« 2010年1月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月の13件の記事

2010年3月30日 (火)

京都 桜逍遥2010(東寺 不二桜)

  「あだなりと なにこそたてれ 桜花
                 年にまれなる 人も待ちけり」

                    古今和歌集  よみ人知らず

Th_rimg0541_2

東寺の「不二桜」です。いままさに満開の時を迎えています。

この桜、五重の塔とその背の高さを争うがように、枝垂桜にしては高さのある木です。

その枝ぶりは、東寺の塔と同じように五層位に分かれています。
その枝と枝との空間にちょうど五重の塔が見え隠れし、花はあたかも五重塔に飾る雲のように見えます。

このように京都の名桜といわれる枝垂桜を見ていくと、この「不二桜」のように、桜があたかも自分の育っている場所の様子や周りの風景に応ずるがようにその姿を成している事に気づきます。

不思議な事です。

Th_rimg0567_3

五重の塔や講堂の周りの庭園では、先の「不二桜」以外の桜はまだ5分咲きくらいです。

今年の京都は、三月の中旬以降天候が不順で雨の日も多く、また気温も冬に戻ったかのような寒い日々が続いてます。(昨日(29日)は雪がふりました!)

三月初旬から咲く、早咲桜や河津桜は良かったのですが、それ以降の枝垂桜は一部の花は咲いたのですがあとに続く花々が寒さで開かず、この時期になっても、その木のすべての花が咲き誇る本当の満開には程遠い状態続いています。

そのうち、先に咲いた花は散り始めていますので、このような状態のままでいくと、もの足らない感じで前半戦が終わるのではないかと心配しています。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年3月29日 (月)

京都 桜逍遥2010(六角堂 御幸桜)

  「さく花は 千くさながらに あだなれど
                誰かは春を うらみはてたる」

                  古今和歌集  藤原興風

Th_rimg0104

烏丸六角にある六角堂に咲く「御幸桜」です。

この桜の下には、十六羅漢像がかざられています。
羅漢さんというと、普通は少し恐ろしげな顔をしたむさ苦しい修行僧のような感じで描かれたり、彫られたりしているのですが。ここの羅漢さんは童子風に作られています。

そして一人一人がにこにこと四方八方に向かって微笑んでおられます。

ここの説明板によると、これは「和顔愛語」の教えを示したもので、この教えはいつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけておれば、必ず良い報いがあるということだそうです。

これは、この世知辛い世の中を渡っていくにはなかなか難しいことで、私なんかもついつい顔に出てしまいます。気を付けなければ!

この日も、春というには冷たい雨が降っていたにも関わらず、桜の傘をかぶった羅漢さん達は、にこやかに悟りの境地には程遠い私に微笑みかけておられました。

Th_rimg0120

この「御幸桜」は咲き初めは真っ白い花なんですが、だんだんと紅色を帯びていき、散り際はピンクの花弁となって散っていくことで有名です。

今はまだ満開で、この色の様子からしてあと1週間ぐらいは見頃が続くと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月28日 (日)

京都 桜逍遥2010(本法寺 枝垂桜)

  「今日こずは あすは雪とぞ ふりなまし
                きえずはありとも 花とみましや」

                      古今和歌集  在原業平

Th_rimg0042

寺町今出川を北に向かい、出町商店街の入口を通り過ぎ、更にどんどん歩いていくと道からすこし入ったところに、本満寺の門が見えます。表から見れば、普通のお寺のように見えますが、中に入ってみるとこの時期、寺名通りに心に幸せが充ち満つるものがあります。

それがこの枝垂桜です。これだけの大きな枝垂桜、街中ではなかなか見られません。
その桜が今満開の花を付けています。

四方八方にまんべんなく枝を広げ、姿の良い枝垂桜です。
どの方向から見ても、すきがない美しさをしています。
一年にわたり、充分な手入れがされてきたのがわかります。

お寺やこの桜を見守る人々の努力が、今この美しい姿に結実しているように思えます。

Th_rimg0031

本堂の縁にすわりこみ、何を考えるともなくボヤーっと花を眺めていると、気持ちがさらさらになっていくような気がします。

ときおりまだ少しつめたい風に、枝垂れた花がゆるやかにゆれていきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月27日 (土)

