねてトーンを落し、光っている部分には白を基調として描き、透明感を持つ肌と肉体としての肌を両立し見事に描いている。継続した面としての立体を微妙は色調の変化で表して行く。これがルノワールが晩年に描きたかった画だと思う。

晩年、裸婦の画が多かったのも、そのような画を描く題材として、曲面としての人間の体が最も適したものであったからではなかろうか。晩年のルノワールを示す優品であると思う。

Img_philaモネは5枚。その内「睡蓮、日本の橋」がすごかった。6月に東京の新国立美術館で開催されていた「モネ展」でもこれと同じ様なボストン美術館所蔵の絵を見て来たがその時の興奮がまたよみがえる。

モネは多くの連作を行っている。ポプラ並木、橋、積み藁、そして睡蓮と。執拗に同じ題材を同じ視点から描いたものをキャンバスに残している。同じ様に見える絵にも微妙な点で題材の変化とモネの変化を感じる事が出来る。

この「睡蓮、日本の橋」も他の睡蓮と同様に一連の流れのなかでの作品である。当初の睡蓮の画から比べると大きく変わってきている。この頃になると、モネの絵からはフォルムが消えて行き、色の氾濫とも色の集積とも言える様相を帯びて来る。この絵にしても、画題を見なければ何が描かれているのかは理解できない状態である。いや、題材を知ってもその情景を知る事は不可能なかもしれない。一種の抽象画と言えるものである。

これには、モネの中での事情もある。モネは以前から「白内障」を患っており、この頃にはものの輪郭を捉える事は難しかったと言われる。その眼に見えて来るのはフォルムを色として認識する世界であっただろうと思える。(「白内障」に罹った場合の見える世界というものはあくまでも想像だが・・・)
モネが長年追い求めた光の世界とは色だけが存在する世界になったのである。

しかし、モネのこの「描く」という行為にたいする執念には驚かされる。自分が失明に近い状態であってもなんとか自分の追い求める美を描こうとする気持ち。これは先程のルノアールにも言える事である。ルノアールも晩年はリュウマチを患い、その傷む手に絵筆を縛り付けて作品を描いていたらしい。これらの美しい2枚の絵の中に、2人の画家のものすごい生き様が描かれている。

印象派の絵というと、美しく、暖かで、見る者をほのぼのさせるが、その裏で画家達は悩み、苦しみ、必死に生きてあの絵を産み出してきたのである。そう思うと印象派の絵に対する見方もまた少しは変わるのではないだろうか。

*フィラデルフィア美術館展「印象派と20世紀の美術」
 京都市美術館  7/14〜9/24

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2007年8月21日 (火)

「お盆の夏の夜には・・・」

この間の晩、ちょっと奇妙な体験をした。
夜に友人から電話が掛かって来た。「MACの調子が悪いんや。見てくれへんか?」。友人は医者なので京都の某所にある病院へタクシーで行った。8時頃だったかなぁ。

Img_3503この病院、古くからあり広い敷地の中に病棟が点在している。その病棟間は渡り廊下で繋いである。

緊急の入口で友人の名前を告げると、暫くして友人が迎えに来た。一緒に友人の部屋まで行き、MACの修理は30分程で終わった。その後、とりとめもない話を少しして10時頃帰る事にした。

「車か?」と聞くので「ビール飲んでたしタクシーや。下まで行ったらあるやろ」。「ほな、出口まで送るは」という友人の申し出を断り一人部屋を出た。消灯時間を過ぎると渡り廊下の灯りは非常灯だけになり、センサーで人の動きを感知すると点くようになっている。幾つかの廊下を通り最後の渡り廊下で残りが三分の一あたりで突然頭上の蛍光灯が消えた。一瞬ドキッとしたが出口の灯りが見えていたので先を急いだ。

