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2008年7月の14件の記事

2008年7月31日 (木)

祗園祭あれこれ08 「疫神社夏越祭」

祗園祭は八坂神社の境内にある摂社「疫神社の夏越祭」で1ヶ月に及ぶ祭りを終える。

通常の神社では、半年の厄を祓う「夏越祭」は6月30日に行われるが、八坂神社では祗園祭の最後の行事としてこの7月31日に行われる。昔は6月30日に行われていたが、祗園祭が明治の初めに新暦の7月に移ったのと同様にこの行事も7月に移ったのだろう。

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八坂神社の西楼門の石段を上がった所にある「疫神社」の鳥居に大きな「茅の輪」が置かれ、その前で祗園祭の関係者が集まり、祭りの無事に終わった事の神への報告と「無病息災」の願いをこめた神事が執り行われる。

蝉時雨の降り注ぐ境内に、暫しの間雅楽の音色と、神主の祝詞の声が響く。

神事が終わると参列者が順々に「茅の輪」をくぐり、神前でお祓いを受け、そして御神酒をいただく。
6月の「夏越祭」では3回「茅の輪」をくぐるのだが、ここでは1回きり。
そして席に戻る途中で鳥居の周りにある「茅」を授かっていく。(授かるというよりも各自それぞれが抜いていく。)

関係者の参拝が終わると、周りを取り囲んでいた一般の方々が続いて参拝する。本日も多くの方がこの神事を見に来られており、鳥居の前は瞬く間に長い列ができる。

皆さん、神妙な顔をして「茅の輪」をくぐり、そして思い々に「茅」を抜いていく。しばらくすると式の前には奇麗だった「茅の輪」も、ささくれた様になってくる。

長かった1ヶ月も無事終わった。今年は天気が良かった分、祭りも盛り上がったが、何分体力の消耗も激しかった。(年のせいもあるだろうが・・・。)
しんどかった分、愉しみも大きい祭りだった。

さて、持って帰った「茅」はどうするのかって・・・。
家で「茅の輪」を作り「蘇民将来子孫也」の御札を付けて玄関に飾るんですよ。
左が作成前、右が作成後。

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なかなかうまく出来ているでしょう?
これで今年も安泰!
これで今年の「祗園祭あれこれ」も終了!

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2008年7月24日 (木)

祇園祭あれこれ08 「還幸祭」

神輿というのはすごいね!

形が美しいとか飾りがきらびやかとかいうものではなく、独特のオーラで包まれたような輝きを発している。

それは担いでいる輿丁やまわりでにいる見物の方々すべての情念が神輿に集まって生まれるものである。

神輿を輝かしているものは、あくまでも人々の思いであり、願いである。

そしてじっとしているのではなく、つねに上下に揺れるように進み、回りの空間をその世界へと巻き込んでいく。あたかも得体の知れない生き物のように。

神輿は一つの宇宙を作り出し、その中へ周りを引き込んでいく。ある者はその世界で陶酔に浸り、ある者は神の姿を感知し、ある者は叫びだす。いってみれば人間の世界を突き進む、異世界のブラックホールみたいなものですよ!

そんな不思議の世界へ誘うように、四条寺町の御旅所から3座の神輿が、各氏子町をまわり八坂神社へ渡って行く。

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御旅所から担ぎ出された神輿にはまず「御霊遷し(みたまうつし)」の神事が行われる。17日の「神幸祭」で八坂神社からこの御旅所に遷された神はこの神事で再び神輿に遷される。

三若神輿会の担ぐ「中御座神輿」には、八坂神社の主神である「スサノヲノミコト」が遷される。

御霊が鎮座されると神輿は御旅所の前で差し上げられ上下に激しく振られる。

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ここから神輿は寺町通を下り、高辻通を烏丸通にぬけ、最初の目的地であるか烏丸仏光寺にある「大政所」へ向かう。

「大政所」は現在の地に豊臣秀吉によって「御旅所」が移されるまでの旧来の「御旅所」の跡。今はビルの間に小さな祠として残っている。

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神輿を振るというのは、なかなか難しい。ただ単に上下に揺すっているだけでは神輿は揺れない。前後左右の担ぎ手が息を合わせ、波が伝わるような拍子で揺れを送っていく。

綺麗に振られた神輿をみると、あたかも波のある水面を渡って行く船のような感じがする。波頭に舳先を持ち上げ、波の間に沈みこむような感じで水を切って進む感じ。

その拍子をとるように指揮をするものが「ホイット、ホイット」の掛け声をかける。掛け声に合わしながら、担ぎ手は蹴り上るような足取りで神輿を運ぶ。

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四条烏丸に着くとその交差点の真ん中で神輿は差し上げ、廻される。

交差点の周りを囲むビルの様相は年々変わって行っても、神輿は1200年近く変わらずこの辻で差し上げられ舞わされている。

西山から照る夕陽に照らされキラキラ舞う鳳凰。

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四条大宮では丹波八坂太鼓の面々が太鼓を打ち鳴らし神輿を迎える。

