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2008年6月の13件の記事

2008年6月29日 (日)

祇園祭あれこれ08 「吉符入り」

激しい音を鳴らして屋根を打つ雨になったり、風に流れる霧の様な雨になったりして朝から降り続いた雨もどうやら夕刻には上がり出した。
梅雨のまっただ中にある京都だが、いよいよ今年の祗園祭の始まりを告げる「吉符入り」が会所で行われる。

Img_2947「吉符入り」というのは、今年の祗園祭の無事を祈って鉾町、曳山、神輿等の会所で行われる神事。
我々の「三若神輿会」でも八坂の神に今年の無事を祈念する。

大体は7月1日に行うのが習わしだが、メンバーにサラリーマンの方々も多く(私もそうだが・・・)7月1日に近い日曜日に催される様になった。

まずは、御神体の軸を床の間に飾り、御神饌を供える。
続いて、八坂神社の摂社である近くの御供社から神主さんが来られ祝詞をあげられる。

約40名近くのメンバーが揃って二礼二拍一礼して神に祈願する。

それが終わると、幹事長の方から今年の注意事項や連絡事項が発表される。
特に今年は、神輿の巡行路が禁煙となったため、輿丁の人達への指導がきつく言い渡される。
(神輿は車道を通るので対象とならないのではないかという冗談も言われていたが・・・)

最後に、各担当に役職を書いた襷と、新しく役職に就いた人達へ家紋入りの黒羽織が渡される。

これらの式の様子は京都新聞の記者が取材にこられ記事にされていた。

この「吉符入り」が行われると、京都の町は祗園祭モードに入っていく。
町の家の表には、御神酒の札があげられ、鉾町では祗園囃子の練習が会所の二階で行われる様になる。

いよいよ今年も始まった!
この梅雨が明ける頃、都大路は祭り一色になる。

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2008年6月23日 (月)

「祈りと美・かざりの美」 細見美術館

細見美術館の開館10周年記念特別展として開催されている「祈りの美、かざりの美」見応えのある内容だった。
細見美術館は琳派の作品を多く所蔵していることで有名だが、仏教美術・神道美術の美術品も多く所蔵している。今回はその中から10周年を記念するにふさわしい名品が揃っている。

特に最初の部屋にある「六観音像」。これがすばらしい。

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「聖観音」

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「千手観音」             「十一面観音」

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「准胝観音」             「如意輪観音」

この「六観音」14世紀前半の作とされており、元は東寺西院御影堂にあったとされている。
状態も良く、色合いも申し分ない。良くこの状態で残っていたものだ。

通常「六観音」というのは、「聖観音」、「千手観音」、「十一面観音」、「馬頭観音」、「准胝観音」(天台系では「不空羂索観音」)、「如意輪観音」の六観音菩薩をいう。
この細見美術館の六観音には「馬頭観音像」がない。

こうなると知りたいのは「馬頭観音」の顔。
この5幅の六観音から推測するに、似た様な六観音像を憶いだすと、画ではないが千本釈迦堂の六観音像を憶い出す。この仏像も同じ様に13世紀から14世紀にかけての仏像とされている。

「馬頭観音」は平安時代の像なんかでは、カーッと目を見開いた忿怒相のものが多いが、千本釈迦堂のはそんなに怒った顔をしておらず、なんかかわいげの有る様な顔をしている。それからおもうとここには無い馬頭観音像もそんなに厳しい顔をしてないのではないかと思える。

しかし、この仏達、良い顔しているなぁ。平安時代の仏よりも幾分人間くさく、その分「如意輪観音」なんか枝垂れかかる様な仕草に見え、悩ましく感じられる。

このような素晴らしい仏画をみていると、始めは画として細かく見ているが、誰も訪れる人の無い部屋で画の前を行ったり来たり立ち止まったりしている内に、だんだん拝む様な気になってくる。画にもそのような力がある

画や美術品を見る事は、この仏画のように、画家や作者、その画を見続けた人達やそれと親しんで来た人達、画中の人物・仏・自然等の事象と自分とのコミュニケーションみたいなものであると思う。

そういうコミュニケーションの中で、うまく共感したり波長が合ったりしたものが、好みのものであり感動したりするもので有ると思う。

美しいものとはそのようなコミュニケーションの結果のものである。

話はちょっとそれたが、その他細見美術館ご自慢の「愛染明王像」、「虚空蔵菩薩像」、熊野速玉神社伝来の「狛犬」、「五鈷鈴」、象嵌七宝の「釘隠・引手」、もちろん「春日神鹿御正体」も鎮座していました。