緊急用の入口から出て病院の敷地内の道を通って門の方へ行くと、入った所にタクシーが一台空車のランプを点けて停まっているのが見えた。「ラッキー、歩かんでもすむ!」と思いタクシーに近づくとドアが待っていたかのようにスーッと開いた。

Img_8533いつもは助手席側の後ろに座るのだが、なんとなく運転手さんの後ろ近くに座ってしまった。ドアは開いたまま。怪訝そうに運転手さん「お一人ですか?」と聞くので「一人」と答えると、「さっき車を止めた男の人が『ちょっと待っててや』と言ってあっちの方へ行かはったんやけど、お客さんと違うんかなぁ?」と言い出した。示す方向は入口とは反対の方向。「あっそうか。ほな悪いし降りるわ」と言うと、運転手さん「10分以上待ってるし、行きますわ!」と言い出す。「そら悪いし、もうちょっと待と。来やはったら別のん無線で呼んで」と言うがいっこうに現れない。

5分以上たち、痺れを切らした様に「無線違うし行きますわ。何処までです?」と言って運転手さん車を出す。

暫く走った所で運転手さんが、「私は初めてですけど、病院やお墓の近くでたまにこんな事あるって仲間に聞いてます。」と突然言い出した。
「え〜っ、そういうことは、車止めた男の人は・・・・・」
運転手さん、返事をせずに前を睨んでいる。

それから20分間程、隣の空いているドア側のシートの辺が重苦しい雰囲気なこと!

やっと家に着き、降りしな「気付けて下さい!」と運転手さんが言い、「そっちも」と言い返す。

家に帰ると今度は居間から嫁さんがいつもと違う雰囲気で、「えーとこ帰って来たは、怖いねん」と言っている。今度は何かと思い、見ている方を覗くとテレビで「リング(洋版)」をやっていた。
ちょうど「サダコ」が井戸から這い上がって来る場面。

嫁さんの横に並んで座り見てしまいました。

お盆の夏の夜ですね〜。
尚、先の話は嫁さんには怖がるので内緒です。

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2007年8月19日 (日)

「地蔵盆」

町内にある「お地蔵さん」を祀り、町内の子供達の平安を願う行事が「地蔵盆」。毎年八月の盂蘭盆会のこの頃、京都の各町内で行われる。

Img_3556家の町内では、17日の夜から準備を始め、18日から19日にかけての2日間、町内あげて行われた。

といっても世話役を担当するのは町内会長等役員の方々と組長の方々14〜15名。

まず17日、お地蔵さんを洗い清めて新しく色を塗りお化粧をし、我町の場合は祇園祭の会所に運び込む。そしてお供え物をし、提灯等を飾り付けて祀る。提灯には町内の子供の名前が書いてある。女の子は赤、男の子は白で、その子が地蔵盆に参加している間(だいたい中学の間まで)は、毎年飾られる。

初日の18日は坊さんによる読経から始まる。昔は「数珠回し」といって町内の子供が、直径2~3メートルの大きな数珠をかこんですわり、坊さんの読経にあわせて順々にまわすという行事があったが、今は子供の数も少なくなり行わなくなった。

それが終わると子供達が「お地蔵さん」の前で遊び出す。家から玩具を持ち寄ったり、世話役の大人達とゲームをしたり、子供のお祭りらしくなる。(といっても今は子供も少なくなり10人位)。

Img_3559_3やがて「おやつ」の時間となる。10時と12時と3時の一日3回。お菓子やら、マクドやら、アイスクリーム等。(このへんは担当する世話役の腕の見せ所。子供の好みにあうものを揃える。)

夜になると、本日のメインイベントの「夜店」が始まる。昔は「盆踊り」なんかもやっていたらしいが、今は場所も無くなり、道に夜店を並べ、キャンプのテーブルなんかをズラーッと並べて町内の路上懇親会。

今回行った催しは、焼きそば、おでん、みたらし、焼きとうもろこし、かき氷、フランクフルト、金魚すくい、串カツ、花火、西瓜割り等。ビール、酎ハイ、ジュース等も飲み放題。

町内の老人やら、子供やら全てが集まって来る。家の町内は約60世帯位とマンションが3軒あるから、約150人位が集まって来る。

今回、みたらし、焼きとうもろこしを担当してたので、焼きましたね〜。約3時間。なんやかんやで400本近くずーっと焼いてました。案外風があって助かりましたが、しかし疲れました。ビールなんか何本飲んでもすぐ汗になります。
みたらし焼くのん、専門家になりました!

