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2008年2月の8件の記事

2008年2月24日 (日)

「玉村方久斗展」 京都国立近代美術館

2月17日まで京都国立近代美術館で開催されていた「玉村方久斗展」へ行って来た。

「玉村方久斗」初めて名を聞く作家。
略歴を見ると、明治26年京都の錦新京極(錦天満宮の有る辺り)に生まれ、京都の絵専(今の京都芸大)を卒業し、その後東京に住み、前衛的な日本画を描いたとされている。
もっと端的にいえば、エッセイスト玉村豊男のおとうさん。

初めて見る玉村の画は、大正の初めから昭和の10年代にこれだけの斬新さを持ち合わせた画家がいたのかと驚かされる画であった。

Img_tamamura7まずは初期の代表作とされている「雨月物語」の巻物。
「雨月物語」九話が一巻ずつ巻物に描かれている。

元々がおどろおどろしい話の物語を更に今で言う劇画調のタッチで大胆にかつ克明に描いている。

「雨月物語」を知らなければ、単なるグロテスクな画としか捉えられないが、その物語を知っていれば描かれている人物の顔や、飛び散る血潮の情景に物語の本質が浮かび上がって来る。

これは「青頭巾」の話。愛した稚児の死をいたむがあまり、稚児の死体を食らい鬼と化した阿闍梨の姿。この画を見て思い出したのが、平安時代後期の「地獄草紙」。同じような地獄の様子を描いている。

しかし、「地獄草紙」と異なるのは、玉村の描くこの阿闍梨は、仏教で言う「愛別離苦」の末、鬼にまでなったにもかかわらず、その顔は、らんらんとした血走った眼をしながらもなぜかある種の法悦の様な喜びの表情をうかべている。

人間の業のようなものを思い知らされる画である。

Img_tamamura6_2これは「浅茅が宿」の巻。

都の出稼ぎにいった夫を思いながら死んだ妻の亡霊とその後戻った夫とが、一夜を過ごす情景である。

えんじ色に染め上がった草むらの中で、仲睦まじく二人寄り添う姿は胸を打つものが有る、
亡霊の妻の顔が喜びに満ちている様子はせつないなあ。

玉村はこの雨月物語を二度描いている。一度は関東大震災前に、もう一度は震災で先の画が焼けてしまったために。
それほどこの画に執着していた。

しかし、二度も描いたのは単に焼けたからではなく、この巻物に描かれているグロテスクな情景が震災での情景にオーバーラップしたからではなかろうか。
ひょっとしたら、画が焼けなくてももう一度描いたのではないだろうかと思わせる現実感がこの画にはある。

Img_tamamura3これは昭和3年に描かれた「黍図」

二曲一雙の屏風である。

墨の濃淡で描いた画だが、まんなかに大きく力強く伸びた黍が描かれた大胆な構図の画である。

日本画の基本にのっとった画だが、その構図に斬新さが有り、玉村のうまさが計り知れる。

「雨月物語」の様に早書きで、かきなぐったようなタッチで描いていても、画家としての確かな腕が備わっていた事がわかる。いまでいう「ヘタウマ」の元祖のようなところがある。

その他、出展されている、動植物画や風景画を見ていると、玉村は大和絵から琳派、そして南画、四条派の要素を会得した器用な画家であったともいえる。

Img_tamamura4昭和の6年位からは玉村は突然、自分と同時代の情景を描き出す。

これはその内の「港町寸景」。

明るい色と、見慣れた情景を「暢気なとうさん」風に描き出す。今まで古典や歴史を題材にした画が多かったことから見ると、大きな転換である。

これらの画を見て気付く事に、視点がちょっと斜め上から見下ろした様な視点になっていること。
この様な視点は大和絵でよく見られる。題材は変わっても視点までは変えられなかったのだなと思うと面白い。

