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2009年5月の4件の記事

2009年5月 6日 (水)

北斎と壬生狂言

念仏狂言の話題を書いていて、ふと思い出したのが去年のミネアポリス浮世絵名品展に出品されていた北斎の描いた「壬生狂言」の浮世絵。


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(棒振り)                       (節分)
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(花盗人)                       (桶取)

落款をみると「春朗」と書かれているから、北斎の初期の頃の作品と思われる。
時代的には18世紀の終わり頃(1780年代)。
この頃の北斎は勝川春草のもとに弟子入りし、春朗という名をもらい、浮世絵の世界にデビューしたての頃。もちろんデビューしたての新人に大判画やシリーズ物の注文がはいるわけでなく、細絵の役者絵やそのころ流行り出した黄表紙本の挿絵が中心。この「壬生狂言」は摺物(すりもの)といわれる私的な狂歌連(会)の注文で販売を目的とせずに製作されたもの。

描かれている浮世絵のなかには狂歌の作者として「宿屋飯盛」の名がある。

この浮世絵を見て思うことは、北斎の描く登場人物は実際の壬生狂言と異なり、面をつけていない様子で描かれているが、実際の壬生狂言で付けられている面の特徴をよく表した表情で描かれているということ。
「桶取」の大尽の助平そうな表情、「花盗人」のまぬけなお供の表情等見ていると、まだ若いといえどもその描き方の巧妙さはさすが北斎と思わせる。

そんな巧妙さをみていると、この浮世絵をえがくために、寛永の初め頃北斎が京都に来て、壬生狂言を観ていたのではないかと思えて来る。
特に「桶取」の美女の指が欠けていたり、「棒振り」の演者の覆面の被り方がそっくりだったりする細部の正確さはそのような思いを更にかきたてる。

真実はわからないが、北斎が壬生狂言を楽しんで見ている様子を想像すると、なかなか愉しいじゃないですか?

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2009年5月 4日 (月)

神泉苑大念仏狂言 「紅葉狩り」

念仏狂言の演目には念仏会や仏の教えから派生したものや、能狂言から派生して来たものがある。
(詳しくは過去の記事で)

今回の「紅葉狩り」は、能狂言から取り入れられたもので、その中でも最も初期の時代に取り入れられたとされている。

その分、他の演目よりも能狂言の要素が多くのこっており、幽玄さや優雅さが色濃く残っている。

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あらすじは、平維盛が深山へ狩に行き、その途中に不思議な美女と出会う。その美女がすすめる酒には毒がもられており、それを知らずに飲んだ維盛は眠りに落ち込んでしまう。謎の女は正体を表し、維盛の刀を奪い姿を消す。夢うつつの維盛は、夢の中でお地蔵さんに出逢う。お地蔵さんは維盛に謎の女は鬼である事を告げ、退治するようにと立派な太刀を授ける。

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夢から覚めた維盛の所へ、姿を消したあの謎の女が美しい打掛を被って現れる。お地蔵さんにその正体を教えられている維盛が、その打掛をはがすと形相すさまじい鬼が現れる。
そこで、維盛と鬼との戦いが始まる。
毒を盛られている維盛はどうも分が悪い。打ち込んで来る鬼の木杖をかわすのが精一杯。そんな維盛の様子を見て、鬼は高台にあがり様子をうかがう。乾坤一擲。維盛めがけて空中から襲いかかる鬼をお地蔵さんの加護により咄嗟にかわし切り返すと見事に手応えあり。
鬼は最後の断末魔をあげて紅葉の枝にしがみつく。そこへ維盛最後の一刀。見事に鬼を退治する。

というお話。

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艶やかさと優雅さとスペクタルの溢れた演目です。
思わず魅入ってしまう。

能では維盛に謎の美女の正体を告げるのが、武人の神である「武内の神」となっている。そこが地蔵尊となっているところが念仏狂言らしい。
そのお地蔵さんの姿が、なんとなく愛らしく、慈愛に満ちた顔をしている。
昔の人達はこのところでお地蔵さんが現れると、ほっと安心して手を合わしたりしてたのだろうな。

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維盛に切られて、鬼が紅葉の枝にしがみつく場面なんかは本当に鬼気迫るものが有る。
金色と朱の衣装、みずみずしい新緑の紅葉、黒々とした髪、赤黒い鬼の面、色彩的にもあっと息を呑む場面である。

この「紅葉狩り」が念仏狂言に取り込まれて行ったのは桃山から江戸にかけてだと思われる。
鎌倉時代にはまだ貧しかった庶民の生活が、応仁の乱を経てだんだんと力を付けて来て上流階級の好む能までその演目に取り込んで来た事は、当時の京都の様子が伺い知れるようで有る。