勇壮な太鼓に掻き立てられるように、神輿は大きく振られ見物の方々の拍手に迎えられる。

ここからは中御座神輿を担ぐ「三若神輿会」の地元。

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狭い大宮通に並ぶ家々の軒先を掠めるように神輿は進む。

多くの家の表には人々が並び「おみこっさん、きゃぁはったで~」と奥のほうへ声をかける。そして神輿に向かって頭を垂れる。

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神泉苑では僧侶が神輿を迎える。現在は東寺系のお寺だが「神泉苑」はもとは禁苑。

祇園祭の始まりは869年にこの神泉苑に66本の矛を立て、牛頭天皇(今のスサノヲ)を迎えた御霊会が始まりとされている。

その故事に習い、中御座神輿はここを訪れる。

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三条商店街にはいると神輿俄然勢いを増す。地元だけに声をかける人たちも多く、アーケードに掛け声が大きく響く。與丁達も一層ボルテージが上る。

「ホイット、ホイット」の掛け声に合わせ、細い商店街をぎりぎりまで寄せながら振っていく。

会所の前の道では差し上げて振りぬく。神と人とが共演する盛り上がり。

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三条黒門角にある八坂神社の摂社「御供社」で折り返し。

神輿弁当を食べ、しばしの休息のあと八坂神社を目指していく。

この三条大宮の辻には御旅所で別れた東御座、西御座の神輿が揃う。時間をずらし順々に社に到着し、神事の後出発していく。

三条通をとおり寺町通から四条通に抜け、四条通を八坂神社石段下をめざす。

石段下に中御座神輿が着いたのが9時過ぎ。それでも多くの人が石段下で神輿を迎えてくれる。その前で差し上げ、舞わして南門から境内にはいる。

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境内に入るとここにも多くの人たちが神輿を迎えてくれる。

「ホイット、ホイット」の掛け声も一緒になって声をかけてくれる。その声に力付けられ最後の力を振り絞るように與丁達も神輿を振る。

境内の中が神輿の宇宙に包まれる。神と人が一体となり喜びや苦しみを分かち合う。

ひとしきりの饗宴のあと中御座神輿は舞殿に納められる。

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中御座神輿の後を追うようにして「スサノヲ」の妻である「クシイナダヒメ」が乗った「東御座」神輿が境内に入ってくる。担当しているのは「四若神輿会」。

3座の八坂神社の神輿だが、分担している神輿会によって声のかけ方や拍子のとり方が異なる。

東御座は神輿を支える轅が長いためか、整然と神輿を運ぶ。うまいものである。

あの狭い境内をいっぱいに使いながら舞殿の周りを廻していく。

その「東御座」が舞殿に収められるとただちに「西御座」が入ってくる。

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「西御座」にはスサノヲの子供達である「ヤハシラノミコ」が鎮座されている。

担当するのは「錦神輿会」。

この3座の神輿がすべて舞殿に納まると突然境内の明かりが突然すべて消される。

月明かりの中、3座の神輿から御霊が本殿に遷される「御霊遷し」の儀が行われる。

暗闇のためシーンと静まったなか神官の「ヲ〜〜」と言う太い「警蹕(ケイヒツ)」の一声が響き、「還幸祭」は終了する。

暑く長い一日であったが、神輿を心から愉しめた一日であった。

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2008年7月20日 (日)

「越畑の蕎麦」 越畑フレンドパークまつばら

余りの暑さに耐えかねて、いつもの友人とちょっと山の方まで避暑に出かける事にした。
といっても、おおげさなことではなく「越畑」まで涼みがてらに蕎麦を食べに行っただけ。

「越畑」というのは京都から見ると愛宕山の山向う。行くルートとしては清滝から保津峡の山沿いの道を行き、水尾を越えていくか、一度亀岡に出て、そこから山を越えていくかである。
それでも、この越畑の住所は「京都市右京区嵯峨越畑」。市町村合併もここまでやるとやり過ぎの感がある。

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亀岡を過ぎてから山に向かい、車の離合が難しい位の細い山道を30分程走ると、山の中腹に開けた土地と集落が見えて来る。ここが越畑。
この村の村おこしとして作られたのが「越畑フレンドパーク」。そこで打つ蕎麦がおいしいということで行き始めたのが3〜4年前くらいかなぁ。

それ以降、時々おじやましている。

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蕎麦の事はあまり良く知らないが、以前一緒に行ったマニアに聞いた話だと(蕎麦にはこのようなマニアが居るのですね・・・・)

蕎麦粉はこの地区で穫れた蕎麦を主としているらしいが、最近は北海道とか信州も混ぜているそうな。
しかし、十割蕎麦で一番粉(臼で引いて最初に出て来る粉)を使っているらしく、白っぽい蕎麦。
更科系というのかな?