翌日の19日はメインは「福引き」。昔は2階から当たった物をザルで降ろしていたのですが、大分前から省略形。会所の入口で籤を引いてその場で渡して行く。
家庭用は日用雑貨やお米、子供は玩具や図書券。老人の方が景品をもらって声をあげて喜んでおられる姿がほほえましい。

昼前にそれを終わり、これで終了。
以後、後片付けと「ご苦労さん会」。やっと長い2日間が終わりました。

中世頃から盛んになった「地蔵盆」。この頃はだんだん簡略化されて行き、3日間が2日間になり、1日になっているところも多くなっている。しかし、町内の子供達の安全を町内全員で願うという気持ちは大事にしたいものである。子供の顔を覚え、町内の親睦を高めるという集まりは、今の世相を考えると逆に必要とされることではないだろうか。

京都の各町内での「チーム地蔵盆」メンバーの活躍は、ごうやんさんはたこさんのブログでどうぞ。

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2007年8月16日 (木)

「五山の送り火」

お精霊さんを送る「五山の送り火」が夜空を焦がします。
まず、午後八時に東山の銀閣寺近くにある如意ケ岳の「大文字」から始まります。

Img_3539はじめは点々とした松明の明かりが見え出し、突然その火が走り「大」の字が現れます。

すこし向かって右側の部分が長く跳ねられていますが、立派な字です。
だんだん火の勢いが強くなり、一つ一つの火床の炎が、遠く離れた所から見ていても目につく様になります。
煙が山肌を這って行く様子も窺えます。

「五山の送り火」を毎年何処かで見ているのですが、今年は欲張って4つを見ようと知人のビルの屋上に来ました。そのビルの近所の方々と知人の方々とでのこじんまりとした「送り火」です。

「大文字」の字が燃え盛ると、周りの人々がじっとその火に魅入られる様に眺めています。
ビルの下の大通りから車の走る音がときたま上がって来る位です。

パチパチと燃える音が聞こえて来る様な気がし、去り行くご先祖さんに手を合わせます。

やがて、「妙法」の方が明るくなりますが、残念ながら山が低いため、見ている所からは字の上の部分しか見られません。

Img_3554つぎは「船形」と思い、その方向に目をやるが、その前に金閣寺にある「左大文字」に火がつきました。
あれよあれよと思う間に、左大文字の姿が見えて来ました。

「左大文字」は寝た様な感じで見えます。案外近いので炎は鮮やかです。
なぜか、このビルからは走り去る人の絵文字のような感じがしました。
冥界へ戻るご先祖さんの姿でしょうか?

少し遅れて、「船形」も火がつきました。
これも近いです。ぱっぱっと火が流れ瞬く間に、船の形が現れます。

Img_3551残りの一つの「鳥居」は、北嵯峨のため京都の中心部からは見えません。(昨年は「鳥居」のみを見に行きました。)

この「五山の送り火」、現在は5つの送り火となっていますが、江戸時代にはもっと色々とあったそうです。
市原野の「い」、鳴滝の「一」、北嵯峨の「蛇」等が同じこの時期に灯されたそうです。

これらがいつ始まったかというのは、江戸時代までは記録にありますが、それ以前がないため室町時代とか言われてますがわからないとされています。

この送り火が終わると、京都の街では「地蔵盆」が各町内で始まります。そして朝晩はすごしやすくなって来ます。でも今年のこの猛暑をみれば、まだまだ残暑は厳しそうです。

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2007年8月13日 (月)

