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2007年9月の11件の記事

2007年9月27日 (木)

「美麗 院政期の絵画」奈良国立博物館(その3)

第3章は「絵巻物の世界」。詞と絵により、情景と人々の気持ちを優雅にかつビビッドに表した絵巻物。この時代の状況を我々にくっきりと伝えてくれる。

今回の絵巻物の展示の中で目玉は「伴大納言絵巻」(国宝)。この絵巻、関西にはなかなかやって来ない。2年程前、京博で開催された「大絵巻展」にも来なかった。昨年、所蔵している出光美術館で全巻展示が行なわれ、東京へ行こうかと思ったが、人が溢れ返っていると言う噂を聞き断念した。今回、3巻の内の1巻、「上巻」が来ている。

Img_narahaku31前期はその上巻の応天門の火事を見に行く群衆の場面が開かれていた。(上巻7〜9紙の部分)。
応天門の火事の様子を見ようと市中から駆け寄る群衆の「火事だ!、火事だ!」と叫ぶ声が聞こえて来る様な気がする。野次馬根性まるだしで驚愕しながらも高みの見物をする市中の者供の姿が、かえってこの後に続く物語の奇妙な展開を暗示している。しかしどの表情も豊かだなぁ。一人一人が個性的に描かれている。

Img_narahaku32

これは燃え上がる応天門。黒々とした煙を上げ、炎がめらめらと門を覆って行く。この応天門を復元したのが今の平安神宮の入口にある門。しかし今の平安神宮の門は、昔の燃え落ちた応天門約8分の5のサイズ。当時の応天門炎上時の炎の大きさが計り知れる。しかしこの炎、きれいに色が残っている。「紅蓮の炎」を見事に描き切っている。仏画の仁王さんの光背に描かれる炎はだいたいが渦巻き模様だが、この「伴大納言絵巻」の炎は写実的で舐めまわす様に広がり、その熱気が伝わって来るようである。

この「伴大納言絵巻」、一説には後白河法皇の命により絵師常磐源二光長が描いたとされている。ただ筋書はこのあと、伴大納言(伴善男)の直訴により、応天門放火の犯人は左大臣源信(みなもとのまこと)とされるが(上巻)、それは政敵を陥れるために伴善男が謀った策謀だったということが子供の喧嘩から判明し(中巻)、伴善男は伊豆へ流された(下巻)となる。それでは後白河法皇は何のためにこの絵巻を作成したのだろうか?。単なる昔(応天門事件は後白河法皇の時代から300年前)の出来事の記録のためだったのだろうか?それではこの絵巻がつまらなすぎる。なにかもっと深い思いがあるように思える。そのへんはまたゆっくり考えてみよう。

まあ、なにはともあれ上巻だけでも見られたのは嬉しかった。

Img_narahaku33

これは「信貴山縁起絵巻」(国宝)。この絵巻は奈良の朝護孫子寺所蔵のため関西では見る機会も多い。前期は「山崎の長者」の巻。この絵巻何時見ても面白い。筋書きが奇妙奇天烈、摩訶不思議。「スパー念力男、信貴山の僧明蓮が鉢を飛ばしてお布施のお米を求めたところ、けちな山崎の長者はお布施をせずに鉢を米蔵にほり込んだ。そうすると鉢は米蔵ごと持ち去って行った。」というお話。

この時代の絵巻には2種類あって、濃い目の色で宮中の物語等を描いた女性好みの「女絵」と線描を基本とし専門の絵師が描いた「男絵」とがある。「伴大納言絵巻」も「信貴山縁起絵巻」も男絵にあたる。これらの絵巻には庶民から、僧、武士、役人、貴族に至る多くの登場人物が描かれ、多種多様な生き生きとした表情を見せている。その中でも、貴族達は「引目鉤鼻」のデフォルメされた表情だが、庶民達は個性豊かな表情で描かれている。絵巻物は基本的に貴族達が見ることを前提として描かれている為、人物が特定されることを避けるため「引目鉤鼻」の表情になり、問題のない庶民達は写実的な表情になったといわれている。庶民の生活や楽しみが、貴族の生活にも入りこみ、その生活が互いに近づいていった後白河法皇の時代の状況をよく反映した絵巻である。

その他、「華厳宗祖師絵伝」(国宝)、「粉河寺縁起絵巻」(国宝)、「寝覚物語絵巻」(国宝)等も展示されていた。それに六道絵も国宝どころはすべて集まっていた。
これについては次に。

*「美麗 院政期の絵画」
 奈良国立博物館
 2007.09.01〜9.30  (前期・後期により展示替え有り)

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2007年9月23日 (日)

「美麗 院政期の絵画」奈良国立博物館(その2)

第2章は「説話絵と装飾経」として、この院政の時期に華麗なまでに装飾された教典が展示されている。

Img_nara21_2これは四天王寺の「扇面法華経冊子」(国宝)。

扇の形をした料紙に下絵を描きその上に法華経を写経したもの。画像で見ると扇の様にパタパタと畳める様に思えるが、そうではなく半分の位置から本の様にめくっていく構造になっている。

