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2008年1月の15件の記事

2008年1月30日 (水)

家(うち)のごっつぉ (京野菜)

おいしそうな「金時人参」、「牛蒡」そして「小海老芋」が手に入ったので今晩は野菜中心のごっつぉ 。

Img_4924まず最初は、小海老芋、金時人参、こんにゃく、ささがき牛蒡の焚き合わせ。

単に野菜のごった煮ですかね。

家は出汁とほんの少量の醤油とお酒で焚くだけです。他所のんと比べても相当薄味だとおもいます。
嫁さん最初は別々に焚いてます。各自が炊きあがる直前に一つの鍋にまとめてます。
そしてしばらく焚いて出来上がり!

この「小海老芋」がおいしい。ちょとニチャとした感じとほくほく感が交互に出て来る。
また、色鮮やかな「金時人参」も上品な味。

今日のはよくできている。野菜本来の旨味が見事なハーモニー。

Img_4926_2つぎは「鯛のあら炊き」。

付け合わせの「叩き牛蒡」が食べたいから、あら炊きにしたそうです。
大きな顔して鯛がいますが、主は「叩き牛蒡」です。
だから、鯛はそんなに真剣に捜して来なかったといってます。

たしかにこの「叩き牛蒡」、すこし粗いめにたたいてあるせいか歯ごたえもあり、牛蒡本来の「土の味」というんですかね、旨味がでている。
鯛の出汁も充分に滲みており、嫁さんが「叩き牛蒡」が主と言うのもうなずけます。

Img_4931_2最後は「切り干し大根の炊いたん」。

金時人参が余ったので作ったらしいです。
これは家の常備菜。家族皆がよく食べます。

私はこれを一晩冷蔵庫に寝かしたのが大好物。味の良く滲みたのを熱々の御飯の上にのせて食べるのが小さい時からの癖です。御飯の上にのせるのはおかしいと嫁さんは言うのですがやめられません。

明日が楽しみ!!。

テーブルの向かい側では、息子達が肉を焼いて食べてます。(今日は珍しく揃っているな!)
漂って来る焼いた肉の匂い、う〜ん、これも魅力的だなぁ!!

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2008年1月29日 (火)

「京の鳥瞰図」 京都市歴史資料館

寺町通を歩いていて京都市歴史資料館の前を通ると、「京の鳥瞰図」と書いた看板が見えた。
京都盆地特有の底冷えにさらされ閉口していたからさっそく入って行った。

「鳥瞰図」とは、文字通り空の高い所に飛ぶ鳥の眼からみた情景。そしてそれにデフォルメを付けて描いているから、普通の地図よりも感覚的には土地勘みたいなものが得やすい。

考えてみれば、日本ではこのような手法をとって描かれたものが古くからある。平安時代から室町時代に多く描かれた「宮曼荼羅」や「参詣曼荼羅」。また絵巻物も多くの場面で高い視点で描かれている。そして「洛中洛外図屏風」では雲を越えた位置からなめまわすように情景を描いている。

今回の鳥瞰図は江戸中期以降から昭和の初めまでの20点程。
面白かったものは

「モンタヌス都の図」
オランダ人のモンタヌスという人が「日本誌」という本の中で描いた京都の図。銅版画の様な感じで京都が中世ヨーロッパの城塞都市の様に描かれている。それもそのはずモンタヌスは日本に来た事も無く、いろんな資料に基づいて描いた。「内裏」が「Dairo」になってたり、「ズボヤマ」という山が描かれたり、どこの京都かなと思ってしまった。

「西川通線路新開図」
幕末に開通した西高瀬川。西高瀬川といっても知らない人が多いと思うが、嵐山から分岐して千本三条まで通じ、また千本三条から下鳥羽へ続いた運河の図。今は暗渠になったり、どぶ川みたいになったりしているがこの頃には京都に物資を運ぶ重要な水路であった。千本三条に近いところに住んでいるだけに興味津々。

Img_4899_2

これは吉田初三郎の「叡山頂上一目八方鳥瞰図」(大正15年作)。比叡山の頂上から北は琵琶湖を越えて北陸の山々まで、南は京都を越えてはるか大阪湾まで、東は富士山までを360度見渡した鳥瞰図。現在河原町六角の京宝会館の建設現場の壁面に描かれているので、見た事のある人も多いでしょう。

なかなかユニークな視点。発想がおもしろいなぁ。しかしこの画をみて、はるか大阪湾の海の景色や富士山を見付けると思わずニヤーッとしてしまう。人をくった面白さ。

吉田初三郎は解説のパンフレットによると
「吉田初三郎(1884〜1955)は京都に生まれ、友禅図案家でしたが、洋画の技法を学び独特の鳥瞰図を生み出しました、大正から昭和初期にかけて各地の観光鳥瞰図を手がけ、のちには、『大正の広重』と呼ばれる様になりました。」とある。
ユニークな画家がいたものである。

