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2008年6月 8日 (日)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その4)

次は2枚の「美人画」。

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河鍋暁斎「美人観蛙戯図」

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河鍋暁斎「横たわる美人と猫」

この「美人観蛙戯図」と「横たわる美人と猫」は数ある暁斎の美人画の中でもすこし毛色が異なる様に思える。
その他の浮世絵風や大和絵風の美人画と比べ、落ち着いた色調であるからかもしれないが静謐な感じがする。まるで近代の美人画を観ているようである。

「美人観蛙戯図」はその描かれている蛙が「鳥獣戯画」に似ているとして、蛙の方に目が行きがちであるが、女の描き方も今までとは異なり江戸の美人画とは異なった風情が有る。
美人画といえばこの時代浮世絵だが、浮世絵はあくまでも男の視線。それなりに色気がある事を基本としている。だから、人気の出るようにデフォルメされた女の姿となっている。

それに比べて、この画は女の内面を表そうとしているような感じがする。夏の夕べにふと見付けた蛙によって思い起こされる遠い過去。懐かしい思い出かも知れないが、また常には思い出したくない事であるかも知れない。

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久隅守景の「夕顔棚納涼図」一部

同じ様な夏の夕涼みの風景と、女の姿で思い出したのは久隅守景の「夕顔棚納涼図」。
なにかいわれがありそうな家族の風景である。一説にはこの家族は守景本人の姿ともいわれているが、その事情を示す様に女の表情に独特の気品と内に秘めた愁嘆が感じられる。

「横たわる美人と猫」も良い画だった。
肘をついて猫を見つめる女の表情がいいですね。女の顔を描いたすーっとした描線に生きた女を感じますよ。
この2つの美人画は、私の中では近代の美人画の始めとなる画のように思えるし、その後の鏑木清方なんかに続くものだし、描線の美しさからみれば菊池契月なんかを思い起こすものである。

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菊池契月「少女」

暁斎といえば奇抜な面が強調されるが、それ以外にもこのような素晴らしい画を描いているのだなと感心させられた。


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コメント

暁斎は、本当に絵のうまい人だったんですね。
展覧会でも一部屋ごとに別人の作品のようでした。

上の美人画の女性は、蛙を見ているようで、もっと遠くを見ていますよね。
それに気づいている蛙もいるようです。
心に残った一枚でした。

この絵と「夕顔棚納涼図」を結び付けるとは、びっくりしました。
この作品を見たとき、何か凛とした空気を感じたのですが、
それは女性の気品ある表情だったのですね。
今になって気がつきました。


投稿: nao-mi | 2008年6月 9日 (月) 21時26分

nao-mi さんへ
暁斎、うまいですね!。あらためて感心しています。
いままでの日本美術の要素が凝縮されている気がします。

あの時期に活躍した、芳崖や雅邦なんかの画を見てるとなにか西洋と東洋の間でブレのようなものを感じますが、暁斎は確固としたものがあるように思えます。

「夕顔棚納涼図」は思い浮かべた自分でも意外でしたが、納得していただけたらうれしいです。

やはり、京都中心に画をみてるだけに、慣れ親しんだ京都の画を思い起こす事が多いので、東京中心に見てこられた方とはすこし違う面もあるかと思いますが、そんな点をまた教えて下さい。


投稿: 好日 | 2008年6月11日 (水) 00時15分

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