京都 桜逍遥2010(醍醐寺 霊宝館)

「見てのみや 人にかたらむ さくら花
               てごとにをりて いへづとにせむ」

                   古今和歌集  素性法師

Th_img_0137

太閤花見で有名な醍醐寺の枝垂桜が満開になりました。

数ある醍醐の有名な枝垂桜のなかで、やはり最もすばらしいのがこの神宝館横にある枝垂桜です。

高さはそんなに高くなく10メートル位ですが、よこへの枝ぶりがすごい。約25メートル位はあるでしょう。上の写真はその北半分です。同じヴォリュームが南半分に広がります。

その枝を覆う雲のように少しピンクがかった花が広がっていきます。

毎年、この桜を観に来るのですが、観る度にその圧倒的なヴォリューム感、そして神々しいまでに広がる花達に、ゾクゾクするような感動を味わいます。

Th_rimg0088

このような素晴らしい風景を太閤さんも味わったのかというと、実際はそうでは無かったようです。

今の醍醐寺の桜は、この桜や「土牛の桜」として有名な枝垂系の桜とこれから満開を迎えるソメイヨシノ系が中心ですが、これらの桜は江戸時代に品種改良によってうまれたもので、太閤さんのころに醍醐にさいていた花は主として山桜系だったと思えます。

山桜系は花も小さく、それほど多くの花を付けないので今ほどすごさはなかったと言われてます。

でも太閤花見のために全国各地から桜の名木を集め、それ以降、醍醐が花見の名所となったとも伝わっていますから、真実はわかりません。

Th_rimg0036

この枝垂桜の周りにも、幾本かの枝垂桜があります。

この枝垂桜の側にいなければ十分に名桜と呼ばれるべき桜なんですが、なにぶん場所が悪い。
どうしても見劣りしてしまいます。


桜に罪は有りませんが、見る者の都合でつい見比べてしまいます。
それでも健気に今年も立派に咲いていました。

Th_rimg0058

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月26日 (金)

京都 桜逍遥2010(千本釈迦堂 阿亀桜)

  「さくら花 春くははれる 年だにも
                  人の心に あかれやはせぬ」

                    古今和歌集    伊 勢

Th_img_0225

千本釈迦堂の本堂前にある「阿亀桜」です。

まだ満開にはいたりませんが、6〜7分咲きです。

この花のいわれは以前の桜逍遥に書きましたが、こうやって眺めてみると花全体の姿がなんとなく阿亀さんの顔と似てきているような気がします。

ふっくらとシモブクレな感じの顔ににて来ています。

なかなか面白いなと思い再び眺めてみるとこの桜、枝の枝垂具合毎年長くなってきていることに気づきます。
今年なんか一部の枝が地面に垂れてきています。
確かに毎年枝は伸びていくのですが、以前はこんなに下にまでは枝垂れていなかったように思います。

名は体を表すということわざは桜にもあてはまるのでしょうか。

Th_img_0231

阿亀さんも、そんな桜を今年もにこやかに眺めておられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月25日 (木)

京都 桜逍遥2010(賀茂大橋 西岸の桜)

  「桜花 さきにけらしな あしびきの
                山のかひより 見ゆる白雲」

                   古今和歌集  

Th_rimg0052

出町と出町柳の間にかかる賀茂大橋右岸に咲く枝垂桜です。

多分、河川整備のときに植えられた桜ですので、若い桜です。
その枝ぶり、そして花の色・形からして円山の枝垂桜の系統ではないかと思えるのですが、詳しいことはわかりません。

小さい、白い花なのですが、花の数が多いので、花の勢いを感じる枝垂桜です。
そのせいか、若い人達がこの桜の周りに集まっています。

このあたりは学生さんが多い街でもあるので、街の雰囲気に似合った桜なのかもしれません。

Th_rimg0056

上の画像は桜の北側の風景で、右側の奥に見えるのは比叡山です。
下の画像は桜の南側で、手前の川が鴨川で奥の山は東山です。

このあたりから丸太町通りあたりの風景を見て頼山陽が「山紫水明」の地と詠みました。
その風景の春の紅一点として、この桜は将来ますます人気が出ていくと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月24日 (水)

京都 桜逍遥2010(京都御所 出水の桜)