吉田初三郎の鳥瞰図は、これ以外にも5点程展示されていたが、どれもが美しく、楽しめる鳥瞰図であった。

人間、「一度は鳥になりたい」と思うそうだが、その欲望を簡単に実現してくれるこれらの画(地図)。
見ていてほのぼのとし、冷えた体が少し暖かくなったような気がした。

*テーマ展「京の鳥瞰図」 京都市歴史資料館
 京都市上京区寺町通丸太町上る
 会期 : 4月6日まで

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2008年1月27日 (日)

片岡球子さんを偲ぶ

1月16日に片岡球子さんが亡くなられた。

Img_kataoka3急性心不全のため神奈川県藤沢市内の病院で死去され、103歳でした。

片岡球子さんというと「富士山」の画が有名だ。
その大胆なタッチ、そして赤と青を多用した鮮やかな色使いは彼女の存在を指し示す物だった。

そして、彼女のもう一つの連作に「面構(つらがまえ)」シリーズがある。
このシリーズは歴史上の有名人の肖像を描いたもの。
「面構ー葛飾北斎」

描かれているのは、武者や画家や浮世絵師等が多い。例えば足利尊氏、雪舟、豊臣秀吉と黒田如水、そして北斎、写楽、歌麿、國貞等の浮世絵師等。

このシリーズは好きな画である。
一枚一枚に描かれているそれぞれの「面構」が素晴らしい。

「これが80歳を超えた人の画か!」といつも思っていた。
POPで、しゃれていて、かつモダンであった。そう言って決して軽い感じではなく、その人物について画家がしっかりと受け止めそして咀嚼し吐き出した表情になっている。

決してそれは美男ではないが、心に残る「面構」である。
その画を前にすると、何故かその人物をよく知った様な気がした。

Img_kataoka2_2
「面構 歌川国貞と四世鶴屋南北」

 片岡さんの「面構」シリーズは以前、毎年「院展」に出展されていた。
思っている以上に大きな画で、高齢の彼女にとっては大変な仕事で有ったろう。
しかし、院展を見に行く楽しみの一つが彼女の画であった。

期待に違わず、毎年存在感のある「面構」であった。
彼女の画があるだけで、その展示室がパーッと明るくなる様な気がした。
沈痛なまわりの画を吹き飛ばす痛快さがあった。

その画ももう見られなくなってしまった。

今後は片岡さんの残した「面構」を追いかけるしかない。

Img_kataoka1「面構 国貞改め三代豊国」

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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2008年1月24日 (木)

家(うち)のごっつぉ (東坡肉)

12月に台北に行って極品軒の東坡肉に打ちのめされてから、嫁さん俄然「東坡肉」に目覚め、何回となくチャレンジしている。

Img_4876最初の頃は肉がボロボロになったり、たれが甘辛かったりしたが、試行錯誤を繰り返し(といっても3回目だが・・)今回やっとなかなか良いのができた。

肉もしっとりとし、大分とろける様な感じに成って来た。たれも煮詰めた様な甘辛さではなく、いろんな香辛料や肉の旨味が複雑にまじった味になって来た。

作り方はまず三枚肉を白ネギと生姜といっしょにアクを取りながら茹でる。
次に醤油と紹興酒のたれにつけこみ充分に絡める。
今までの試行錯誤の結果この漬込みが難かしいらしい。

漬けた肉をブロックに切り分けて、今度は焼く。まんべんなく全体を色付ければ良い程度。

最後に先程のたれに砂糖を入れて、紹興酒や生姜汁や八角なんかをいれて肉を煮込む。
ゆっくりと弱火で2時間程煮込むそうだ。

肉が煮込めたら、残りのタレにまた味を整え、片栗を混ぜてとろみを付けてかけるたれをつくる。

柔らかく、ホロッとした肉に、生姜や八角や甘味の効いたタレがからみなかなかの出来。

まだまだ「極品軒」には遠いけれど、まずはベースと成る「東坡肉」は出来る様になった。

さあ、これから我家風の味付けをまた試行錯誤でやっていく。
その結果は、またこのブログでお知らせします。

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2008年1月22日 (火)

「鏑木清方の芸術展」 美術館「えき」

会社の帰りに、京都駅にある美術館「えき」へ寄って「鏑木清方の芸術展」を見て来た。

Kaburaki1鏑木清方は明治から昭和初期にかけての画家で、「西の松園、東の清方」といわれた美人画の大家。東京中心に活躍した画家の為、京都では余り馴染みの無い画家。
私自身そんなに多くの画を見ていない。

美術館の方も、夕方の7時前だったせいか、私以外のお客さんは誰もいない状態。
見てる途中、ガラスの端で監視員に方が突然動きいたのが写り驚かされた。

鏑木清方は、浮世絵から始めた画家で、最初は新聞や雑誌の挿絵を描いていた。
初期の挿絵なんかをみていると、女の顔の描き方なんかは、国芳とかの系列だなという感じがする。