画像の下絵の題材は「栗拾い」。これからわかるように冊子の下絵と写経の内容が一致するものではない。その描かれている下絵は貴族を主としたものから、庶民の生活を描いたものまでバラエティーに富んでいる。

題材に合わす様にこの料紙は雲母引きの上に金銀を散りばめたあでやかな上にちょっと愛らしい筆遣い描かれている。

その中に描かれている人物の顔つきを見ると、「源氏物語」等の絵巻物に描かれている「引目鉤鼻」の面長の顔つきよりももう少し丸みを帯びた顔つきで、つんとすました感じよりももうちょっと庶民的な感じがする。この冊子がなぜ四天王寺に納められたか詳しい事はわからないが、大阪の雰囲気は平安のこの頃からこんな感じだったのかな?とついおもってしまう。

Img_nara22これは「平家納経」(国宝)。

ここ1〜2年、「平家納経」を展覧会で見る事が多い。厳島神社が台風の被害に会ってから外へ出て来ることが多くなった。やはり、厳島神社の中では稼ぎ頭なんだろう。しかし、いろいろと見られる事はこちらとしては嬉しい事。

「平家納経」の展示は大体が見返絵が中心になっている。見返絵というのは経の最初にある経の内容を示したもの。左図は「平家納経 提婆品」の見返絵。龍女が大日如来に宝珠を捧げている絵。平家の龍神信仰を示すものとして有名な見返絵である。

しかし、いつも見返絵よりも惹かれるのは料紙。この「提婆品」だけではなく「平家納経」の料紙は本当にすばらしい。それも、それが表裏。

さすが栄華をきわめた平家一門の納めた経だけ有り、この料紙、 砂子・切箔の多様さとその効果的な用い方、金銀の微塵砂子、大小さまざまの切箔など贅沢につくられている。その微妙な凸凹が光線を乱反射し、表面に独得の輝きをもたせるようになっている。このような時代を経た銀は通常やけて、紫色に変色するものであるが、殆ど変色せずに当初の美しい銀色を保っているのは、この経が宝物として大事に保存されたからであろう。

また料紙は比較的厚手ではりが有り、ケースの上からみていても質感を力強いものとしている。

経文は金・紺青・緑青と料紙の色の変化に応じて書き分けている。そのセンスの良さは一つの頂点である。

これらの料紙の美しさを見ているといつも思い出すのは、琳派の俵屋宗達の事。17世紀の初め、宗達はこの「平家納経」の修復に携わっている。この作業を終えると、突然宗達はあの優美な琳派の絵を描き出す。たしかに「平家納経」のあでやかさときらびやかさは後の琳派へと継承されているのである。

その他、この章には、奥州藤原家が残した「金銀交書一切経(清衡経)」(国宝)、大和文華館蔵の「法華経」(国宝)等またまた国宝がずらり。

*「美麗 院政期の絵画」
 奈良国立博物館
 2007.09.01〜9.30  (前期・後期により展示替え有り)

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2007年9月22日 (土)

「美麗 院政期の絵画」奈良国立博物館(その1)

奈良国立博物館で開催されている「美麗 院政期の絵画」展は見応えのある展覧会である。
11世紀半ばから13世紀初頭にかけてのすばらしい美術品が集まっている。国宝がすべて素晴らしいとは言い切れないが、それにしても前後期あわせて約130点の出展品の内、約50点近くが国宝、約40点が重文である。このことからも、この展覧会が稀に見る規模だということが伺い知れる。

展覧会は5章で構成されている。まずは第1章の「美麗のほとけ」から。

Img_nara1これは高野山の有志八幡講十八箇院に伝わる「五大力菩薩像」三幅の内の「金剛吼菩薩」(国宝)。

大きな軸である。縦が3メートル、横が2.5メートル位ある。紅蓮の炎の光背を背負って、三目二臂(眼が3つで腕が4本)の仏が憤怒の表情で睨んでいる。口は怒声を発するが如くに開いている。余り近づくとその炎に身を焦がされそうである。

それにしても激しい仏である。その大きさからも、見る者をおびえさすかの様な威圧感がある。

一般に「菩薩」と言われる像は和やかな表情で、衆生救済を願う仏であると思っていた。しかしこの菩薩は明王に類するような激しい表情である。眼は血走り、カーッと美開かれひれ伏すものたちを睨みつけている。光背の炎は大胆にデフォルメされており、端正の描かれた菩薩と対比をなし、その怒りを強調している。色数をおさえた単純化も一層その怒りを強調している。

この像は元々は5幅セットであったらしい。しかし、明治の初めに2幅が焼失した。そして高野山で行われる仁王会の時に堂内に掛けられたと言う。
仁王会というのは鎮守国家・万民豊楽を願う朝廷による法会。堂内にあらわれたこの忿怒の表情の菩薩像を前にして、僧達はどの様な気持ちで祈りを捧げたのだろう。祈る気持ちの強さが感じ取れる様な素晴らしい仏画である。

