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2008年10月の6件の記事

2008年10月14日 (火)

「名画に出逢う、秋」 八幡市立松花堂美術館

京都と大阪の境にある八幡市。桂川、宇治川、木津の三川合流点をはさみ対岸には天王山を望み、こちら側には石清水八幡宮のある男山がある地。
桃山から江戸の始めにかけてこの石清水八幡宮に松花堂昭乗という坊さんがいた。この坊さん書道、絵画、茶道に堪能で、特に書家としては近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられた。
彼の使っていた四つ切りの小物入れからヒントを得て、吉兆の湯木さんが松花堂弁当を考案した話のほうが知られているかな?

Syoukado1その松花堂にちなんだ地を八幡市が松花堂庭園として保存し、また彼にまつわる美術品を集めた美術館をつくっている。

そこで開催されている「名画に出逢う、秋」に行って来た。
それほど大きな美術館ではないが、今回は京都市美術館と京セラ美術館からよりすぐりの日本画が展示されている。

まずは、チラシにもなっている菊池契月の「散策」。
菊池契月の描く女性画は非常に線が美しい。しかし、その整いすぎた表情から見る者に冷たい感じをあたえる。しかし、この画に描かれている女性には若々しい明るい表情が感じられる。その他の画とはちょっと異なる感じ。

帯下を長く取る構図により、二匹の黒い犬が活きている。画面の周りに覗いた草花や木々の様子が爽やかさを感じさせる。
同じ様な雰囲気の画として思い出すのが、鏑木清方の「朝涼」。同じように爽やかな画だが、契月の画は構図が単純化されておりその分より乾いた雰囲気が感じられる。
清方の方が何故か湿ったような感じ。
背景まで描かれている画はやはり画全体から導かれる感じで感想を持つが、この画のように大きく余白を取ったような画は、描かれた部分に集中し、そこから見る者が色々と想像して感想を導き出すというような違いが有る。どちらが良いというものではないが、京都で見る画には、このような余白の余韻を持つ画が多い様な気がする。

Syoukado2_2 Syoukado3_2

この2枚の画は左が梶原緋佐子の「ねがい」。右側が三谷十糸子の「春来る(春想)」。
この2枚、画像と同じように並んで展示されていた。なかなか面白い並べかた。
お互いが向かうように感じで、二人の女性が意識しあって感じがする。梶原の女性はあたかも「まだ、あなたにはこの想いはわからないでしょう。」と思っているようであり、三谷の少女は「ふん、なにさ・・・」という様な感じ。

画家も異なり、描かれた時代も異なる画が偶然並べられる事で、画家が思っても居なかった雰囲気が生まれて来る。この辺りのコラボレーションの効果も美術展を見に行くことの愉しみ。

梶原は明治から大正にかけては、このように社会の底辺に生きる女性の哀しみや疲労感、また一途な想いみたいなものを独特の筆使いで描いていた。大正デモクラシーというか社会主義的な思想の雰囲気を持つ画であり、この頃の女性の画家としては興味を引く画家。惹き寄せられるものがある。

三谷の画は余り多く見ていないが、このような少女を描いている画が多いような気がする。

Syoukado4

徳岡神泉は「筍」が出されてた。
独特の緑の色合い。昭和30年代の作品だが、具象とも抽象ともいえない神泉独特の世界である。この後はもっと抽象の方向に進むのだが、まだフォルムは保っている。
掘り出された「筍」の中に春の息吹や生命の力強さへの神泉の気持ちがギューッと凝縮されているような感じがする。そのような強い気持ちを独特の色合いやぼやけたフォルムの効果で表に現れないようにコントロールしている。
奥深い画だなぁ・・・。

Syoukado5

この剽軽な「熊」を描いたのは、竹内栖鳳。
何ともいえないユーモアと可愛らしさが感じられる画である。
京都画壇の重鎮である栖鳳には、このようなほのぼのした画があり、その人柄が偲ばれる。
芦雪や大雅等が見せる、ある種のユーモアや明るさみたいな江戸後期の京都画壇のもつ雰囲気を引継ぐものでもあろう。
でも、その勢いのある筆使い、赤い紅葉の効果はさすが栖鳳。冬の京美での展覧会が愉しみ。