この題材の変化には、結婚をし家庭をもったことが要因であると言われている。そんな話を聞くと、玉村も人の子だったのだなと変な安心をする。

Img_tamamura5これは昭和18年にえがかれた「ハーモニカを持つ少年」。

自分の息子を描いた画だろうか?。玉村の画にしては、奇麗で清楚な感じがする肖像画である。

少年を表すにふさわしい薄い青色のバックに、唇の赤が初々しい。その赤も、今までよく使用した濁った赤ではなく、澄み切った赤である。

展覧会の最後の方でこの画を見付けた時には、何かほっとした気持ちになった事も事実である。

京都に関係する画家のなかに、秦テルオや岡本神草、甲斐荘楠音など、それまでの京都画壇とは一風変わった画を描いた画家達がいる。しかし、その後の状況を見ていると、個性的だと思われたそれらの画家達の画も、その後の多くの画家達に引継がれていっていることがわかる。
玉村方久斗の画もそういう意味では10年早かった画であったが、その個性は現在に続いているものである。

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2008年2月20日 (水)

「応挙、芦雪、呉春の世界」 京都国立博物館常設展

今月の京博常設展では「応挙、芦雪、呉春の世界」と題した特集を開催している。

先月の若冲の特集も愉しめたが、今回も見応えのある特集である。
応挙が「雲龍図屏風」「群鶴図屏風」「双鹿図」「四季富士図」、呉春が「柳鷺群禽図」、芦雪が「朝顔に蛙図襖」「牧童吹笛図」。

Img_oukyogunnkakuこれは応挙の「群鶴図屏風(右雙)」。

この屏風非常に状態がいい。調べれば発見されたのが平成8年頃であり、それまで余り飾られた事がなかった様子。応挙が描いた頃の状態で見つかっているみたい。
金地も奇麗に輝いているし、絵具も色落ちもなく描いたままの状態。
関西で見つかったのだが、平成の時代にこんな優品が見つかるなんて、その懐の深さに驚く!

江戸時代の「群鶴図屏風」といえば、尾形光琳、鈴木其一、石田幽汀、そして伊藤若冲等の作品が有る。光琳と其一の作品は、鶴を描くとしてもその構成の妙で惹き付けられる部分がある。
石田幽汀の作品はちょっと鶴の数が多過ぎ。この京博にある光悦、宗達の「鶴絵下絵三十六歌仙和歌集」みたいな感じがする。

それらに比べてこの応挙の鶴図はすっきりとまとまっており、しかしその一羽々の鶴を見せる技がある。
羽根の量感、嘴の硬さ、足のつぶつぶ感等、写生の応挙の特性がよくでている。

しかし、個々の鶴の姿勢なんかを見ていると、案外若冲の描く鶴の姿と似ている事に気付く。正面を見ている鶴の顔付や目付き。首をS字に曲げている姿態など、似ている、似ている。

応挙と若冲は、知らない中ではなく、応挙は深草の石峯寺に住む若冲を訪れたりしている。
案外、応挙は若冲の画に惹かれていた部分があるのではないだろうか?

なんか、そんな点に京博が続けてこのような特集をする意図が感じられる様な気がする。

「雲龍図屏風」は見て来たかの様な迫力のある姿だし、「双鹿図」の鹿の毛並みも生きているかのようだし応挙のうまさが目につく作品ばかりである。
(しかし、「双鹿図」の正面を向いている鹿の顔だけは、私にはどうみても河豚のふくれた顔にしか見えないんですが・・・・)

Img_rosetu2これは芦雪の「朝顔の蛙図襖」(和歌山 高山寺)。

これは何と言うか、芦雪らしい襖である。
一番左の襖にひょろひょろと伸びる朝顔が一本描かれていて、真中の二枚の上をそのツルが伸びていき右の端の襖に描かれた若竹に絡み付いている。その若竹の下にはヒキガエルが二匹。

それだけの画である!。

これを空間の妙がある画と見るのか、人をくった画と見るのかはそれぞれだが、芦雪と言う画家の面白さは堪能できる。

小さく描かれている朝顔の花、私にはタラコ唇のキスマークにしか見えないんですが!