「壬生寺万燈供養会」

お盆のこの時期、壬生寺でも万燈供養会が行われている。

Img_3535日が西山に沈むと、いつもは暗闇に包まれる壬生寺の本堂が突然光の壁に覆われる。

本堂の正面が供養の灯籠で覆われるのである。その数約1000個。

古びた本堂がまるで現代の建築物かの様な様相を見せる。
4〜5年前このような光の壁面を持つビルがはやった。東京の銀座のシャネルのビルや、表参道のプラダのビル、京都では烏丸御池のニチコンのビル等。それが突然壬生寺に現れる。

お盆のときの奇跡ですね。

Img_3525いつ頃からこのような飾り付けをするようになったのかは知らないが、「壬生寺万燈供養会」は調べると、平安時代の末期には行われていた事が記録に残っているらしい。

近寄ってみると、一つ一つの灯籠に、供養する先祖の名前と施主の名前が書いてある。大きさが統一されているため、整然とした壁になる。それが時たま吹いて来る風にのりユラユラと揺れる様は非常に美しい物である。

もともとこの様にお寺で行う「万燈会」は、各個人が家々で、旧暦のこの時期に行っていた先祖霊の「迎え火」からはじまったと考えられている。

Img_3534このような「先祖崇拝」の因習が、仏教の「盂蘭盆会」と結びつき現在のお盆の行事やこのような「万燈会」になったものである。

また先祖を送るときに灯す「送り火」が、「五山の送り火」となっていったのである。

一年の折返しの今頃、また疫病や暑さで体がまいって来る今頃、御先祖を供養する事によりその結びつきを強め、新たな力を授かる。昔の人達の生活の知恵である。

このようにして迎えた御先祖さんを家ではお供えやお膳をあげてもてなす。そのへんははたこさんのブログで。

*「壬生寺万燈供養会」(壬生寺)
 8月9日〜8月16日 日没後10時まで

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2007年8月12日 (日)

「納涼!下鴨神社古本祭り」

下鴨神社の糺の森でおこなわれている「納涼!下鴨神社古本祭り」に行って来た。

Img_3497毎年、夏のお盆の時期に糺の森で開かれるこの古本祭りも大分回数を重ねて来て、今や夏の風物詩の一つになっている。

河原町今出川から炎天下(今日は本当に暑かった。日差しが肌に刺さる感じ!)てくてくと下鴨神社まで歩く。糺の森にはいれば、緑滴る木陰はさすがに涼しい。「納涼!」という感じがする。

しかし周りを見渡せば「古書!古本!古書!古本!」。戦前の雑誌から最近の文庫本まで、主催者側の説によると約80万冊。40軒程の古書店がテントを並べ本をズラーッと並べている。本好きにはたまらない風景。

Img_3499今回特に探している本はないが、一つ一つの店から覗いて行く。

特に関心の高い分野の本は丁寧に見て行く。そんな中で時々目につくのは図書館からの廃本というか整理された本。なかなか良い本が揃っている。今回「光華大学図書館」から多くでていた。それも関心の高い宗教系、民俗学系の本が大量に。いくつか欲しいのが合ったが、ただ背表紙に分類のシールが貼ってあり、また大きく蔵書印も押されているはちょっと抵抗がある。

別に古書とか古本に抵抗があるわけでなく、かえって必要な人に必要な本が再利用されるのは喜ばしい事だと思っているのだが、図書館の本はちょっと家の書棚に並べておくのは気が引ける様な感じがする。

Img_3537しかし、これだけ大量の本の中から好みの物を見つけるのはなかなか難しい。だから、こういう古書展等で見つける本とは縁があるのだろうと思っている。そのためついつい買いすぎてしまう。

今回は嫁さんから置く場所が無いと強く釘を刺されているのでほどほどにしておく。
(実は、本日は品定めだけで終わる予定。もう一回ねらった本を買いに来る予定。)