見終わって、この美術館も10年たったかと思うとはじめは斬新に見えていた大江匡のこの建物も、この岡崎の地になじみ溶込んでいることに気付かされた。

*「祈りの美・かざりの美ー仏教美術と工芸」
 細見美術館
 2008/06/06〜07/27

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2008年6月20日 (金)

「コレクション ギャラリー (常設展)」 京都国立近代美術館

京都国立近代美術館の4階に上がると目の前には平安神宮の朱い鳥居がそびえ、手前には洋風の建物に和風の屋根をかぶせた京都市美術館の威風堂々とした姿が見え、遠くには緑が濃くなって来た東山の山並がひろがっている。
この4階で「コレクションギャラリー」は展示されている。
今年の1月から3月までは館内の改修工事のために閉鎖されていたが、この4月から再び開設され懐かしい画や待ち望んでいた画が戻って来る。

Img_kinbi1まずは藤田嗣治の画から。

藤田の画は7枚展示されている。
「アネモネ(1918)」「野ウサギの静物(1918)」「タピストリーの裸婦(1923)」「メキシコに於けるマドレーヌ(1934)」「横たわる裸婦(1937)」「十字架と少女(1947)」「路傍(1957)」。(画像は「タピストリーの裸婦」)

京近美が所蔵する藤田の画がすべて展示されている。

こうやって藤田の画を時代順にみていくと、藤田嗣治は日本画の画家ではないかと思えて来る。
2年前にこの美術館で開催された「藤田嗣治展」でも感じた事だが、あの藤田の乳白色(油絵具と胡粉の混合)はまさしく日本画の色である。
そしてあの描線、まさしく日本画の線である。美しいなぁ・・・。

藤田はパリに行き日本画を追い求めた感じがする。

日本では追い求められないもう一つに日本画を追い求めた藤田である。

Img_kinbi22これは川端龍子の「佳人好在」。

好きな画である。夏の常設展の顔となる一点である。今年も出ていた。

京の夏の朝の雰囲気がよく伝わって来る。
庭にはやがて暑くなることを示すように、清冽だが厳しい日射しがもう既に刺している。
しかし、座敷の内はまだ陰が力を持ち、夜の涼しさが居残っているかのようである。

その日向と日陰の境目に朝食の膳が置かれている。
八寸には半熟の卵と河海老、お膳には炙った魚。赤絵の鉢がいいなぁ・・。
まだ、箸は付けられていない。お客は何処へ行ったのだろう?
そういえば、まだお粥も並んでいない。料理が運ばれているちょっとした間の画かな?

この部屋は、南禅寺の瓢亭の座敷。今も同じ部屋が残っている。そして夏の間には「朝粥」がだされている。ただし、何故か知らないが実際は左右が逆。潜り戸は左側にある。

別に瓢亭の座敷だけでなく、京都の古い町家で庭を眺めるとこのような雰囲気。特に夏は庭の光と座敷の薄暗さがこんな風な陰翳を作っている。そのコントラストが京都の暑い夏を過ごす涼味となる。

川端龍子はその他に「曲水図」が展示されていた。これも大作で見応えがある。

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これは小松均の「鯰」。

2曲1雙の屏風。
水底に泳ぐ鯰が墨を基調とした色合いでヌメヌメと描かれている。鯰の周りは白く抜かれており、くねらす体の動きが浮かび上がっている。

周りの水は淀むように、黒っぽい中にも、緑や茶色、黄色等の色が混ざりあい複雑な色調。水底から見上げる水面は黄金色に光っている。いろいろな想いが浮かぶ画である。

小松均の画は信頼できる画である。画家の生き様としてガッシリと大地に根付いた様な力強さが見る者に安心感を与える。
京都の大原の景色にしろ、彼の生地の最上川の風景にしろ真面目で力強い黒が見られる。水墨画なんかでは墨の黒で全ての色を感じさせるが、小松は色としての黒を見事に使いきっている。このような黒は日本画の中では珍しい。

私の好みの画家の一人。

その他では新収蔵品として麻田浩の作品、それから池田満寿夫の60年代の版画群、北大路魯山人、河井寛次郎の陶磁器が目についた。

3階で開催されている「ルノワール+ルノワール」だけでは、この美術館の半分しか愉しんでいない。ぜひ1階上へどうぞ。

*コレクションギャラリー  京都国立近代美術館
 2008/05/13〜7/21

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2008年6月18日 (水)

