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2008年5月 3日 (土)

神泉苑大念仏狂言 「桶取」

ツツジが咲き乱れている「神泉苑」で5月1日から4日まで行われた大念仏狂言、今年はお手伝いとしてズーッと詰めていた。
もちろん舞台にあがって演ずるのではなく、単にいろいろと雑用をしていただけですが・・・。

Img_1910一日、舞台の下の部屋に座っていると、体のリズムがあの「カン デンデン」というリズムになってしまう。
子供の頃から聞き慣れたお囃子だが、大人になってしばらく観に来る事もなかった。
最近やっと余裕が出て来て、こうしてお手伝いにも参加できるようになった。

金鼓と太鼓と笛が奏でるゆったりとした独特のリズムに身を任せていると、本当にリラックスした気持ちになれる。

その日の舞台が終わって、家に帰っても頭の中にはあの音が鳴り響いていた。

そんな狂言の演目の中から「桶取」について。

この演目は壬生狂言(神泉苑狂言と壬生狂言の関係についてはこちらに)の中でも最も古い演目といわれており、傑作の一つとされている。

Img_5953あらすじは、壬生寺に美しい若い女が小桶に水を汲んでお地蔵さんに供えている。この女は左手の指が不自由で3本しかない。この不幸を来世ではお地蔵さんに願いなおしてもらいたいと願っている。この若い女を大尽が見初め口説こうとする。最初はいやがっていた女だが、ついには口説かれ契りを結ぶ。そして女は男に踊りを教える。初めはうまく踊れなかった大尽も、女に手取り教えられるうちに、うまくいっしょに踊れる様になる。二人が踊っている最中に大尽の身重の嫁が現れる。嫁は男と女を責める。大尽は美しい女に気を惹かれながらも身重の嫁を慰めようとする。しかし、去って行った女が忘れられず、身重の嫁を棄てて女を追いかけて行く。残された嫁は、鏡に己の顔を写し、化粧をして、でっぱった額をたたき低い鼻をひっぱりなんとか美しくなろうとする。しかしその願いも虚しく、歎き悲しみ狂死してしまう。

Img_59631時間程の舞台だが、ストーリがよく出来ており、テンポもよく、場面々に見所が有り、ぐいぐいと惹き付けられる。

最初の女の登場から、大尽との出会い。
あの手、この手をつかった大尽の口説きの場。
女と大尽が踊りを通じて親しくなって行き、囃子もテンポをあげ、二人が一緒に激しく踊る場。
そこへ、突然大尽の嫁が現れ、争う場の、大尽の身振り。
残された嫁が己の不細工を歎き、美しくなろうとする愁嘆の場。

現在の演劇としても充分に成り立つ構成である。

Img_5922しかし、じっくりと観てみれば残酷な物語である。

若い女の肉体の欠損や大尽の嫁のお多福顔は、本人の希望ではなく生まれついてのものであってどうしょうもないものである。
どうしようもない事がわかっていながらも、お地蔵様にすがりついてしまう人間の弱さ。

大尽の愛欲にしても同じ物かも知れない。

それらの人間の苦しみを大きく受け止めるお地蔵さん。

形、思想は変わっても、現在も同じ様な事が起っている。ただ現在はすがるものを見失い己の中で大きな塊として抱え込んでしまっている。

この「桶取」。演じている人達に聞くと、身振り、足の運び一つ一つに意味が有り。もっと多くの真実を含んでいるらしいが、我々素人にはなかなかそこまで全ては理解できない。
しかし、念仏狂言の素晴らしさを知ることができる、見応えのある舞台だった。

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