でもついつい買ってしまう。(と言ってる嫁さんも本を抱えてうろちょろしている。)

これは本日の戦利品。

「聊斎志異」は訳文の調子がよかったから。

「漢字の世界」は昨年亡くなった白川静氏に敬意をはらって。

*8月11日(土)~16日(木)
  下鴨納涼古本まつり(下鴨神社糺の森)

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2007年8月11日 (土)

「六道の辻」

「六道参り」の帰り、いつものように松原通りを西に行き、「六道の辻」に出る。

平安時代から、この辺りから東山にかけては鳥野辺(とりのべ)と呼ばれる葬送の地であった。亡くなった人の霊に僧侶が引導を渡す、いわゆる野辺送りの地で、冥界への入り口にあたるとされていた。

Img_3452その由来にふさわしく、この辻には「幽霊飴」を売っている店がある。以前は「六道珍皇寺」の向かい位にあったと覚えているのだが?、いつの間にかに六道の辻に来ている。

「江戸時代、亡くなった女の墓から赤ん坊の泣き声がするので、墓を掘り起こすと立派な赤ん坊が産み落とされていた。そういえば最近、夜に飴を買いに来る若い女がいたという。亡くなった女が子供を育てるため幽霊となり、この飴で子供を育てていたらしい。その後女の幽霊が来る事も無く、子供は無事育てられた。」という話が伝わる飴である。

Img_7915その向かいには「西福寺」がある。

このお寺も、なかなかディープな雰囲気のするお寺。
このお寺は、弘法大師が地蔵堂を建てたことから始まるとされており、六波羅の地蔵堂として有名。また、境内には不動堂があり、末廣不動明王が祀られている。これは後白河法皇が那智の不動尊を勧請したとされている。そのため、室町時代以降になると熊野詣でを勧める熊野比丘尼が多く住み着くようになり、厄除けの八咫烏(やたがらす)の熊野牛王印札を売っていたらしい。

そのためこの時期お寺では、「熊野那智曼陀羅図」、「六道十戒図」、「檀林皇后九相図」等、おどろおどろしい絵図が公開されている。これはなかなか見応えのある絵である。

本堂の方からは、おじいさん、おばあさんによる御詠歌が響いて来る。このお盆の時期にぴったりの雰囲気。

Img_3474この「西福寺」から南に下がると「六波羅密寺」に着く。
このお寺では萬燈会を行っている。「六波羅密」とは彼岸へ導く6つの修行法のこと。

このお寺は、空也上人が平安時代に建てたお寺で、平安末期においては平家一門がその栄華を極めた豪邸を建てた所。平家没落とともに焼失したが鎌倉時代に再建され現在に至る。

平家物語の舞台となった所で、それにまつわる平清盛の塚や阿古屋の塚もある。

本堂では、16日に行われる「大文字の送り火」の原型であるといわれている「大」の字の燈明が灯っていた。

六道の辻のこのあたり、やはり盆の頃の今頃が最も雰囲気が表れる。京都の昔から伝えられた因習が夏の夜の闇の中にその姿を現して来る。

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2007年8月10日 (金)

「六道参り」

京都のお盆は「六道さん」へお精霊(おしょらい)さんを迎えに行く事からはじまる。
お精霊さんとは、ご先祖さんの亡くなった霊のこと。これらの霊が東山松原を西に入った所にある「六道珍皇寺」にある井戸を通じて、お盆のこの時期この世に帰ってこられる。このお迎えの行事が「六道参り」。

京都の色んなお寺で精霊迎えの行事は行われるが、この「六道珍皇寺」と「千本えんま堂」が有名。
普段は静かなこのお寺廻りも、この頃になると大層な人で賑わう。

Img_3421お寺に入るとこの期間秘仏である「薬師如来」が開帳されている。平安時代の作であり、その優しそうな微笑みが気持ちを和らげる。
その隣には、「閻魔像」と「小野篁像」が並んでいる。

「小野篁」は平安時代の役人・学者であって、昼は役所に勤めていたが、夜は閻魔大王に仕えていたとされている。そして冥界に出入りする道がこの「六道珍皇寺」に残されている井戸。

よって、ここの井戸は冥界に通じており、その道をご先祖さん達は戻って来るとされている。

この篁像、閻魔さんに仕えていた人だけあり鋭い目付きをしている。しかしなかなか男前!