「ルノワール+ルノワール」 国立京都近代美術館

最初のルノワールはあの画家のオーギュスト・ルノワール、後ろは息子であり映画監督のジャン・ルノワール。

Img_renoir1この企画もともとはフランスの「シネマテーク フランセーズ」という日本で言うフィルムライブラリーみたいな所で催された企画。それを日本用にアレンジして持って来たもの。

フランスにおいてジャンは有名な映画監督らしいが、私は今回初めて知った。
監督した映画の一覧もあったが、その中で過去に見た作品は「大いなる幻影」というのをどこかで見た記憶があるのみ。しかし、内容は憶えてない。

だから、企画者には悪いが、オーギュストの画が中心になってしまう。

まず、入場したところで、オーギュースト・ルノワールの晩年の映像が映っていた。痩せこけた鋭い目付きの老人が絵筆を手にくくり付けカンバスに画を描いている。オーギュストは晩年リューマチがひどくこのようにして描いていたことは本で読んで知っていたが、その実像をフィルムで見るとやはり衝撃を受ける。
殴り描きのようなタッチで絵筆をうごかしている。
リュウマチの痛さというのは近親者にこの病気に罹った者が居るだけにある程度想像がつく。
なにが彼をここまでして画に向かわせるのだろう?
しかし、このような状態で描かれた彼の画は、光に溢れ、健康的な体つきをし、微笑みを浮かべている。

Img_renoir21「絵というものは壁を飾る為に有るんだね。だから、できるだけ内容を豊かにする事だ。私にとって、絵とは好ましく、美しいもの。そう、美しいものでなければいけない!」と語るオーギュースト。

これはもう美への執念ですね。

あの美しい、明るいオーギュストの絵には、このような痛々しい姿と、恐ろしいまでもの美への執念が隠されているのですね。

そう思うと、数をこなすようにイージーに絵を見て、軽々しく感想を述べる自分が恥ずかしくなった。
もっと、真摯にかつ素朴に絵に向かい合わなくては!!

このフィルムだけでこの展覧会に来た甲斐があった。

絵の方は約40点、どれもがオーギュストらしい優品。
特にフィアデルフィアから来ている「アリーヌ・シャリゴの肖像」、そしてポスターにもなってる「田舎のダンス」を始めとするオルセー美術館の作品、ジャンの描かれている「ガブリエルとジャン」が良かった。

Img_renoir3え、ジャンは?
やはり映画はストーリがあり、セリフがあり、音楽がなければわからない。今回はジャンのオーギュストに対するオマージュの場面だけを1〜2分間切り出して映されていた。企画は面白いがちょっとこれでは書きようがない。
イングリット・バーグマンのきれいさにに見取れて、気付いたら同じ場面を3度も見ていましたよ。

でも、尊敬の念をこめて、ジャンの幼い頃の絵を

*「ルノワール+ルノワール」
 国立京都近代美術館
 2008/05/20〜07/21

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2008年6月15日 (日)

祇園祭あれこれ08 (八坂神社 例祭)

現在、祇園祭りは鉾の巡行が7月17日に統一されたので、7月17日のみが祭りの日のように思われているが、正確には祗園祭は、神輿が御旅所に向かう7月17日の先祭り(神幸祭)と神輿が御旅所から八坂神社へ還る7月24日の後祭り(還幸祭)に分かれて行われている。昭和40年までは後祭りにも一部の鉾が巡行されていた。

これが明治以前の旧暦(太陰暦)では6月7日と6月14日にあたる。

この旧暦の6月7日と14日の祭りはあくまでも氏子の祭りであり、八坂神社では「私祭」とされている。
(ようするに町衆の祭)。

これに対して、朝廷から神への捧げものとしての幣帛(へいはく:布や神酒や神饌)を受ける祭は「官祭」として6月15日に行われていた。

明治5年、太陽暦の採用により「私祭」の祗園祭は7月17日と24日に移ったが、6月15日の「官祭」は太陰暦のまま、「例祭」と名を変え、6月15日に行われている。

前置きが長くなったがその「例祭」に参列してきた。
(本殿近くの前の方で参列していたので「例祭」の写真は撮れませんでした。)

八坂神社の境内におおよそ200名位の関係者や氏子が並ぶ中、式は始まり、さすがに今は国からの幣帛は無いが、関係諸団体からの幣帛を供え、宮司さんが祝詞を奏し、御神楽(みかぐら)が始まった。