Img_narahaku2これは東京国立博物館所蔵の「孔雀明王像」(国宝)。

空海によってもたらされた孔雀経法は、始めは祈雨や除災の秘法として行われていたが、院政期には個人の厄災を除く目的で修会が行われる様になった。
この仏は鳥羽上皇がその女御である美福院得子の皇子出産祈願のために描かれたものとされている。

画面いっぱいに描かれた明王は、じっと静かな表情でこちらを正面から見据え、祈る者を暖かく迎える様な感じである。しかし、明王を乗せる孔雀は鋭い目付きで邪な心を持つ者を拒否するかのように見据えている。美しさと厳しさが同居したかのような構図である。

明王の体はふっくらとした体型で白色を基準としているが、所々に淡い朱の色を帯び柔らかな感じ。孔雀もぽってりとした体型で、光背の丸みも含め画全体がおおきな丸い円を描く構成となり。ちょうど明王の威光が放ろがって来るような感じがする。四隅に描かれた宝瓶も含みものすごく広がりを感じる画である。

着衣には、細く糸の様に切った金箔を細かく切り貼る截金(きりかね)で文様をちりばめ、その細工の細かさに驚かされる。光背の孔雀の羽根は緑、群青、金泥で描かれ、その濃密な色彩と細密さに圧倒される。

この平安後期の院政時代に展開された、「優美で洗練された美」と「細密な技法」にただただ感心する逸品である。

Img_narahaku3これはボストン美術館所蔵の「馬頭観音像」。
ボストン美術館からはもう一点「如意輪観音像」が出展されているが、両者ともすばらしいもの。
この時代の日本文化の高さと、美意識の素晴らしさを指し示すもの。
しかし、この画が日本にないというのも悲しい現実である。

この「馬頭観音」まず色がすばらしい。古色を帯びた赤と言うか、独特の赤色である。それをひきたてているのが黒の輪郭線。よどみのない勢いで描かれている。そのするどい線がまるで今にも動き出しそうな感じを与える。三面八臂のこの像がグワーッと動き出しそうである。特に足の表情がいい。

それとこの画のすばらしい所は、着衣から蓮台にかけての文様。先程の「孔雀明王像」でもそうであったが、截箔(きりはく)と截金(きりかね)で描かれた文様。本当に細かい。人間業とは思えない。単なる技術の問題を通り越して、ここには仏に対する敬慕と畏怖とすがりつく本能みたいなものが込められている様に思える。そうでなければこのような美しさは表現できないと思える。

この展覧会の題目に「美麗」という言葉がつかわれているが、この時代に日本文化の一つの頂点となる美しさが実現していることを思い知らされる。
これらの美しさを求める人間とそれにこたえる絵師、絵仏師達の存在、ここにその関係の完成された形ができあがったと思える。
院政という今までとは異なった政治の体制がこのような関係を作り上げて行ったのであろう。
それにしても「美麗である」。

Img_narahaku4これは奈良国立博物館所蔵の「十一面観音像」(国宝)。

奈良国立博物館の新館から旧館へ渡る地下道にこの像の修復過程が写真で展示してあり、いろいろな調査結果が知らされている仏画だが、こうして見てみるとさすがに美しい画である。

この仏画で面白いには、仏が向かって左側を向いている点。密教の本尊画像では、今まで見て来た中ではこのような姿勢は珍しい。大体が正面を見ている。
なにか、ふいっとはぐらかされたような気になり、なんとなく他の仏よりも人間味を感じる。

また、「十一面観音」というのは不思議な観音である。頭上には11面ないし10面の他の顔を持ち、その一面一面がことなった表情をみせている。この画でも穏やかな表情を見せている真中の顔を中心として左右にだんだんと怒ったような表情になっている。
これは観音の多面性を表しているといわれているが、逆に考えると人間の多面性をも同時に表しているのではなかろうか?。人間の持つ多面性に対応するため観音もこのように多くの顔を持つ必要があるのではなかろうか。それは多くの人間の為というよりも、一人の人間に内包される多面性の為であろう。一人の人間が持つ表の顔と裏の顔、口と心の違い。これらに対応するためのものでなかろうかと思える。

これ以外に、この部だけでも「応徳の仏涅槃図」や、東寺の「十二天像」、曼珠院の「不動明王像」、高野山金剛峯寺の「血曼荼羅」等、この時代の逸品がズラーッと並んでいる。また後期にはこれが大きく変わる。この部だけでも充分一つの展覧会が開ける内容である。

ほんまに眼福、眼福!

