« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月の14件の記事

2009年4月21日 (火)

京都 桜逍遥2009(雨宝院)

「惜しと思ふ 心は糸に よられなん
              ちる花ごとに ぬきてとどめん」
                 古今和歌集 素性法師

Rimg0087

さて西陣の桜の最後は「雨宝院」です。
「千本閻魔堂」から千本通を渡り東に進むと、そこは西陣の最深部です。
昔はこの辺りを通ると、まわりからガッチャンガッチャンと織機の音が聞こえて来たのですがこの頃はそれほどでもありません。聞こえなくなると、それはそれで何か寂しい気がします。

昔、二条城の近くにあったされている「岩上さん」の横を通ると、その先が「雨宝院」。

境内が60坪位の小さなお寺だが、西陣聖天さんとしてこの辺りの人達に親しまれているお寺です。
このお寺、仏さんの集積度も並外れていますが、桜の密度もたいしたものです。

四月初めに咲き出す「歓喜桜」からはじまり、この頃は「松月桜」と「御衣黄桜」が盛りです。
今年も見事に咲いてます

Rimg0092

「松月桜」の薄い花びらが幾重にも重なり、その向うに透けるうすい桃色の世界は本当に美しいものです。

このお寺も昔は静かな雰囲気にあり、近所の方か、噂を聞きつけた桜好きが訪れる、隠れた名所でしたが、(私のように)ブログで紹介されたり、ガイドブックに載ったりして多くの人が訪れるようになりました。
中には、このお寺の雰囲気を壊す様な振る舞いをする人もいるらしく、最近は無粋な注意札があちこちに見られるようになりました。
訪れる人が多くなるのはしかたがないことですが、やはり雰囲気だけは壊さないでほしいものです。
いつも愉しませていただいているはたこさんもこのことを嘆いておられました。

Rimg0100

ここの「御衣黄桜」の花に浮かぶ紅色の筋が濃くなってくると、京都の桜の季節も終わりに近づきます。

今年も多くの桜を観て来ましたが、いずれもが生きている事の喜びを感じさせてくれる美しいものでした。また、来年もこの花を観ようと力付けてくれるものでした。

散り行く花を惜しみつつ、風薫る五月の空に想いを馳せ、今年の「桜逍遥」を終わります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月19日 (日)

京都 桜逍遥2009(西陣界隈の桜)

「色も香も おなじ昔に さくらめど
            年ふる人ぞ あらたまいける」
             古今和歌集  紀 友則

Rimg0052

八重桜系が咲き出す頃、いつも訪れるのが西陣のこの界隈です。
今年最後の花巡りになるだろうとの想いを抱いて千本今出川で市バスを降り、そこからまずは「千本釈迦堂」へ向かいます。

「千本釈迦堂」には京都の桜のシーズンを告げる桜の一つである「阿亀桜」という有名な枝垂桜がありますが、本堂の回りの八重桜もなかなかのものです。

「阿亀桜」の頃にはあれだけ訪れていた人達も、この頃には少なく、のんびりとした雰囲気の中で桜が愉しめます。
応仁の乱にも焼けず、市内で最古といわれる本堂は、大きくその庇を広げ、春風にのって漂って来る線香の匂いに何故か懐かしい気がします。
何を思い出す訳でもないのですが、本堂の横の段に腰掛けて風に揺れる桜を見ているとそんな気がわき上がって来ます。

Rimg0072

続いて向かう所は「千本閻魔堂」です。
ここには「普賢象桜」という有名な桜があります。
この桜は花の真中に小さな2つの若葉が出ているのが特色です。
その2本ある葉(実は葉化した雌しべ)が、まるで普賢菩薩が象の牙に乗っているように見えることから普賢象桜という名がついたといわれています。