この頃の作品で面白かったのは、雑誌の付録として描いた「双六の図」。
画としてよりも、書いてある内容が当時の世相を表しており、「軍国おんな双六」とか「時代女風俗双六」とかがあり、明治の時代の様子が伺い知れ興味を引いた。
それに、この時代の双六は今の双六よりも「人生ゲーム」に似た遊び方をしたのだなぁ。

チラシの画は「朝涼」。
大正14年の作品。この頃には清方は官展の大家になっていた。

自分の娘が朝早く散歩している図を描いたものである。夏の朝の清々しさとが画全体から伝わって来る。

このような清方の美人画、松園の美人画と比べると、なにか違う。技術の巧拙とか構図の良し悪しとかいう問題と違って、もっと根本的な次元で異なる物があると思う。

家に帰って、松園の画集を見ながら思ったのは、同じ「美人画」でも、女の松園が描いた美人画と男の清方が描いた美人画とは、画をに対する思いが根本的に違うということだ。

松園の場合であったら、やはり女性として描きたい、理想としての女性を表現しようとしている。画を見る側からすれば、それは時には厳しさを持った女性とか、近寄り難いような女性を感じることがある。

清方の場合は、男性からみた理想の女性。男性がこうあってほしいと望む様な女性像を描いている。
そこには憧れもあれば、性の対象としての女性像もある。
そのへんが、はっきりと現れたのが次の画。

Kaburaki2

「妖魚」。大正9年の作品である。

濡れた髪の毛の描き方や、こちらを見つめる目付き。
西洋のヴィーナスと同じ様な雰囲気を持った画である。

清方は晩年、官展等の大作主義から離れ、自ら「卓上芸術」と名付けた、幕末や明治の江戸(東京)の下町の生活風景を多く描いた。
さら〜っと描かれている物が多く、肩の荷が降りた様な雰囲気がし好感を持てた。

松園や京都の画壇の日本画を多く見ている者には、鏑木清方の良さと言うのはもうひとつピンと来ない。もう少し多くの画を見なければわからない画家である。

*「鏑木清方の芸術展」  美術館「えき」(JR京都伊勢丹7階)
 1月2日〜1月27日  10時〜20時

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2008年1月20日 (日)

寒いときは京みそ鍋 「十両」

この時期の京都、空がちょっと怪しいなあと思えば、すぐに時雨て来る。
京都会館あたりに居て、時雨れて来たのであわてて「十両」へ飛び込んだ。

Img_4888かじかんだ体を温めるため、頼んだお昼は「京みそ鍋」。

白味噌ベースの鍋に、鰤のアラと京野菜と湯葉がどっさりはいっている。
この季節の「十両」での定番。

白味噌仕立ての鍋や椀物はいろいろあるが、ここのは魚のアラがはいっている点でちょっと変わっている。
でも、白味噌と湯葉というのはなかなか魅力的な組み合わせ。

Img_4896野菜は地の物がいろいろはいってる。

堀川牛蒡に小蕪、頭芋、水菜など。どれもがとろとろ寸前まで煮られている。

ひとつひとつがほっくりとしており、口の中でホッホッところがしてじわっ〜とひろがる白味噌の甘味と野菜の甘味を味わう。

寒い外から入って来て、こういう風にこの熱々の鍋を食べると、ほんとに体がホカホカしてくる。

白味噌に魚のアラまで入れて煮立てると、しつこくなりそうな感じがするが、ここのはあっさりしている。
白味噌の甘味もおさえられており、薄味になっている。
そのため、野菜本来の持つ甘味というか旨味が引き立って来る。

定食の御飯は白豆の混ぜ御飯。
京都の冬らしい定食だ。

Img_4887これは「棒ダラの定食」。

「棒ダラ」と言うのは、一度干しカチンコチンになったタラを水に浸して戻し、柔らかくなったのを酒や味醂などで甘く焚いた料理。

円山公園にある「いもぼう」さんの、海老芋とこの棒ダラを焚いた料理が有名ですが、京都の人達は正月のお節なんかに家でもよく焚く。ポピュラーな料理。

固い棒タラをここまできっちりと戻すのは大変な手間がかかる。(この頃は戻したのも売ってますが・・)
戻す手間を省けば、棒ダラは生臭くなったりしておいしくない。見かけからはわからないが、大層な手間がかかっている。

ここのは、そんなに甘辛くもなく上品。食べるとちょっと正月に戻った気分。
タラのさくさくとした口触りと出汁のコクがいい。
焚き合わせの野菜、付け合わせの白豆の炊いたんや数の子の粕漬けもまた美味。

この日も、隣の席では雑誌の取材をやっていた。この店も人気が出たもんだ。
しかし、おねえちゃんは相変わらずようしゃべるし、店も気さくな感じは変わらない。
このままでがんばってや!

