「美麗 院政期の絵画」奈良国立博物館(その4)
ちょっとバタバタが続き会期も終了してしまい間が抜けた感じになるが、遅ればせながら「美麗 院政期の絵画」その4を。
今回は「六道絵」。六道というのはインド古来の輪廻転生の思想を仏教が取り入れ、人間は三善導である天道、人道、阿修羅道と三悪道の地獄道、畜生道、餓鬼道の六道を輪廻すると説いた世界の事。平安時代の中頃、横川の源信が「往生要集」を書き浄土への憧れの対比から六道の苦しみを強調した為、この院政の時代人々にとっては「地獄に落ちる」というのは切実な問題。
これは「地獄草紙(奈良博本)」の「鉄磑(てつがい)地獄」(国宝)。
心がねじけて、人の物をだましとった者が堕ちる地獄。ここでは獄卒たちによって、鉄のすり鉢に入れられゴリゴリとすりつぶされる。
痛そう!
「地獄草子」と呼ばれる絵巻は東博にもあるが、それと比べるとこの奈良博本は凄惨な印象がしない。
地獄の獄卒達の顔つきがなんとなく怖い様な感じがしない。
地獄の鬼というよりも、とぼけた妖怪の様な感じがする。そのせいかこの地獄草子自体がなんかユーモア溢れたものに見えて来る。
まぁ、あんまり怖がらすのも逆効果になるもので、あくまでも浄土へ導くためのものだからこのくらいが適当かも。
この「地獄草子」には、その他に糞尿の池でうじ虫に齧られる「屎糞地獄」や怪鳥につつかれる「鶏地獄」等、7つの地獄が描かれている。いずれもがなんとなく恐いもの見たさの気持ちをうまく満たして行く様な雰囲気を持つ。うまいもんである。
次は「餓鬼草紙(京博本)」の「食水餓鬼」(国宝)。
餓鬼というのは亡者のうち生前の行いにより餓鬼道に転廻した者をいう。ここに描かれている餓鬼達は飲食しようとするもそれらは炎となり飲食する事は出来ず、常に飢えている。唯一、施餓鬼供養されたものだけは食することができる。
この場面は死んだ親の供養の為に塔婆にかけるわずかな水のしたたりを、餓鬼達がすすって乾きを癒している風景。水をなめている餓鬼の表情がなんともユーモラス。長く伸びた紅い髪が今風だなぁ。
この画で不思議なのが、餓鬼の世界と人間の世界が同じである事。仏教の教えでは餓鬼道は別の世界であるのだが、このように同じ世界として扱う事で、見る者により臨場感というか切迫感を与えるのだろう。
それと気付くのが先祖の供養として、塔婆なり墓を造る風習がこの平安末期にはひろがっていたという事。このように供養の為に墓を設けた最初の例は藤原道長だったと思う。それまでの一般の日本人の死生観なり先祖供養というものは霊をある場所に呼び寄せるというものであって、常にある場所に居るものではなかった。それがこの時代には墓をつくるようになり供養の為に墓に参るという風習が定着して来たのである。それまでは供養より死穢のほうが嫌われており、墓参りという概念はなかった。そのへんの移り変わりを知る事が出来る。
これは「辟邪図」の「鐘馗図」(国宝)。
いままでの地獄絵図は、亡者が鬼神や悪獣や獄卒にいじめられる風景を描いたもの。これは逆にそれらの鬼達がやっつけられるという逆な風景。人間にとっては「ザマー見ろ!」というような雰囲気。
このような画がなくては、人間もやってられないだろう。
いろいろ鬼達をやっつける神等が描かれているが、これはその内の「鐘馗さん」。
ほら、京都の屋根に飾られている「鐘馗さん」ですよ。このあたりの話から屋根に飾る様になったのですよ。しかし激しい鐘馗さんです。鬼を引き裂いていますよ!
こういう人が家の屋根から睨みつけていれば疫鬼も家には入れないだろう。
その他「六道絵」としては、「沙門地獄絵」、「病草子」等この時代のものは総出演であった。
最後はこの時代につくられた「秋草文壺」(国宝)。
慶応の日吉キャンパスの近くの古墳から発掘された壺で、発掘時には人骨がはいっており骨壺として埋められたものである。
初期の常滑の壺で、黄緑色の釉がかかりススキや瓜や蜻蛉の文様が大胆に描かれて、古窯の壺としては白眉のものである。
実はこの壺、長い間追いかけていたが、なかなかタイミングが合わず見られなかった。今回ここに展示されているとは知らず、おもわぬ対面が果たせた。
案外、見たいものというのはこんなもので、追いかけている時にはなかなか見られず、予想もしていない所で見られる事もある。そのへんがせっせと展覧会に通う楽しみでもあるのだが。
満足、満足。
何回にも分けて書いて来たが、この奈良博の展覧会本当に見応えが会った。国宝の展示が多く開催期間も短かったが、前後期とも通ってしまった。
鮮烈で、優雅で、奥ゆかしさがあり、かつ庶民の姿が生き生きと描かれこの時代の空気を充分に味わう事が出来た。
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