この「千本閻魔堂」には紫式部の供養塔があり、その回り囲うように咲き誇っています。
紫式部のイメージとこの桜の色合いがなぜかよく合う様な気がします。

Rimg0078

またこの桜の散り際は花びらが散り舞うのではなく、花ごとポトッと落ちます。
その落ちる様子を見ていると、桜が身を震わせて花を落している様な感じがします。
通り道に散りばめられた花の様子は、ちょっと通るのが怖いくらいです。

5月になればこの「千本閻魔堂」では狂言が始まります。残念ながらこの様子では狂言の頃には葉桜になっているでしょうが、この桜を思い出しながら観る狂言もまた愉しいものです。

さて、西陣の桜の最後はいつもの雨宝院です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月16日 (木)

京都 桜逍遥2009(阿闍梨さんと神泉苑の桜)

「一目見し 君もやくると 桜花
              けふは待ちみて ちらばちらなん」
                 古今和歌集  紀 貫之

Rimg0015_2

ちょっと前だが、ちょうど神泉苑の桜が散り始めた頃、神泉苑の前を通っていると、大宮通の方から見慣れぬ白装束の集団がやって来るのに気がついた。

不思議に思い、眺めていると、集団の真中近くに居る白装束の人が、阿闍梨さん独特の前後に長い笠をかぶっているのに気付いた。
「京都大回り」の一行である。

「京都大回り」とは、比叡山で「千日回峰」の行をしている阿闍梨さんが、7年目の行として、比叡山から京都市中へ下ってきて、市中の神社仏閣を参拝し、翌日また比叡山へ戻る事を100回繰り返す行のことである。
一日約84キロ近くを歩き続けるらしい。

Rimg0009

「千日回峰」は足掛け12年間の行。比叡山での「山中回峰」や「堂入り」と言われる9日間の不眠不休・断食断水の荒行、そして「京都大回り」等の荒行が続く。

この「京都大回り」はその最終曲面。

比叡山の明王堂から、比叡山を下り赤山禅院、そこから京都市中へ向かい真如堂-行者橋-八坂神社-清水寺-六波羅密寺-因幡薬師-神泉苑-北野天満宮-西方尼寺-上御霊神社-下鴨神社-河合神社と参拝し、清浄華院に宿泊。翌日はその逆回りで比叡山へ還る。これを100回繰り返す。

Rimg0008_2

神泉苑に入られると、善女龍王社の前で、般若心経を唱えられ法成橋を渡り、本殿で再び真言を唱えられる。

昔から、京都大回りで降りて来られた阿闍梨さんのお加持を受けると、厄が払えるとして阿闍梨さんを待ち受ける風習がある。
神泉苑でも何人かの人達が阿闍梨さんを待ち受けていた。
先導の方にお誘いを受けたので、その列の端にしゃがみ込み待っていると、回って来られた阿闍梨さんが、真言を唱えた後に、持っておられた数珠で頭と両肩をなでてくれた。

なんだかスーッと想いの丈が抜けって行ったような気がした。

これだけ真剣に自分の想いに打ち込んでおられる姿に感動をうけた。
すごい人ですね!

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年4月14日 (火)

京都 桜逍遥2009(近所の八重桜)

「いざけふは 春の山辺に まじりなん
             暮れなばなげの 花の陰かは」
                  古今和歌集 素性法師

Rimg1073

近所の八重桜が満開になりました。

私には、毎年桜が見頃となる時期を量る基準となる桜が何本かあります。
どれもが近所の桜で幼い頃からの馴染みです。

ここの河津桜がちらほら咲き出したから、車折の河津桜が見頃だなとか、この枝垂が咲いたから御所の枝垂桜が見頃だなとか、このヨシノが散り出したから鴨川の桜は満開だなとか。

だからあくまでも近所の桜です。通勤や近所の散歩なんかの時に気軽に立ち寄ることができる所の桜です。

この八重桜もその1本です。
これが満開になると、雨宝院の八重桜系が咲き出します。この1週間後くらいから見頃となります。

Rimg1067

でも、今年は何故かうまくあたりません。
まず、河津桜は満開の時期が遅かったですし、枝垂は御所の方が早かった。ソメイヨシノは京都中のソメイヨシノが一斉に満開となってしまった。