 「十両」 
  京都市左京区東大路丸太町西入ル上ル
  (熊野神社一筋西を上る、向かいに同じ名前のレストランがあるが割烹の方)
  075−771−1170

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2008年1月19日 (土)

「美の壺」 京都高島屋グランドホール

金曜日の10時、軽快なJAZZと共に、NHK教育TVで放送されている「美の壺」。
毎回見ている訳ではないが、ちょっと気になる番組。

Binotubo130分程の番組で、たった3つの「壺」を知っただけで、「美」というものをわかってしまうとは思っていないが、知らない分野に関しては「なるほどね〜」と思ってしまう。

物の見方という点で、大筋を知る為には便利な番組。

その展覧会を高島屋でやっているので、招待券ももらったことだし、見に行って来た。

展覧会では10の番組について取り上げられていた。

1. 古伊万里 染付け
2. アールヌーヴォーのガラス
3. 魯山人の器、織部焼
4. 根付、櫛
5. 掛け軸入門、表具
6. 切子
7. 藍染め
8. 江戸の文様
9. 友禅
10. 唐津焼 

Binotubo2「なるほどね〜」と思ったのは「アルヌーヴォーのガラス」と「藍染め」。

ガレのガラス等、この時期の「アルヌーヴォーのガラス」今まで幾つか見ている。だいたい展覧会や博物館で見る場合は、ケースの中にチンと収まっている場合が多い。骨董屋さんなどでも、あえて買う気もないので、手のとる事も無く、ひやかしで眺めているに過ぎない。

ここで指南されている「光がつくるいくつもの顔」という「壺」は、思っていてもなかなかその場では見られないし気付かない。

今回、ガレのガラスのなかで、ウランを含んだ材質で作られた器に紫外線を当てておき、それを暗闇のなかへ持って行くと、きれいな緑色に発光する様子を実演していた。きれいな緑でした。LEDのような冷たい光ではなく、暖かい感じの緑がボヤーッと表面に彫られている模様を浮かび上がらす様子はすばらしいものだった。

「藍染め」は使っていくことによりだんだんとその色を替え、かすれや濃淡が出て来て、なんといえない味を出して行くという「壺」に気付かされました。

まあ、その他にもいろいろ見て楽しい物がありましたが、ここで取り上げられているものは、そんなに古いものではなく、ちょっと昔日常に使われていたものの中に「美」を見つけている点が気に入りました。

いってみれば、現在版「民藝」運動の再開ですかね。

この頃、江戸や明治位の古いものの中から気に入ったものを選び、(これぐらいの時代物だったらまだ買う事ができる。)日常骨董として使って行くのがはやっているみたいです。
京都の古い家なんかでは、押し入れや物置なんかをヒックリ返せば出て来る様なものをまた大事に使い出すみたいな感じです。そういう人達にとって、このようなハウツウ的な知識は好まれると思いますね。
(なかなかNHKも眼の付け所がうまいなぁ)

願わくは、その中から自分自身の壺を見つけて行く事ができればいいのですがね・・・。

*「NHK 美の壺展」 京都高島屋グランドホール(7階)
 1月5日〜1月21日

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2008年1月15日 (火)

「若冲を愉しむ」 京都国立博物館(常設展)

毎年この時期の京博ではお正月らしい作品を並べた展示を行うのだが、何故か今年は「若冲」の小特集をやっている。子年だから、細見美術館の「鼠婚礼図」でも借りて来るのかなと思っていたら、さすがに京博、館蔵の作品だけで9点を揃えている。

Jyakutyuu1まずは「百犬図」。

実は「五十八犬図」。(数えたりする事好きです。)

ころころとした小犬、というよりも「わんこ」が屈託も無くじゃれあっている。

中には、こちらに向かっておいでおいでをしている招き犬もいるし、あおむけになってこちらを見ている犬もいる。

何回見てもそうなんだが、この画、はじめはかわいいいなぁと思って見ているが、そのうちに落ち着かない気持ちになってくる。

ひとつの理由はわんこ達の塊の構成。なにか落ち着かない並び方である。ちょっと遠くからぼんやりとながめると、なにか謎解き文字のような感じがする。

思い出せない事を、思い出そうとする様なもどかしさを感じて来る。

もう一つはこちらを見ているわんこ達の眼。
くりくりした眼だが、何故か無機的というか曇りの無い眼。
曇った眼をもつ私からはその表情が読めない。

せまる様な感じがだんだんこちらの気持ちを不安定にする。

不思議な画である。

Jyakutyuu_4

これは「石灯籠図屏風」。六曲一双の屏風。画像は右雙。

大きい屏風だから、常設にはあまりでてこない。

若冲の画としては珍しい構成である。西洋の遠近画の手法と南画の点描の手法が用いられている。

この様な画法は、多分交流の有った池大雅や木村蒹葭堂あたりより学んできたのかなぁ?
細かい点描で描かれた石灯籠や石柵の質感と薄墨でなだらかに描かれた山の稜線がすばらしい。