口に含むと、蕎麦の香りがプーンとするような蕎麦ではないが、コシは強く、細手なのが特徴。
ツルツルと喉を通る。冷やっこい蕎麦が喉をとおると、お腹の中がスーッと冷やされる感じがする。
なんか静謐な感じのする蕎麦で、おいしい。

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出汁はそんなに特徴が無いが、あえて言えばちょっと醤油がきつめかな。
でも、この蕎麦にはよく合っている。願わくば山葵が本山葵だったら・・・。

店の前には蕎麦畑が広がり白いそばの花が咲いていた。のんびりとした風景。
奥には山に向かう斜面に棚田がひろがっている。

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また、店の横には葡萄の棚があり、そこにはまだ小さな葡萄の実が広がった葉っぱの陰から顔を見せている。

店の側の陰になったベンチにぼんやり座りポケーッとしていると、目の前の日向にさす日の光は厳しいが、時たま吹いて来る山間の涼しい風が心を和ませる。

癒されるなぁ・・・。


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2008年7月17日 (木)

祗園祭あれこれ08 「神幸祭」

山鉾巡行が終わり、都大路が清められた夕刻「神幸祭」がはじまった。

「神幸祭」では、八坂神社の大神「スサノヲノミコト」「クシイナダヒメノミコト」「ヤハシラノミコガミ」が「中御座」「東御座」「西御座」の三基の神輿に乗り、洛中の御旅所へ向かう。

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夏らしい眩しい光の中、舞殿に置かれた3基の神輿はキラキラと輝いている。

「スサノヲミコト」が乗る「中御座」を先導するため久世の駒形稚児さんが境内を出ると、いよいよ神輿を舞殿から降ろす。この神輿を担ぐのは「三若神輿会」。この日のため1年間を待ちこがれて来た男達が争う様に神輿にとりかかる。

「ホイット、ホイット」の声がかかると中御座神輿はゆっくりと舞殿を降りていく。境内に降りると一度姿勢を直すため立ち止まるが、すぐに舞殿の周りを3周する「拝殿廻し」を行う。

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「ホイット、ホイット」の掛け声と共に、神輿は上下に揺すられながら舞殿を回っていく。

そして神輿が拝殿の正面に着くと、差上げられ更に激しく上下に振られる。主人の居なくなった拝殿を伺う様に高く持ち上げられる。男達も今年最初の差上げを楽しむかの様に長く高く上げる。

舞殿を3周回ると神輿は南門を通り境内を出て行く。神社の南側で東御座、西御座の神輿が揃うのを待って次は石段下の3座の揃い踏みへ向かう。

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石段下には早くから大勢の見物の人達が集まっている。
神輿は東山通りに出ると下りの坂を、振りながら駆け下りていく。そして石段下に着き、差上げられながらゆっくりと回り出す。輿丁達の「廻せ! 舞わせ!」という叫び声に見物の方々からも大きな声があがる。

3座の神輿が揃い、神官によるお祓い、市長の挨拶が済むと再び3座揃って振回す。改修が終わった西門をバックに折からの西日を受けて3座の神輿がキラキラ光りながら舞っていく。
壮大な景色である。
1500人を越える輿丁達が見物の人達の大きな手拍子を浴びながら「ホイット、ホイット」の掛け声に酔いしれる。

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揃い踏みが終わると、各神輿は各々の氏子地区を通り四条寺町の御旅所を目指す。
中御座と西御座は四条通を西へ。東御座は東大路通りを北へ向かう。

中御座はこの石段下から四条縄手まで振りながら進んでいく。蹴り踊る様な独特の足運びをしながら神輿を上下に揺すり、大勢の見物客に見守られて神輿は進んでいく。
神輿の勇壮さというのは、輿丁だけの力では生まれない。やはり周りの見物の人達の熱気に包まれてはじめて生まれて来る。
中御座に鎮座されている「スサノヲ」は猛々しい神であるだけに、大勢で迎えられる事を好む。
「ホイット、ホイット」の威勢のよい掛け声が神の喜びを掻き立てる。

(今年はこの時点でカメラが壊れ、以降の写真は撮れなかった・・・)

四条縄手に着くと、暫しの休息。今年初めての神輿をここまで担ぎ切った輿丁も肩で大きく息をしている。この神輿は約2トン近く有り、それを1回60人位で担ぐ。もちろんそれではもつわけがなく、人はドンドン変わっていく。大体一つの場所に5〜6人位の人が付く。その人達が2〜3分位で入れ替わる。
その辺の呼吸も、神輿を美しく見せる技となる。
大体1基の神輿に500人から600人の人が付く。

輿丁達の肩は担ぎ出すとすぐに大きく腫れ上がり、瘤の様にふくれて来る。道中の後半になって来ると半纏の上からも血が滲んで来る。しかし、痛さなんかは感じない様子で次々と神輿に入っていく。
我慢する事が喜びであり、神への御奉仕となるのである。

神輿は縄手通りを進み三条京阪から三条大橋を渡り洛中に入る。三条大橋の真中で神輿を止め、その威容を示すかの様に差上げ大きく振られる。

三条大橋を渡ると、三条木屋町から二条木屋町へ向かう。この木屋町通は桜の木が大きく張り出し、神輿を通すには難儀する所。なんとか神輿を低く運び通り抜ける。

二条木屋町で「神輿弁当」を食べ後半戦にはいる。二条木屋町を出発し、寺町二条から寺町三条、三条河原町と抜けていく。御池通を渡ると道はアーケードとなり輿丁達の声が異様に響き渡る。いやがおうにも神輿は盛り上がりアーケードの中を振りながら進む。輿丁達も陶酔の表情。