芦雪という画家、上手いんですが、面白い画家ですね。私は好きです。

その他、この特集以外にもこの季節にふさわしく鎌倉から室町にかけての「涅槃図」が4枚展示されており、これも楽しめた。

京博、いつも楽しませてもらっている常設展を開催している新館をこのたび建てなおす事となった。その間常設展はどうするのだろう?。
もし、休止となれば、楽しみがなくなるなぁ。

*特集「応挙 芦雪 呉春の世界」
 京都国立博物館  2/6〜3/9

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2008年2月18日 (月)

「マッシモ・カタラー二展」 イタリア文化会館

ちょっと調べものがあって、イタリア文化会館へ行ったら面白い展覧会をやっていた。
イタリアらしい色と主題の展覧会。

Itaria1描いたのはマッシモ・カタラーニというイタリアの現代作家。

イタリアでは有名な画家らしいが詳しい事はわからない。
パンフレットによるとカタラーニは、1960年ローマに生まれ、ローマ,NY、スイスを中心に活躍している。

彼の画の特徴は一つにその素材。砂や土を自然の染料で染め揚げたものを使っている。

今回の展示でも、その素材は一見絵具の様に見えるが近づいてみて見ると、砂であったり、土で有ったり。

平面の画のように見えていても近づくと細かな凹凸があり、それが微妙な陰翳を与えている。
画がビビッドに浮かび上がった様な感じがする。
面白いなあ。

Itaria2Itaria3_2
そこで描かれているのは果物や野菜等のイタリアの食べ物。
特に今回はワインになる葡萄が多く出ていた。

紫や赤や緑の葡萄がデーンと飾られている。おいしそう!
丁寧にも、一つ一つに葡萄の種別と産地が書いてある。それがこの画の題名。

おー、これがイタリアワインの源か。一粒一粒がたっぷりと果汁を含んでいる。色、艶文句無し。
おいしそうなワインが出来そう。

もちろんのこと、葡萄だけではなく、トマト、ピーマン、洋梨、無花果等色鮮やかな野菜も満載。

しかし、イタリアの野菜や果物の色の美しい事。
味覚は舌だけで味わうのではなく、眼でも味わう事が出来る。

この寒い京都で、イタリアの燦々とした陽光と、味が楽しめる展覧会である。

*「マッシモ・カタラー二展 イタリアの味を求めて」
 2月15日〜29日
 イタリア文化会館・京都  (中京区新町三条下がる)

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2008年2月17日 (日)

「心のふるさと」 京都市美術館

京都市美術館のコレクション展「心のふるさと」に行って来た。

京都市美術館の所蔵する日本画、洋画の中から「風景画」130点を集めたもの。京都の美術館だけ有って、約半分が京都の風景。いつも見慣れている風景が次から次へと出て来る。

Img_kyoubi1まずは京都の北、大原から。小松均の「夏山」。

小松の画室の正面に見える大原の東側の山を描いたもの。

小松独特の力強い黒を基調とした山に、金泥で描かれた山肌が印象的。
手前に広がるのは、小松自身が耕していた田んぼ。

小松はこの地で、自給自足のような生活をおくりながら、真摯に画と向き合った。

この黒い威風堂々とした山容に表された力強さの中に、自分の画に対する確固した自信のようなものが伺い知れる。

強い絵である。

Img_kyoubi6次は洛東。浅井忠の「若王寺風景」。

水彩画の風景画だが、油絵とはまた違った淡々とした筆運びが軽やかな気持ちにさせる。

浅井忠はヨーロッパから帰国後、京都に居を構え、関西の洋画界を引っ張っていった人物。
彼の開いた、「関西美術院」からは安井曾太郎、梅原龍三郎らが育っていった。

浅井忠の画、特に水彩画においては日本画の要素みたいなものを強く感じる。線の柔らかさ、色調の微妙さ、そして題材が非常に日本画に近い。
この美術展では日本画と洋画を区別する事無く並べている。
こうやって見ると、日本画とも言えるような感じである。