なんか微妙に狂って来てます。

地球温暖化のせいかもしれませんが、全体が遅れるとか全体が早くなるとかいうのでしたら納得します。しかし、個々が微妙に違って来ているというのは、何故か気になります。
いつかかってくるかわからない電話を待つ様な気分です。

来年はいつも通りになりますように・・・。


*過去の「桜逍遥」はこちらからどうぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月12日 (日)

京都 桜逍遥2009(番外 高遠の桜)

「桜色に 衣はふかく そめてきん
            花の散りなん 後のかたみに」
              古今和歌集  紀 有朋

Rimg0103

どこまでも高速道路を走っても1000円だと聞くと、やっぱり遠くへ行かざるを得ない。ということで、いつもの友人と三大桜として有名な長野県の高遠へ向かった。

お互い時間の調整がつかず結局、夜中に京都を出て、朝方に高遠に着き、後はゆっくりと温泉にでも入って昼寝をして、夜帰るという日帰り旅行。

Rimg0111

5時過ぎに、高速道路を降り(京都南から伊那まで1200円でした。)しばらくして向うの岡になんかピンクの雲みたいなものがかかっているなぁと眺めていると、とたんに渋滞。
朝早くから、事故かなと思っているとなんとなんとそれは高遠の桜を見るために来た車の渋滞でした。
雲だと思っていたのが高遠の桜!

Rimg0113

やっと、近くの河原に車を停め、そこから高遠の城跡へ登って行く道は、ぞろぞろと人の波。
朝の6時前ですよ!
噂には聞いていたがこれほどとは思わなかった!

高遠の桜はタカトオコヒガンサクラという一種類の桜で占められている。
この花は山桜のように小さいが、紅色が強く、京都では余り見かけない。

いままでいろんな桜の名所にいったが、これほど徹底して同じ桜で占められているのは初めて。
また、樹の密集度が高く、城跡公園は入ると花の傘を被った様な感じになり、辺りが薄暗く感じる程。

Rimg0137

ちょうど満開になった頃であり、濃い色の花の間から見える青空とのコントラストが美しい事!

桜にも驚かされたが、更に驚いたのは、朝の早く(6時頃ですよ!)にもうすでにビニールシートを張り、多くの人が宴会体制に入っている事。周りの屋台なんかも、すでに焼き鳥の煙なんかをたなびかせている!

こちらの人達は本当に桜が好きなんだなぁ。それも花下遊楽が!

まわりをブラブラしているこちらもすっかり愉快になってしまった。
いろんな桜の愉しみ方があるものですね。

Rimg0148

城跡の端からは、咲き乱れる桜の向うに、まだ雪を被った南アルプスが白く光っていました。

2〜3時間桜を楽しんだ後、今度は木曽へと向かい、途中で鄙びた温泉を見つけ、そこで休憩です。
午前中の清らかな陽の光の中で、ちょっと温めの温泉につかり、窓からみえる谷向うに咲く白い山桜をボヤ〜ッと眺め、湯に疲れれば入口の小屋に戻りしばしの眠りにつく。

目覚めれば、また温泉に向かう。そんなことを二度程繰り返し、すっかりボケてきました。
そういえば、今日は私の誕生日でした。

あ〜、極楽、極楽。

*過去の「桜逍遥」はこちらからどうぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月10日 (金)

京都 桜逍遥2009(桜守 佐野藤右衛門邸)

「春霞  なにかくすらん さくら花
           散る間を誰にも 見るべきものを」
              古今和歌集 読み人知らず

Rimg0195

北嵯峨の広沢池から山越に抜ける道の途中に見事な枝垂桜が見えて来る。
この頃、この道を通る車は皆スピードを緩め、暫し桜に見とれる。時には路肩に車を止め桜に見とれる。