三条河原町から四条河原町を通り「御旅所」着く。
「御旅所」の前で残りの力を振り絞る様に振り抜く。見物の方々もそれを期待しているかの様に大きな手拍子と「ホイット、ホイット」の掛声を掛けて来る。それに応えるかの様に神輿も差上げたり、廻したり、振ったりを繰り返す。
暫しの狂乱の後、神輿は御旅所の前に据えられ、神主による「御魂遷し」の神事が執り行われる。

中御座を御旅所に据えると、つぎの東御座が御旅所に入って来る、そして次に西御座。
3座の神輿が全て収められたのは日が変わろうとする少し前の11時過ぎ。
今日も長い1日であった。
心地よい疲労感と無事に収められた事の安堵感が入り交じった、祭りの後の独特の感慨が湧く。

これから24日まで3基の神輿はこの御旅所で人々の願いを受け入れる。多くの人達が願い事をするであろう。しかしその願い事を神さんが喜んで受け入れてくれるだけの立派は神輿振りだった。

さて、次は24日の「還幸祭」。

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祗園祭あれこれ08 「山鉾巡行」

山鉾巡行をどこで見るかというのは、祭りを見に来られる人達にとって悩ましい問題。
四条堺町の「籤改め」、四条河原町の「辻廻し」、御池通の有料観覧席等色々あるが、
長年の経験からいうと、やっぱり「新町通り」で見る巡行が一番ですよ!

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巡行を終えそれぞれの町内へ今年最後の戻り囃子を奏でながら戻っていく山鉾。
ゴトゴトと揺れながら道幅ぎりぎりに通るため、体の50センチ位前をあの大きな車輪が通っていくのです。これはすごい迫力ですよ!

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ギシギシと鉾がきしむ音が聞こえて来ます。
路の段差を越える時等、ドーンと重々しい音が響きます。

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それに鉾の屋根に乗っている人たち、彼らはこの新町通りが見せ場です。
路が細いため電柱や看板に鉾が当たりそうになります。
その時、電柱や看板と鉾の間に身を挺して鉾を護るのです。
ロープ1本で鉾から身を乗り出し、腕や足で押し出します。
みものです!

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昔は「粽投げ」といって、鉾の囃子方が見物人や知り合いの家々に粽をほり投げていました。
特に新町通りにはいると、終わりも近いということで持っている粽を景気よく投げていました。

家々も二階の窓を取払い、鉾に向かって「粽ほって!」と叫んでいましたし、
見物の方々も、鉾に向かって手を差し伸ばし「粽ほって!」と叫んでいました。
さすがに、危険だという事でこの「粽投げ」は中止されましたが・・・。

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今は知り合いの人が乗っている山鉾が通ると大きな拍手とその人の名を呼ぶ大きな声が聞こえます。
名前を呼ばれた囃子方は、ちょっと恥ずかしそうな感じで扇子を振ったり、会釈なんかをしています。

そのような昔からの巡行の風景が見られます。

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山鉾の人達に言わせると、河原町、御池は観光用の鉾の顔をしてますが、この新町に入ると自分たちの顔になるそうです。
山鉾に乗っている人形達の顔も幾分なごんだ顔になっています。

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祇園祭の素顔が見られる新町通りです。


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2008年7月14日 (月)

祇園祭あれこれ08 「宵山 駒形提灯」

今年から環境問題に対応する為、駒形提灯の電球が蛍光灯タイプのものに変わると聞いていたので、どんな雰囲気になるのか気になっていた。

そんなわけで今回の宵山の様子は駒形提灯を。

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四条烏丸東にある「長刀鉾」。

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四条烏丸西にある「函谷鉾」。

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四条室町西にある「月鉾」。

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新町綾小路下がったところの「船鉾」。

昨年と比べると少し明るさが増したかなという感じはするが、黄色みがかかった色合いはいつもと同じ。
心配する事は無かった。

宵山の暗闇の中に浮かび上がる鉾の姿は、祗園祭の一つの代表的な姿。
その姿が今後も護られる事に安心をする。

人混みの中を、知り合いやお世話になっている方々の関係する山鉾に挨拶に回る。
どこへいっても最初の言葉は「ご苦労さんです」。

実際、この祭りを継続していく事は、いろんな人達の努力と善意と熱意によってなりたっている。
その源がどこにあるのかは様々だが、根底には町衆としての誇りが流れている。
「御神輿も大変でしょう?」と言われ「いや、山鉾も大変でしょう?」とお互言いながらも、顔は笑っている。

良い祭りだ!。多くの人が集まり、多くの人が笑い、多くの人が驚嘆し、神々が愉しむ。

蒸し風呂のような空気の中を、更に気持ちを熱くする様に、今夜も「コンチキチチン」の祗園囃子が流れていく。

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2008年7月13日 (日)

