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2007年10月27日 (土)

「狩野永徳展」京都国立博物館(その2)

京都に住む人は、たいてい「洛中洛外図屏風」の前に向かうと、自分の住んでいる場所を探し始める。「XX寺がここやさかい、家はこのへんやなぁ」といいながら目をこらす。しかしこの屏風が製作されたのは16世紀中頃と考えられており、ほとんどの家は残っていない。そんなことはわかっていてもついつい目こらしてしまう。それはこの屏風が細かく当時の京都の様子を描いているため。そのような点でこの屏風には京都人は特別な関心を寄せている。

Img_rrg1右雙

この頃の京都は応仁の乱後の復興を遂げ、都市としては職人や商人の自治地区としての下京と政治の中心としての上京に二分されていた。この様相を表すため屏風は右雙には「稲荷山」「東寺」の九条あたりからはじまり、下京の町並みを眺めながら東山を比叡山あたりまで描いている。左雙は鞍馬からはじまり上京の公方、武家屋敷を描き西山へ嵐山あたりまでを描いている。具体的には右雙は京都タワーから東北の方を見た図で、左雙は吉田山位から南西の方向を見た図と思えば近い風景になる。(ちょっと湾曲しているが・・)

Img_rrg2_2左雙

その風景を金雲に隠しながら名所、旧跡をあまねく描いている。金雲は一種のワープゾーンと考えれば理解がしやすい。描かれている寺社仏閣に関しては現在はなくなっているものも多くあるが、有名どころは残っている。ひとつひとつに永徳直筆とおもえる名札が貼ってあるのでわかりやすい。

庶民としてはやはり興味が湧くのは市井の人々の様子。いろいろある中から面白そうなものを。

Img_rrg3これは祗園祭の「神輿渡御」。
いままさに賀茂川を渡ろうとしている。

先頭を行くのは今と同様「中御座神輿」。六角鳳凰の形からそれがわかる。
後に続くのは、四角宝珠の形をした「東御座神輿」。
河向うにいるのが八角鳳凰の形をした「西御座神輿」。
下の方に厄払いのため繰り出した「長刀鉾」の先が見えている。

お供の人達は四条の橋を渡っているが、神輿は今と違って、神輿の為の「浮き橋」を通っている。

「ホイット、ホイット」の掛け声が聞こえて来る様な感じである。

Img_rrg4祗園祭ついでにこれは新町通りをとおる「船鉾」。

船形の鉾はこの頃2基あったが、神輿の向かっている方向からしてこれは「先の祭り」と考えられるから、今と懸装品の様子等が異なるが、鉾としては現存の「船鉾」。

その他の山鉾では、「放下鉾」「函谷鉾」「蟷螂山」「黒主山」等が描かれている。(判別つかない山もいくつか。)。また、長刀鉾が切る注連縄を結ぶ斎竹もたっており、祗園祭の形態がこの頃から余り変わっていない事が計り知れる。今無くなったものとしては、鉾の周りの武者行列くらいかな?

この頃の鉾は、今と違って家々の屋根の上見下ろす様にしてすすみ、この屏風の金雲の上にそびえている。祭りのざわめきや祇園囃子が聞こえて来るようである。

Img_rrg5これは当時はやっていた「風流踊り」。

念仏踊りから発展し、この頃、都でよく行われた。参加者が同じ様な衣装をつけて、女子供も参加し派手さを競いあったらしい。

頭に花飾りや被り物を付けて、桜や紅葉の枝を手に持ち踊り狂う。太鼓や小鼓の内ならす拍子に合わせいつまでも続きそうな感じである。桃山版フォークダンスですね。(フォークダンスも懐かしい!)

でも楽しそうだなぁ!

Img_rrg6_2これは一条にあった「お風呂屋さん」。

このころから「お風呂屋さん」あったのですね。でも多分蒸し風呂だったでしょう。でも「湯女」もいてちょっと怪しげな感じ。
気持ち良さそうに背中を流してもらっている人がいる。
「極楽、極楽」てなもんでしょうね。
出て来る人もピカピカだったりして。

京都は今も「お風呂屋さん」が多くのこってる。案外古くからある商売なんだな。
でも京都の人は、今も昔もお風呂が好きなんだな。

Img_rrg7_2これは千本閻魔堂の大念仏狂言。

今も春の桜の頃演じられている。平安の頃から始められて、途中中断はあったが、室町時代には将軍の加護を受けて盛んだったらしい。
演目は多分「閻魔庁」。地獄の獄卒である赤鬼が描かれている。(現在は確か緑色のかっこうだった。)