そこが日本の桜守と言われる「佐野藤右衛門邸」。
満開となるこの時期には、庭は開かれて多くの人達が訪れ、夜には篝火が焚かれライトアップもされるそうです。

その庭には、日本各地から色々な種類の桜が集められており、あたかも桜の木々が集う楽園のようです。

Rimg0197

「桜の国に生まれた幸せをもっと大切にしたい」という藤右衛門さんの言葉は、長年桜を見守って来られた方の言葉として重みのあるものだと思います。

古代には、春の神を呼ぶものとして崇められた桜、中世には己の姿や心情を写すものとしての桜、近世には倭心を表すもととしての桜、明治からは国家の象徴としての桜、戦後は古を懐かしむものとしての桜、と時代々によって桜の意味は変わって来ましたが、桜を見て心苦しいまでに美しいと感じる心の襞は延々と受け継がれて来ました。

その気持ちを浮かび上がらせるように春になると桜はその花を咲かせます。

ふと見上げると、円山の子桜といわれる枝垂桜に朧月がかかっていました。
桜を見守り、育ててくださる佐野さんに感謝!


*過去の「桜逍遥」はこちらからどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 9日 (木)

京都 桜逍遥2009(平安神宮)

「いざさくら 我も散りなむ ひとさかり
                ありなば人に 憂きめ見えなむ」
                    古今和歌集 承均法師

Rimg0043

この桜の時期に、平安神宮へ行くのは、何年振りですかね。
あの枝垂桜は魅力なんですが、なんせ人が多いものだから、毎年ついつい避けてしまいます。
今年は、その姿を忘れてしまいそうなので、意を決して行ってみました。

神苑に入るとすぐに紅枝垂が今が盛りと咲いてます。
一概に「紅枝垂」といいますが、その色は一本々異なります。紅の濃いものから薄いもの、緋色の濃いものから薄いものと千差万別の色合いをしています。
それが空の青、神殿の朱色を重なりあい、見事な色調です。

Rimg0063

紅枝垂が中心の南苑をすぎると、山桜・ソメイヨシノ・里桜系が点在する池に出ます。
決して群れて咲くようにではなく、しかし途切れることなく桜が続きます。

水面に這うように伸びる桜もあれば、すくっと立つ姿を池面に映す桜も有り、白い花びらが輝く桜も有れば、薄紅が沈んだように落ち着いた桜も有ります。

この神苑は、明治時代に平安神宮が造営された時に、当時の名庭師といわれた小川治兵衛によってつくられたもので、日本の庭の全ての要素が表されているといわれているものです。

確かに歩いていて、次々に現れて来る景色に目を楽しむとともに、その構成の妙に実際以上の広さと深さを感じる庭です。

Img_0086

神苑をでた所には、最後の目を楽しませるかのように、白砂の中にに満開の桜が咲いていました。


*過去の「桜逍遥」はこちらからどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月 8日 (水)

京都 桜逍遥2009(大沢池)

「桜花 散りぬる風の なごりには
          水なき空に 波ぞ立ちける」
             古今和歌集 紀貫之

Rimg0139

大覚寺そして大沢池は仲秋の頃は観月の地として有名ですが、この季節には桜も見事です。
大覚寺を抜けて、大沢の池のほとりに着くと、春の陽にキラキラ光る水面の向こう岸に桜並木がちょっと霞んだように見えています。なかなかの風景です。

池を渡る春らしい心地よい風に吹かれて、ブラブラと池の周りを巡って行くと水鳥達が追いかけるように泳いで来ます。そして、ふと見上げた東の空に薄ぼんやりとですが月が見えているのに気付きました。

「花鳥風月」みんな揃っているな!
おもわぬ取り合わせに、微笑んでしまいました。

Rimg0131

池の端に植えられている桜を見て思う事ですが、
水の側にある桜の木は、その枝を水面に向かって伸ばしているような気がします。
上の方の枝はそうでもありませんが、下の方の枝は水を求めるかのように伸ばしています。