「蓮の花」 天竜寺

洛中の街中が祗園祭で賑わっている頃、嵐山の天竜寺では蓮の花が咲き出します。

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朝早く、嵐電に乗って嵐山へ行きました。
嵐山方面に向かう電車にはまだ乗客はパラパラです。

のんびりとした雰囲気の中、電車は三条口の駅を過ぎるとそれまで専用軌道を走っていたのが、路面電車となります。
昔の市電を思い起こす風景です。

太秦の駅に近づくと、突然静かな車内に「水戸黄門」のテーマー曲が流れ出しました。
映画村があるからです。ものすごく違和感を感じますが、なぜかほほえましい感じがします。

帷子ノ辻を越えると周りの雰囲気が「嵯峨」に来たという感じになります。
なんとなく緑が多くなり、市中とは明らかに異なります。

約20分ほどで嵐山につきますが、ちょっとした小旅行気分です。

天竜寺の蓮はまだちょっと早かったかもしれませんが奇麗に咲いていました。
白やピンクの花の色と、緑が濃くなった葉のコントラストが見事です。

早朝のため、訪れている人も少なく静かな雰囲気で楽しめます。

蓮の花が咲く時に、ポンと音がするという話が言われているので一度聞いてみたいと思い朝早く来たのですが、残念ながら聞こえませんでした。もっと早く来なければならないのでしょうか?
それとも単なる噂なのでしょうか?

一度聞いてみたいと思っています。


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2008年7月12日 (土)

祇園祭あれこれ08 「鉾建て」

神輿洗が済むと、鉾町では鉾建てが始まります。

Img_009810日には四条通の長刀鉾、函谷鉾、月鉾等、11日には新町通りや室町通の鉾、そして12日には山の鉾建てが始まります。

鉾や山は建てるというよりも組上げるという感じ。会所の蔵等に1年間保存されて来た柱や桟の部材が道路に運びだされ、順々に嵌め込むようにして組み立てられていきます。

そして外郭ができあがると藁縄で締めていきます。鉾や山には釘は使われません。
締め上げるため使われる藁縄は独特の美しい模様となっていきます。

Img_0099まるで組紐を見るような感じです。

この組み方は各鉾や山で微妙に異なっている様にみえます。各山鉾に伝わる独特のものがあるのでしょうか?

この鉾建てを行っている人達を「建方」と呼びます。この人達は鉾町に済んでいる人達ではなく、鉾立ての為に鉾町が頼んでいる人達です。その締め方や縄の打ち方は彼らに引継がれている技術です。

Img_0103縄目の美しさは山鉾が建ってしまうと、その表に掛けられる懸装品の下に隠れてしまいます。

よってこの美しさを見られるのは、鉾建てが行われている1〜2日間のみです。
きらびやかな山鉾の下にはもう一つの美しさが隠れているのです。
こういう所にも祗園祭の伝統は引継がれているのです。

この鉾立てが終わると、鉾の試運転である「曵き初め」が行われます。

Img_0102「曵き初め」には誰でも参加できます。
子供の頃は「曵き初め」に参加すると子供にはお菓子のお土産がもらえました。

強者の子供は「曵き初め」の梯子をしたものです。今はどうなっているのですかね・・・。

「鉾建て」「曵き初め」が終わればいよいよ宵山です。今まで会所の二階で囃子られていた祇園囃子も山鉾の上で演じられる様になります。

明日からは宵山が始まります。

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2008年7月11日 (金)

祗園祭あれこれ08 「お迎え提灯」

神輿洗の神輿が八坂神社へ戻って来るのを、八坂神社の石段下で子供達が提灯を持ってお迎えするのが「お迎え提灯」。

Img_6673昨年は突然の土砂降りにより中止されたが、今年は幸いにも天気が良く、帰って来る神輿が迎えられた。

この子供達、神輿洗いの先触れとして夕方から行列を組んで氏子町を回り、市役所前では踊りを披露してこの八坂神社へ戻ってきている。

Img_6674この日はこの夏最高の暑さとなり、子供達もお疲れ気味。神輿が戻って来る9時頃には、大きなあくびをしている子供もいる。

一番上の写真は「しゃぐま」と呼ばれるかっこうをした子供達。しやぐまとは赤い髪の毛のことらしい。
明治維新の頃、官軍の兵士の上官達が頭に付けていたようなもの。
時代祭の鼓笛隊もつけてたなぁ。

Img_6677昔から、厄除になったらしい。
しかし、赤い髪の毛と白粉を塗ってもらった白い顔がかわいいな。

二番目は、鷺舞の子供達。
頭の遥か上にある鷺達が、ピーチク・パーチクしゃべっている。

下では子供達がきゃきゃ笑いあっている。

三番目は鬼武者の男の子。
凛々しいなぁ。昔から祗園祭の神輿の周りには武者行列があった。そして桃山時代には大きな母袋という派手な模様の袋状のものを背中に背負っていた。「祗園祭祭礼図」なんかによく描かれている。
この母袋は、遠くから飛んで来る矢を防ぐ道具であったといわれている。しかしどう考えても大きな的にしか見えないが・・・・。