  「春の色の いたりいたらぬ 里はあらじ
                さけるさかざる 花の見ゆらむ」

                        よみびとしらず


Th_rimg0073

近衛の桜が咲き出すと、この出水の桜も咲き出します。

近衛の桜と異なり、この桜は一本桜のようにひとりポツーンと咲いています。
色はうっすらと紅をさした位の濃さです。

枝垂桜は花が小さいため、遠くから眺めるとなんだかぼんやりとした感じですが、近く寄って見てみるとまだ八分咲きくらいですが、一つ一つの花はしっかりと咲いています。

Th_rimg0169

この桜の近くには出水の小川があり、暖かくなってくる頃になると多くの子供達が水遊びに集まってきます。そのせいかもしれませんがまだ少し肌寒いこの頃にも子供達が桜の周りを走り回っている光景をよくみます。

出水の桜も、その枝垂れた枝を春の風になびかせ、子供達に「おいで、おいで」をしているかのようです。

桜と幼い子供達というのは、よく似合うと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月22日 (月)

東山花灯路

祇園で呑んでいまして、ちょっと酔い覚ましにということで東山で行われている「花灯路」に行ってきました。

ここしばらく、毎年行われている行事なんですが行ったのは初めてです。

この花灯路という催し、最近になって十二月には嵐山で、三月にはこの東山でと、毎年行われるようになった行事です。観光の目玉が無い月に作られた新しい催しです。

この日が最終日だったせいか、花見小路あたりからものすごい賑わいです。

Th_img_0107 Th_p3201436

まずは、八坂さんにお詣りをしてそれから円山公園へ抜けました。
円山の桜はまだちょっと早かったみたいで、ほんのりと薄紅色に色づいた様子です。
咲き出すのはあと四〜五日位かかりそうです。

桜の下では、学生パフォーマーのイベントが行われていました。ジャグリングを二人の学生がやっていたのですが、そのシャベクリや音楽がなんか大学祭のノリで行われておりちょっとミスマッチ。

長楽館の横を通り、円山公園を抜けて大谷祖廟の参道に行くと、大きな生花が飾ってありました。
幾つかあったのですが、どれも無理やり現代風に活けた様子でもうひとつでしたね。
一緒に行ったお師匠さんは、「これ、アートフラワーと言うもんで、生花とは違います。生花は外に出したらあきまへんは」とあっさり言われました。

Th_img_0075_2 Th_img_0103

それから、菊乃井の下を通り、ライトアップされた祇園閣の横を抜けて高台寺に向かいました。

途中、石塀小路に入ると、今までとは異なる灯篭が置いてありました。
写真で見ると、誰も人が通ってないように見えますが、実際はこの手前で皆さん立ち止まり写真を撮っておられるのです。そのため通る人も遠慮して立ち止まり撮影が終わるのを待っているのです。

しばらく待っていたのですが(その間に私も一枚)、一向に終わらないので、またねねの道のほうへ戻りました。

そこから高台寺の階段を登って行くと、高台寺の前で不思議な行列と出会いました。「狐の嫁入り」だそうです。白無垢をきた狐の花嫁が手を取られ進んできます。
これは何かな?と思っているうちに、しずしずと目の前を通っていきました。

高台寺と狐の嫁入りとどんな関係があるのかわからなかったので、一緒にいた連中に聞いてみたのですが、誰もわかりませんでした。彼ら(彼女ら)は京都のことについては詳しい連中です。
何だったのでしょう?

Th_img_0088 Th_img_0098

それから、八坂の塔へ行くと、塔の中を御開帳されていました。

八坂の塔の中は、初めて観たのですが、なかなかすばらしい仏様がおられました。
この塔は室町時代に再建された塔らしいので、仏さんもその頃かと思うのですが、その姿からはもう少し古いもののように思えます。

また塔内に描かれている浄土図も興味をひくものでした。

こんなふうにブラブラと歩いているうちに、すっかり酔も覚めてきたので、清水さんには向かわず、そこからまた祇園に戻り呑み直すことにしました。

しかしもうひとつねらいのわからん催しですね。目玉はなんだったんだろう?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月21日 (日)

京都 桜逍遥2010(平野神社の魁(さきがけ)桜)