Img_7903それから、ご先祖さんの名前を書いた水塔婆を書いてもらい、それを持って「迎え鐘」を撞く。
毎年お迎えに来る人が増えるのか、この行列は延々と寺を出て、建仁寺のあたりまで続いている。

狭く暗いお寺の横の道に、多くの人達が並んでいる。しかしこれも行事のひとつ。
「去年はこんなに並ばへんかったねぇ?」とか「今年はまだ風があってすずしいね」とか言いながら、先に撞く人達の鐘の音を聞き、扇子をパタパタさして並んでいる。

やがて番が回って来る。ここの鐘は、曵いてならす。何故か皆さん二回撞く。ひとつめは小さめに、二回目は強く。「か〜ん、か〜ん」とご先祖さんに知らせる様に。

Img_7889本堂に参り、お蠟燭をあげる。

お蠟燭を頼むと、受付の人が大きな声で本堂に「大」、「小」とか伝える様子がおもしろい。
人によっては「大・大・小・大」とか続けてどなっている。

それから水塔婆を横の線香の煙を清める。
その水塔婆を持って、今度はお地蔵さんの方へ納めに行く。

石仏のお地蔵さんがずら〜っと並んだ所に、水塔婆を納め槇の枝で水を掛けて行く。

Img_3447これでご先祖さんは帰って来られます。

とここまで書いて、ふと「去年も同じ事書いてたなぁ・・」と思ってしまった。

毎年同じ様な行事が繰り返されて、続けられている。この「六道参り」は平安の時代からずっと続けられているものである。細かい所や周りの雰囲気は変わっても、大筋は変わっていないだろう。誰が教える訳でもなく親から子へ、子から孫へと当たり前の事として続けられているものである。

思えば、私もいつかはこの道を帰って来る事になるだろう。誰が迎えに来てくれるのか知らないがやがては通る道だ。
その時迷わない様に、しっかりと覚えておこう!

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2007年8月 7日 (火)

家(うち)のごっつぉ 「加茂茄子の田楽」

知り合いから「加茂茄子」と「万願寺唐辛子」をもらったので早速食べてみた。

Img_3333加茂茄子は半分に切って、まずさーっと油を通す。
そんなに揚げ切らなくてもいいみたい。

それから田楽味噌を作る。白味噌と八丁味噌とお酒と味醂と砂糖をほんのひとつかみ。雪平鍋でゆっくりと練って行く。あくまでも弱火で。

とろりとしてきたら、もう一我慢したのちに卵をよく溶いたのを入れ、また練り上げる。
白味噌と八丁味噌の割合を変える事で田楽味噌の色が決まるが、家では黒っぽい色へ混ぜ合わせる。

味噌ができたら、お茄子に塗ってオーブンへ。

ここできっちりと焼き上げる所もあるが、家では焦げ目が付くか付かないかぐらいで止める。
茄子の水っぽさが多く残っている方が好み。

Img_3330万願寺唐辛子のほうは単に網で焼くだけ。

この頃、万願寺も赤いのがつくられるようになった。(以前からあったのかもしれないが、知ってるのは緑。)

ピーマンとパブリカの関係みたいなものかな?
食べてみると赤い色の方が、甘味が強い様な感じがする。

これには醤油をかけて食べる。

ついでに「にゅうめんも食べたいな?」と嫁さんにリクエストしたところ、「他のおかずもつくらんなのに、食べたかったら自分で作って!」と拒否されてしまった。

今日はこれで我慢。

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2007年8月 5日 (日)