Img_6698神輿を迎え終わると、この子供達八坂神社の境内に戻り、今度は神輿の前で踊りの披露。

舞殿で神輿の飾り付けをやっていたら、その前の石畳で鷺舞の踊りが始まった。
しゃぐまもいっしょに踊っている。
羽根を拡げたかっこうで踊り出すと、ほんとうに鷺が舞っている様。

しかし、ふと時計を見ると10時を過ぎている。
えんんかいな! 明日も学校があるだろうに。

2年振りのお迎え提灯、やはり華やかなものである。
御苦労さんでした。

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2008年7月10日 (木)

祗園祭あれこれ08 「神輿洗」

今年も「神輿洗」の神事が行われた。

Img_6552_2夕刻会社から八坂神社に向かう途中、四条縄手にある目疾地蔵こと仲源寺に寄ると、神輿洗で神輿に振りかけられる「御神水」が置いてあった。

この「御神水」は今日の午前中、四条大橋の上から鴨川の水を汲み上げ、そしてお祓いをして清めたもの。
下に置いてある、ロープの付いた桶を橋の上から鴨川へ降ろし汲み上げ、上の「御用水」と書かれた桶にその清々な水を張っておく。この「御神水」を大榊木で四条大橋に担がれて来る神輿に振りかけ神輿を清める。

目疾地蔵を過ぎ八坂神社に着くと、境内は祭りの前の微妙なざわめきが漂っている。

Img_6562_2夕闇が暮れ泥む頃、御神火から移された火で灯された大松明が八坂神社から四条大橋までの神輿の路を清める。
炎で清め、水で清める。
八坂の神々はきれいずき。

Img_6608大の大人がやっと抱えられる位の太さの大松明を男たちは担ぎながら走り出す。そして四条大橋に着くと橋の真中に高々とたてられ辺りを照らしあげる。街の真中に突然現れる神の火。
周りのネオンもその炎にかすむ様な感じ。

この行事を「道しらべの儀」と呼ぶ。

この「大松明」が八坂神社に戻って来るといよいよ神輿が四条大橋へ向かう。

Img_6631Img_6641八坂神社には、「中御座」、「東御座」、「西御座」と3基の神輿が有るがこの「神輿洗」で四条大橋へ運ばれるのは「中御座神輿」のみ。

神幸祭、還幸祭で中御座神輿を担ぐのは「三若神輿会」だが、この神輿洗で中御座神輿を担ぐのは「四若神輿会」。

よって四若以外の神輿会の関係者は神輿の後ろからお供する。

いつもは神輿の先頭で、音頭をとったり指揮したりしている神輿を後ろから見るのはこの機会しか無い。
神輿の様子がよくわかる。

神輿は、前の部分を担ぐ者達と、真中の胴を支える者達、そして後ろを担ぐ者達の呼吸が合わないと奇麗に担げない。
ただ、力任せに担いでも調子の揃った奇麗な神輿振りにはならない。

やはり、神さんの乗られる神輿、奇麗に担いで待ちわびる人達に喜んでもらいたい。

四条大橋に着くと、神輿を高く差上げて、上下に揺すりながら回していく。そして「御神水」を振りかけ神輿を清める。

Img_6660これで「神輿洗」の神事が終わり、神輿は八坂神社へ戻っていく。

祇園の地らしく、途中花見小路で神輿を迎える舞妓さんの姿があった。

毎年、この神輿洗の日は夕立や雨の日が多く、お供をしていてもずぶぬれになる事が多い。今年は幸いにも天気が良く見物の人達も多く、気持ちのよい「神輿洗」だった。

これで神輿も揃ったし、いよいよ祗園祭が実感できる時となった。

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2008年7月 8日 (火)

「色ー響きと調べ」京都市美術館コレクション展第二期

この展覧会の解説文には柳田国男を引いて「日本は元来色の種類に乏しく、色を表す言葉も、外来語を含めて少ない国でした。」とあるが、これは疑問に思う。

Img_kyoubi1古からの歌をみても、その言葉の表す世界は色彩豊かであって、藤末鎌初からの水墨画においては白黒の世界の中に多くの色を感じさせる要素を含んでいる。

桃山の障壁画や風俗画においては金襴豪華な色使いの中に時代の持つ不安感を感じさせる色相を想い起こさせ、江戸の浮世絵は当時の文化のにないてとなった庶民の「粋」の気質を知らしめる色調を含んでいる。当時の上方では写生を基とする画法から、物を描く為の色使いが感じられる。

太古から自然に親しんでいた我々は、その豊かな色調を感じる術をその心の襞に持ち、色彩に関する想いは他の国の人々より優るとはいえ決して劣るものではなかった。

明治以降、近代日本の絵画に現れた「色」は、決して突然に現れて来た物ではなく、また外来からの影響でもなく、綿々と奏で続けられてきた我々の感覚の響きと調べであるとおもえる。

そのような観点から見ていくと、今回のコレクション展、本当にすばらしい逸品が並んでおり、心から楽しめる美術展である。京都のこの地で奏でられて来た色のハーモニーの結晶の様な作品群が並んでいる。ため息のでるような色の響きである。