「若冲」らしくない「若冲」であるが、そこは凝り性の「若冲」。ちゃんといつもの「若冲」が顔を出している。

左下にある石灯籠、なんだか虫が食ったみたいな跡がある。右端の松の木を支えている添え木の節もじっと見れば、なんか奇妙な若冲ワールド。おもしろいな。

Jyakutyuu2若冲ワールドが顔を出した所で、その典型的な「鶏頭蟷螂図(部分)」も出ていた。

奇妙に一回転した鶏頭の茎の先に、真っ赤というよりも朱色と黄色に染まった花が咲いている。

この花も、普通の花のようではなく、なんか夕焼けの空にポッカリと浮かんだ雲のような様子。

その花の上に浮かんだ様乗り、こちらに鎌を振り上げた蟷螂。若冲らしく細密に描いてある。

この画の頂点に立つ蟷螂、見る者を威嚇する様な威厳がある。

その他には、
「果蔬涅槃図」、雪梅雄鶏図 両足院蔵、燕子花小禽図
海宝寺旧蔵 群鶏図障壁画 、群鶏図押絵貼屏風、群鶏図押絵貼屏風 金戒光明寺蔵

若冲好きの人にとっては京博からの愉しめる「お年玉」。

*京都国立博物館 常設展 「若冲を愉しむ」
 2008年1月2日から2月3日まで

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2008年1月13日 (日)

「三十三間堂の通し矢」

成人の日に近い日曜日、京都のあちこちで弓を持った人達に出会う。

Img_4857弓と言ってもアーチェリーではなく和弓。晴れ着を着た若い女の子や、袴をはいた男の子なんかがバス停や駅で細く長い弓を大事そうに抱えて歩いている。

彼らが向かうのは東山七条にある三十三間堂。

この日、この三十三間堂で弓道の行事である「通し矢」が行われる。

久し振りに見に行く事にした。

「通し矢」というのはあの長い三十三間堂の本堂の端からもう一方の端に置かれた的を射る競技。
何時頃から始まったかは知らないが、「洛中洛外図」にものっているから室町時代には行われていた様子。

これが盛んだったのは江戸時代、大名お抱えの弓の名人が三十三間堂の軒下約120メートル間で一昼夜かけて矢を射通し、的に当たった数を競ったらしい。

今は半分の約60メートル間で直径1メートルの的を射る。

Img_4844競技は新成人や有段者の部に分かれて行われるが、人気なのは新成人の部。

あでやかな振り袖に袴(はかま)姿の新成人らが、力強く矢を放つ。

競技が始まるまでは、携帯で写真を取り合ったり、ケラケラと笑っていた新成人が、射場に入ると引き締まった顔付きになり、キッと的を睨み力一杯弓を引く姿はすがすがしい。

やはり60メートルの距離を射る為には、矢はそうとう山なりに飛んで行く。
なかなかねらいをつけるのは大変そう。

各人、一射のみ。15人程が一斉に射るが、大体2〜3人位しか的には当たらない。

凛々しくて、華やかで、初春らしい行事ですね。

Img_4852これは有段者の部の決勝。

このあたりになると、やはり的に当たる確立は高くなって来る。

ピューと寒気を裂いて矢がパツと的に刺さると見物の人達から「ほぉ〜っ」という歓声があがる。

柔道とか剣道とか弓道とか、日本古来の武道は幾種類かあるが、弓道は昔からの型と精神との統合をまだまだ内包しており、勝負け以外に見ていて気持ちのよい物がある。

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2008年1月12日 (土)

「BIOMBO展 日吉山王祇園祭礼図屏風」 大阪市立美術館

これはサントリー美術館所蔵の「日吉山王祇園祭礼図」。16世紀の作品である。
右雙に日吉山王祭の様子、左雙には祇園祭の様子が描かれている。

Img_sairei1
右雙「日吉山王祭」
Img_sairei21
左雙「祗園祭」

右雙に描かれている近江坂本の日吉神社の山王祭りは、毎年4月14日に行われる船渡御の様子。
この日、日吉神社の7基の神輿は、日吉神社を出発し、坂本の琵琶湖湖畔の七本松から御座船に乗り琵琶湖湖上を唐崎沖へ向かう。

今は1台の艀(はしけ)に全部の神輿を乗せてボートで引っ張っていくが、この頃は1基ずつ船に乗せて唐崎沖へ向かった様子が描かれている。
周りには見物のための舟も出ており、湖岸には御座舟を追いかける人々も見られる。

琵琶湖の藍色ときらびやかな神輿の色が美しい。上部に描かれている水田の色も湖の色と同系で描かれ、あたかも湖と田の海に浮かぶ道に人々がいる様な感じがする。

もともと日吉神社の神輿は豪壮な神輿ではあるが、こうやって見ると祭り自体が豪壮な祭りである。

左雙は時代から見て、応仁の乱後の復興まもない祗園祭。
祭りの状況を見ていて気付く事だが、この祗園祭、見物人にも又祭りの参加者にも多くの物が刀や槍等の武器を持っている。一部ではその武器を使った争い事も起っている。
時代がまだそんなに安定せず、騒々しい雰囲気の中で行われていた祭りだなぁという感じがする。

