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2009年11月22日 (日)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(ゴッホ美術館 2)

美術館の年表によると、1885年の暮れにゴッホはパリに出てきました。

当時のパリは印象派の絵がその存在を認められ始め、モネやルノアールの印象派と呼ばれる画家達に続き、セザンヌ、スーラ、ロートレック等の後期印象派と呼ばれる画家達がその作品を発表しだした頃です。もちろんあのゴーギャンもいました。

パリについたゴッホは早速その洗礼を受けました。

Img_gogh23

これは「木と下生え(1887)」

まず変わったのは色使い。オランダ時代からは考えられないほど明るくなっています。
絵の雰囲気としては、モネの色とスーラの点描を掛け合わせた感じです。
しかし、変わるものですね!。今まで押さえていた色に対する欲望がパーッと発散したみたいです。

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これは「カフェ ル タンブランのアゴスティーナ セガトリ (1887)」。
不思議な感じの女性だが、実はパリ時代のゴッホの愛人だったらしい人。
その不思議さを引き立てる、バックの青と机の赤のコントラストがきれいです。
(店のタンブランというのはこの赤いテーブルが楽器のタンバリンに似ているから付いた名前)

この絵は雰囲気としてはロートレックに似ています。

そしてもう一つ影響を受けたものがあります。

Img_gogh25

それは日本の浮世絵。(「花咲く梅の木(1887)」)
この頃、パリではジャポニズムがはやり、遥か東洋の島国に対するあこがれやその文化に対する憧憬が広がっていました。その中でも浮世絵は、その構図の斬新さ、色使いの微妙さ、印刷技術の細やかさによって若い芸術家達に大きな影響を与えました。
ゴッホもその一人。広重、英泉、豊国等の浮世絵を集め、しまいにはその構図、色使いを自分のものにするため、油絵に写すこともしました。
描かれた漢字がちょっと変だが読めるのはたいしたもの。

でも、ゴッホが惹かれているのは、あくまでも浮世絵と浮世絵を通じて感じられる遠い異国へのあこがれです。それはその後南仏へ向かうにあたり、彼の地にイメージとしての日本を追い求めていることからもわかります。

パリ時代のゴッホの絵を見て行って感じることですが、パリに来て絵画の新しいうねりに翻弄され、オランダの頃には一貫していたテーマ性がうすれ、何を描いたら良いかわからないような状況に陥っているように思えます。余りにも大きな変化が明るい色彩とはうらはらに、見るものに何か不安定さみたいなものを感じさせます。

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これは同じパリ時代に描かれた「靴 (1886)」。

多分ゴッホのいつも履いていた靴でしょう。
オランダ時代と異なり、綿密に、写実的に描いています。

くたびれて、汚れて、ちょうど翻弄されて混乱しているゴッホ自身を見るような感じです。

そんな中から将来への方向性を感じさせるものが自画像。この時期多くの自画像を描きだしています。

Img_gogh21「フェルト帽の自画像(1887)」
Img_gogh24「麦藁帽子の自画像 (1887)」

しっかりとこちらを見据えた瞳。とんがったあご。無精髭。
その頃のゴッホの姿を明確にとらえていると思われます。
そして挑みかけるようなまなざしにオランダ時代の筆の勢いに見られた描くことへの飽くなき欲望が感じられます。
しかし、厳しい顔付だなぁ。

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