そんな展覧会の中から気に入ったものを。

Img_kyoubi6

これは竹内栖鳳の「雄風」。

二曲一双の屏風絵だが、その闊達な線、ぼかし気味に塗られた色相。うまいなぁ!
特に濃淡痩肥の線で描かれた虎の輪郭、これがすごい。虎が生きていますよ。
いまにも動き出しそうな感じ。
慣れたネコを抱いた時に感じる柔らかいがどっしりとした重量感みたいなものが伝わって来ます。

またこの虎、顔付が良い。まわりを威圧しながらもどこか小馬鹿にしたようなネコ科独特の顔付をしている。
この画を描く為に、多分栖鳳は岡崎の動物園へせっせと通い写生したんだろうな。

この画、画像のように平面で見ていても本当のすごさは伝わらない。やはり屏風立てで凹凸がある状態で見て、はじめてその本当の良さがわかり、ぼかしの効果、構図のよさが伝わってくる。
何回見ても、老練な栖鳳の腕に感心する画である。

Img_kyoubi2これは菊池契月の「南波照間」。

沖縄あたりの女性を描いた画だが、契月らしく押さえた美しい線で描かれている。
紅と黒の着物の対比が美しい。鼠色した着物の裏地に描かれた小さな模様が何故か印象に残る。

軽やかな色のハーモニーがやがて三線の音に変わっていく。

菊池契月はその他にも「紫馬(馬編に留)」「赤童子」の二点が出されていた。
このうち「赤童子」は初見だが、人間の血を思わせる様な紅で描かれた赤童子に契月のまた違った一面を感じた。

しかし、色使いが繊細な画家である。

Img_kyoubi4徳岡神泉「流れ」。

神泉の代表作の一つ。独特の抽象的な世界を描いている。
静謐で、神々しく、そして美しい世界。

神泉の描く抽象の世界を神泉自身は次のようにいっている。

「桜の花びらがひらひらと散る。散ってゆく花びらが地面に触れんとするとき、現実にその音は耳には聞こえないかもしれない。しかしたしかに音を知る。花びらでもなく、音でもなく、直観に置いて感得したこの知の世界、それを描きたかった。雑物のまじらない核心だけを画面に表現しようと思っていた。」

じっと対象を見つめ続け、それを心の中に沈め込みやがて浮かび上がって来る純粋な世界を描いている。色も純化され単純な色調ながら、深い思いを含んでいる。

ちょっと画の雰囲気とは異なる話だが、いままで何回となくこの画を見て来たが、この流れは画の右から左へ流れていると思っていた。今回近くでじっくりと見ると。筆の運びや、色の変化からどうも左から右へ流れているように思えた。次見る時はどちらに流れているのだろう?


Img_kyoubi5これは山口華楊の「鶏頭の庭」。

華楊というと黒い色が印象的な「黒豹」が知られているが、この鶏頭の赤も美しい。

すらっと伸びた鶏頭の花の伸びやかさと細密な描写で描かれた花頭の姿が、赤色の移り変わりで見事に描かれている。
後ろに描かれている庭石のぼかし方がこの花の美しさを際立たせている。
静かでは有るが、強い存在感を残す優品。

画像は無いが梶原緋沙子の画が3作品並んでいた。これも良かった。
「若き日」「赤前掛」「娘義太夫」。どれもが少し疲れた様な女の姿を描いている。その色調も重く沈み込むようで画の雰囲気をよく表している。

この画を美人画とするならば、思い当たるのが上村松園。
松園が女の「陽」の部分を描いたとすれば、梶原は女の「陰」の部分をこれらの画で描いている。
日常生活の中で溜まる澱のようなものを描いている。
それは生活に疲れた男の姿とはまた異なる女の「業」のような疲れと思われる。

これら以外にも多くのすばらしい京都画壇の画が並んでおり、京都市美術館ならではの美術展である。

特に、栖鳳の「雄風」の屏風絵としての迫力、目の前に広がる神泉の抽象世界(画像で感じられる以上に大きな絵です。目の前一杯に広がります。)、梶原緋沙子の沈んだ色調は本物の画を見て初めて感じられる感動である。

暑い日々が続きますが、ぜひ機会があれば、観に行かれる事をお勧めします。

*「色ー響きと調べ」 京都市美術館 コレクション展 第二期
 08/06/28〜08/08/31

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2008年7月 5日 (土)

三条商店街の夜店

夜になっても表の道路が何故かざわざわとしている感じがする。
子供達の歓声もときおり聞こえて来る。

何かと思い表に出てみると、三条通がものすごい人の波。
聞いてみると三条商店街で夜店をやっているらしい。これは面白そうとちょっと出てみた。

Img_6513この商店街、あのオリンピック女子マラソンの野口選手が雨の日はここで練習する事で有名になっている。千本三条から堀川三条までの約600〜700メートル位の区間がズーッとアーケードで覆われているからである。
キャッチフレーズが「いつでも晴れの三条商店街」(だったと思う。)