上部に描かれている「神輿」の図にも興味を引く人達が描かれている。行列の先の方に、何人か白い覆面をし長い棒を持った犬神人達が描かれている。犬神人とは祗園社に隷属していた神人(じにん)であり、祗園社の色々な雑用や神社の清掃を行っていた人達であり、祭りでは神輿の警護にたずさわっていた。祗園社の成り立ちを考えて行くには重要な人々。

この屏風、じっくりと見ると構成的に不思議な事に気付く。四条通りを行く鉾の巡行は参加している鉾の種類から神幸祭(先の祭り)であると思われるが、上の三条通りを行く神輿はその方向からして還幸祭(後の祭り)である。一枚の屏風に両方の祭りを描いている。なかなか珍しい構成。

この展覧会には他にも何点かの祇園祭礼図屏風が出展されていたが、どれもが活気に溢れる祭りを示すことにより、祭りが本来の宗教的な意味から離れ、市民や群衆の楽しみと成って行く様子が伺い知れた。

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2008年1月10日 (木)

「BIOMBO展 阿国歌舞伎図屏風」 大阪市立美術館

これは四条河原で踊る「阿国歌舞伎」を描いた「阿国歌舞伎図屏風」。
「阿国歌舞伎」を描いた画はいくつかあるが、これは京博本。もっとも古い画といわれている。

Img_okuni2
屏風左側3面

Img_okuni3

屏風右側3面

この屏風、京博の館蔵品であるが、傷みがひどいせいか常設展にもあまりでてこない。
今回の展覧会で見たかった作品の一つ。

舞台に踊る「阿国」とそれを楽しそうに観ている観客達が描かれている。

細かい所を見ていくと、まず左端には観客を運んできた駕篭舁が暇そうに客を待っている。
その横には、傾いた若者が、女の子にちょっかいを出している。この辺の雰囲気、現在のコンサートなんかの雰囲気と変わらへん。

舞台の上では囃子方達が並んでいるが、まだ三味線は使われていない。太鼓と小鼓のみ。
そして演じるのは男装した阿国と従者の猿若、そして遊女。よく言われる「茶屋踊り」でしょう。

舞台の下では、毛氈をひいて男も女も、武士も町人も阿国の「傾く(かぶく)」様子を眺めている。
中には、重箱を持って来て、弁当を食べながら観ている連中も居る。芝居と弁当という組み合わせこの頃からあったんだなぁ。

右側では桟敷席が設けられており、そこにはちょっと高貴な様子の人達も観に来ている。
ここで面白いのは、所々観客に、顔を隠す覆いや、扇子をかざしてその影からみてる者がいること。
これは中世に流行った風習で、異形なものや常とは違う物事なんかを観たり、遭遇したりしたときに行う仕草。自分とは違う世界と自分の世界との結界をつくるためこの様な仕草をしていたらしい。これらの仕草は「洛中洛外図」なんかでもよく見られる。(詳しくは網野先生の「異形の王権」に記述されている。)

小屋の外では、露店の店が出ている。餅か団子みたいな物を焼いて打っている様子。よく見ると壺からタレのようなものを塗っている。みたらし団子かあぶり餅みたいなものだったのでしょう。

まぁ、このように当時の四条河原の賑わいを金地に銀の雲をなびかせ、丁寧に描かれている屏風で、見飽きる事が無い。

Okuniこれは「阿国」を拡大した図。案外大柄な様子である。
四条川端に立っているブロンズ像とはちょっと雰囲気が違う。

よく歌舞伎の解説本などに、「出雲の阿国がはじめた歌舞伎」とさら〜っと書いてあるが、実際はこの屏風に描かれている踊りがそのまま今の歌舞伎になったのではではない。

「阿国」の始めた踊りというのは、この頃はやっていた「念仏踊り」や「風流踊り」に男装した女性が踊るという点とストーリーを持った内容であったという点をつけくわえたもの。今で言う歌謡ショウ的なものだったと考えられている。しかし、当時の人達には、説法臭い内容でなく、茶屋の様子等が垣間みられる色気のある話だった点が受けてやんやの喝采を受けた。

この阿国の踊りはその後「女郎歌舞伎」や「若衆歌舞伎」と成って行き、その「傾く」という要素が強調され、幾度の禁止令をかいくぐって、「野郎歌舞伎」となり、阿国とは逆の男性が女装する「女形」を登場させ、浄瑠璃なんかの要素もいれて、今の「歌舞伎」の様式となっていった。

桃山から江戸の初めの京都の活き々とした様子を知らしめる楽しい屏風である。

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2008年1月 8日 (火)