  「年ふれば よはいはおいぬ しかはあれど
                花をし見れば もの思ひもなし」

                  古今和歌集  藤原 良房

Th_rimg0010_2

夜桜で有名な平野神社。そのなかでも真っ先に咲くのはこの「魁(さきがけ)桜」です。

だいぶんの老木ですが、今年も早々と咲き始めました。
一重の白い花が清楚な枝垂桜です。

その神門にしだれるように掛かる清楚な姿は、この平野神社に祀られて女性の守り神とされている「比賣(ひめ)」の神様を表しているかのようです。

Th_rimg0009_2

この桜を初めとして、「寝覚桜」「妹背桜」「手弱女桜」「突葉根桜」と名桜が約一ヶ月間つぎつぎと咲き続けます。

特にソメイヨシノが咲く頃には、境内に桟敷が設けられ、夜桜の宴が毎夜続きます。
夜空が一面に桜に覆われ、ぼんぼりの光がその花びらに照り返し賑やかな中にも風情を感じさせます。

青や赤や青の光で照らされたライトアップとはまた異なった様子です。

(しかし、日によっては寒さに震えての宴会になることもあり、暖を取る為、ひたすら飲むことになります。)

Th_rimg0014

この魁桜、そして前回の近衛の桜が咲き出すと今年の京都の桜のシーズンが始まります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月20日 (土)

京都 桜逍遥2010(近衛の糸桜)

  「ことしより 春しりそむる さくら花
                 ちるといふ事は ならはざらなむ」

                      古今和歌集  紀 貫之

Th_rimg0050

京都御所の「近衛の糸桜」が、今年も咲き出しました。

この桜が咲き出すと、いよいよ京都の桜のシーズンが始まります。

先週様子を伺いに来たときはまだ蕾が固く、今年の花を伺わせるように、ちょっと離れたところから見ると木全体が薄ぼんやりと薄紅に浮かび上がってくるような状態だったのですが、今日来てみるともう八分咲きくらいです。

もうすでに多くの人々がこの桜の周りに集まっておられます。
みなさん無邪気な顔をして、花に見入っておられます。

Th_rimg0027

この桜、本当に京都の桜らしい感じがします。
枝ぶりも、花の様子も、京都を代表するしだれ桜だと思います。
京言葉でいう「はんなりした桜」です。

「はんなり」という言葉は一説によると「華なり」から来てるとされていますが、その言葉にぴったりの雰囲気を持っています。

今年もこのような「はんなりとした桜」を巡る「桜逍遥」を始めます。
花の終わるまで、またよろしくお願い致します。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 8日 (月)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(マウリッツハウス美術館 その1)

やっと入れたマウリッツハウス美術館。

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」で有名だが、それ以外にもオランダ絵画の優品が並んでいる。
まずは、静物画から。

Th_img_maurt1

これは、17世紀に活躍したデ・へームの「花と花瓶」。

この頃のオランダ絵画を見ているとその細密さと考え抜かれた構図に驚く静物画に出会います。
それらはだいたい2パターンあって、ひとつは食物や食器等が並んだ食卓を描いた絵、もうひとつは花器に活けられた花々です。これは花の方の絵。

真っ暗なバックにトップライトを浴びたかのように光り輝く花達。あまりにも濃密な構成に妖艶な雰囲気を感じさせます。奇妙に折れ曲げられた茎、虫に食われた跡を残す葉、不自然に配置された蝶達、それらが更にその濃密な雰囲気を増長させます。

ちょうどこのような気持ちにさせる絵に若冲の彩色画があります。同じように執拗なまでの細密さと大胆な色使いがよく似ています。17世紀から18世紀にかけて、洋の東西で同じような気持ちにする画家がいたことに驚かされます。

Th_img_maurt2_2

これは17世紀のアムステルダムやハーグで活躍したファブリツィウスが描いた「五色のひわ」。

薄い色調で柔らかな感じのする絵です。色々な対象がきっちりと構成され、陰影のメリハリがはっきりとした絵を見続けている中で、ふとこういう単純な清楚さを持つ絵に出会うとほっとした感じになり、見とれてしまいます。

解説書によると、この絵はもともとはだまし絵として描かれたものだそうで、この絵の上のほうに本物の巣箱が有り、この下に水飲みの器が置かれていたとされています。その間にいかにも本物の鳥であるかのようにこの絵が描かれたそうです。

