« 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その1) | トップページ | 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その3) »

2008年6月 6日 (金)

「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その2)

まずは暁斎展らしく「九相図」から。

Img_kyousai21

河鍋暁斎 「九相図」より一部

「九相図」とは、人は死んだ後、その死体は野原に棄てられ、やがて腐り出し、蛆がわき、犬や野鳥に食い散らかされて白骨となり、土へと帰って行く様子を九つの画面に表した図である。
鎌倉時代から室町時代にかけて、仏教の教えである、人の世の儚さや無常観を知らしめる為に、お寺に掛けられて絵解き等に使われていた。
その仏教の教えを強調するために、そのモデルとなっているのは世に名高い美人で有る事が多い。
頭に浮かんだ画は京都の六道の辻にある西福寺の「檀林皇后九相図絵」や鹿ヶ谷の安楽寺の「小野小町九相図」。

Img_7926

西福寺「壇林皇后九相図画」より一部

暁斎の「九相図」と仏画としての「九相図」とを比べると、暁斎の画からは仏の教えという「九相図」の基本的な要素が余り感じられない。そこにあるのは人間として避けられる事ができない「死」という出来事を目の前につきつけるリアル感。
暁斎は絵巻で仏画は一枚の軸という様式の違いにもあるだろうが、暁斎のほうが画としての印象が強烈。

この画が描かれたのは、明治3年以前とされている。となると時代は幕末から明治維新の頃で、世の中が大きく変わった頃。暁斎の親しんだ江戸には、薩長の連中が乗り込んで来、勝者の驕りとして大きな顔をしだすし、文明開化と称して西洋化が押し進められる。このような風潮は江戸文化で育った暁斎にとっては面白いはずが無い。江戸の町人文化が持つ特徴の一つである「反骨心」がもちあがり、「お上も平民も死んでしまえば皆同じ、腐って最後は土になる。」みたいな気持ちがこの画のリアル感を引き出しているのだろう。

|

« 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その1) | トップページ | 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その3) »

コメント

この展覧会に行って初めて『九相図』というものを知りました。
私はこれを見て、糺の森の片隅に横たわっている倒木を思い出しました。
倒れてなお、小さい生き物たちの住処として役目を果たしている木。
そうして数十年後には自然に消えていくそうです。

暁斎の作品が次々と変わっていったのは、幕末から明治という
混沌とした時代も関係していますよね。

投稿: nao-mi | 2008年6月 9日 (月) 21時15分

nao-mi さんへ
「九相図」、初めて見る方には刺激が強い画だと思いますが、京都ではお盆のころに「地獄絵図」等とともに所々のお寺に飾られます。また一度御覧になって下さい。

nao-miさんの「糺の森」の話を読んで、確かに人間も糺の森の倒木と同様、自然の摂理の中に生きているのだなぁと感じました。暁斎もその辺を描きたかったのかもしれませんね。

投稿: 好日 | 2008年6月11日 (水) 00時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/95018/21416853

この記事へのトラックバック一覧です: 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その2):

« 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その1) | トップページ | 「暁斎ー近代へ架ける橋」京都国立博物館(その3) »