続く

*「美麗 院政期の絵画」
 奈良国立博物館
 2007.09.01〜9.30  (前期・後期により展示替え有り)

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2007年9月16日 (日)

「讃岐うどん」は尾をひくなぁ

東京の方で「金刀比羅宮」の美術展が開催され、それに関する記事や特集を読む度に思い出すのは「讃岐うどん」。今年の5月に行った時に味を知った、「ぶっかけうどん」のおいしさが尾を引いている。

そんなわけで、いつもの遊び仲間を誘ってまたまた讃岐へ朝の5時から車を走らす。

Img_3692いつもは明石・鳴門大橋を渡って行くが、今回は瀬戸大橋のほうへ回る。

明石から淡路島を通って四国に渡るとあんまり離れた所へ来たと言う感じはしないが、一本の橋(実際は幾つかの橋の連続)で瀬戸内海を渡るとさすがに遠くへ来たという感じがする。やはり海を渡るという感じがそう思わせるのだろう。

そんな感じで四国に着いたのは8時すぎ、まずは朝御飯がわりの一杯。
さてどこを選ぶか?
Img_3699今回は攻略本を持って来ている。前回、店が多くどこを選んで良いかわからなかった失敗を繰り返さぬ様、用意万端!

そこで選んだのは「宮武(本店)」。讃岐うどんのフアンの中では有名な店。
店に近づくとそこには驚く光景が。朝の8時半、開店前の店の前に人が並んで待っている。
それも10人、20人の数ではない。勘定してみると我々で52人目。

皆さん開店前の店の中を覗き込む様にして並んでいる。讃岐の朝御飯はうどんかいな!

開店後もしばらく待ってやっと入店。ここでたのんだのは「冷・冷」。冷やしたうどんに冷たい出汁がかかっているやつ。
Img_3920ここのうどんはちょっとねじった様な感じで、歯ごたえがある。こしがあり、しこしこしているがツルーッと食べられる。

出汁は「いりこ出汁」。京都のかつおベースに親しんでいる者としては、ちょっと抵抗がある。
出汁にこくがないというか、味がシンプルすぎるというかちょっともの足らない感じがする。

でも、うどんはうまい。つるつるとすすっている内に口の中になんとなくほのかな甘さみたいなものを感じる。さすが「讃岐一のうどん」と言われるだけはある。
満足満足。
Img_3719おなかもふくれたので、次に向かう前に腹ごなしの為「金刃比羅さん」に登る事にする。今日の予定は4杯だから、間に適当に運動をいれなくてはこなせない。
参道から続く階段を一段一段登って行く。さすがに歴史のある神社らしく、参道のお店も落ち着いた店も多い。じっくり見ていくと古い看板や破風があり楽しめる。

途中、いつもなら応挙、若冲の画がある表書院を通り、汗だくになりながらもやっと御本宮につく。
ここからの讃岐平野の眺望は神さんからのご褒美。気持ちの良い風景である。
讃岐富士もま近に見える。

参道を下る途中で、汗を引かすため二杯目のうどんにする。二軒目は「中村うどん学校」のお店。当初、このうどん学校でうどん造りの実習をしようかと相談したが時間的な都合から、食べるだけに。

う〜ん・・・。普通の「讃岐うどん」。しかしぶっかけの出汁は好みだなぁ。

それから高松へ戻り、腹ごなしのため「栗林公園」を散歩する。雰囲気としては二条城の庭園と似ている。ブラブラと散策していると突然の雨。あわてて車へ戻る。車の中で誰が雨男・雨女か言い合いになる。

Img_3748さて3軒目は高松市のちょっと離れた所にある「もり屋」。今風の和風の県道沿いの店。
この店も雨の中多くの人が並んでいる。ほんまに香川の人はうどんがすきやなぁ。

傘をさしながら、15分程まって入店する。店の主人が一人々のお客に雨の中を待たせた事をわびている。若いご主人だが、なかなか好感を持てる。その分期待が大きくなる。

ここでもぶっかけ。そしてサイドメニューのかき揚げと竹輪をたのむ。
ここのてんぷら毎回揚げたてをだしてくれる。ほくほくしてうどんやさんのてんぷらとは思えない程おいしい。てんぷらやさんとしても充分評判を呼ぶだろう。

ここも目の前でうどんを打っている。うどんを踏むドンドンという音とうどんを切る音が店に響いている。ちょっと遅れてうどんが来る。麺はつるつるでピカピカ光っている。出汁もいりこと醤油がうまく混じりこくがある。
つるつる、もちもちと喉を通って行く。
これはうまい。いろいろと「讃岐うどん」を食べて来たが今までのベスト!!

一緒に行った連中も皆同じ意見。ついにきわめましたね!

Img_3752食べ終えて店を出ると雨は本降りになっていた。

いつもだったら、車に戻るとすぐに「次は」という話になるのだが、今回はさすがに満足度が高過ぎて声が出ない。それだけおいしかったという事。

そこで4軒目はパスして京都へ戻ることにした。
しかし、「讃岐うどん」。郷土の人達に本当に愛されている。これだけ生活に密着している郷土料理も少ないのではないだろうか。同じ様な京都の郷土料理(?)としたら「漬けもん」かな? 