疏水ベリの桜もそうですし、宝ケ池の桜もそうです。
確実に、水面側の枝の方が反対側の枝よりも下がっています。
植物の習性なのかもしれませんが、なぜか不思議な気がします。

Rimg0130

そうして池を巡っている間に、船が漕ぎ出されて来ました。
漕いでいるのはお坊さんです。遠目にはきれいどころが乗ってるみたいです。
そして、船尾には「NESCAFE香味焙煎」と書いた旗が立ってます。

なんかのイベントでもやっているのでしょうかね?
これもちょっと不思議な光景です。

*過去の「桜逍遥」はこちらからどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 7日 (火)

京都 桜逍遥2009(岡崎付近の桜)

「見渡せば 柳桜を こきまぜて
                 都ぞ春の 錦なりける」
                    古今和歌集 素性法師

Img_0017

今週、快晴の日々が続き、素性法師の歌のとおり「都ぞ春の 錦なりける」な状況です。

まだ花をつけている枝垂桜もある中、ソメイヨシノがほぼ満開の状態で、まるで「洛中洛外図」に描かれている金雲が、桜にとってかわられたかの様子です。

平安神宮のある岡崎も観光客と彼らを乗せて来る観光バスで近寄れません。
いつもはこの時期有名所には近寄らないのですが、今年は意を決して回ってみました。

人気のある疏水を走る十石船なんかは、1時間待ちくらいが当たり前の状態になっています。

Img_0090

実は、今回岡崎に来たのは、京都市美術館で「コレクション展 時空を旅する 」が始まったからです。
その内容はまた別の機会に書きますが、そこでちょっと思ったことを・・・。

「桜」は日本画の画題としてはポピュラーなもので、多くの画家達がそれぞれの桜を描いています。
春のこの季節になると桜の画を見る機会も多くなります。

そんななかで、若い画家が描いた桜を見ていると、なんだかパターンの似た画が多い事に気付きます。
大体、東山魁夷さんの描く朧げな風な桜か、中島千波さんの描くこうあるべき風の桜かです。
この二人の大家の画がどうのこうのいうわけではありませんが、今を描く若い画家たちが、そのパターンから抜け出せてない様な気がします。

横山大観の「夜桜」の大胆な色使い、村上華岳の「夜桜之図」の面白さ、奥村土牛の「醍醐の桜」の高尚さみたいな、もっといろいろな桜の描き方があってもよいのではないかと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月 6日 (月)

京都 桜逍遥2009(光明院の夜桜)

「見る人も なき山里の 桜花

               ほかの散りなむ のちぞ咲かまし」

                       古今和歌集 伊勢

Rimg0001_2

我家の近所にある「光明院」の桜です。私の通勤路にあり、この時期、毎朝この樹の下を通るのが愉しみです。
夜は夜で、この桜、ライトアップされます。
その時間になると近所の人達や、向かいにある保育園に迎えに来られた親子達が、桜が夕闇に浮かび上がるのを今か今かと待っています。

ライトが灯ると、毎日見ているはずの子供達でさえ、迎えに来てくれた母親に甘えるように、「おかあさん、見て、見て、きれいやね〜!」と歓声を上げています。

Rimg0008_2

夜桜というと、京都では円山公園の夜桜や平野神社の夜桜が有名ですが、そういう場所はたいていお酒と歓声に囲まれています。
また、有名寺院で行われているライトアップは、所によっては余りにも人工的過ぎてちょっと興味が削がれる場合があります。

私にとっては、このような素朴なライティングによる夜桜のほうが、なんか性に合ってる気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 5日 (日)

嵯峨大念仏狂言 「花盗人」

桜の花と共に、京都の念仏狂言がはじまった。嵯峨清涼寺の嵯峨狂言からはじまり、壬生狂言、五月はじめの閻魔堂狂言、神泉苑狂言と続いて行く。
春の京都を彩る愉しみの一つ。