この画は美術館にはいる前は、京都市役所で衝立として置かれていたらしい。贅沢な衝立ですね。

そんなに多くの作品が展示されている訳ではないが、見所のある作品が並んだ美術展です。

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2008年10月12日 (日)

「仏の形 心の形」 泉屋博古館

東山の山裾にある「泉屋博古館」、住友家が萬集したコレクションを収めた美術館である。
さすが住友財閥だけあり、中国の青銅器、中国の書画、日本の書画、仏教美術とその守備範囲は広い。

Senoku1この秋の特別展は「仏の形 心の形」と題して中国・朝鮮・日本の仏教美術の優品を集めている。

天王町の坂道を上がり、美術館に入り特別展がおこなわれている部屋に中庭の渡り廊下を通って入る。

泉屋博古館は1つの展示室に展示物を集めている。その部屋でまず目についたのがチラシにのっている「毘沙門天立像」。これはすばらしい!

大きさは50〜60センチ位の小振りの毘沙門天で、もとは青蓮院に伝わったものと言われている。
その絶妙のバランスのとれた姿態、程よく抑制された忿怒の顔付、美しい品格のある毘沙門天像である。

左手には宝塔をかかげ、右手は高く上げている。(本来はここに戟(ゲキ)を持つのだが)
右足は邪鬼の頭を踏み押さえ、左足は邪鬼の臀部を踏みつけている。
激しい動きを表しているが、その体は緊張感もなく自然な感じがする。

この毘沙門天像の面白い所は、その玉眼。毘沙門天像の眼にはもちろん、鎧の獅子噛(ベルトのバックル)、そして邪鬼の眼にも嵌められている。特に邪鬼の眼は踏みつけられて半分白目になっているところがなかなかリアル。

この毘沙門天像、説明書きによると30年程前奈良国立博物館で展示されたきり、以降表にはでなかったそうで、今回泉屋博古館では初めての展示になるそうだ。

Senoku2_2これは中国北魏の「金銅弥勒仏立像」。

光背が日本でみる仏とは異なり肉厚でまるで仏が背負った様な感じがする。
この仏には太和22年と彫られており、西暦でいうと498年の作と見られている。
日本に仏教が伝来する前の仏である。

その他中国、朝鮮の金銅仏が10体程展示されてあったが、仏も各地によりその表情が異なることがよくわかる。
中国も南方の地方では、仏の顔は肉厚で艶かしく感じられ、北方の仏は眼が細く人間くさくなっている。朝鮮の仏は面長でちょっと異様な面立ちである。

日本の仏は飛鳥奈良時代には、その時々に影響を受けた国の表情をしていたが、平安中期以降は独自のヤマト風の面となっている。その辺の移り変わりを見るのがまた楽しい。

Senoku3住友コレクションというと世界的に有名なのが中国古代の青銅器。

住友家は銅の商いで大きくなったせいか、中国の青銅器を数多く集めている。
その住友コレクションといえばやはりこれでしょう。
西周時代の「虎ゆう」。(ゆうの漢字は変換不可)

神虎が後ろ足と尻尾で立ち上がり、前足で人を抱え込んでいる。持ち上げる取っ手があり、なにか酒なんかを持ち運ぶ容器であったと考えられている。

しかしこの一面に彫られている、渦巻き模様や文様の素晴らしい事。(この文様は単なる模様ではなく呪術の内容や神の名を示すものでもある。)
また虎の顔の大胆な事。まるで現代美術のオブジェのような感じがする。
これが現在から3000年以上も前のものだとは信じられないくらいモダンに見える。