上にはカンデンデンと親しまれている音色を打つ「鰐口」が置かれている。今と全然変わってへん!
Img_rrg8

これは正月の風景。子供達が遊び回っている。
左の方では「綱引き」、真中では戸口に門付の漫才をやっている。そして右側では「振々毬打(ぶりぶりぎっちょう)」というホッケーみたいな遊びをしている。

正月の遊びと言うと「凧揚げ」「羽根突き」「カルタ」が定番みたいに思っていたが、案外その歴史は新しそう。この屏風ではまったくその様子は見られない。
遊びというのも時代の変遷が多々あるのだろう。

でも寒さに負けずもろ肌脱いで遊んでいる子もいる所を見ると、健康的だな。今の子供に教えてやりたいよ。

Imgrrg11

これは当時の市中で行われていたちょっと変わった商売。

左から「手傀儡(てくぐつ)」。これは人形遣。顔の周りに白地の覆面をし、声色を出しながら人形を操る。門付けをしながら市中を巡って行く。室町から安土桃山にかけこのような芸人が多く発生した。このような流浪の民が増えたのもこの中世の特徴。

真中には「桂女」。桂川で採れた鮎や川魚を市中に売歩いていた。「大原女」、「白川女」等、郊外から物売りに来る人達もそれぞれが特徴を持っている。遠くは大阪辺りからも売りに来ていた。商品経済がだんだんと成り立って来た様子がうかがいしれる。

左はちょっとわかりにくいが「懸想文売り」。正月に男女の良縁を願う文を売りに回る商売。「懸想文」いっぺん内容を読んでみたい。
この商売今やってもはやりそう。なんでなくなったのかなぁ?

まあこんな風に書き出したらきりがない。なんせ2400人に近い人々が描かれているのだから。
このような「洛中洛外図」や「祭礼図」また「風俗図」というのは本当に興味が尽きない。

金襴豪華な屏風のなかに、ささやかな庶民の生活が細かく描かれている事に一種の驚きを感じるが、逆に永徳はこの様な庶民の生活をきっちりと残したかったのではなかろうか。

しかし、余りにも細かく描かれているので、これから見に行く人にはオペラグラスか単眼鏡のようなものを準備されることをおすすめする。

*「狩野永徳展」
 京都国立博物館
 2007/10/16〜11/18

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コメント

こんにちは!
以前お邪魔したことのある、はなと申します。
私もこの秋京都にのぼって狩野永徳展みてまいりました^^
この記事を拝見して「なるほどな~!」と目から鱗。
京都の方にとっては、あの洛中洛外図はすごく身近な風俗画っていうことなんですね。
私が行ったときも人だかりで困りましたが…^^;
(単眼鏡をもっていって大正解!)
これは何か本を買って、細かく詳しく見てみたくなりました!

投稿: はな | 2007年10月28日 (日) 07時09分

はなさんへ
「洛中洛外図屏風」おもしろいですね。美術品を鑑賞するという前に、なんだかんだという野次馬根性が先にたち、充分たのしめます。

この「洛中洛外図」と同様に面白いのが。東博にある「舟木本洛中洛外図」です。この11月の20日ころから年末にかけて東博常設展に久し振りに展示されます。興味がおありでしたらお見逃し無く。
私も見に行く予定です。

投稿: 好日 | 2007年10月28日 (日) 16時32分

お久しぶりです!やっとこさ復活しましたのでTBに
参りました。私もこの絵画はオペラグラスを持ってでかけましたが
すごい混雑ぶり。

それにしても、詳しい説明ですね、好日さんの正体は
大学の教授か何かでしょうか?!
洛中洛外図屏風も洛中洛外遊楽図屏風の方でも
琵琶法師が犬に追いかけられているのを確認して
満足していました。
舟木本も関西にくるなら、見に行くのですが。

投稿: kodama | 2007年11月16日 (金) 04時13分

kodamaさんへ
久し振りです。こちらもこの頃余り更新できてませんが、そろそろ復活できるかなぁ!

それにしても「永徳展」すごい人気でしたね!
洛中洛外図も時間によっては上の部分しか見られなかったと聞いてます。
余り人気が出すぎるのも困ったものですね。

正体はご想像にまかせますが、好きな物を好きな様に見ているだけです。

また、色々な花の情報期待していますし、こちらにもちょくちょく寄ってください。

投稿: 好日 | 2007年11月19日 (月) 00時52分

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