「BIOMBO展 日月山水図屏風」 大阪市立美術館

終わった展覧会だが、大阪市立美術館で開催されていた「BIOMBO展 屏風 日本の美」から気に入ったものを。

Img_biombo1
右雙
Img_biombo2
左雙

これは「日月山水図屏風(じつげつさんすいずびょうぶ)」(金剛寺)。

不思議なそして強烈な印象を与える屏風である。

右雙には太陽と春・夏の山水。左雙には三日月と冬・秋の山水。
山々は倭の山並らしくなだらかな曲線を持ち、水面は絶える事の無い様相で流れている。

山々が春から夏へ、そして秋となり冬へと移り変わる動きを見せているのに対して、水面は変わる事の無い動きを見せている。また、空は日中の金箔で描かれた日輪から、夜の銀箔で描かれた三日月へと変わって行く。

一日の中の時の流れ、四季を巡る年の流れ、そして永遠に続く水面の動き、この3種類の異なった時間の流れを一つの屏風に描き切ることにより、この世を、宇宙を、そして過去から続く未来をも描いているように思える。

この屏風には、人間、いや鳥や獣たちである生き物は全く描かれていないが、画から伝わる雰囲気の中にそれらの生き物が、浮かんでは沈み、また沈んでは浮かんで行く様子が感じられる。

具象でも無し、抽象でもなく、ただ「真理(思念)」の結果として描かれた屏風である。

ある種の「美」というものには理解を超えた、また感情を超越して心に響いて来るものがある。
同じ様な例でいえば、龍安寺の石庭。これも何を示しているのかわからないが美しいものである。
この美を造り出そうとした者は、なんらかの「真理」に到達してそれを表したのだろう。それが何の「真理」かわからないが、結果として残っている物は、心に響く「美」を持っている。

いつになったらその「真理」に到達できるのか?。永遠に到達できないのか?
そんな口惜しさと、感慨を感じさせる、大きな雰囲気を持った屏風である。

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2008年1月 3日 (木)

「今年も食べる」!

正月3日は恒例の滋賀での宴会。
食べる事に人一倍熱心な8家族25人位が集まって大宴会を催す。

Img_4801各家族が今まで食べたうまいものを持ち寄り、昼前頃から深夜まで、つくっては食べ、食べては飲んでワイワイガヤガヤと1日を過ごす。

今年の目玉は「猪」。参加している一人が丹波の猟師さんに頼んで「猪」を仕入れて来た。
年末近くに捕れたのを1頭買いしたそうな。もちろん今回だけでは食べきれないので他の人達と分けたらしい。それでもすごい量!(大体40キロの猪なら、肉は約6割程とれるらしい。)

ここでの宴会は、一度に鍋とか、焼き物なんかが4つ位同時に作られる。だから、鶏が食べたくなった鶏の所へ、ぼたん鍋が食べたくなったら牡丹鍋のところへ、焼肉が食べたくなったら焼肉の場所へとどんどん移動しながら食べまくる。

「猪」は牡丹鍋よりすき焼き風のほうがうまかった。普通のすき焼きよりも薄味につくり、酒と少しの砂糖で炊いていく。ジャ〜と焼いて、グツグツと炊いて行くとウ〜ンいい香りがする。

ジビエらしい猪の肉と脂身、今朝捕れたばかり葱、白玉などが混ざりあい抜群のハーモニー。
「メタボなんか飛んで行け〜」とばかり、なんぼでも食べられる。

鰤シャブも脂がのっているようであっさりとして美味かった。

Img_4804今回、ここで不覚にも寝てしまった!。
麦焼酎の「おこげ」が猪によく合い、ついつい飲み過ぎていつの間にか寝ていた。

起きたら、フグちりとカモスキが終わっていて、フグ雑炊だけが残っていた。う〜ん残念!!。

写真は鮒鮨。一般に売られている鮒鮨が物足らないため、メンバーが特別に漬けたもの。
これは、絶品。酸っぱさも上品で、臭いも香味を帯びており、口の中でシガシガと噛んでいると口の中に独特の旨味がひろがっていく。日本酒を飲みながら一人で一匹近くを食べてしまった。

猪のバラ肉を鉄板焼きしていて気付いたことだが、牛肉なんかだったら、焼いた後しばらくすると肉の脂が白く固まっていくのだが、猪の脂はいつまでもサラッと透明の液体のまま。これには驚いた。いくら食べてもお腹の中が脂っぽくならないわけだ。

まぁ、こんな感じで、「今年も美味しいものを食べるぞ」という決意表明みたいな宴会でした。

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2008年1月 2日 (水)

新春の八坂神社

お正月の2日は八坂さんへ初詣に行きます。

本当は、お正月の間は家を空けるのはだめなんですがね。

Img_4789何故かと言うと、お正月とは家に「歳神(歳徳神)」を迎える行事だから。留守にすると折角来られた「歳神」さんが、歓待されてないと思い帰ってしまうから。

だから、昔(といっても平安から鎌倉)のお正月は家で閉じこもって祝うものであったらしい。
門松も一説には「歳神」の依代とも言われてるし、一説には家に来られた「歳神」を家から出さない様にする「矢来」とも言われている。お節も家から出ないで過ごせる様にと作るものであったらしい。