御神楽だが、実は昨晩もこの八坂神社で例祭前夜の御神楽が奉納され見ている。

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神楽という踊りは、宮中とその関連の深い神社で行われていた「御神楽(みかぐら)」と一般の神社でおこなわれている「里神楽」に分けられる。今回の神楽は「御神楽」のほう。

御神楽は里神楽と比べると動きもゆるやかで、里神楽に見られる物語性や派手さはない。

昨晩は「人長の舞」という演目で本日は「東遊」という演目。
雅楽の伴奏は篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)・和琴(わごん)・笏拍子(しゃくびょうし:拍子木のようなもの)それに朗々と歌がゆっくりと詠われます。

それに合わせて舞人がストップモーションよりもゆっくりと舞われます。
このテンポはちょっと想像を超えたゆるやかさです。

このような神楽とか雅楽については詳しくないので、よくわかりませんが、この旋律、声の響きそして舞人の動きにはなにか心を惹かれるものがあります。

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2008年6月14日 (土)

鯖寿司そして鮎寿司

夕方から祇園の方で用が有り出かけていた。用が終わってからお腹がへったので嫁さんを誘い祇園石段下の「いづ重」さんへ鯖寿司を食べに行った。

Img_6391鯖寿司、昨年来家で何度か作ってみてわかったことだが、季節とか鯖の大きさによって、酢の配合が異なるということ。春夏にはやはり酢が強い方がおいしいし、秋冬にはすこし酢が弱い感じがよい。

また、人によって好みが違う。我家でも嫁さんは酢のあまり利いていないのを好むし、私は酢のしっかり利いたほうを好む。

要するに、京都の人は一人々が鯖寿司に関しては一家言持っているということ。各自、自分の好みの鯖寿司を持っている。(よって一般に言われている有名店のは最大公約数的においしいということ)

しかし、私はここ「いづ重」さんの鯖寿司は気に入っている。四条切通しにある超有名店や京都の北の峠の名前のついた店のよりも、こちらの方が好み。(といっても、いっしょに食べ比べた事はないですけど・・・)

さて、今日の味はと・・・。これは嫁さん好みの味ですね!私にはちょっと鯖の酢が足りなかった。

ここ「いづ重」さんでは夏に鮎鮨をつくっている。

Img_6385ここの鮎寿司はね、開いた鮎を炙って寿司飯を包んだもの。
三つに切られたのを蓼酢で食べる。もちろん頭もバリバリ食べるんですよ。
焦げた皮もなかなかの味です。一匹なんかすぐに終わります。

ここで、これを食べると夏がきたなぁと何となく思います。

京都の夏というと「鱧」が有名ですが、長年の経験から言って、6月・7月の鱧はそんなに美味しくないです。まだ小さいというか、水っぽいというか、まだそんなに食べようとは思いません。
8月・9月のほうがよっぽどおいしい。京都で食べる鱧は大文字のころがベストだと思います。
(食べてる場所が悪いと言われればそれまでですが・・・)

よって鱧をたべても、そんなに夏が来たとは思いません。
それよか、この鮎寿司のほうが夏を感じます。

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2008年6月13日 (金)

「うつわ考」 京都市美術館

展示室にズラーっと並んだうつわ達。かれらは何を待っているのだろう?
水か、酒か、籾か、花か、それとも訪ずれる者のたおやかな視線だろうか?

Img_utuwa1<「うつわ」とは、「ウツ(「空」や「内」、「虚」)と「ワ(輪)」と合わせた語だとされます。内部が空っぽの輪のような形のもの、空っぽであるからこそ、そこに何か大切なものを収めるための容れ物という意味がこめられていると思われます。>

美術館のこの解説文を読んでそんな風に思った。

京都市美術館のコレクション展、平成12頃から毎年3〜4回位、いろいろなテーマで開催されており、当初は並べるだけの感があったが、ここ2年程はテーマの選び方もよく、解説文も面白くなっている。