光と緑の綾なす古の風景が、懐かしい感覚を思い起こす。

Img_kyoubi2洛東を南に下がって、これは宇田荻邨の「清水寺」。

ちょうど今位の季節かな、吹雪に煙り白く雪化粧した清水寺。

白く広がる清水寺の大屋根がこんなに大きなものだったのかあらためて気付かされる。

内陣の灯りは黄金色にぼんやりと輝いている。
静謐で凍る様な外気と比べ、内陣の仏が居る場所の暖かそうな様子。

蒼白にまとめられた奇麗な風景。京都の冬を見事に描いた優品。

Img_kyoubi3洛西に移り、落合朗風の「梅ヶ畑の麦秋」。

梅ヶ畑というのは紅葉で有名な高雄あたりの地。
麦秋というから5月頃の風景かな。
手前に広がる木は葉の表と裏とで色が異なっている。表は新緑の緑だが裏は黄色を帯びている。
桑の木かなんかだろうか?五月の風に吹かれて表と裏がヒラヒラと。

農家の庭先では刈り取った麦を脱穀している様子。絣のもんぺの色と黄金色の麦のコントラストが美しい。

何故か、庭に七面鳥が放されている。愉快だなぁ

日本画には珍しく、非常に明るい色の組み合わせで構成されている。目に鮮やか。
昭和初期のあの時代に、このような明るい画が描かれた事が不思議。

Img_kyoubi4最後は京都以外の土地の風景から。

これは麻田鷹司の「那智の滝」。麻田鷹司は昨年向かいの京都国立近代美術館で回顧展が開催された麻田浩の兄。

麻田浩も同じ「御滝図(兄に)」という那智の滝の画を描いていた。

画の様子は異なるが、二人とも那智の滝のもつ自然の神聖な力と自然の持つ雄大さを描いている。
表現の仕方は異なっても、表現したかった事は同じなんだなぁ。

画家の色々な想いが生み出す「風景画」。特に見慣れた風景の中から、画家がキャンパスに切り取った情景を見ていると、その場所を切り取った画家の意思が感じられて面白かった。

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2008年2月11日 (月)

「V&A浮世絵名品展(その2)」 神戸市立美術館

今回の「V&Aコレクション」の特徴に団扇絵がある。

団扇は奈良時代に鑑真といっしょに仏具の一つとして日本に渡来したものだが、その後日本独自の扇子と共に生活の道具として広まっていった。はじめは手書きの絵が描かれていたが、江戸時代に入り大量生産の必要から、印刷された絵、浮世絵が使われる様になった。

Img_va5これは歌川広重が描いた「江戸名所見立三光 両国月之景」。

「広重の藍色」独特の色使いが美しい団扇絵である。

それと広重独特の構図。
遠景を広く横にとり、それを斜めに横切る両国橋。この構成で遠景の広がりを保ち、それをパーンと2つに割る座敷の縦の柱。これで画の構成がピリリと引き締まり、左に満月、右に女で画に広がりを持たす。

水平、斜め、縦と3つの構造物を取り入れる事により、絶妙の構成で画に見所を付ける。

広重の風景画、本当に見惚れる。

Img_va6これは鈴木其一が描いた団扇絵。

団扇に「団扇売り」の画を描くなんてしゃれてるなぁ!
このように前後に振り分けて売りに歩いていたのだなぁ。団扇の色の奇麗な組み合わせ。

鈴木基一は酒井抱一の弟子で、江戸琳派の画家である。今回、師抱一の団扇絵もあったがそれは20匹の蚊が描かれている。蚊を追いやる団扇に蚊の画を描くのもしゃれているなぁ。

浮世絵師の描く団扇絵とは、又ちょっと異なった「しゃれっ気」が感じられる。

こんな団扇もらったら、もったいなくて使えない。団扇にあおられる風は、さぞ心地よいものだっただろう。

多くの団扇絵が出品されていたが、不思議な事にこれらの団扇、京都の団扇とは形が異なっている。
京都の団扇はだいたい丸形。このような四角形の団扇は知らない。所変われば、団扇も形が変わるのかなぁ