この青銅器コレクション一見の価値はありますよ。

お寺や神社だけではなく、京都の私設の美術館各自が特色を持ってがんばっており、巡って回るのもまた面白い。

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2008年10月10日 (金)

「京と江戸 名所遊楽の世界」 細見美術館

細見美術館で開催されている「京と江戸 名所遊楽の世界」展、風俗画を好む者にとっては楽しめる展覧会である。

Hosomi117世紀初め (慶長から元禄以前までの頃)の京、江戸を描いた祭礼図屏風、邸内図屏風、名所図屏風等がズラーッと並んでいる。

遊んでいる様子や働いている様子、生活の様子を描く事は、絵画の発生時点からはじまった画題である。平安時代の絵巻物、鎌倉・室町の参詣曼荼羅図等、大和画の伝統の中で描かれて来たが、桃山から江戸初期に掛けてパーッと花咲くが様子で広がった。

特にこの時代の風俗画には身分の上下、男女に関わらず、日々の生活を楽しんでいる様子が有り、また安定し始めた生活から来る憂愁の思いが描かれている。

そのような画をみていると、あたかもその時代にワープした様な感じとなる。

Hosomi6これは「東山名所図屏風」。(部分)

祇園社、八坂塔、清水寺、大仏殿、三十三間堂を描いた四曲一双の屏風。

この屏風、全体的に描き方が稚拙な感じがするが、特に大仏殿の描き方がおかしい。
まるで大仏さんが檻に入れられている様な感じ。

この屏風が描かれたとされている17世紀までに、東山の大仏さんは慶長の大地震で首が落ちたとされているので、これは後から描いたと思われる。しかし記憶の中には残っている建物をこんな風に描くのはなんか他の意味があるのかなぁと思ってしまう。

Hosomi3

これは「北野社頭図屏風」。(左雙)(画像をクリックして見て下さい)
「天神さん」で有名な北野天満宮。この頃は秀吉の北野大茶会の印象が強く残っており、その後も花見や茶会が行なわれていた。その頃の様子。

花の下では、赤い毛氈を敷いて、幔幕を張り巡らして坊さんとおもわれる人物が奇麗どころに囲まれて楽しそうに宴会を行っている。
今も昔も花見の宴というと、浮世離れした楽しさに満ちており、「あ〜ぁ、極楽々」てな調子で皆さん浮かれている。端のほうでは酔ったかのようなかんじで奇麗ところを抱きしめている男もいる。

左の方では、鳥居の前で茶売女がお茶を売っている。
奇麗な茶売女の周りには、気を惹くように着飾った若い男が客になっている。

時代が変わってもやってることは変わりませんなぁ〜。

Hosomi4

これは「江戸名所遊楽図屏風」(部分)

江戸初期の浅草寺の境内の様子が描かれている。上の川は隅田川。
門前では京の四条河原と同様に多くの芸人が踊りや芸能を演じている。
太鼓や三味線を鳴らしながらジャグリングを演じたり、鉦を叩いている勧進僧等、当時の放浪芸の様子が面白い。
下の方では、浄瑠璃の小屋が建てられ、多くの人が木戸銭をはらって観ている。
このように、神社やお寺の芝の上に居座り観る事から「芝居」と言われるようになったされているが、なるほどね。

Hosomi2

これは、細見美術館の呼び物の1つである「男女遊楽図屏風」(一部)

細かい文様の小袖を着飾った女が遊里の一角に置かれた床几に座り手紙を読みながら。お供の禿が指差す方を眺めている様子。その禿のさす方向には無骨な使いの者と思われる男が座っているという情景である。

この左方には、遊里の館の中となり、盲人と他の遊女が三味線を奏でたり、遊女と歌舞いた若者がしゃべっていたりする様子が描かれている。

基本的には「彦根屏風」の写しとされているが、これはこれで見ていて楽しい。

この時代の「男女遊楽図屏風」には、今までの風俗画と異なり、はっきりと個人の実像が現れて来る。

遊女や歌舞いた若者、一人々に表情が有り、内面の心模様を表すようになる。
遊女の物憂いげな表情や、若者のうつろな表情。その中にこの時代の特色を表している。
時代を表す画となって来ているし、人を中心とした画となってきている。

「男女遊楽図」という題材は、人間を表すという点で近世の風俗画の1つの頂点となっていると思える。

その他、「洛外図屏風」「賀茂競馬図屏風」「犬追物図屏風」「誰が袖屏風」「四条河原図巻」等、細見美術館の屏風が総出演。見所の多い展覧会である。

「淋派」も良いが「風俗図」も楽しい画ですよ!