今回のテーマは「うつわ」。明治から現在にかけての京焼の作品群。平成18年に京博で開催された「京焼展」の明治以降を補完するような内容になっている。

そんな中から目についたものを。

Img_utuwa3これは清水六兵衛(五代)の「大礼磁仙果文花瓶」。

大きさは60センチほどあり、なかなか存在感のある花瓶。

淡い桃色の地の上に、白土にて鸚鵡の群れが描かれている。
寄り添う様に群れる姿がほほえましい。

画は貼付けか彫り出しかわからないが、地の桃色の透けぐわいが微妙な陰翳となり上品な花瓶となっている。

五代目の六兵衛さんこのほかにも茶碗がでていたが、大きな作品から小さなものまで丁寧なつくりで京焼らしい柔らかく上品な雰囲気が有る。

Img_utuwa4続いては河井寛次郎の「花文扁壺」

薄い鼠色の地に河合寛次郎独特の単純でのびやかな草花文が広がっている。

この壺が作られた頃(昭和15年)、河合は民芸運動に傾注しており、この壺にも呉須のようなぼってりとした釉薬、単純な文様、鉄釉の口取り、単純なフォルム等にその影響が見られる。
しかし、作品の持つキレや存在感はやはり京都の焼き物だなぁという感じがする。

その他、画像は無いが心惹かれた作品は、
清水卯一の「鉄耀扁壺 やなぎ」。
独特の釉薬の使い方とフォルムの豊かさがよかった。

竹内栖鳳と楽惺入の「白梅図茶碗」「新春梅図案椀」。
両者とも少し小振りのフォルムが掌に包み込んだとき心地よさそう。栖鳳の梅の図案も清楚だなぁ。
こんな茶碗で、早春の梅の下で喫む野点のお茶はさぞすがすがしそう。

河合卯之助の向附や高杯の小品も、京料理によく合いそうでいい感じ。

オブジェのセクションで目についたのは坪井明日香の「パリに残したロープから、マリー橋の人達」。
深い黒色の人形に金で彩色されたローブやスカートの模様がシックだな。

Img_utuwa5工芸のセクションからは神坂雪佳の「漆画人物祭礼之図飾箱」。

六角の布目の地に大きく獅子舞が描かれている。その獅子のユーモラスな顔付が祭りの華やかな雰囲気をを表し、それを楽しむ人々の幸せそうな顔が印象的。上部に描かれているお囃子の画も楽しそうで軽やかな音色が聞こえて来そう。
新しい琳派を描いた雪佳らしい画である。

その楽しそうな画のせいか、この飾り箱、重さを全く感じさせない。解説によると食物を運ぶ箱らしいがかろやかな雰囲気のせいか、ふわふわと浮かびそうな感じがする。
いいですねぇ。

歴史のある美術館だけあり、その収蔵品には京都の近代美術のエッセンスが溢れている。次回は「色ー響きと調べ」というテーマで色彩のハーモニーが感じられる京都ゆかりの作品が出て来るらしい。
これも愉しみ。

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2008年6月12日 (木)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その6)

桃山から江戸の初めの風俗画というのは、豊暁で華やかな魅力ある画であるが、暁斎も見事にそれを描いている。

Img_kyousai62Img_kyousai61
河鍋暁斎 「大和美人図屏風」

艶やかな、しかしその中に気品がある画である。
色使い、構図、そして細かい表現と3拍子そろった画である。

右側に描かれている遊女を見ると、憶い出すのは風俗画の名品として知られる「彦根屏風」に描かれた遊女。

Img_kyousai63画としては異なった姿勢を見せる二人だが、立ち振る舞いや兵庫髷の形、整った顔、全体の雰囲気から受ける印象は似通っている。

教養があり、気品が有り、そして今でいう空気の読める女の様子が両者ともよくでている。
女の描き方としては土佐派の感じがするなぁ。

彦根屏風では画中画として描かれている屏風の画が「山水画」であったが、暁斎の画では「四季耕作図」になっている。

両方の画題も狩野派が得意としているものである。
その画中画を観ても暁斎が優秀な狩野派の画家であったことがわかる。

そしてこの右側の画で感心するのは空間の描き方。じっくりと見ると畳の縁が平行になっていない。手前から奥に向かって末広がりに歪んでる。こうすることによって奥の屏風に描かれている田園風景が広がったものに感じられ、画の奥行きがと広がり増していく。
障壁画が多く手がけた狩野派があみだした手法なんだろう。このへんうまいなぁ!