Img_va9これは葛飾北斎の「肉筆帖 蟹」。

この肉筆浮世絵、すごい。浮世絵の範疇を越えてますね!
いままで多くの肉筆浮世絵を見て来たが、大方は筆と絵具で浮世絵を描いたもの。
しかし、この北斎の肉筆は違うね。

極端な言い方をすると、今までの日本の絵画の要素が凝縮されている感じがする。
雪舟の掠れ、永徳の描線、光琳の色調、宗達のたらし込み、等伯の勢い等全てがギューッとつまっている感じがする。

北斎はある意味、非常な努力家であって、この時期古今東西の画をよく見て勉強したのだと思える。

Img_va8最後は歌川貞秀の「新板早替両面化物」。

貞秀という浮世絵師は知りませんが、なかなか面白いおもちゃ絵。
小さい頃、雑誌の付録にこんなんありましたねぇ。
きれいに切り取って、間に割り箸でも挟んで、クルクルと廻すとパッパと絵が変わる面白さ。
愉快、愉快!

このように今までとはちょっと違った感じの絵が多く有った展覧会だった。
有名な浮世絵を期待して行く人にとってはもの足らない感じもあり、妙に「通な人」が喜びそうな選別だが、浮世絵の多面性を知る事が出来た。

海外からの里帰り浮世絵の展覧会がある度に、「江戸から明治の日本人は浮世絵の芸術性を理解できなかった。」という意見を聞くが、いろいろな浮世絵を多く見ていくにつれ「そうではないな!」と思う様になった。
江戸の人々にとって、浮世絵は生活の一部であって、あえて構えて見る様なものではなかったのだ。当時、浮世絵は大首絵で1枚16文位で売られていた。それは蕎麦一杯の値段が16文だった事から思うとそんなに高いものではなかったのだろう。(江戸時代、蕎麦は高級な食べ物だったのかも知れないが?)
今で言えば、コミックや雑誌のような、どこにでもある娯楽であったのだ。当たり前の「美」であったのだ。

逆に、この時代の江戸の庶民達が、浮世絵に含まれる「見立て」やその絵に隠されている「比喩」を理解し、当たり前の美として浮世絵を楽しんだとと言う文化的な素養の高さを誇るべきだと考えるのは、ちょっと負け惜しみかな?

グローバル化が進んだといわれる現在、江戸時代の様な文化的な素養は残っているのだろうか?
何処へ行ったのだろう?

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2008年2月10日 (日)

「V&A浮世絵名品展(その1)」 神戸市立美術館

最近、海外の有名美術館から里帰りした浮世絵の展覧会が多い。

Img_va1今回はイギリスのヴィクトリア アンド アルバート美術館から。

海外からの里帰り作品の特徴は、一つには状態が非常に良いという点。これは、一時的なジャポニズムの流行によりコレクションされたが、その後はあまり展示される事も無く保存され続けていたためだろう。

もう一つは大量に所蔵しているためそこから選ばれたものには初見のものが多いということ。幕末から明治初期にかけては、日本では浮世絵は反古紙同様の扱いを受けており、開国にて訪れた外国人達は安い値段で(それでも日本での価値の何十倍)大量の浮世絵を手に入れる事ができた。その中から選ばれて里帰りした優品には、日本でもう手に入らないものも多い。

そんな中から気に入ったものを。

まず、ポスターにもなっている、歌麿の大首絵「八百屋お七」。
恋人に会いたいが為、家に火をかけたとの話が伝わるあのお七。ちょっと上がり気味の眉が、一途な気持ちを示している様。
この絵、その火事を示すがように赤く焼けた雲がバックにそれとなく描かれている。
しかし、十六歳といわれるお七、ちょっと年増なかんじがするなぁ。