帰りは鳴門・明石ルートで戻る事にする。
このルートでは必ず淡路サービスエリアで買うおみやげがある。「たまねぎせんべい」である。これビールにはよくあう。今回もまた大量に買って帰る。

さあ、気を付けて運転して、帰ってビール飲もっと。

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2007年9月14日 (金)

家(うち)のごっつぉ 「南瓜の炊いたん」

南瓜のおいしさはその堅さにあると思います。包丁が入らない程堅いやつほど料理した時甘さが引き立っているような気がします。

Img_3676家ではその南瓜本来の甘味を味わうため、出汁と味醂をちょっと入れてさきにそれだけで炊きます。出汁が半分位になればそこで醤油を少しだけいれます。

そうすると、甘辛くならず、南瓜本来の甘さがでてきます。

炊きあがりのホクホクしたのもいいですが、やはり冷めてお出汁を充分に吸ったのがベストです。

料理屋さんなんかでは、面取りしたのが出て来ますが皮の部分もまたおいしいものです。実の中心部分はとろける様に柔らかく、だんだん皮に近づいていくとほっこりした感じになり、皮の部分がコリッとした歯ごたえの残る感じがし、これらが交ざりあって南瓜本来の味となるって思ってます。

「芋、栗、南京」は女の人の好物のようにいわれていますが、家では私も含め男達が喜んで食べてます。
大体、南瓜のあるときはいつも炊いてますが、やはり秋頃のがもっともおいしい感じがします。

家の定番のおかずです。

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2007年9月12日 (水)

「大覚寺の名宝」京博特別陳列

大覚寺に御宇多法皇が入山して700年ということで、大覚寺では収蔵庫の改築が行われている。その期間その宝物は京都国立博物館で特別陳列されている。

Img_daikakuji1大覚寺では厨子に収まっている明円作の「五大明王像」が厨子から出て陳列されていた。
この五大明王像は各高さが70センチ位の小振りの像。そのぽっちゃりとした顔立ちから、一般の明王像と異なり、ひそかなマイ・フェバリット・シングス。

「五大明王像」とは不動明王、軍茶利明王(右下)、大威徳明王(左下)、金剛夜叉明王(左上)、隆三世明王(右上)の5体の仏像。
不動明王を中心として東西南北に曼荼羅を示す形で並べられる。
さらに「明王」とは「如来」「菩薩」に次ぐ仏格を持つ仏で、仏の教えに従わない救われない人間達を調伏させ、救済する役目を持つ。そのため表情やその姿は怒りを表した形をとる。

しかし、この不動さんは何故か優しい。顔は怒った表情だが心の底は慈愛に満ちた感じがする。親が子供を叱っている時の感じ。顔が丸顔だからそんな感じにみえるのかな?(しかし、実を言うと私も丸顔の部類。子供が小さい頃よく叱ったがこんなかんじだったのだろうか?)

まあ、調べてみればこの顔の造りは、これを彫った仏師「明円」の属した派の特徴でもあるらしい。平安時代後期の仏師である「明円」は「円派」に属し、その頃の主流であった「院派」や奈良仏師となる「慶派」とは異なり、個人の念持仏等の小さい仏像を多く製作したらしい。依頼する人には女性も交じっていたらしく、愛らしい表情が特徴の派であったと言われている。(なんとなくそう言われると納得するものがある。)

この「五大明王像」、東寺講堂にある立体曼荼羅の「五大明王像」を手本にしている。不動明王を除いてはそっくりだが何故か不動明王だけは異なる。不動さんにもはやりがあり、最も古い部類の不動さんは真言系の不動さん。空海が密教を伝えたときに持ち帰られたもので弁髪がストレートであった。(東寺の不動さん)。次は円仁・円珍が持ち帰った天台系の不動さんで、弁髪が編み込みになっており、頭に鉢巻きのようなものを巻いている。(大覚寺の不動さん)。最後は片目をつむり、口の牙が右左が上下に片方ずつでているパターン。何気なく見ている不動さんにもいろいろ変遷はある。真言系の大覚寺に天台系の不動さんが置かれているというのもなんかちょっと不思議な気がする。
それにこの不動さん、不動さんに付き物の炎の光背がないなぁ。

まぁ、ちょっと家において、毎朝拝みたくなる気がする「五大明王像」である。

Img_daikakuji2

その他、良かったのは「狩野山楽」の「牡丹図襖絵」。狩野派の金碧障屏画の特徴がよくでた「山楽」の代表作。独特の岩肌の荒々しさと、牡丹の花の細密さが同居しており、緑青の緑色が印象的だった。

*「大覚寺の名宝」
 京都国立博物館  特集陳列
 2007.8.8〜2007.09.17

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2007年9月10日 (月)

「若冲忌」伏見深草石峰寺

9月10日は伊藤若冲の命日であり、若冲のお墓がある深草の石峰寺では「若冲忌」が催される。
午前中の雨も上がり初秋の澄み切った青空がひろがり始めた午後、遅ればせながら石峰寺を訪れた。