まぁ、母親が家に居るから良いかということで、八坂さんへ向かう。

八坂さんの西門、去年1年かけてきれいに修復され、その姿を見せている。
やはり、四条通から来るとこの朱色の門が見えないと寂しい。
前にいる、狛犬も嬉しそう。周りの木々の緑に朱色がよく映える。

Img_4799初詣だからということで、西門からは入らず、下河原の正門へ回る。

鳥居を越えた所にある「中村楼」の門前。いつも感心するのだが正月らしくピシッと飾られている。
正月らしい風景である。

境内の中は、初詣の人で一杯。老若男女それぞれの願いを持って集まって来ている。

本殿では混雑を避けるため「鈴緒」は全て上に巻かれており、鈴を鳴らせない様にしている。
やっぱり、神社に来て鈴を鳴らし、大きな柏手を打ちお参りするのが正道。
一つでもかけるとなにか物足りない気がする。

替わりに大きな音で柏手を打ち「家内安全」を願い初詣を終わる。

見渡せば、今年は着物姿が少ない感じがする。若い女の子の晴れやかな着物姿も正月らしくて良いものである。ちょっと寂しい気がする。
それに、外国の人が多い。日本人に混ざり、神さんに柏手を打っている。八坂さんもインターナショナルになってきたなぁ。

こんな感じで初詣を終わり、祇園から建仁寺の方へ回り家に向かった。

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2008年1月 1日 (火)

謹賀新年

「正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしうかすみこめたるに、世にありとある人は、みなすがたかたち心ことにつくろひ、君をも我をもいはひなどしたる、さまことにをかし。」(枕草子 )

Img_6099あけましておめでとうございます。
今年も宜しくおねがいします。

今年は戊子(つちのえのね)ということで、干支頭の年。
まずは哲学の道にある「大豊神社」の「こまねずみ」から。
いつも不思議そうな顔をしてこちらを眺めています。

さて元旦。大晦日はいつもより遅くまでガヤガヤやっていたが、習慣とは恐ろしいものでいつもの時間に目が覚めてしまう。新聞を取りに外へ出ると、だんだん明るくなっていく空は元旦らしく清冽な空気に満ちている。

 一人茶の間に座り、暖房を入れて、分厚い朝刊に目を通す。この新聞のずっしりとした重さは今年に対する希望のあらわれか?
しかし、各紙の見出しや特集の内容には新年らしいものが載っているが、考えればこの様な記事はすべて去年にかかれたもの。記事によっては何か月も前に書かれたものもあると聞く。
そのようなことがわかっていてもなんとなくあらたまった気持ちで読んでしまう。

Img_4777 しばらくして「お祝いやす。(我家では元旦の食事をこう呼ぶ)」の準備が整い家族揃って三種と雑煮で新年を祝う。家族揃って新年を祝えることを素直に喜ぶ。

年賀状が来るまでにはもう少し時間があるので、近くの武信神社と神泉苑に一人で初詣に行く。

まだ訪れる人もなくきれいに掃き清められている元旦のこの神社の雰囲気は好きだ。
近所の氏神さんとして小さい頃からまず最初に詣でる。特別に何か御利益があったとは気付かないが毎年こうやって無事に初詣ができることが、最大の御利益だと思っている。

Img_4782続いて、「神泉苑」へ。

ここには、池の端に「歳徳神(さいとくじん)」がある。小さい社であるが、毎年、歳の初めにその年の「恵方」に向きを変える。

今年の「恵方」は南南東。節分にこの方向に向かって「恵方巻き」をかぶらなくっちゃ。

毎年、元旦にはこの近所の2社。八坂さんや有名所は2日目以降に回る。

小一時間程、ぶらぶらして家に帰ると、子供達は「お先に」という調子で飲んでいる。まぁ、朝っぱらから大きな顔をしてお酒を飲めるのも元旦だからでしょう。

午後からは、嫁さんの実家に挨拶に行く。嫁さんの実家は下鴨なので酔い覚ましを兼ねて歩いていく。
烏丸通を御池通を越えて、丸太町を越えて、御所の横を通り今出川を越えると気候が変わるのが実感できる。気温がはっきりと変わる。
中京では「寒いなぁ!」という感じだったのが、今出川を越えると「身を切る冷たさ」になる。
京都も狭いようで広いものである。

夜に家に帰り年賀状に目を通す。
昔は筆跡をよく覚えていて、宛名書きを見るだけで誰からの年賀状だか分かったものだが、だんだんその宛名もパソコン印刷が大半である。書く時代から打つ時代になって、ペンの温かみが感じられなくなったのは何やら寂しい。(といってる我家もパソコンで印刷してる!)

こんな風に元旦は過ぎていく。お正月の風習もだんだんと変わって来ているが、元旦位は各世代それぞれの昔の風習に浸りたいものである。

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