左側の女は、なにか中性的な感じがする。ちょうど風俗画の終わり頃によく描かれた「遊女図」や、初期の浮世絵である菱川師宣らの画と通じるものがあるように観える。

そして、左側の画の奥に描かれてある布でできた間仕切りのようなものは、風俗画屏風の「誰が袖屏風」を憶い起こす。

狩野派、土佐派、初期浮世絵の手法をうまくとりいれた暁斎の優品である。

いまはくすんだ色合いの17世紀頃の風俗画もこの暁斎の画のようにきらびやかでかつ華やかなものだったのだろうな。

次は「見立七福神内 花見弁財天図」

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暁斎の画は抱一を憶い出すたらし込みの手法で描いた桜の木の陰から、美人が空を見上げる後ろ姿を描いている。そして弁財天を見立てる為に、画の真中に四角の空を切り出し、弁財天を象徴する琵琶を描いている。

これを見て憶い出したのが池田満寿夫の「ブタペストからの自画像」。
同じ様に空を切り出している。(池田の画は立体の空だが。)

池田が暁斎の画を知っていたかどうかはわからないが,暁斎の画が現在の版画に結びつく所がすごいと思う。
池田の画が、何を見立てているのかはわからないが、池田はある時期この立方体に切り出した空のモチーフを多用している。池田としてみれば、この立方体を描く事で、画の中に異なった空間(世界)をもちこみそれが逆に自画像のリアル感を強調する効果を願ったのではないだろうか。

暁斎においても特異な見立てを画中におくことで、桜と美人を引き立てる様な効果を描いたのではなかろうか。

時代を超えて、二人の画家が同じ様な特異なモチーフを使っている事を見つけ、面白さを感じる。

何回かに分けて書いて来たが、暁斎の画には平安時代の絵巻から、室町時代の山水画、住吉派、土佐派、浮世絵、もちろん狩野派等のそれまでの日本絵画のエッセンスが凝縮されているし、また暁斎以降の近代日本画や近代美人画、そして現代絵画になにがしかの影響を与えていると思われる。

その暁斎の画から強く感じられるのは、暁斎の画に対する確固した自信である。揺らぐ事の無い信念である。

西洋から見た場合、中途半端に西洋の手法を取入れた画よりも、暁斎の画のように日本画の様式に対して確固した自信がある絵に魅力があるのだろう。それが西洋で人気の出た理由だと思う。(やはり、西洋画の本場は西洋ですからね!)

「泣きたくなるほど、おもしろい」とつけられたこの展覧会のキャッチコピー、それは暁斎の画にある奇抜さや、おどろおどろしさだけではなく、画からはみだす強烈な信念に対して付けられたものだと思う。

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2008年6月10日 (火)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その5)

山姥と子供(金太郎)の画というのは江戸時代の画にはよく見かける画題である。
有名な所では歌麿が何十枚とこの画題の浮世絵を描いている。しかし歌麿の浮世絵は親と子の情愛を主題に色気たっぷりな山姥を描いたもので、暁斎の画とは少し雰囲気が異なる。
やはり暁斎の「山姥図」を観て想い出すのは、芦雪の「山姥図」。

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河鍋暁斎「山姥図」            長沢蘆雪「山姥図」

この2つの画が重なりあい私の中で一つのドラマが生まれる。

若い姿をした暁斎の山姥はいぶかしげな様子で遠くの方を見やる。
その眺める彼方の方から、何か得体が知れないが恐ろしさだけが感じられるものが押し寄せる様にして近づいて来る。
山姥の金太郎を抱きかかえる手に力がはいっていく。
そんな山姥の緊張を知らずか、金太郎は無邪気に白熊と棒引きに興じてる。

突然、その得体の知れないものが山姥に襲いかかって来る。山姥はその本性を現し、歌舞伎の早変わりのようにその姿を変える。
鋭い目、とんがった鼻、むき出しとなる三本の牙。そのグロテスクな面相には、襲い来るものから金太郎を護ろうとする強い想いが現れている。

暁斎の画を起点として、芦雪の画を想い出し、こんな物語が頭の中を駆け巡る。

同じ様な事が「幽霊図」でも起る。

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河鍋暁斎「幽霊図」       長沢蘆雪「幽霊図」

今回は起点は芦雪の画から。

夏の暑苦しい丑三つ時、寝苦しくふと目覚めると開け放された障子の向うに見える坪庭の端にある井戸の辺りに何か白いものが見える。
寝ぼけた眼をこすり、よく見るとそれは幽霊。
「出た〜!」と叫ぶと、その幽霊はスーッと掻き消え、何処だと見回すと部屋の隅の行灯の向うに
「うらめしや〜」と暁斎の幽霊が表れる。
近くに見るだけこんどはリアル。痩せこけた胸の凹凸まではっきりと目に焼き付く。