Img_3666石峰寺へ続く参道の石段を上っていくと、まだ緑濃い木々の間に紅い竜宮造りの中国風の門が見え、そのコントラストが眼にまぶしい。

門前には「若中忌」と書いた高札が立っている。ここ最近の若冲人気でさぞ訪れる人も多かろうと思って門を潜ると、時間がずれていたせいか案外人は少ない。

受付に回ると本日は「若中忌」ということで拝観料は無料。それに絵はがきのセットの記念品をいただいた。なにかお布施も持たずにきたことが悪い様な気がする(感謝)。このお寺で若冲が大事にされている事がよくわかる。

「奥で若冲の作品を展示していますので見ていってください」と丁寧にいわれ奥の部屋に案内された。

Img_3618飾られていたのは「鶴・亀」の対の双幅の軸、「鶏」の軸が2幅、そして大津絵の「藤娘」を描いた軸。

若冲の描いた大津絵。これは珍しい。このような若冲の大津絵があることは文献で知ってはいたがそれは確か「鬼の念仏」であったと思っていた。「藤娘」は初見。
ひょっとしたら、若冲の描いた女性を初めて見るのかも知れない。(と書いてちょっと考えたら三十六歌仙を描いた屏風に小野小町が描かれていた事を思い出した。)

大津絵の伝統にのっとり、ちょっと細面だが、下膨れの感じのする藤娘。しかし目元は涼しげ。
たっぷりと墨を含んだ打掛が大津絵独特の雰囲気を醸し出している。

しかし描線がきれいなだけに、この大津絵ちょっと洗練されすぎている様な感じがする。伏見人形の画のようにちょっと崩した面白さみたいなものがあってもいいなぁ。これは贅沢かな?
でも、いい物を見せてもらった。

Img_3642しばらくじっくりと鑑賞して、若冲のお墓の方に行く。

花に飾られたお墓の前で、しばしの間若中に感謝。「あなたの画は本当に楽しませてくれる。」
強い日差しの中、蝉が「まだ、夏は終わってないよ」と言う感じで強く鳴いていた。

それから、五百羅漢の方へ行く。

Img_3626この羅漢さんの中には見る人の顔を写した羅漢が必ず見つかると言われている。
だったら若冲の顔を写した羅漢さんもあるわけで、いろいろ捜してみる。そんな中で見つけたのが上の羅漢さん。
じっと見つめるとイメージしている若冲の顔に思えて来る。
なんとなく気難しそうに見えるが、憎めない風貌である。
歳とってからの若冲はこんな感じがする。

しばし、羅漢達を見てから、寺の方へ戻る途中に「紫式部」がきれいな色の実を付けていました。
もうすぐ秋ですね!

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2007年9月 8日 (土)

「鶴図下絵三十六歌仙和歌巻」京博常設展

9月の京都国立博物館の常設展に本阿弥光悦・俵屋宗達の「鶴図下絵三十六歌仙和歌巻」が展示されている。
約15m位の巻物全図が見られる様になっている。巻物の展示はこうでなくては!

Img_lyohaku1_2

この巻物は俵屋宗達が描いた鶴の画の上に、本阿弥光悦が36歌仙の歌を書いたもの。宗達の画の動きと光悦の字のリズムが重なった、見事な作品である。

宗達の鶴は初め岸辺に佇む群れからはじまる。何か近づいて来るものを見つめるかの様に10匹ほどの鶴があちらのの方向を見ている。銀泥で描かれた胴体に金泥の嘴、足の線が美しい。

光悦の歌は柿本人磨呂から始まる。
「ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに島がくれ行く舟をしぞ思ふ」と書いてあると聞いているが、字は所々が認識できるぐらいで私には読めない。
しかし、形として見る字(書)は美しく、流れる様なリズム感が感じられる。

それから鶴達は空を舞い始める。高く低く伸び伸びと空を舞う。その鶴の軽やかな動きに合わせるかの様に、光悦の字も自由奔放な感じで舞う様に続いて行く。

そうして続く巻物の中でクライマックスが訪れる。鶴達が何かに驚いた様に突然飛び立って行く。今まで静かに続いていた物語に、突然バタバタとする羽音が聞こえて来る様な感じ。
歌の方は紀貫之の「白露も時雨もいたくもる山は下葉残らず色づきにけり」から伊勢の「三輪の山いかにまち見む年ふともたづぬる人もあらじとおもへば」と続く。飛び上がる鶴に合わす様に光悦の字も飛び上がる様な力のある字が見られる。

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宗達の画、いろいろな作品を見ていく程その素晴らしさに魅入られる。見る側のこちらが歳をとって行くに連れて、ますますその作品の魅力は大きくなる。どの様な魅力が大きくなるのかということを具体的に示す事は難しいが、見た後の満足感は確実に大きくなっていく。
同じ琳派の光琳と比べると、光琳は「うまいなぁ」という感想をもつが、その感想の裏には「光琳のねらいにはまったなぁ」という気持ちが残る。
しかし、宗達の画に対する「うまいなぁ!」には、ただ単に「参りました!あなたは天才です!」という尊敬の気持ちしか持たない。画の持つ精神性とか作者の意図とか考える前に画に圧倒される。