そのような眼で見ると、立体感を誇張するかのように描かれた金属の輪っかや影の描き方にオランダ絵画の特徴があるなぁという感じがしますが、しかしちょっと周りの絵とは異なった感じのする絵です。

Th_img_maurt3_2

これはルーベンスの「ローソクを持つ老婆と少年」。

1本のろうそくから発するる光は直接に当たる部分を白く輝くように照らし、その光の道を閉ざす物には突き通し内面から燃え上がっているかのように赤く浮かび上がらせます。影になる部分には光は柔らかく沈む込み、そして闇へと同化していきます。

この光から闇への移ろいは、若さから老いへと流れる時間の移ろいでもあります。
その時間の流れを永遠に継続させるかのように、燃え尽きようとしている老婆のろうそくから少年の新しいろうそくへ炎は移されて行きます。

観る者一人一人の心情によって、色々な思いが成り立つ深さを持った絵です。

このように光と影の構成で立体感を強調し、モチーフを際立たせようとする手法は、イタリアのカラヴァッジオに始まり、オランダのルーベンスへ伝わり、そしてフランスのラ・トゥールへと続いていき近代へ引き継がれていきます。ヨーロッパの一つの絵画の流れを示す傑作です。

Th_img_maurt4

レンブラントの絵はアムステルダムのRIJKMでも多く観ましたが、このマウリッツハウス美術館にも優品があります。

これは「ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義」です。初期のレンブラントの傑作の一つです。

この絵にもレンブラントの集団肖像画によくみられる独特の工夫がされてます。
よく見ると描かれている8人の人物、すべての視線がバラバラであることに気付きます。
ある者は絵を観ている者の方を見つめ、ある者は手術する手を見つめ、ある者は説明する博士の顔を眺め、ある者は周りの様子を伺うといような調子です。

この視線のバラバラさが、観る側においては奇妙な空間の凸凹観を感じさせます。
消失点を明確にした遠近法や、一つの方向から差し込む光と影による立体感とは異なる空間が観る者を惹きつけます。

常に観る者を惹きつける工夫がされているのがレンブラントの大作の魅力でもあるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 5日 (金)

家(うち)のごっつぉ (飯蛸の焚いたん)

この冬は鍋ばっかり食べてました。

湯豆腐、水だき、ブリやタラ等の魚の鍋、しゃぶしゃぶ、ちゃんことほとんど毎日鍋を食べていました。
実は嫁さんがギックリ腰になり、しばらく料理をつくるのをリタイアしていたからです。
だから男ばっかりで、簡単に作れる料理として、鍋が続いたのです。

その嫁さんも復帰してきて、ちょうど春を告げる材料も出回り、やっといつもの状態に戻ってきました。

Th_rimg0036

これは「飯蛸と大根の焚いたん」です。

この季節、魚屋さんの店先に行くと、飯蛸、ホタルイカ、カマス子、いかなご等が並んでいます。
これらを見ると、春が近いなということが実感できます。

今回は大根と炊合せました
まず、大根を下茹でします。その間に飯蛸を塩で揉んでヌメリをとっときます。
次に出汁で大根から炊きだし、大根が十分柔らかくなったら飯蛸も入れてさっと焚くそうです。最後に醤油、酒、みりんで味を付けて焚きながら味を染み込まして行きます。
蛸はあくまでも弱火で柔らかく仕上げるのがこつみたいです。

料理屋さんなんかでは、飯蛸の頭を切って綺麗に炊き合わせていますが家ではあくまでもそのまま焚きます。

さっそくガブリと飯蛸の頭にかぶりつくと、中からプチプチとした半透明の米粒のような卵が見えます。
その舌触りを味わいながら、蛸の身の方も味わうと、柔らかくもコリコリとした中に清純な蛸の旨味が広がってきます。

大根もよく味がしみて、おいしいなぁ。

Th_rimg0037

次は、「鮭のみぞれ煮」と名付けている料理です。

唐揚した鮭を大根・しめじ・ほうれん草等台所で余っているような野菜といっしょに少し濃いめの味付けをした出汁で煮て、最後に軽く絞った大根おろしを混ぜてはいできあがり。