女の人にうらまれる憶えは無いですが、こんな感じですかね・・・。

このような想像で画を観ていくのもなかなか楽しいものである。

それに、暁斎と芦雪それとなく共通点がある。奇抜な着想と大胆な構図。そして個性溢れる表現。
活躍した時代は暁斎の方が60〜70年程後だが、奇才の絵師として両者の画の持つ力はすばらしいものである。

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2008年6月 8日 (日)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その4)

次は2枚の「美人画」。

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河鍋暁斎「美人観蛙戯図」

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河鍋暁斎「横たわる美人と猫」

この「美人観蛙戯図」と「横たわる美人と猫」は数ある暁斎の美人画の中でもすこし毛色が異なる様に思える。
その他の浮世絵風や大和絵風の美人画と比べ、落ち着いた色調であるからかもしれないが静謐な感じがする。まるで近代の美人画を観ているようである。

「美人観蛙戯図」はその描かれている蛙が「鳥獣戯画」に似ているとして、蛙の方に目が行きがちであるが、女の描き方も今までとは異なり江戸の美人画とは異なった風情が有る。
美人画といえばこの時代浮世絵だが、浮世絵はあくまでも男の視線。それなりに色気がある事を基本としている。だから、人気の出るようにデフォルメされた女の姿となっている。

それに比べて、この画は女の内面を表そうとしているような感じがする。夏の夕べにふと見付けた蛙によって思い起こされる遠い過去。懐かしい思い出かも知れないが、また常には思い出したくない事であるかも知れない。

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久隅守景の「夕顔棚納涼図」一部

同じ様な夏の夕涼みの風景と、女の姿で思い出したのは久隅守景の「夕顔棚納涼図」。
なにかいわれがありそうな家族の風景である。一説にはこの家族は守景本人の姿ともいわれているが、その事情を示す様に女の表情に独特の気品と内に秘めた愁嘆が感じられる。

「横たわる美人と猫」も良い画だった。
肘をついて猫を見つめる女の表情がいいですね。女の顔を描いたすーっとした描線に生きた女を感じますよ。
この2つの美人画は、私の中では近代の美人画の始めとなる画のように思えるし、その後の鏑木清方なんかに続くものだし、描線の美しさからみれば菊池契月なんかを思い起こすものである。

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菊池契月「少女」

暁斎といえば奇抜な面が強調されるが、それ以外にもこのような素晴らしい画を描いているのだなと感心させられた。


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2008年6月 7日 (土)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その3)

続いては「百鬼夜行図」。

Img_kyousai22Img_kyosai23真珠院「百鬼夜行図」より一部
Img_kyosai25真珠院「百鬼夜行図」より一部

河鍋暁斎「土佐大蔵小輔藤原行光画百鬼夜行図」

暁斎の「百鬼夜行図」には藤原行光の画を写したと有る。藤原行光は南北朝時代の土佐派の画家らしい。描かれている鬼達は大徳寺真珠庵の「百鬼夜行図」とほぼ同じ。暁斎の写した原画は今は無いが、鎌倉から室町に掛けてこの様な「百鬼夜行図」は多く描かれたのだろう。(真珠庵のも何かを写したものかも知れない。)

「百鬼夜行図」は江戸時代にも色々と描かれている。鳥山石燕、北斎等も描いている。しかし幕末近くになり北斎、国芳あたりからその鬼の性格が少し変わって来た様に思える。そして暁斎においては今まで異形の者として描かれていた鬼や物の怪が、まるで人間の様に生活していたり、遊びに惚けていたりしている。逆に悪人を苦しめるためにあらわれる場合もある。

暁斎のこの時代、人間が鬼に変わらずにいられないような状況に有ったのだろう。それをうまく笑いやおかしさの中に描いている。江戸の諧謔趣味が色濃くあらわれた一連の画。

暁斎の画、はじめはやはりそのおどろおどろしさや、リアルさに惹き付けられる。しかし、ちょっと時間を空けて再び出会うと、暁斎にここまで描かしたものはなんだったのかふと考えてしまう。

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2008年6月 6日 (金)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その2)