「打ち水」

カンカン照りの昼間外出をしており、夕方家に帰って来た。
体の方は、シャワーにかかりさっぱりしたが座敷で寝転んでいると、玄関や庭先からはいって来る風はまだ熱気を帯びている。
そこで「打ち水」をする。

Img_3414まずは玄関から。
じょろに水を入れ、たたきに適当に撒いて行く。
玄関に置いてある植木にも遠慮なく上から水を掛けて行く。

水を撒いて行く行為ををするだけで、気分的に少し涼しくなって行く様な気がする。
縁の下から伝わった来る風もすこしひんやりしてくる。

次ぎに中庭。家は京都の町家と同じ様に細長い「うなぎの寝床」の形をしている。
色々と手を加えている部分もあるが基本的には昔からの構造。
一番奥の座敷にいくまでに小さい坪庭がある。

ここにもたっぷりと水を撒く。
ここは廊下を越えて水を運ばなければならないのでちょっと面倒だが、植木までしっかりと水を含ませる。
今までの経験から、この小さい庭にたっぷり水を撒くことで家全体が涼しくなる。

Img_3415最後は奥の庭。
ここへはホースで水を撒く。

子供の頃、水撒きは面白い手伝いであった。
バケツなり、柄杓でパーッ、パーッと水を打って行く。水に当たると植木やシダ・苔がお辞儀する様に揺れて行く。ホースで撒く様になっても、上に向けてホースの口を絞り、雨の様に振りまいて行く。

あたりの乾いた空気が湿気をおびたような匂いになっていく。

大きく伸びた植木のにも葉までとどくようにきつく口をすぼめ飛ばして行く。

大人になった今やってみてもなかなか面白い。

ついでに屋根にまで、水をかける。
水を止めると、葉のさきや、トユずたいに落ちて行く水滴の音がポトポトとしてくる。

座敷に戻り、再び寝転ぶ。
はいって来る風は少しは涼しくなったようだ。

やってみるとわかるが、「打ち水」の涼しさというものは、五感で感じるものである。
水滴の音、湿った空気の匂い、濡れて黒ずんだ石、そして水を打ったという満足感。

決してクーラーでは味わえない涼しさである。

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2007年8月 1日 (水)

「岩さき」

祇園祭もひとくぎりつき、ちょっと落ち着いた所で食事でもと、最近近所で噂になっている割烹「岩さき」へ嫁さんと行って来た。

今年の春前にできたこの店は、御池釜座を少し上がった東側のビルの一階にある。
はいってみると、カウンターが6席と奥に座敷風に4席ほど。こじんまりとしたお店。

初めて行くお店は緊張する。期待半分、心配半分。でもこの店、はいった途端なにかほっこりした気分になる。おかみさんがにこっと笑って迎えてくれる。それだけで気分がほぐれる。

Img_3334まずは食前酒がでてきて、それを味わっていると、運ばれてきた向付けは酢のものから。

最初から「酢の物」がくるとは予想をしていなかったので、ちょっとあたふた。

「酢の物」といっても、トリガイとサーモン、白キクラゲに酢味のジェレがかかったもの。そこに茗荷等の香味がのせてある。ジェレを絡ませながら食べていく。
はじめ食べ出すと、ちょっと酢の味が薄いかなぁという感じがするが、食べ進むとしっかりとした味になって来る。

ジェレが食べ始めはすこし固まっているが、時間が経つと適度な柔らかさになり、絡みが良くなる。
なかなか考えてある料理である。はじめは食前酒として飲む日本酒に押されるが、食べ進むにつれ味が主張して来る。

食べ終わると器の底にジェレが残る。これをすくって食べてみるとそうとう酢が効いている。それも京都の酢の味ではない。食べ始めに女将さんから説明があったが土佐酢。京都の酢と比べると味に力強さがある。このようなジェレにするのは、やはりこのようなはっきりした酢の方がよいのだろう。