多くの古くからの商店街が活気を失っていっているのと同様、この商店街も4〜5年前は閉店していく店も見られる状態だった。しかし野口選手のおかげかもしれないが最近は新しい雰囲気の店が増えていっている。

古い町家をそのまま利用したレストランやカフェ。エスニックな感じの雑貨屋さん。流行の飲み物や食べ物を売るファーストフード風の店。パン屋さん等

Img_6511どの店も若い人達を中心に人気が出ており、タウン誌やブログなんかに登場してきている。

左はそんな新しいお店の一つ「らん布袋」。和風な感じのカフェで、オーナーが外人のお茶の先生という話題性もあり、人気がある。この日もオーナ自ら夜店を開きがんばっておられた。

そんな新しい店の活躍もあるが、やはりこの商店街が賑わって来たのは古くからの店ががんばってきた事に有ると思う。いろいろと話を聞いていると、最近古い店の経営者の世代交替が行われ、新しい感覚の若い人達が中心となって活動をはじめている。

その催しの一つが本日の夜店。
この地域にこんなに多くの人が居たのかと思う程集まっている。
小さい時からこの商店街を見ているがこんなの初めて見た。

自分の住んでいる地域が活性化していくことは喜ばしいことである。
願わくば単発で終わらずに、それなりににぎやかな商店街であってほしい。

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2008年7月 4日 (金)

建具替え

梅雨があける頃、京都では「建具替え」を行います。

「建具替え」というのは、座敷や表の間の障子を葭戸(よしど)に変えたり、庭に面した縁側に簾(すだれ)を掛けたりして、家の中を風が通りやすくすることです。

Img_3042京都は三方が山に囲まれた盆地の底にあり、夏の油照り、冬の底冷えと生活するには厳しい気候の地です。特に梅雨から盛夏にかけてのじっとしてても汗が滴り落ちる蒸し暑さはたまりません。

そんな夏を少しでも涼しげに生活する為の工夫です。

しかし、エアコンが普及した今日では、葭戸にするとかえって冷気が流れ出てエアコンが効かないという状況になります。
我家でも生活の中心となっている奥の方はさすがに建具替えはしませんが、坪庭までの表の方は「建具替え」を行います。

葭戸に替わった座敷に寝転んでみると、障子以上に微妙な陰翳が生まれ、痩せ太のある葭戸の隙間から流れて来る風は心なし涼しげな感じがします。
家全体がひんやりとした雰囲気を漂わせます。

目や肌で感じる涼感です。

生活の合理性を保つのと、昔からの因習を護るのとなかなか微妙な部分がありますが許す限りそのバランスを保っていきたいと思ってます。

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2008年7月 3日 (木)

祗園祭あれこれ08「黄昏の鉾町」

吉符入りも済み、町は祭りに向かって動き出します。

Img_0054町のあちこちの家の軒先に、「献燈」の提灯が灯されて祭りが近づいた事を知らせます。

町行く人達も、ぼんやりと照らされた路の灯りの中に、祭りの「ハレ」の姿を憶い起こし目の前に近づいた新しい祭りへの期待を膨らまします。

そのようなワクワクした気持ちを掻き立てる様に、ふと角を曲がると遠くの方から「祗園囃子」の音が聞こえて来ます。

ゆっくりとした調子ながら、心の奥底に溜められた今年一年の想いや郷愁を浮かびあがらせるような音色です。

Img_0057_2霰天神山の町内には、7月2日に行われた「籤取り式」の結果が張り出してありました。

今年は7番目の順番みたいです。

順番がどうのこうのより、「今年もこの山は巡行に参加するぞ!」というこの町内の心意気、また山を出せる喜びみたいなものを感じます。

この時代、町家はどんどんビルに変わっていき、住人の方も会社に変わり、祭りを継続していくことは並大抵のことではないと思います。そんな中での祭りとはこの町内の持つ譲れない誇りでもあるのでしょう。

Img_0062新町通りにはいると1年間閉じられていた、放下鉾の会所の入口や窓が大きく開けられ「二階囃子」の準備がされていました。

鉾が建つまでの間、祗園囃子の練習をこの二階で行います。

今年から参加するのでしょうか、小さい子供がお母さんの自転車に乗せられて会所に到着しました。
鉾の上に乗って、祗園囃子を奏でることは京都のこの辺の子供達にとって誇りとなります。

巡行の日にゆさゆさと揺れ進む鉾の上で、京都の町や見物の人々を見下ろして行く気持ちよさはたとえようがありません。(座る場所によっては怖い場合もありますが・・・)

Img_0063あっ、練習に遅れそうな子供が自転車を飛ばしていきます。

揃いの浴衣の裾をはためかして必死に自転車を漕いでます。

囃子の練習は厳しいものです。子供と言えども挨拶から始まり、間違えると厳しく叱られます。子供だからといって甘えられるものではありません。
しかし、それが子供にとって一人前として扱われることの誇りでもあり、喜びでもあるのです。

「気いつけて、遅れない様に!」

こんな風にして黄昏の鉾町は祭りの準備が進んで行きます。

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