« 祇園祭あれこれ08 (御田祭) | トップページ | 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その2) »

2008年6月 2日 (月)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その1)

「河鍋暁斎」、摩訶不思議な絵師である。
実は、京博での展覧会が始まってすぐに一度観に行っていた。そのときは、唯々「すごいなぁ!」というような感じ。
じゃぁ、何がすごいのかと言はれるともう一つ自分の中でははっきりしない。
おどろおどろしい画題?。スピード感溢れる筆使い?。精緻な色使い?。卓越したテクニック?。発想の奇抜さ?
いいや、それだったら個別には他の画家もいるし、そのような画もいろいろと観て来た。
しかし、「暁斎展」で得た感じはそのようなものとはまた違う。
そんな感じで未消化の状態で過ごして来て、この会期の終わりにもう一度観に行った。

Img_kyousai1「河鍋暁斎」を強く意識したのは、そんなに前の事ではない。第一、関西(京都)では暁斎の画を見る機会は余り無い。やはり関東の絵師である。たまに浮世絵展なんかに国芳の後に何点か並んでいるのを見る位だった。(その頃はやはりギョウサイと読んでましたね!)
そんな中で、昨年のギメ東洋美術館の浮世絵展で肉筆の「釈迦如来図」を観て驚いた。西洋風釈迦が見事に描かれていた。単に西洋風ではなく、初期のガンダーラの仏像のような威厳を持って座っていた。

それ以降、暁斎のことをが気になっていた。

二度目に「暁斎展」を観に行ったとき、暁斎の画を見る度に、過去に観て来た古今東西の画が頭の中に浮かんで来る事に気付いた。
本当に、次々と浮かんで来る。それは平安時代の絵巻物から、現在の作家のものまで。暁斎の画に描かれている部分を観て浮かんで来る事も有るし、全体の雰囲気からの時もある。

今まで観て来た画が走馬灯のように頭に浮かんで来る。
私の中では、今までを観たきた画を反芻するかのような雰囲気だった。

それは、例えれば大きな漏斗をその口で2つ合わした形があり、その接続点に暁斎がいる様な形感である。

片方の漏斗から流れて入って来た大きな「画」の流れが狭まり、その継ぎ目にいる暁斎によって新たな「画」の流れへ替えられて再び大きくひろがり、継ながるもう一つの漏斗へ流れ出て行く感じである。

間に居る暁斎は、単に写したり、なぞったりしているだけではなく、「俺はこう描きたいんだ!」「俺ならこう描くぞ!」という強烈な意志を持って流れを変えている。

そのような感じで流れ入る「画」や流れ出た「画」が頭の中に浮かんで来るのである。

そういう節目の絵師というのは、暁斎までにも何人かいた。
気付くだけでも雪舟、永徳、又兵衛、宗達、応挙、北斎なんかもそうであろう。

しかし、暁斎は流れて来る画の種類が多い!。あらゆる流れを受け止めている様に感じる。
たいしたものである。

展覧会も終わり遅ればせながらも、頭に浮かんだ画と暁斎の画とを何回かに分けて記録に残そうと思う。

|

« 祇園祭あれこれ08 (御田祭) | トップページ | 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その2) »

コメント

好日さん、実は私も暁斎展を二度見に行きました。

一回目、各部屋ごとに「すごいすごい」と見ているうちに、
最後の暁斎の集大成の作品の前に疲れ切ってしまって…。
二回目は、作品を厳選して見ました。
漫画ミュージアムの方にも行きました。

もう一か月過ぎましたが、強烈な印象は今でも覚えています。
好日さんの日記、楽しみにしていますね。

投稿: nao-mi | 2008年6月 5日 (木) 22時57分

nao-mi さんへ
やはり2度いかれましたか・・。
あの展覧会は、質的にも量的にもちょっと1回ではしんどいですね。(京博での画家の名前がついた特別展、いつも1回では到底無理な内容です。・・・)

素直に楽しめる画も有りましたし、考えさせられる画もありました。その辺の感想を載せていきますのでまた読んで下さい。(そのわりには、余り書いてないなぁ・・・m(_ _)m )

投稿: 好日 | 2008年6月 7日 (土) 00時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95018/20937904

この記事へのトラックバック一覧です: 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その1):

« 祇園祭あれこれ08 (御田祭) | トップページ | 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その2) »