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2008年10月 4日 (土)

てふてふ舞う藤袴

神泉苑の横を歩いていると石垣の向うに多くの蝶が舞っているのが目に入りました。
不思議に思って苑内に入ってみると、幾つかの植木鉢に薄紫の可憐な花が咲いており、そのまわりを多くの蝶が舞っているのを見えました。
横に刺してある木札には、「原生種 藤袴」と書いてあります。

Img_7711

そういえばKBS(近畿放送)が源氏物語千年紀の一環として「藤袴プロジェクト」と言うのを行っているのを思い出しました。

そのホームページによると、

「同じ野の 露にやつるる藤袴 あはれはかけよ かごとばかり

 光源氏の使者として玉鬘を訪れた夕顔が、藤袴の花に託して、恋するひとに贈った恋の歌。」

「平成20年、「源氏物語」が誕生して千年を迎えます。
 平安時代には都のあちこちに自生していたであろう藤袴ですが、今は環境省の絶滅危惧種に。
 京都府のレッドデータブックでも絶滅寸前種に選定されてます。
 紫式部が愛した可憐な野草・藤袴をみんなで絶滅の危機から救うことができないか。
 蘇った藤袴の花を、京都の街角に飾り、平安の雅をしのびたい・・・・。
 そんな想いを込めて京都から発信します。」

とありました。

Img_7714

その鉢が神泉苑に置かれ、育てられ、今満開の花を咲かせてます。
その花の上を多くの蝶が舞っています。

白い中に紫が混じった可憐な奇麗な花です。かすかな甘い香りもしてきます。
確かに源氏物語の世界を思い出させる様な淡い色調です。
その上を舞う蝶も、この時期らしく落ち着いた色調のタテハ蝶です。
ヒラヒラと平安の昔に誘うように舞っています。

暫しの間みとれてしまいました。

プロジェクトがうまく行き、藤袴が街の所々で見られるようになればいいですね。
やまと心の起る花です。

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2008年10月 3日 (金)

「絹谷幸二展」 京都高島屋グランドホール

ちょうど長野冬期オリンピックの時、なかなか愉快なポスターを見付け作者を調べたら絹谷幸二氏だった。
それを憶えていたので、展覧会が高島屋で開催されているのを知って早速行って来た。

Img_kinutani1高島屋は今年美術部が創設百年ということで、面白そうな展覧会を開催している。

百貨店の展覧会としてはここしばらくは大丸の方が面白かったが、今年は良い勝負。(伊勢丹は美術館としているのでまた別。)美術好きとしては良い傾向。

絹谷氏も奈良県の出身だが、関西ではあまり見られる画ではない。そういう意味では百貨店の展覧会は私にとってはいつもとは異なる画家の作品を見られる点で重宝している。(ただ、人が多いのは閉口するが・・・)

「色彩はエネルギーの源。色彩は人を発奮させ、元気にする」と語る絹谷氏の画は色彩に溢れている。

チラシの画は、最新作の祭シリーズから「祗園祭」。
菊水鉾の巡行の様子を真正面から描いている。この様な色彩案外派手なように感じられるが、真夏の一番暑い頃に巡行される鉾の様子としては、こんな感じかも知れない。
金色に照り返す夏の陽の光。赤に彩られた鉾の懸装品、思い起こせば色彩に溢れた祭りである。

この画、ちょっと離れて見れば(1.5メータ×2メータ位の画)勘亭流の様な字体で「絹」と抜かれている。
始めはなんかけったいな構図だなと思っていたのだが、わかってみれば面白い。

Img_kinutani2これは同じ祭シリーズから「龍鬼渡海 博多山笠」。

上記の画と同様、色彩に溢れてPOPな感じ。

しかし両者とも決して原色ではない、ちょっと原色からは離れた色で描かれている。青にしても少し薄くしたり深みを持ったり。赤も少し暗さを持った赤にしたり。単純に派手な色彩ではなく、日本人にあった色調で描かれている。

POPな感じを増強しているのが、画の中に描かれている「セリフ」。
龍は「ギャオー」と叫んでいるし、鬼は「ブォォー」とうなっている。担ぎ手は「おいさ、おいさ」と手を合わし、見ている者に祭りの躍動感、高揚感を伝えて来る。

画の中に、セリフを描くのはこの画家の特徴。50点程展示されている今回の展覧会でも8割位の画には「セリフ」が描かれていた。

Img_kinutani3これは長野オリンピックのポスターの原画。「銀嶺の女神」。

この女神も「ららら〜」と歌を口ずさみ、そのセリフが描かれている。

マンガ的といえばそうなんだが、画の雰囲気をよりダイレクトに伝えようとするならばこれも1つの表現方法。吹き出しやセリフをマンガだけに独占させる事は無い。

絹谷氏の50点程の画をみて、確かに彼が言うように何か元気な気持ちにさせられたのは事実。

展覧会を出て、秋の雰囲気を出す為に茶色や黒の落ち着いた色調で飾られている高島屋の店内がかえって元気の無い様な感じがした。

楽しい画を見て、楽しい気持ちになって帰る、それだけでも見に来た甲斐があった。

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2008年10月 1日 (水)

昼すぎて岡崎辺りで食事というと 「十両」

岡崎辺りの美術館を巡っているとついつい時間を忘れてしまう。
さて、お腹がへったなと思い出す頃には、もうすでにオ・タン・ペルデュのランチタイムは過ぎてるし、近代美術館のカフェは何時も一杯だし、細見美術館のカフェも結婚式の準備のため昼から休業てな具合になってしまう。
そこでいつもの「十両」へ。
疏水端を熊野に向かって歩いて行く。

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熊野(東大路丸太町)にある「十両」は魚を中心とした定食屋さん。

秋になり、魚も種類が増え油ものりだしおいしくなってきた。
今日選んだのは「カワハギの薄造り」。

カワハギは秋になると肝が大きくなり、あっさりとした白身とこってりとしたオレンジ色の肝がなんともいえない組み合わせとなる。
ひょっとしたらフグよりもおいしいかもしれない。
あのひょうきんな顔付からは思い付かない程美味。

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お箸を広げられた薄造りのなかへズズィーッと突っ込んで3〜4片位をつかみ取り、ポン酢のたれをつけて一口に。ニチャニチャという感触からやがてかすかな上品な甘味が口の中にひろがる。
うーん、おいしい。

次は、端の先に肝をのせて、上から酢橘をしぼりゆっくりと口の中へ。
肝独特のネトーッと感から、少し苦味を感じながらも口の中に海の匂いみたいなものが広がる。
おもわず顔がほころんでいく。
ちょっと分けてあげた嫁さんもニヤーッと笑ってる。

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これは嫁さんの頼んだ「よかわのお造り」

これもちょっと分けてもらったがおいしかった。

この「十両」、どの料理を選んでもはずれがない。ボリュームも十分。歩き疲れた遅めの昼食には最適。
今日の炊き込み御飯は「さつまいも」の御飯。
これもサツマイモの自然な甘味がおいしかった。秋らしい感じの御飯。

なんの派手な飾りも、おしゃれさも無いお店だが、味だけが勝負という感じでお客を集めている。
大分人気が出て来ているが、昔ながらの満足感は変わらない。
今日も満足!満足!


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