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2007年9月22日 (土)

「美麗 院政期の絵画」奈良国立博物館(その1)

奈良国立博物館で開催されている「美麗 院政期の絵画」展は見応えのある展覧会である。
11世紀半ばから13世紀初頭にかけてのすばらしい美術品が集まっている。国宝がすべて素晴らしいとは言い切れないが、それにしても前後期あわせて約130点の出展品の内、約50点近くが国宝、約40点が重文である。このことからも、この展覧会が稀に見る規模だということが伺い知れる。

展覧会は5章で構成されている。まずは第1章の「美麗のほとけ」から。

Img_nara1これは高野山の有志八幡講十八箇院に伝わる「五大力菩薩像」三幅の内の「金剛吼菩薩」(国宝)。

大きな軸である。縦が3メートル、横が2.5メートル位ある。紅蓮の炎の光背を背負って、三目二臂(眼が3つで腕が4本)の仏が憤怒の表情で睨んでいる。口は怒声を発するが如くに開いている。余り近づくとその炎に身を焦がされそうである。

それにしても激しい仏である。その大きさからも、見る者をおびえさすかの様な威圧感がある。

一般に「菩薩」と言われる像は和やかな表情で、衆生救済を願う仏であると思っていた。しかしこの菩薩は明王に類するような激しい表情である。眼は血走り、カーッと美開かれひれ伏すものたちを睨みつけている。光背の炎は大胆にデフォルメされており、端正の描かれた菩薩と対比をなし、その怒りを強調している。色数をおさえた単純化も一層その怒りを強調している。

この像は元々は5幅セットであったらしい。しかし、明治の初めに2幅が焼失した。そして高野山で行われる仁王会の時に堂内に掛けられたと言う。
仁王会というのは鎮守国家・万民豊楽を願う朝廷による法会。堂内にあらわれたこの忿怒の表情の菩薩像を前にして、僧達はどの様な気持ちで祈りを捧げたのだろう。祈る気持ちの強さが感じ取れる様な素晴らしい仏画である。

Img_narahaku2これは東京国立博物館所蔵の「孔雀明王像」(国宝)。

空海によってもたらされた孔雀経法は、始めは祈雨や除災の秘法として行われていたが、院政期には個人の厄災を除く目的で修会が行われる様になった。
この仏は鳥羽上皇がその女御である美福院得子の皇子出産祈願のために描かれたものとされている。

画面いっぱいに描かれた明王は、じっと静かな表情でこちらを正面から見据え、祈る者を暖かく迎える様な感じである。しかし、明王を乗せる孔雀は鋭い目付きで邪な心を持つ者を拒否するかのように見据えている。美しさと厳しさが同居したかのような構図である。

明王の体はふっくらとした体型で白色を基準としているが、所々に淡い朱の色を帯び柔らかな感じ。孔雀もぽってりとした体型で、光背の丸みも含め画全体がおおきな丸い円を描く構成となり。ちょうど明王の威光が放ろがって来るような感じがする。四隅に描かれた宝瓶も含みものすごく広がりを感じる画である。

着衣には、細く糸の様に切った金箔を細かく切り貼る截金(きりかね)で文様をちりばめ、その細工の細かさに驚かされる。光背の孔雀の羽根は緑、群青、金泥で描かれ、その濃密な色彩と細密さに圧倒される。

この平安後期の院政時代に展開された、「優美で洗練された美」と「細密な技法」にただただ感心する逸品である。

Img_narahaku3これはボストン美術館所蔵の「馬頭観音像」。
ボストン美術館からはもう一点「如意輪観音像」が出展されているが、両者ともすばらしいもの。
この時代の日本文化の高さと、美意識の素晴らしさを指し示すもの。
しかし、この画が日本にないというのも悲しい現実である。

この「馬頭観音」まず色がすばらしい。古色を帯びた赤と言うか、独特の赤色である。それをひきたてているのが黒の輪郭線。よどみのない勢いで描かれている。そのするどい線がまるで今にも動き出しそうな感じを与える。三面八臂のこの像がグワーッと動き出しそうである。特に足の表情がいい。

それとこの画のすばらしい所は、着衣から蓮台にかけての文様。先程の「孔雀明王像」でもそうであったが、截箔(きりはく)と截金(きりかね)で描かれた文様。本当に細かい。人間業とは思えない。単なる技術の問題を通り越して、ここには仏に対する敬慕と畏怖とすがりつく本能みたいなものが込められている様に思える。そうでなければこのような美しさは表現できないと思える。

この展覧会の題目に「美麗」という言葉がつかわれているが、この時代に日本文化の一つの頂点となる美しさが実現していることを思い知らされる。
これらの美しさを求める人間とそれにこたえる絵師、絵仏師達の存在、ここにその関係の完成された形ができあがったと思える。
院政という今までとは異なった政治の体制がこのような関係を作り上げて行ったのであろう。
それにしても「美麗である」。

Img_narahaku4これは奈良国立博物館所蔵の「十一面観音像」(国宝)。

奈良国立博物館の新館から旧館へ渡る地下道にこの像の修復過程が写真で展示してあり、いろいろな調査結果が知らされている仏画だが、こうして見てみるとさすがに美しい画である。

この仏画で面白いには、仏が向かって左側を向いている点。密教の本尊画像では、今まで見て来た中ではこのような姿勢は珍しい。大体が正面を見ている。
なにか、ふいっとはぐらかされたような気になり、なんとなく他の仏よりも人間味を感じる。

また、「十一面観音」というのは不思議な観音である。頭上には11面ないし10面の他の顔を持ち、その一面一面がことなった表情をみせている。この画でも穏やかな表情を見せている真中の顔を中心として左右にだんだんと怒ったような表情になっている。
これは観音の多面性を表しているといわれているが、逆に考えると人間の多面性をも同時に表しているのではなかろうか?。人間の持つ多面性に対応するため観音もこのように多くの顔を持つ必要があるのではなかろうか。それは多くの人間の為というよりも、一人の人間に内包される多面性の為であろう。一人の人間が持つ表の顔と裏の顔、口と心の違い。これらに対応するためのものでなかろうかと思える。

これ以外に、この部だけでも「応徳の仏涅槃図」や、東寺の「十二天像」、曼珠院の「不動明王像」、高野山金剛峯寺の「血曼荼羅」等、この時代の逸品がズラーッと並んでいる。また後期にはこれが大きく変わる。この部だけでも充分一つの展覧会が開ける内容である。

ほんまに眼福、眼福!

続く

*「美麗 院政期の絵画」
 奈良国立博物館
 2007.09.01〜9.30  (前期・後期により展示替え有り)

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コメント

これだけ美しい仏画が集められているなんて、見ごたえありそうですねぇ・・。でももう終わり(泣)
憤怒形の菩薩像をわたしも一度だけ見たことがありまして、とても珍しく感じました。

それにしても、孔雀明王が美しい!

投稿: はたこ | 2007年9月25日 (火) 23時58分

はたこさんへ
本当に素晴らしいものばかりです。実は17日と22・23日、奈良博に通いづめでした。(19日が前後期の境目)
堪能しました。夢にまででてきましたよ!

奈良博がんばっているとおもいます。前回の神仏習合もよかったし、今回も前期の半券持っていれば後期は500円だったし、図録は1500円だし。感謝!感謝!です。

投稿: 好日 | 2007年9月26日 (水) 01時04分

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