まずは暁斎展らしく「九相図」から。

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河鍋暁斎 「九相図」より一部

「九相図」とは、人は死んだ後、その死体は野原に棄てられ、やがて腐り出し、蛆がわき、犬や野鳥に食い散らかされて白骨となり、土へと帰って行く様子を九つの画面に表した図である。
鎌倉時代から室町時代にかけて、仏教の教えである、人の世の儚さや無常観を知らしめる為に、お寺に掛けられて絵解き等に使われていた。
その仏教の教えを強調するために、そのモデルとなっているのは世に名高い美人で有る事が多い。
頭に浮かんだ画は京都の六道の辻にある西福寺の「檀林皇后九相図絵」や鹿ヶ谷の安楽寺の「小野小町九相図」。

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西福寺「壇林皇后九相図画」より一部

暁斎の「九相図」と仏画としての「九相図」とを比べると、暁斎の画からは仏の教えという「九相図」の基本的な要素が余り感じられない。そこにあるのは人間として避けられる事ができない「死」という出来事を目の前につきつけるリアル感。
暁斎は絵巻で仏画は一枚の軸という様式の違いにもあるだろうが、暁斎のほうが画としての印象が強烈。

この画が描かれたのは、明治3年以前とされている。となると時代は幕末から明治維新の頃で、世の中が大きく変わった頃。暁斎の親しんだ江戸には、薩長の連中が乗り込んで来、勝者の驕りとして大きな顔をしだすし、文明開化と称して西洋化が押し進められる。このような風潮は江戸文化で育った暁斎にとっては面白いはずが無い。江戸の町人文化が持つ特徴の一つである「反骨心」がもちあがり、「お上も平民も死んでしまえば皆同じ、腐って最後は土になる。」みたいな気持ちがこの画のリアル感を引き出しているのだろう。

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2008年6月 2日 (月)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その1)

「河鍋暁斎」、摩訶不思議な絵師である。
実は、京博での展覧会が始まってすぐに一度観に行っていた。そのときは、唯々「すごいなぁ!」というような感じ。
じゃぁ、何がすごいのかと言はれるともう一つ自分の中でははっきりしない。
おどろおどろしい画題?。スピード感溢れる筆使い?。精緻な色使い?。卓越したテクニック?。発想の奇抜さ?
いいや、それだったら個別には他の画家もいるし、そのような画もいろいろと観て来た。
しかし、「暁斎展」で得た感じはそのようなものとはまた違う。
そんな感じで未消化の状態で過ごして来て、この会期の終わりにもう一度観に行った。

Img_kyousai1「河鍋暁斎」を強く意識したのは、そんなに前の事ではない。第一、関西(京都)では暁斎の画を見る機会は余り無い。やはり関東の絵師である。たまに浮世絵展なんかに国芳の後に何点か並んでいるのを見る位だった。(その頃はやはりギョウサイと読んでましたね!)
そんな中で、昨年のギメ東洋美術館の浮世絵展で肉筆の「釈迦如来図」を観て驚いた。西洋風釈迦が見事に描かれていた。単に西洋風ではなく、初期のガンダーラの仏像のような威厳を持って座っていた。

それ以降、暁斎のことをが気になっていた。

二度目に「暁斎展」を観に行ったとき、暁斎の画を見る度に、過去に観て来た古今東西の画が頭の中に浮かんで来る事に気付いた。
本当に、次々と浮かんで来る。それは平安時代の絵巻物から、現在の作家のものまで。暁斎の画に描かれている部分を観て浮かんで来る事も有るし、全体の雰囲気からの時もある。

今まで観て来た画が走馬灯のように頭に浮かんで来る。
私の中では、今までを観たきた画を反芻するかのような雰囲気だった。

それは、例えれば大きな漏斗をその口で2つ合わした形があり、その接続点に暁斎がいる様な形感である。

片方の漏斗から流れて入って来た大きな「画」の流れが狭まり、その継ぎ目にいる暁斎によって新たな「画」の流れへ替えられて再び大きくひろがり、継ながるもう一つの漏斗へ流れ出て行く感じである。

間に居る暁斎は、単に写したり、なぞったりしているだけではなく、「俺はこう描きたいんだ!」「俺ならこう描くぞ!」という強烈な意志を持って流れを変えている。

そのような感じで流れ入る「画」や流れ出た「画」が頭の中に浮かんで来るのである。

そういう節目の絵師というのは、暁斎までにも何人かいた。
気付くだけでも雪舟、永徳、又兵衛、宗達、応挙、北斎なんかもそうであろう。

しかし、暁斎は流れて来る画の種類が多い!。あらゆる流れを受け止めている様に感じる。
たいしたものである。

展覧会も終わり遅ればせながらも、頭に浮かんだ画と暁斎の画とを何回かに分けて記録に残そうと思う。

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