暑い中を歩いて来た身にさっぱり感が広がる。
それとこの器、底に金魚が二匹描かれており、食べ終わると覗いて来る。なかなか面白い器。

Img_3339二品目は「お吸い物」。椀種は炙った穴子。

「穴子」は脂ものり、香ばしさも残っておりいい感じ。

ただ出汁に穴子の味が移り、ちょっと魚系の味が強い。昆布と鰹のハーモニーが昆布、鰹、穴子という感じになっている。なかなか難しいものである。

でもさっぱりとして、上品な感じ。

このような懐石の中で、「お椀」は難しいと思う。通の人は「お椀」を食べれば料理がわかると言うが、前後の料理によってその味も変わるし、「お椀」だけが目立っても仕方が無い。
これだけは家ではなかなか出せない味である。


Img_3341お造りは、グジとマグロ。

ここのお造りは珍しく始めからかけ醤油がかかっている。これをかき混ぜて食べて行く。このようなお造りの食べ方は初めて。これもさっぱりとしたかけ醤油で目先が変わっている分楽しめる。

また、この器の色がいい。きれいな藍が出ている。この料理とよくあっている。器も料理の一部。

奥さん曰く、長年店を持つ時のため集めて来られたらしい。どれも上品で、かつ目につくところがある器が続く。

Img_3343ここで出されれたのが「稲庭うどん」。

これには驚かされた。この料理の流れでここでおうどんがでてくるなんて思っても居なかった。

しかし、細身のおうどんにはちょっと濃いめの出汁がはってあり、薬味に載っているおろし生姜と葱がアクセントになってするっと食べられる。はじめ感じた違和感は食べるとすぐに解消。おいしい。

5月に四国へ讃岐うどんを食べにいって、「ぶっかけ」といううどんの食べ方にちょっとはまっているが、京料理でぶっかけするとこのようになるという見本みたいなもの。これは収穫。

Img_3346揚げ物は胡麻豆腐と海老のあられ揚げにあんがかかったもの。

胡麻豆腐はお寺系の胡麻豆腐と料理屋さん系の胡麻豆腐と2種類あるようにおもう。お寺系は胡麻の風味も強く「胡麻」を強調した様な感じ、料理屋さん系のは反対に、はんなりとしたなかに胡麻の風味がするというかんじでなめらかさと舌触りに気を使った様な感じがする。この近所のお寺さんにも「胡麻豆腐」のおいしいところがある。

ここのは、料理屋さん系だが、このかかっているあんがいい。ほのかにあったかいなかに、甘さがしのばせてあってそれがこの「胡麻豆腐」と山葵によくあっている。またそのあんが海老にもよくあっている。なかなかいいマッチングである。

このあと御飯になるが、ここはお客さん毎に土鍋で炊いている。お米はご主人の実家が丹波で作られたもの。御飯を土鍋で炊くのは、「なかひがし」で有名になり、このごろいろんな料理屋さんでやっている。
はやりですね。

ごはんは一粒々がピカピカに光っておいしい。おかわりすると「お焦げもいれましょか?」ということだったのですが、ちょっとお焦げの焦げ方が薄過ぎた。これは残念。次回に期待しよう。

あとは水物でフルーツ。

料理をいただきながら、奥さんといろいろしゃべっていると近所の店だけに、三条商店街の話とか、とかく地元の話になってくる。なかなかこんな感じでこのような料理を食べられる所は無い。
料理もすばらしいし、気さくだし、またまたいい店を見つけてしまった。ものすごく得した気分。

帰りしな、ご主人が出て来られて挨拶されたが、京都の有名な店で修業してこられた方だけあり、しっかりとしたまじめそうな方。料理もご主人の性格が現れているようで手をかけてていねつくられておいしい。

これから何回もきそうな予感がする。でもこの店人気がでそう。

*「岩さき」  
 京都市中京区釜座通御池上がる
 TEL : 075-212-7800

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