Rimg0058_4昼過ぎに桜満開の清涼寺に着き、まずは念仏狂言保存会の方々に楽屋見舞いがてら挨拶に向かう。

この4つの念仏狂言は各狂言講や各保存会によって継承されている。狂言を専業にしている人達が演じているのではなく、練習を積んだ一般の人々が演じている。
よって、どちらもその芸の継承に悩んでおられるが、特に後継者の事は大きな問題。
昔は講中の人達の中で技の継承を行っていたが、今は広く門戸を広げ、地元在住者の興味が有る人を集め、なんとか継承しているのが現状らしい。

そんな話をして、狂言堂の前に戻ると、客席にはもう多くの人が集まっている。

地元のお年寄りの人達もいれば、偶然桜見物の途中で立ち寄った人達、また京都の文化に興味を持って観に来られた方々等、多くの人達がうららかな春の陽の下、狂言の始まりを待っている。

Rimg0042最初の演目は「花盗人」。

あらすじは、
「金持ちの旦那がお供を連れて花見にやって来、土産にと一枝の桜をお供に折り取らせる。その枝を盗人がお供の隙を見て盗み出す。お供はそれに気付き桜を取り返そうとするが、なんとか桜を取り戻すが、今度は刀を奪われる。それを見た旦那は、自分の刀をお供に与え、取り返す様命じる。しかし間抜けなお供は旦那の刀も取られてしまう。そこで旦那はお供に縄をなわし、自ら盗人を捕まえようとする。やっと旦那が盗人を捕まえ、お供に括らせようとするが、お供は誤って旦那を括ってしまう。その間に盗人は逃げおおせ、旦那は怒ってお供を木槌をもって追いかけてまわす」
という話。

Rimg0061「泥棒を捕らえて縄をなう」という格言を狂言にしたものである。

この「花盗人」は、いずれの念仏狂言にもある演目だが、嵯峨、壬生、神泉苑では旦那だが、閻魔堂では大名となっている。しかし内容的には大差はない。

しかし「能」の「花盗人」は、「花盗人は罪に有らず」として、題名は同じだが内容は大きく異なる。

どちらが原本かわからないが、念仏狂言においても、最初桜の枝を土産とする為、折り盗らす旦那は罪にはならないが、その桜を奪い取る盗人は罪が有るとしている。

Rimg0053その辺の筋書の違いは興味ある所である。

「カンデンデン」の鉦、太鼓、笛の音によって奏でられる独特のリズムにのって、ユーモラスな仕草で無言で演じられる念仏狂言。昔の人々にとっては、これから始まる厳しい農作業の始まり前のひとときの愉しみであったろうとおもわれる。

昔の人々と同様に、狂言の持つおおらかさ、笑いにひと時の現実の憂さを忘れる時間を共有できたような気がしたのは、桜の花の取り持つ幻想だろうか?


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月 4日 (土)

京都 桜逍遥2009(嵐電 花トンネル)

「うつせみの 世にも似たるか 花桜
              さくと見しまに かつちりにけり」
                    古今和歌集 読人しらず

Rimg0210

京都の四条大宮から嵐山まで、または白梅町から嵐山まで走る「嵐電」。
片道30分ほどの短い距離の電車ですが、その沿線には広隆寺、東映映画村、車折神社、妙心寺、龍安寺等が並び、春秋のシーズンには観光客に人気のある電車です。

また、市電が撤去された後、京都に残るただ一つの路面電車として、この地区の人達には重宝されてます。

その鳴滝駅から宇多野駅までの間に、この時期、桜のトンネルが現れます。
ほんの200〜300メートルほどの間ですが、桜並木が続き、今その花が満開です。

Rimg0214

鳴滝川から広沢池にかけてのこの地区は、もともと植木屋さんの造園地が多い所で、桜は多い名所ですが、この線路沿いの桜並木も最近は新しい桜の名所となってきました。

嵐電を経営する京福電鉄もこの頃、この季節感溢れるトンネルに力をいれており、夜間にはライトアップも行っています。(同じ京福電鉄が運営している叡電(出町柳から八瀬・鞍馬へ行く電車)には秋には紅葉トンネルが現れます。)