Img_va2これは渓斎英泉の「当世好物八契(歌留多)」。

それまでの浮世絵の美人画というのは、「美人」に描くという画であったが、英泉の美人画はちょっと違う。

ちょと世の中を斜めに構え、崩れた様な雰囲気がある。そして切れ長の眼と流し目が官能的。
これは魅力的だなぁ。
ある意味、現実の女性を描いている。

それに英泉の描く女性の着物が渋い。小紋や絣の柄が落ち着いた色合いで描かれている。
「大年増」と言う感じがよく出ている。

幕末近いこの時代の雰囲気を英泉は鋭くとらえ、その画に時代の雰囲気を色濃く出している。

英泉自身も不遇の時代が長く、そうとうひねくれた性格だったらしく「すね者英泉」と呼ばれていたらしい。
浮世絵というのは、その性格からして、画の巧拙だけではなく、絵師と時代とがうまくマッチした時に面白い画となるということが感じられる一枚。

Img_va3

これは魚屋北渓(ととや ほっけい)の「鬼若丸の鯉退治」。

金銀摺の水面に大きな鯉が大胆に描かれている。今回の展覧会でも白眉の一摺。

魚屋北渓という浮世絵師は今回が初見。カタログによると北渓は北斎の門人であった。魚屋を営んでいたため、「魚屋」と呼ばれたらしい。

これ以外に何点かの北渓の浮世絵が有ったが
北斎の大胆な構図とおどろおどろしい雰囲気を見事に引継いだ画だった。
しかし、その中にも彼独特の今の言葉で言うと劇画的なスピード感があふれている。

見事な浮世絵師がいたもんである。

この項続く

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2008年2月 9日 (土)

雪、雪、雪が振る

この冬初めての雪です。
京都といっても北の方は、何回か積ったみたいですが中京は今日が初めてです。

Img_4991午前中は降ったり止んだりという感じだったのですが、昼からはずーっと降ったままです。

昔は京都も案外雪が降ったのですが、最近は温暖化のせいか、これほど激しく積る様に降ったことはあまり記憶にありません。

いくつか行かなければならない用事や、行きたい所も有ったのですが、どうしようかと迷っている間に庭が真っ白になって来たので、はずせない約束を除いてそれ以外は結局取り止め。

雪が小降りになった時をねらって「地下鉄二条城駅」へあわてて行きました。

Img_4996これはその途中にある神泉苑の様子です。

垣根の山茶花も雪に埋もれていました。

真っ白な雪の中に薄紅の花が顔を覗かしている様子も風情のあるものです。

街中も、歩く人も少なく静かな様子です。

車も急な雪に戸惑うかの様子で、ゆっくりと走っています。

Img_5030神泉苑を抜けて二条城の堀端を進むと、いつもは観光客でにぎわう二条城も吹雪の中に霞んでいました。

地下鉄に乗ると、なんとなく横に居た3人の女の人達の話が聞こえて来た。どうも今から南禅寺へ行くみたい。「南禅寺、雪でも見られるかな?」とか。「今日行かなければ、明日はいかれないし・・」というような会話が聞こえて来る。
そう言えば、今日から3連休。冬の京都を楽しむため多くの観光客がこられているだろう。
しかし、この天候はきつそう。みなさん、えらいなぁ!

自慢じゃないが、私なんか無精だから「雪の金閣寺」「雪の清水寺」を今だ見た事が無い。

こういう日は、早く帰ってストーブの前で蜜柑でも食べながら、本読んでるに限ります。

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2008年2月 3日 (日)

京の「節分」

今日は京都の神社、何処へ行っても「節分祭」。(当たり前ですね!)
それでは、まずは表鬼門の吉田神社から。

Img_4934京大の正門前からズラーッと出店が並び、吉田の辺りは人で一杯。相変わらず「出町のたいやき」には人が並んでる。
吉田神社の境内に入ると、着飾った娘さん達が「福豆」を売っている。
いつも不思議に思うのだが、この節分のとき必ず神社で「抽籤」をやっている。多くの企業が賞品を提供しその抽籤札を売っている。(吉田神社の場合は娘さんが売っている200円の福豆を買うと一枚抽籤券がもらえる。)
昔、神社やお寺でやっていた「富籤」のなごりかなぁ? しかし、いつも買ってるが、今まで当たった事無い!