そんな宗達の「風神雷神図屏風」も今常設展で展示されている。また宗達の工房で作られたとされる伊年印の「草花図屏風」等もあり、宗達の魅力にどっぷりと浸れる9月の常設展である。

*「鶴図下絵三十六歌仙和歌巻」「風神雷神図屏風」
 京都国立博物館 常設展
 2007.9.5〜2007.9.30

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2007年9月 5日 (水)

「リクエスト展07」細見美術館

9月になったといえども、まだ日差しは夏の様相で、白く輝いた光の下から空調のきいた薄暗い美術館にはいると別世界の感じがした。
夏の盛りから終わりにかけて細見美術館で開催される「リクエスト展」も美術フアンの人達には恒例の行事となってきた。毎年、出展されるものが大きく変わるわけではないが、やはり順位は気になる。
「今年は多分若冲がまきかえしているだろうな」と思って行くとやはりベスト20に若冲が6点はいっていた。「鶏図押絵貼屏風」「鼠婚礼図」「糸瓜群虫図」「雪中雄鶏図」「瓢箪・牡丹図」「菊花図押絵貼屏風」。細見美術館の若冲総出演である。(といいながらもまだ15点位隠れて入る。)
やっぱり、5月の相国寺での「若冲展」での印象が強かったんだろう。

今回出展されている若冲の作品においては、魅とれたのは「菊花図押絵貼屏風」。各雙3枚の若冲の画と宮崎イン甫の七言絶句の書が交互に貼られている。手元の資料によると宮崎イン甫はこの屏風が描かれる前に亡くなっているらしいから、若冲の画はこの書に合わせて描かれたらしい。

どの菊も画の右側、または左側から現れて来、空間を分けている。その余白と菊の花の間がすばらしい。筆の運びで見ると軽やかに描かれた様に見えるが、その構図には眼を見張る物がある。筋目描きや没骨など多彩な水墨技法を用い、小菊の軽やかさを筆使いであらわし、墨の濃淡で花の色を表す。何回見てもいいですね。

若冲以外でも良かったのは宗達の「双犬図」。わんころが二匹戯れている。白と黒2匹がからみあうように戯れている。黒犬は、目や耳をやわらかい線で、体はたらしこみによってつややかさをだし、白犬は、輪郭線の周りの色を薄墨で描くことにより白さをきわだたせている。宗達特有の曲線を多くした優しい感じがすばらしかった。

去年第一位だった神坂雪佳の「金魚玉図」も相変わらずこちらを覗き込んでいた。

その他絵画では「男女遊楽図屏風」、北斎の「五美人図」、神仏関連ではおなじみの「金銅春日神鹿御正体」があいかわらずすばらしい。
陶器では、これは初見だが「織部千鳥文手付四方入鉢」がよかった。普通の織部よりすこし薄手でだが器に品があった。

細見美術館の所蔵作品の中から選ぶ為、この美術館をよく知っていなければ選びにくいという難点はあるが、なじみの人にとっては細見美術館からの夏のお中元とも言える美術展だった。
(お中元と同様、なくなればなんとなく寂しさを感じるもので、今後とも是非続けてもらいたい企画である。)

*「珠玉の日本美術 細見コレクション・リクエスト展07」
 細見美術館
 2007年7月14日〜9月17日

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2007年9月 4日 (火)

「没後10年 麻田浩展」京都国立近代美術館

麻田浩の画を初めて見たのは今から20年くらい前。あるコレクターが「この人良くなるで!」といって2枚の版画を見せてくれた事にはじまる。細部までは覚えていないが小石の集積の上に水滴が重ねる様に描かれていた作品だった。

Photoその時、いろいろな他の作家の作品もみせてもらったが、麻田浩の作品については「きついなぁ!」という感じを持った。

同じ時代を生きている作家の作品に対しては、共有できる時代のにおいみたいなものを感じる。それが共有できなければ好きな作品とはならない。そのような点では麻田浩の作品には共有できる感覚をもった。

しかし、彼の作品を見ていると常にフルパワーで描いているという感じがした。ぎりぎりまで思考しそして全力を傾けて彫っている。そんな感じがした。画に対して画家は真摯な形で向かって行くが、やはり人間でありその過程にはゆるみも生まれるし遊びもうまれる。見る側にとっても短期間に全力を傾けて作られたと思える作品はみていると疲れを感じる場合がある。有名な画でいうと私にとってはゴッホの画に同じ様な物を感じる。そのような意味で「真面目な作家だなぁ」という感想と同時に「きついなぁ!」という感じを受けたのである。