家族に蛸が苦手な者がいるために増えた一品です。

あっさりとした感じですが、鮭をほおばると案外食べ応えがあります。

Th_rimg0043

こんなんもありました。「もやしとツナのサラダ」です。

マヨネーズと和からしのドレッシングがかかってました。
ちょっとさっぱりします。

春が近づいてきて、たのしみの食材が増えてきました。
今年の春はどんな料理が並ぶのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 1日 (月)

「京都の念仏狂言」 第40回京の郷土芸能まつり

28日の日曜日、京都会館で財)京都市文化観光資源保護財団が主催する「京の郷土芸能まつり」が開催されました。この催しは、毎年この時期に開催されるのですが、今年は財団設立の40周年ということで特別に京都に残る4つの念仏狂言が揃って演じられました。

このように念仏狂言が揃って上演されることはめったにありません。通常でしたら、春にすこしずつ時期をずらして演じられるので、京都に住んでいてもひとシーズンにすべての狂言を観ることは至難のワザとなっています。
まあ、そのような珍しさも手伝ってか、京都だけではなく各地から観劇の方々が集まり盛大な会となりました。

神泉苑狂言も出演しましたので、お手伝いに行ってきました。

開演は2時からでしたが、リハーサルやら衣装合わせやらで、朝から始まります。
やはり、着物を着て袴を履いて楽屋にいると気が引締る感じがします。

演目は「嵯峨大念仏狂言」の「釈迦如来」から始まります。

仏像がギッタンバッタン動いたり、拝みに来た母親と手を取って何処かへ行ったり、また、仏像の身代わりとなった坊さんが同じように娘と手を取りながら何処かへいったり、筋書きの滑稽さと念仏狂言のユーモラスな動きとが相まって、お客さんから笑い声が広がります。

続いて「神泉苑狂言」の「棒振」です。

この演目は、通常は狂言最終日の最後の出し物として演じられるものです。
厄払いを行うもので、中央の棒振の演者が両端に五色の房がついた棒で八方の厄を払うため上下左右に振り回します。その廻りを講中の者たちが取り囲み「チョウハ サッサイ」と扇子を上下にあおぎ囃し立てます。

「棒振」の一つ一つの動作には、厄払いの意味が表されていると思えるのですが、詳しいことがわかりません。「チョウハ サッサイ」という掛け声も元の意味は不明です。
ただ見ていると、相撲の土俵で行われる「弓取り式」での所作に似ている所もあり、同じ厄払いという行為において共通なものが感じられ、興味深いものが有ります。
この「棒振」自体は「壬生六斎念仏」や祇園祭の「綾傘鉾」で演じらています。

Th_rimg0050

中休みを挟んで「千本えんま堂」の「鬼の念仏」です。

「千本えんま堂」の念仏狂言は他の3つと異なり、科白がはいります。能・狂言の狂言に近い形態の念仏狂言です。そのため身振り手振りの面白さに加えて科白の掛け合いの面白さがあります。

今回演じられた「鬼の念仏」は、大津絵の題材としてもよく描かれたもので、鬼が何故羽織りを着て、鉦を打ち念仏を唱えて踊っているのか、そのストーリが狂言を観るとよくわかります。

Th_rimg0062

最後は「壬生狂言」の「土蜘蛛」です。

源頼光とその家来である渡辺綱、藤原保昌の土蜘蛛退治のお話です。土蜘蛛の撒く蜘蛛の糸の激しさとわかりやすい筋立てで壬生でも人気の演目です。

Th_rimg0085

土蜘蛛の撒く蜘蛛の糸を昔は狂言講の人達が和紙を巻いて作っていたという噺も、老人達からは聞きますし、その蜘蛛の糸の端(小さな金属の錘がついている)を財布等に入れておくと良いことがあるよいう言い伝えもあり、壬生や神泉苑でこの演目が終わると、観客の方々がこの蜘蛛の糸を拾い集めておられます。

Th_rimg0119

各念仏狂言が一演目だけでは、念仏狂言の魅力がすべて伝えられたとは思いませんが、その面白さ、その素朴さなんかは観にこられた方々には伝わったと思います。

もうすぐ桜が咲く頃になり、各お寺で春の念仏狂言が行われます。これをきっかけにして念仏狂言に興味を持たれる方々が増えれば幸いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年4月 »