大鳥居を潜り、石段を上がると左手に本宮がある。
吉田神社はもともとは藤原氏の氏神で、平安京が作られたとき、奈良の春日大社が勧進されたもの。
よって昔は、この吉田山に鹿が放されてたそうだが、今はなく、神鹿の像がおかれている。
節分会には夜から「追儺式(鬼やらい)」と儀式が行われる。これは平安時代からの儀式で、陰陽師祭文を大声で奏じ、疫鬼を追い払う行事。
面白そうだが、夜まで待てないので今日はお参りだけ。家族全員の厄払いと開運を願う。

Img_4943本宮から少し山を登って(登るというほどでもなく、ちょっとした岡ですけどね。)室町時代に始まった吉田神道の中心地である大元宮へ向かう。
途中、「菓祖神社」の側を通る。「菓祖神社」というのはお菓子の神さん。いろんな神さんがあるものだ。これはやはり和菓子の神さんだろうな?

大元宮の神殿はちょっと変わっている。檜皮葺きの建物だが六角形の屋根が乗っている。仏教のお寺では時たまこのような形をしたお堂をみるが、神社では珍しい。

そしてその周りには、全国の八百万の神々が祀ってある。「紀国XX神」とかいうように、旧国名で神々の数を書いた祠がズラーッと並んでいる。ここで拝んでおいたら、全国の神々が願いを聞いてくださるのでしょう?
しかし、八百万の神々も出雲に行ったり、吉田に来たり大変そうだなぁ。

つぎは八坂神社に向かう。確か3時から、祇園の綺麗どころが豆まきをするという案内がきていた。
氷雨模様のなかを東山通りを下がっていく。

Img_4958途中、熊野神社や満足稲荷でも「節分会」をやっていた。通りすがりも縁だから、両社に寄って拝んでいく。熊野神社でも「神籤」をやっていたし、満足稲荷ではおぜんざいのふるまいをやっていた。
社中の方々が参拝の方々の世話をされている。ご苦労様。

なんやかんやと寄り道していたら、八坂さんについたのが3時30分ころになってしまった。

残念ながら、奇麗ところの豆まきは終わったとこだった。

夜は家で「恵方巻」を食べる。今年はちょっと変わった所で「アボガド巻き」。
恵方は南南東。我家の食事をする場所から南南東をみるとそこにはウォホールの「キャンベル缶」の絵が飾ってある。家族揃ってウォホールの絵に向ってアボガド巻きを食べているのもおかしな風景。

Img_4967それから、歳の数だけ豆を包んで裏鬼門のあたる壬生寺へ。

途中の「元祗園社」に寄って、旧札を納めます。

お札を燃やす焚き火にあたりながら、しばらくのあいだ「厄除かぐら」を舞う巫女さんを眺めます。
クルクルクルと忙しそう。

壬生寺では毎年の事ながら厄除の「炮烙(ほうらく)」を納めます。「炮烙」というのは素焼きの30センチ位の皿で、これに家族の歳と性別を書いて納めます。納められた「炮烙」は春の壬生狂言の「炮烙割り」という演目の中で舞台から落され割られます。見事に割れれば厄が払われたとされるのです。
何千枚という炮烙が一斉に割られるのは壮観なものです。

Img_4982これは壬生さんで買って来た「厄除だるま」。

素朴なだるまですが、なかなか愛らしいものです。

鰯を食べたり、豆撒いたり毎年同じ事をしているのですが、やらないとなんか気持ちが落ち着きません。
こうやって寒中、神社に参ったり、決まったものを食べる事で季節の変わり目を感じ、次くる季節を愛おしく思う様になります。

明日は立春です。

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