Photo_2その後、時々麻田浩の作品を見る事が会ったが、正面から見る事は避けていた様な感じがする。ただ、がんばっておられるのだなという感慨は持っていた。

5〜6年程前、偶然彼の作品を見る事が会った。何点かの他の作家の作品の最後に並んでいた。周りの画が余り好みではなかったので、麻田浩の画をじっくりと見る事になった。以前と比べると画風も変わって来ており思わず横にいた会場の人に「麻田さんも変わって来ましたね。」と言った。そうすると会場の人は「麻田先生は5年程前自殺されたんですよ。」と知らないんですかという様子に言った。

思わず言葉を失ってしまった。

彼の画を追いかけていたわけでもないが、気にかかる画家の一人ではあった。
私もそれまでの10年間位、画を見る余裕もなくがむしゃらに生活をして来た。ふと旧知の画家の作品に出会い、じっと見ようとするとその画家は自殺したということを知らされる。
なにかものすごく悲しくなって虚しさを感じたのを思い出す。

1今回の近代美術館の展覧会は麻田浩の初期の作品から絶筆まで約130点位を揃えた集大成の展覧会である。

やはり、これらの作品を見て行くと、自殺の事を知ったからではないが、「しんどい」という感じがする。

初期のアンフォルメルの作品、シュルレアリスムに傾倒し自己の精神を追い求めた時代の作品、パリ時代の版画、宗教的な主題に沈下していった作品、いずれもが彼独特の色調とモチーフの選択により見る者に精神の修行の様なものを感じさせる。言い方は悪いが一種の禅の苦行のような感じがする。

父親も有名な日本画家で、兄も同様の日本画家、美術系の大学に行かず、同志社の経済学部を出、自ら洋画家の道を進んだ麻田浩。彼には彼の苦しみがあり、精神の軌跡があった。その苦しみを知る事はできないが、彼の残した作品には、我々に己の心と向かい会う事の必要性を感じさせる力がある。

上:「赤い土の上の出来事76」
中:「御滝図(兄に)」(1990)
下:「源(原)樹」(1997 未完成 絶筆)

*「没後10年 麻田浩展」
 京都国立近代美術館
 2007.07.31〜2007.09.17

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2007年9月 1日 (土)

フィラデルフィア美術館展 「オキーフとワイエス」

やはりアメリカの美術館だけあり、アメリカの作品も見応えのあるものが来ている。
1920年頃からの国家としてのアメリカの趨勢に伴い、アメリカの美術もヨーロッパの伝統から離れ、アメリカ独特の表現をする様になって来た。
索漠としたアメリカの自然、都市の孤独感、新しい世代観等を彼らの感覚で表す様になった。

Phila8これはオキーフの「ピンクの地の上の2本のカラ・リリー」

大胆に大きく百合の花を描く構図はオキーフ独特の物。
オキーフはアメリカの画壇で初めて成功した女性の画家。
パートナーであった写真家のスティーグリッツの影響を受けながらも彼女自身の感性に基づき花、野生の動物の骨等を独特の構図で描き続けた。
その時代、女性であるがゆえの中傷や誹謗を受けたが彼女自身の感性を追い求めた。

彼女の花は百合だけでなく、ひまわり、水仙、ひな菊、スイトピー等多種にわたっているが、いずれもがクローズアップ。その画に対して性的であるとか色々な評価がでているが、基本的には生理的にこの画が好きか嫌いかに分かれる。

我々でも日常人と会った時に生理的に嫌いだなと感じる人と好ましいなと感じる人がいるでしょう?あれと同じだと思う。

そのような意味からも、彼女の描くクローズアップされた花は生きている。香り、光沢を持ち、湿めりけを感じさせ、弾力的な柔らかさを持っている。多くの花の画を見て来たが、このような花は少ない。

その反対に彼女の描く野生の動物の白骨は乾き、ひからびており、表面のつるつる感やざらざら感を感じさせる物である。

私? 勿論彼女の花に惹かれます。

Phila12
これはワイエスの「競売」。

ワイエスに関しては以前の記事にも書いたが、この時代のアメリカの田舎の風景を物静かな感じで描いている。

ワイエスの画もいろいろ見て来たが、彼の描く風景にはその底辺に崩れ行くもの、時代に見捨てられて行くものに対する愛情みたいな物を感じる。日本語でいうところの「郷愁」である。

このような風景や人々を切り捨てて行く時代の非情さ、社会への怒りみたいな物をさりげない構図に隠していると思える。アメリカではこのようなワイエスの画を「social realism」派と呼んでいるが、他の同時代の画家とはまた異なる印象を受けるので、ワイエス自身の根源的な心の在り方ではないかと思う。

このように振り返ると、フィラデルフィア美術館展非常に洗練された美術展である。今回紹介した意外にも多くのすばらしい作品が来ている。よくこれだけの作品を日本にもってきたなぁと感心するとともにこの企画のキュレーターに感謝する。

*フィラデルフィア美術館展「印象派と20世紀の美術」
 京都市美術館  7/14〜9/24

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