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2007年9月 4日 (火)

「没後10年 麻田浩展」京都国立近代美術館

麻田浩の画を初めて見たのは今から20年くらい前。あるコレクターが「この人良くなるで!」といって2枚の版画を見せてくれた事にはじまる。細部までは覚えていないが小石の集積の上に水滴が重ねる様に描かれていた作品だった。

Photoその時、いろいろな他の作家の作品もみせてもらったが、麻田浩の作品については「きついなぁ!」という感じを持った。

同じ時代を生きている作家の作品に対しては、共有できる時代のにおいみたいなものを感じる。それが共有できなければ好きな作品とはならない。そのような点では麻田浩の作品には共有できる感覚をもった。

しかし、彼の作品を見ていると常にフルパワーで描いているという感じがした。ぎりぎりまで思考しそして全力を傾けて彫っている。そんな感じがした。画に対して画家は真摯な形で向かって行くが、やはり人間でありその過程にはゆるみも生まれるし遊びもうまれる。見る側にとっても短期間に全力を傾けて作られたと思える作品はみていると疲れを感じる場合がある。有名な画でいうと私にとってはゴッホの画に同じ様な物を感じる。そのような意味で「真面目な作家だなぁ」という感想と同時に「きついなぁ!」という感じを受けたのである。

Photo_2その後、時々麻田浩の作品を見る事が会ったが、正面から見る事は避けていた様な感じがする。ただ、がんばっておられるのだなという感慨は持っていた。

5〜6年程前、偶然彼の作品を見る事が会った。何点かの他の作家の作品の最後に並んでいた。周りの画が余り好みではなかったので、麻田浩の画をじっくりと見る事になった。以前と比べると画風も変わって来ており思わず横にいた会場の人に「麻田さんも変わって来ましたね。」と言った。そうすると会場の人は「麻田先生は5年程前自殺されたんですよ。」と知らないんですかという様子に言った。

思わず言葉を失ってしまった。

彼の画を追いかけていたわけでもないが、気にかかる画家の一人ではあった。
私もそれまでの10年間位、画を見る余裕もなくがむしゃらに生活をして来た。ふと旧知の画家の作品に出会い、じっと見ようとするとその画家は自殺したということを知らされる。
なにかものすごく悲しくなって虚しさを感じたのを思い出す。

1今回の近代美術館の展覧会は麻田浩の初期の作品から絶筆まで約130点位を揃えた集大成の展覧会である。

やはり、これらの作品を見て行くと、自殺の事を知ったからではないが、「しんどい」という感じがする。

初期のアンフォルメルの作品、シュルレアリスムに傾倒し自己の精神を追い求めた時代の作品、パリ時代の版画、宗教的な主題に沈下していった作品、いずれもが彼独特の色調とモチーフの選択により見る者に精神の修行の様なものを感じさせる。言い方は悪いが一種の禅の苦行のような感じがする。

父親も有名な日本画家で、兄も同様の日本画家、美術系の大学に行かず、同志社の経済学部を出、自ら洋画家の道を進んだ麻田浩。彼には彼の苦しみがあり、精神の軌跡があった。その苦しみを知る事はできないが、彼の残した作品には、我々に己の心と向かい会う事の必要性を感じさせる力がある。

上:「赤い土の上の出来事76」
中:「御滝図(兄に)」(1990)
下:「源(原)樹」(1997 未完成 絶筆)

*「没後10年 麻田浩展」
 京都国立近代美術館
 2007.07.31〜2007.09.17

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