泥臭い一面や素朴な一面を魅せる念仏狂言のなかにも、このような優雅で鮮烈な美しさも持ち兼ねる念仏狂言。
いつまでも興味は尽きない。

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2009年5月 3日 (日)

神泉苑大念仏狂言 「炮烙割」

「カンデンデン」のゆったりとした金鼓と太鼓の調べが五月晴れの空にながれ、観客席からは人々の屈託のない笑い声が起って来る。
今年も1日から4日まで、神泉苑の狂言堂で大念仏狂言が演じられた。

鎌倉時代から延々と続けられている念仏狂言、そこには庶民の笑い、悲しみ、喜びが積み重ねられるように表されているし、また願い、知恵が込められている。

いつものようにお手伝いに行き、幕間から覗き観る舞台に飽きる事は無い。

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数ある演目の中から今回は「炮烙割り」。

あらすじは、「町に新しい市場を開くにあたり、一番に店を出す者に税を免ずる」という立札がたった。それを見た「羯鼓(小太鼓)売り(下の画像)」がさっそく前日から場所をとり、誰も来ないので一眠りしだす。そこへ「炮烙売り(上の画像)」がやって来て、先に居る「羯鼓売り」が寝込んでいるのを見て順番をすりかえる。目覚めた「羯鼓売り」と「炮烙売り」との間で争いとなり、代官の前で芸を競う事で順番を決める事となる。「炮烙売り」はどうにかごまかして勝ち抜き一番となる。喜びいさんで炮烙を並べだすと、腹の納まらない「羯鼓売り」が並んだ炮烙を地面に落とし、すべてを割ってしまう。
「羯鼓売り」は商売のできなくなった「炮烙売り」を尻目に税を免除する立札を受取り、意気揚々と商売を始める。
「ずるをしてもあきまへんでぇ〜」というお話。

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この時舞台からガラガラと落されて割られる炮烙は、節分の時に参祀の人々が納めたもの。
この狂言で見事に割られる事で厄が祓えるとされている。今年も見事に割れました。

春の壬生狂言では毎日初番でおこなわれるが、神泉苑では1回だけ。
それだけに、見に来られている方々も炮烙が落ちるとやんやの喝采。

この演目だけ主人公は演者でなく炮烙。

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ちょっとずるそうな「炮烙売り」と律儀そうな「羯鼓売り」との掛け合いがなんともいえないおかしさを感じさせるが、ふと振り返ると、現実の世の中でもよく有る風景。

長年の生活の中の風景から見いだした人間の性を喜劇の中に表していくことは、古今東西の古典演劇によく見られる題材だが、この念仏狂言でも見事に演じられている。

愉快!、愉快!。

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2009年5月 2日 (土)

5月の神泉苑

2週間程前は桜が咲き乱れていた神泉苑も、5月になればはツツジの花に埋もれています。
白やピンクや赤色の花が新緑をバックに咲き乱れ、爽やかな初夏の雰囲気を醸し出します。

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この連休の頃は京都のあちこちでは、春のお祭りが行われており、この神泉苑でも2日・3日に神泉苑祭が行われています。

池に突き出た善女龍王社には神輿が飾られ、そして剣鉾が立ち並びます。
平安時代にこの神泉苑で御霊会がおこなわれたとき、66本の剣鉾を立てた事が祇園祭の始まりとされている故事をおもい起こさせるかの様です。

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このごろ感じる事ですが、祗園祭や稲荷祭りの様な大きな神社のお祭りは別ですが、街の小さな神社のお祭りがだんだんと盛んになって来た様な気がします。

今までは氏子の人達や関係者のみで境内でひっそりと行われてきたようなお祭りが、突然いろいろなイベントを付け加えて、子供神輿や稚児行列として練り出したり、地域人達による屋台がでたりしている風景をよくみかけます。

その要因を考えると、一つには地域にある神社の祭りを町おこしの場とすることで地区の活性化をはかろうとしていたり、また、いままで学区として成り立っていた地域の連帯感が学校統合等により学区が広がって希薄になったため新しい拠り所を神社の祭りに求めたりしていることで盛んになってきたのかなと思います。

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この神泉苑の祭りも、私の子供の頃はそれなりの賑わいがあったのですが、ある時期は寂れた様な感じがしていました。
しかし、最近は神泉苑自体が多くの人に知られるようになり、また関係者の努力もありまた再び活気を取り戻して来、この祭りが近所の子供達の愉しみの場となって来ました。

このように、近隣の人達が決まった時に集まる場が増えるのは良い事だと思います。

夜には、法成就池に浮かばせた龍頭船上にて雅楽を演奏もされ、王朝の雅が再現されていました。

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