そしている間に、鳴滝からの電車がやってきました。

ゴトンゴトンという電車の走る音が遠くから近づいて来、夕暮れの景色の中に電車のヘッドライトが見え隠れしてきます。

Rimg0215

カーブを曲がって来ると、すぐに電車は目の前に進んできます。
こころなしかゆっくりと進んできますが、ゴーッという音になると、あっという間に目の前を通り過ぎて行きます。

乗って車窓から眺めている時もそうでしたが、こうして線路沿いで眺めていてもなぜか心がウキウキします。ちょうど子供の頃、電車に乗る時ドキドキした気持ちや、走って行く電車る楽しさがよみがえってきます。なつかしいですね。

こういう桜も愉しいものです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年4月 3日 (金)

京都 桜逍遥2009(醍醐寺)

「桜花 散らば散らなむ 散らずとて
             ふるさと人の 来ても見なくに」
                      古今和歌集 惟高親王

Rimg0155_1

醍醐の桜というと、やはり太閤はんが慶長3年3月15日(1598年4月20日)に三寳院で行った「醍醐の花見」。

秀吉はこの花見のため、応仁の乱以降荒れ果てていた醍醐寺を自らの力で修復していった。
そこは派手なことを好む秀吉、自ら監修した三寳院の庭には天下の名石を並べ、また参道には近畿各地から見栄えの良い桜を700本近く集めていった。

その頃は今と違いソメイヨシノはまだ無く、大半が山桜系の桜であっただろうと思われる。

真っ白な花びらに埋もれた醍醐寺は、三寳院から仁王門へ続く参道に、赤い下地に大きく白抜きで太閤桐の紋が染め抜かれた幔幕が張られ、その間を金糸銀糸に輝き辻ヶ花に染められた小袖を着た女官達に囲まれた秀吉の一行が春の光の中を進む様子はさぞや見栄えのするものであったろう。

Rimg0172_1

この醍醐の花見に代表される桃山時代に盛んになった「花下遊楽」という風が、江戸時代に庶民の間にもひろがり、やがて歌舞伎における「京鹿子娘道成寺」そして「助六所縁江戸桜」での桜吹雪へ結びついていくのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 1日 (水)

京都 桜逍遥2009(醍醐寺霊宝館の枝垂桜)

「世の中に 絶えて桜の なかりせば
                   春の心は のどけからまし」
                       古今和歌集 在原業平

Rimg0114_1

京都でも有数の桜の名所である醍醐寺の中で、この霊宝館の奥にある枝垂桜は一・二を争う桜です。
背はそんなに高くは有りませんが、横への張り出しはすごいもので観る人を圧倒します。

以前にも少し書きましたが、この桜を観ていると、雲の中を飛び回る龍を思い起こします。

青空をバックに梢の花は透き通った花びらを春の陽光に白く輝き、真中辺りの花は塊となりそよぐ風にゆるやかに揺れながら圧倒的なボリュームでせまってきます。

その間を黒々とした幹がぬうように見え隠れし、花雲の間を龍がうねるように飛び回っているかの様です。

その荒々しさや、雄大な姿、またその中に見え隠れする気迫籠った情感は、京都の建仁寺にある海北友松の「雲龍図」を思い起こします。

Rimg0125_1

この桜は樹齢約180年位と言われています。
そのどっしりとした姿、伝わって来る気迫の激しさからは案外若い樹であることに驚きます。
(ソメイヨシノは寿命が短く60年から100年位といわれてますが、枝垂桜は約400年くらいとされています。)

そうすると今が盛りの樹であり、今後ますます盛んになり、龍は天に昇るかの様子を見せるでしょう。

Rimg0127_1

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »