カテゴリー「美術展・展覧会(海外作品)」の40件の記事

2010年3月 8日 (月)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(マウリッツハウス美術館 その1)

やっと入れたマウリッツハウス美術館。

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」で有名だが、それ以外にもオランダ絵画の優品が並んでいる。
まずは、静物画から。

Th_img_maurt1

これは、17世紀に活躍したデ・へームの「花と花瓶」。

この頃のオランダ絵画を見ているとその細密さと考え抜かれた構図に驚く静物画に出会います。
それらはだいたい2パターンあって、ひとつは食物や食器等が並んだ食卓を描いた絵、もうひとつは花器に活けられた花々です。これは花の方の絵。

真っ暗なバックにトップライトを浴びたかのように光り輝く花達。あまりにも濃密な構成に妖艶な雰囲気を感じさせます。奇妙に折れ曲げられた茎、虫に食われた跡を残す葉、不自然に配置された蝶達、それらが更にその濃密な雰囲気を増長させます。

ちょうどこのような気持ちにさせる絵に若冲の彩色画があります。同じように執拗なまでの細密さと大胆な色使いがよく似ています。17世紀から18世紀にかけて、洋の東西で同じような気持ちにする画家がいたことに驚かされます。

Th_img_maurt2_2

これは17世紀のアムステルダムやハーグで活躍したファブリツィウスが描いた「五色のひわ」。

薄い色調で柔らかな感じのする絵です。色々な対象がきっちりと構成され、陰影のメリハリがはっきりとした絵を見続けている中で、ふとこういう単純な清楚さを持つ絵に出会うとほっとした感じになり、見とれてしまいます。

解説書によると、この絵はもともとはだまし絵として描かれたものだそうで、この絵の上のほうに本物の巣箱が有り、この下に水飲みの器が置かれていたとされています。その間にいかにも本物の鳥であるかのようにこの絵が描かれたそうです。

そのような眼で見ると、立体感を誇張するかのように描かれた金属の輪っかや影の描き方にオランダ絵画の特徴があるなぁという感じがしますが、しかしちょっと周りの絵とは異なった感じのする絵です。

Th_img_maurt3_2

これはルーベンスの「ローソクを持つ老婆と少年」。

1本のろうそくから発するる光は直接に当たる部分を白く輝くように照らし、その光の道を閉ざす物には突き通し内面から燃え上がっているかのように赤く浮かび上がらせます。影になる部分には光は柔らかく沈む込み、そして闇へと同化していきます。

この光から闇への移ろいは、若さから老いへと流れる時間の移ろいでもあります。
その時間の流れを永遠に継続させるかのように、燃え尽きようとしている老婆のろうそくから少年の新しいろうそくへ炎は移されて行きます。

観る者一人一人の心情によって、色々な思いが成り立つ深さを持った絵です。

このように光と影の構成で立体感を強調し、モチーフを際立たせようとする手法は、イタリアのカラヴァッジオに始まり、オランダのルーベンスへ伝わり、そしてフランスのラ・トゥールへと続いていき近代へ引き継がれていきます。ヨーロッパの一つの絵画の流れを示す傑作です。

Th_img_maurt4

レンブラントの絵はアムステルダムのRIJKMでも多く観ましたが、このマウリッツハウス美術館にも優品があります。

これは「ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義」です。初期のレンブラントの傑作の一つです。

この絵にもレンブラントの集団肖像画によくみられる独特の工夫がされてます。
よく見ると描かれている8人の人物、すべての視線がバラバラであることに気付きます。
ある者は絵を観ている者の方を見つめ、ある者は手術する手を見つめ、ある者は説明する博士の顔を眺め、ある者は周りの様子を伺うといような調子です。

この視線のバラバラさが、観る側においては奇妙な空間の凸凹観を感じさせます。
消失点を明確にした遠近法や、一つの方向から差し込む光と影による立体感とは異なる空間が観る者を惹きつけます。

常に観る者を惹きつける工夫がされているのがレンブラントの大作の魅力でもあるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 6日 (日)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(クローラー・ミュラー美術館 その2)

奥の部屋に進むと、お目当てのゴッホのコレクションが並んでいました。

オランダの時代から最後のオヴェールの時期までの素晴らしい作品がズラーっと並んでいます。
ゴッホ美術館とちょっと異なり、個人のコレクションですから選び抜いた作品だけが集まっています。

Rimg0273

クローラーミュラー美術館のゴッホは、案外日本にも来ていて初見でないものもあるのですが、この静かな雰囲気の中であらためて見直すと新たな想いが湧いてきます。

Th_kgogh1

「四輪の枯れたひまわり(1887)」

ゴッホといえばひまわりを思い浮かべますが、これはひまわりを描きだした最初の頃の作品です。
これほど描く対象に近づいて、クローズアップした描き方は、この頃、他の印象派の画家の絵を必死で学んでいた他のパリ時代の絵から比べると、なにか新しいステップへゴッホが進んだ絵のような気がします。

色においても、バックに使われている青色とくすんだ黄色のコントラストが斬新で、その後のゴッホの色使いを示しているようです。

知らず知らずのうちにこの絵に引き込まれてしまいます。
部分々の精密なディテールにも感心します。
これが、クローラー・ミュラー美術館が購入した最初のゴッホの絵だそうです。確かにそれだけの魅力のある絵です。

Th_kgogh2

「洗濯女のいるアルルのラングロワ橋(1888)」

きれいな空の色ですね。頬に当たる風はまだ冷たいですが、光はもう春の輝きをもつ早春の空気をかんじさせますね。
波紋の大きさが、まだ冷たい水の感じを伝えてきます。

筆のタッチや、輪郭の描き方を硬く描いている感じがしますが、色使いがそれを補っています。

Th_kgogh3

「夕日と麦播く人(1888)」

ミレーの作品をゴッホはいくつか模写しています。この作品も農夫はミレーから写したものだと思われますが、しかしこの作品の前にたつと、やはり目に焼き付くのは、沈む寸前に最後の光を輝かせている巨大な太陽であり、また黄金の夕日に照らされながらも、その底から夜の闇が滲み出してくるかのような大地です。

放射状に広がる光の描き方もユニークですが、青と黄色と白で複雑に描かれた大地も見事ですね。
農夫の播いた種をついばむ黒い鳥も(カラスかな?)描かれています。

見ているこちら側も、夕陽に染められて黄色になりそうな感じです。

Th_kgogh4

「夜のカフェテラス(1888)」

この絵は初見ではないのですが、以前は日本の展覧会で見ていたので賑やかな雰囲気の中で見ていました。そのせいかわかりませんが、やはり目に着くのはカッフェのガス灯に照らされた明るい部分で、まるでカフェからのざわめきが聞こえてくるような気がしていました。

今回、静かな雰囲気の中でベンチに座りながらゆっくりと見ていると、そのカフェのざわめきはすぐに青い闇の中に吸い込まれて行き、音もなく光り輝く星の静寂さが感じられました。それにしても神秘的な蒼色ですね。

青色系と黄色系で描かれているこの絵、ゴッホの色使いの真骨頂の感じがします。この2色がゴッホにとって何を意味するのかは、色々と本などに述べられていますが、この絵の場合は、青の持つ静寂であり神秘であり、黄色の持つ華やかさであり猥雑さでしょう。そして黄色は青色に吸収されて闇になるのです。

この2色のコントラストがいろんな意味で際立った好みの絵です。

Th_kgogh7

「サンレミ療養院の庭(1889)」

ゴッホの風景画、本当に上手です。まず構図が安定しているし、細かく描いたところと大胆に描いたところのバランスがいいです。それほど写実的ではないのですが、その場所の雰囲気、匂い、空気を感じることができ、あたかも画家と同じ場所に立っているかのような錯覚におちいります。

ゴッホというと日本では「炎の画家」というようなイメージが何故か定着しており、激しさ(それは芸術にに対する態度とか色使い等)ばかりが強調されていますが、実際このような風景画なんか見ていると、単純に楽しめる画家であることがわかります。

Th_kgogh6

「嘆き悲しむ老人(永遠の門)(1890)」

これはサンレミの療養院時代の絵。
この老人は何を嘆き悲しんでいるのでしょうか?服の青色は軽やかそうな色ですが、厚塗りされた絵の具のタッチにより思いのほか重々しい感じがします。それは絵全体にもいえますが、意識的に使われた軽やかな色に比べ、見るものに与える印象は重たいものです。

この老人はひょっとしたらゴッホ自身かもしれませんね。

Th_kgogh8

「夜のプロヴァンスの田舎道(1890)」

いわゆるゴッホの糸杉です。アルルの時代に描いていた向日葵とは異なり、風景画の一つの要素として描かれています。この絵では右空の三日月と左空の星を区分るように描かれています。からみあって上へと伸びて行く様子は、まるで燃え上がる炎のようです。ゴッホの絵に対する情念でしょうか?

このような月や星の描き方はゴッホの絵ではサンレミ時代からの絵によくみられるのですが、太陽の光は直線なのに対し、星や月の光は光輪となって拡がっていきます。
これは太陽の光は明るさと暖かさを与えてくれるものとして、星や月の光は心を写す鏡のような感じとして描かれているのではないでしょうか。ゴッホはそのあたりの違いをこの描き方で表わしており、その写された心を描きたかったため、多くの夜の絵を描いたのではなかったかと思います。

このように次から次へとゴッホの名作が並んでいるこのコレクション、本当に素晴らしいものです。それがこのような人里離れた地にひっそりと展示されていることにある種の文化的な余裕みたいなものを感じてしまいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 5日 (土)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(クローラー・ミュラー美術館)

やっと着いた「クローラー・ミューラー美術館」。
入口の門から眺めるとこのような感じです。

Th_kollerm0

緑の芝生が広がる奥に、森に囲まれてひっそりと建ってます。
さっそく中へ入っていきます。
芝生上に展示されている「Jack氏」に軽く挨拶をして。

Th_kollerm2

玄関までのプロムナードにもいくつかの現代的なオブジェがありますが、それらがこの美術館の環境に違和感なく溶け込んでいることに驚かされます。

Th_kollerm3

大きなガラスのドアを通り、ひっそりとした玄関にはいり小荷物を預けて最初の展示室に入ると、そこにはジャコメッティの彫刻がありました。

Th_kollerm5

ジャコメティの彫刻のすごさというのは、その削りの鋭さです。そぎ落としてかつまたそぎ落として、究極まで削り抜いた結果に生まれた強さみたいなものを感じます。

日本の美術でも、水墨画やちゃわんなんかに共通する美があると思います。
異様なまでに大胆に削り取られたフォルムの中に絶対に折れない作家の精神見たいなものを見せつけられます。

それからしばらくは彫刻や現代オブジェが続きます。

Th_kollerm4_3

これはマリノマリーニの「馬と騎手」
知らない作家なんですが、なんとなくイタリアの近代系の美術館で同じように馬とそれに乗る人の彫刻を見たような気がします。

この作品を見ても、やはりデフォルトされたフォルムの中に、無駄な部分、無駄な形状を削ぎ落したような感じがします。

「削ぎ落とす」という行為は、このような彫刻やものを作る行為において重要な要素だと思います。

Th_kollerm6

これは誰の作品か記録し忘れましたが、綺麗な作品でした。
薄い色合いのグラデーションが折り重なり、形づけられているアルファベットの意味はわかりませんが、なんかふわふわした軽やかな感じがします。

この美術館はへレーヌ・ミューラーという女性の個人的なコレクションが基礎となり、彼女の死後も彼女の意思を継いで、常に新しい時代を切り開いていった美術品をそのコレクションに増やしています。

今から考えると、ある時代においては、ゴッホも非常にアバンギャルトな作家であったのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月29日 (日)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(ゴッホ美術館 5)

2年近く居た南フランスを離れ、パリの北のオヴェールへ移ったのが1890年の5月。自殺したのが7月だから、この地で絵を描いたのはほんの2ヶ月ばかり。
しかし、この地で描かれた絵には心を揺さぶられる物が多くあります。

いや、この地で描かれた絵すべてが心を打つと言っても良いかと思います。

画家には、何を描いてもすばらしい絵となる時期があります。
ゴッホのこの最後の2ヶ月間もそんな時期だったのでしょう。

この美術館にもこの時期の絵が何点かあります。

Img_gogh53

これは、「麦穂 (1890)」。

風にそよぐ、豊かな麦穂の絵です。
一枚一枚の麦の葉が、風にそよぎ、表の濃い緑色、裏の少し薄い緑色と微妙に色を変え揺れ動いている様は見事です。
麦穂も風に身をまかせるように揺れ動いてます。

好みの絵です。

この絵をじっと見ていると、この構図そして色合いはまるで日本画を見ているかのような錯覚が起こってきます。

うーん、不思議な感覚だなぁ!

この絵だけでなく、オヴェール時代のゴッホの風景画は全体的な雰囲気が非常に日本画に似ているような気がします。

Img_gogh55_2

これは「木の根 (1890)」

この頃のゴッホの絵のひとつの特色に、変形キャンバスを使用してるという事が言えると思います。
縦が50㎝位、横が1m位のキャンバスです。

この横長のキャンバスというのは私にとっては感覚的に受け入れやすい形です。
ちょうど、屏風絵を見ているような感覚です。

そんなところから、日本画的な雰囲気を感じるのでしょうかね?

この木の根のうねりくねった形を見ていると、色はともかく、狩野派の松の木なんかを思い出します。
そういえば、タッチも似ている感じがしますね!

Img_gogh52

「荒れ模様の麦畑 (1890)」

ゴッホが自殺する何日か前から描き出した麦畑の絵の連作です。

この絵では麦畑は緑色で描かれ、荒れ模様の空の下に広大な感じで広がっています。

ゴッホの書簡によると、この絵を描いていた頃、弟のテオが仕事先(テオは有名な画廊に勤めていた。)でトラブルとなり、その彼から生活の援助を受けていたゴッホにとっても絵三昧の生活がいつ崩れ去るのかという不安に陥っています。

平穏な青々とした麦畑を、頭上のオドロオドロしい雲の流れが吹き乱そうとしている様子は、あたかもゴッホの生活を覆う社会の黒雲のような感じがします。

このような物理的な不安とともに、ゴッホにはいつ自分に再び精神的な破綻が訪れるのかというアルルの頃から引きずっている精神的な不安もあったでしょう。

そのような避けられない不安がこの荒れ狂う空には込められているように思います。

そんな追い詰められた気持ちとは裏腹に、この連作をみているとゴッホの美に対する感覚はますます研ぎ澄まされていったように感じます。

Img_gogh51

「カラスの群れ飛ぶ麦畑 (1890)」

この絵を見て小林秀雄は膝が崩れるような衝撃を感じたと書いていたとおもいますが、たしかにものすごく重たいものを感じる絵です。

その重たさはまずこの構図から来ます。
麦畑の中へ3本に別れていく道。その道を覆い隠すように風に揺れる黄金の麦穂。何かを暗示するように荒れ狂う空。その何かに驚いたように嵐の空へと飛び出していくカラスの群れ。それらが変形キャンバスの横いっぱいに展開される迫力。

そして色。
奥の部分と手前の部分を暗くし、真ん中の部分をハイライト気味に明るくし、水平線上で区分けられる青と黄色のコントラストを強調していく色調が劇的な雰囲気をかきたてます。

そしてこの絵がゴッホが自殺する直前に描かれたという知識。

これらが合間見えて、この絵は見るものにゴッホの死を象徴するような重たさを感じさせます。

付け加えれば、このカラスの群れですが、ゴッホの絵でこのような動きがあるものが描かれている例は私は他には知りません。
ゴッホはもののあるがままの姿を彼自身の方法でキャンバスに移すことに精を出した画家で、ものの姿を頭の中でイメージにしてから描くことを嫌う画家でした。
しかし、このカラスに関しては、ゴッホはどこかでカラスが飛び立つのを見たかもしれませんが、イメージで描いたような気がします。
あまりにもドラマティック過ぎるような気がします。
ひょっとしたら、この烏の群れはゴッホだけには見えていて、実際はいなかったかもしれません。

そうすると、このカラスはゴッホの妄想の産物であり、それはゴッホ自身を、ゴッホの描く絵そのものを示すものであり、それが嵐の空へ飛び立っていく風景はまるでゴッホの人生を象徴するものであるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月28日 (土)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(ゴッホ美術館 4)

ゴーギャンとの事件の後、しばらく静養していましたが、再び精神錯乱をおこし、ついにアルルの住人より街からの退去を求められます。

話はちょっと変わりますが、画集なんかでゴッホの包帯をした自画像をみると、切り落としたのは右の耳であるかのようです。が、いろいろと調べてみると実際は左の耳(自画像は鏡に映った姿)であり、耳全部を切ったのではなく、耳たぶの下の部分を切り落としたらしいです。

アルルを追われたゴッホは近くのサンレミにある療養所にはいります。

この時代、ゴッホは何点かの宗教画を描いています。初めてゴッホの宗教画を見ました。

Img_gogh42

「ピエタ (1889)」

これはドラクロワのリトグラフを模写したものだそうです。
模写とはいえ、この時期、ゴッホがこのような絵を描いたことは興味を惹きます。

もともとゴッホは牧師の家に生まれ、大学の神学部にも籍を置き、伝道師としての職にも就いた人間です。そのような経験の果てに、教会のうさんくささとか教条的な姿勢に絶望し、書簡なんかを見ていくと、宗教に対してすごく懐疑的な様子がみられます。

しかし、絵を見て行くと、その奥深い所ではいつも何か絶対的な力(それは神でないかもしれませんが)に救いを求めるているような感じがします。この時、そのような気持ちが表に出て来たような気がします。それも黄色と青色を主として。

Img_gogh46_2

「花咲くアーモンド (1890)」

これはゴッホの弟であるテオの息子が生まれたことを祝して描かれた絵です。
美しい青です。澄んでいますね。
枝の描き方なんかに浮世絵の雰囲気がしますが、単に写すだけでなく、ゴッホ独特の美意識みたいなものが感じられます。

療養所ではなかなか自由に描けなかったみたいですが、描いた絵は美しいものがあります。

Img_gogh43

「サンポール療養所の玄関 (1889)」

ゴッホの入院していたサン・ポール療養所の玄関の絵です。油絵ではなくグワッシュ(水彩絵具の一種)です。

ゴッホの構図としては、このようなものはめずらしいと思います。
真ん中の奥に開かれたドアから見える、自然の世界。
自由にこのドアを抜けて、自然の中を思うがままに歩きたいというゴッホの願望が伝わってきます。

Img_gogh41

「黄色い背景のアイリス (1890)」

サンレミ時代最後の方の絵です。
私はこの絵が好きです。なんともいえない美しさを感じます。
ゴーギャン達と一緒に居た時の、私から言うと不安定な絵の影響も抜け、ゴッホの力強いタッチも戻り、またゴッホ独特の目で自然の中から導きだした美しさみたいなものを感じます。

色も生きています。光と明るさと輝きが際立った作品だと思います。

そして、約1年近くいたサンレミを離れ、最終の地であるオーヴェールへと移って行きます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月23日 (月)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(ゴッホ美術館 3)

パリでの生活に疲れ、また酒に浸り込む生活を変えるため1888年ゴッホは南仏のアルルに移りました。

アルルへ移るにあたり、ゴッホは「この地は日本のような土地だ!」と手紙に述べています。
彼にとっての日本とは太陽と緑に溢れたユートピアだったのでしょう。

この地での生活は、あの事件が起こるまで、ゴッホの人生において最も明るい日々であり、この美術館にもこの時代のゴッホたる作品が並んでいます。

Img_gogh31

「ピンクの桃の木 (1888)」

アルルに着いた頃の作品です。
早春のまだ薄い空の青をバックに白やピンクの小さな花が咲き乱れる様子が描かれています。可憐できれいな絵です。

木の輪郭が黒い線で縁取られているところなんかは、当時のパリの印象派と言われる画家達の絵とは少し異なっており、この頃好んでいた浮世絵の版画の線が思い浮かんできます。

この頃のゴッホの絵というのは初めて見ましたが、いずれもが落ち着いた色調で、静謐で、可憐であり、おもわず見とれてしまいます。いいですね。

Img_gogh34

「収穫 (1888)」

これもいい絵ですね。初期の頃から比べると空間の取り方、遠近の描き方にすごく広がりを感じます。
使われている色は、黄、青、緑、白と単純なんですが一つ一つの色が個性を持って、かつ重なり合いながら光り輝く大地を浮き上がらせてます。

本当に安定した絵です。変なてらいも無く、素直な感じが伝わってきますし、見る方もゆったりとした気持ちになれます。

Img_gogh33こんな絵もあります。

「マルセル ルーランの肖像 (1888)」

アルルでゴッホが親しくしていた郵便配達夫ルーランの子供の絵です。

まるまる太って立派な赤ちゃん。
愛情に溢れてますね。

この頃の並んでいる絵を見ていると、ゴッホのオリジナリティみたいなものが固まりつつあるのがわかります。

Img_gogh36

「黄色い家 (1888)」

ゴッホはアルルに芸術家の共同生活の場を作ろうと考えていました。その家としてゴッホが見つけたのがこの黄色い家。当初は薄い黄色であったのをゴッホは更に黄色く塗り直しています。

ゴッホにとって黄色という色は重要な意味を持っていると考えられます。

彼にとって黄色は太陽の色であり、収穫の色であり、労働を現す色であり、希望を現す色であり、自然の恵みを現す色であり、人間の生活を象徴する色でした。

そしてもう一色。青です。単に黄色を目立たせるため(正確に黄色の補色は青紫だが・・)に使われたのでなく、ゴッホの青色は空の色であり、静謐を示す色であり、絶対的な存在を現す色であり、自然の意志を現す色でありました。

この2つの色に塗り分けられたこの絵は、ゴッホの芸術家共同体(ユートピア)に対する希望をよく現しています。

右側の奥に描かれている白い煙のようなものは、じっくり見てみると蒸気機関車であることがわかります。この汽車に乗って彼の待ちこがれるゴーギャンがやって来るのでしょうか。

Img_gogh35

「ひまわり(1889)」

ゴッホはそのゴーギャンを迎える部屋の飾りとして半ダースのひまわりの絵を描こうとしました。

実際、この時期にこの部屋のために描かれたひまわりは4点です。
ひとつひとつひまわりの本数が異なっています。
1作目は3本、2作目は3本とテーブルの上に3本の切り花、3作目は12 本、4作目は15本となっています。
(翌年に、この15本のレプリカが2点描かれ、それが現在はゴッホ美術館(写真)と東京の東郷青児美術館にあります。)

ひまわりの花びら一枚々が厚く塗られており、近づいてみると立体絵画のような感じがします。
この色といい、構図といい、タッチといい、強烈な印象を与える絵で、このひまわりがゴッホの芸術家共同体に対する真摯な思いの象徴であったことが伝わってきます。

でも何故ひまわりなんだろう?

Img_gogh38

「種まく人 (1888)」

その期待していたゴーギャン達が着き、ゴッホとの共同生活が始まりました。

しかし、個性豊かな、我が儘な芸術家達が共同生活できるわけがなく、たちまち芸術論や互いの絵の批判などで諍いが起きます。そのとりまとめを期待していたゴーギャン自身がゴッホの芸術を認めず己の方法論を押し通そうとしてきます。

ゴッホにとってはパリ時代の混乱の状態が戻ったような状況に陥いったのではないでしょうか。

特に、今までは自然の姿を見たままに描いていた方法から、想像の力で描くことへの変更を勧められたことはゴッホにとって自分自身を否定されたかのような錯覚に陥ったのでしょう。

これは絵にも現れます。「種まく人」では再び構図は不安定になり、色使いも今までとは違う雰囲気になってしまいます。日本の浮世絵の構図にバルビゾン派のテーマを乗せたような絵。そして色は濁って来ています。

ついに冬のある晩、ゴッホが夜道でゴーギャンを刃物で襲おうとし、逆にゴーギャンに睨みつけられ、ひるんで(この辺の事情はゴーギャンの記述から)黄色の家に戻り、そして自分の左耳を切り落とし、その耳をなじみの娼婦にわたすという猟奇的な事件が起こります。

こうして、平穏なアルルの時代は悲劇的な結末を迎えました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年11月22日 (日)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(ゴッホ美術館 2)

美術館の年表によると、1885年の暮れにゴッホはパリに出てきました。

当時のパリは印象派の絵がその存在を認められ始め、モネやルノアールの印象派と呼ばれる画家達に続き、セザンヌ、スーラ、ロートレック等の後期印象派と呼ばれる画家達がその作品を発表しだした頃です。もちろんあのゴーギャンもいました。

パリについたゴッホは早速その洗礼を受けました。

Img_gogh23

これは「木と下生え(1887)」

まず変わったのは色使い。オランダ時代からは考えられないほど明るくなっています。
絵の雰囲気としては、モネの色とスーラの点描を掛け合わせた感じです。
しかし、変わるものですね!。今まで押さえていた色に対する欲望がパーッと発散したみたいです。

Img_gogh22

これは「カフェ ル タンブランのアゴスティーナ セガトリ (1887)」。
不思議な感じの女性だが、実はパリ時代のゴッホの愛人だったらしい人。
その不思議さを引き立てる、バックの青と机の赤のコントラストがきれいです。
(店のタンブランというのはこの赤いテーブルが楽器のタンバリンに似ているから付いた名前)

この絵は雰囲気としてはロートレックに似ています。

そしてもう一つ影響を受けたものがあります。

Img_gogh25

それは日本の浮世絵。(「花咲く梅の木(1887)」)
この頃、パリではジャポニズムがはやり、遥か東洋の島国に対するあこがれやその文化に対する憧憬が広がっていました。その中でも浮世絵は、その構図の斬新さ、色使いの微妙さ、印刷技術の細やかさによって若い芸術家達に大きな影響を与えました。
ゴッホもその一人。広重、英泉、豊国等の浮世絵を集め、しまいにはその構図、色使いを自分のものにするため、油絵に写すこともしました。
描かれた漢字がちょっと変だが読めるのはたいしたもの。

でも、ゴッホが惹かれているのは、あくまでも浮世絵と浮世絵を通じて感じられる遠い異国へのあこがれです。それはその後南仏へ向かうにあたり、彼の地にイメージとしての日本を追い求めていることからもわかります。

パリ時代のゴッホの絵を見て行って感じることですが、パリに来て絵画の新しいうねりに翻弄され、オランダの頃には一貫していたテーマ性がうすれ、何を描いたら良いかわからないような状況に陥っているように思えます。余りにも大きな変化が明るい色彩とはうらはらに、見るものに何か不安定さみたいなものを感じさせます。

Img_gogh26

これは同じパリ時代に描かれた「靴 (1886)」。

多分ゴッホのいつも履いていた靴でしょう。
オランダ時代と異なり、綿密に、写実的に描いています。

くたびれて、汚れて、ちょうど翻弄されて混乱しているゴッホ自身を見るような感じです。

そんな中から将来への方向性を感じさせるものが自画像。この時期多くの自画像を描きだしています。

Img_gogh21「フェルト帽の自画像(1887)」
Img_gogh24「麦藁帽子の自画像 (1887)」

しっかりとこちらを見据えた瞳。とんがったあご。無精髭。
その頃のゴッホの姿を明確にとらえていると思われます。
そして挑みかけるようなまなざしにオランダ時代の筆の勢いに見られた描くことへの飽くなき欲望が感じられます。
しかし、厳しい顔付だなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月21日 (土)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(ゴッホ美術館 )

今回ヨーロッパへ来たのは、一つにはゴッホの絵を浴びるように見てみたいという単純な欲望のため。

何故そんな風に思うかというと、
絵を見るという行為には、一点の好きな絵をじっくり見るという行為も大事ですが、時には同じ作家なり同じ傾向の絵を大量に見て行くことも大事だと思っているからです。
そうすることで自分の好きな絵が描かれた流れなり、好きな絵の位置付けみたいなものがわかってきます。
やがてそれが自分の感性の姿に結びついていきます。

特にゴッホは本格的に絵を描きだした1880年から自殺する1890年までの10年間に700〜800点近くの絵を描きました。特にアルル、サンレミ、そしてオーヴェールの頃は年間に200点を超える作品を描いた時もあるらしい。

画家がそれだけのスピードをもって描いていたということは、やはり、その頃に描かれた絵をある程度大量に見ていかないとゴッホの絵のもつスピード感みたいなものが実感できないし、またその凄さも感じられないのではなかろうかと思っています。

そこで、まずはゴッホ美術館から。

Rimg0085_2

ゴッホの名の付く美術館だけあって、初期の絵から最後の頃の絵まで資料なんかも含めると100点位がズラーッと並んでいます。

でも、案外入場者の数は少ない。入場待ちの行列ができると聞いていたのだが。
これはじっくりと見られそう。

まずは絵を描きだした1880年位からパリへ出るまでの初期の絵です。

Img_gogh1

これは「ジャガイモを食べる人達(1885)」

初期のゴッホの絵は暗い。その後のゴッホの絵からは考えられない程、テーマといい、色といい、陰鬱で重たく感じます。この頃描かれた風景画や静物画、また人物画などの絵の基準となる色は黒であり、くすんだ黄色であり、冷たい白であり、モチーフも黙々と働く職工であり、厳しい労働に疲れた農民であり、もの悲しい夕暮れであり、寂しい雪野原です。

ただ筆のタッチは後のゴッホを感じさせるように、部分部分で荒々しく、強引であり、何かを表わしたいという画家の欲望をストレートに現しています。

この「ジャガイモを食べる人達」を見て気付くことですが、ここに描かれている人達には団欒は無いと思えます。これは不思議な事です。家族の夕餉に団欒が無い事は・・・。

ジャガイモを切り分けている若い女性は隣の主人らしき男を見ていますが、男は無視するかのように宙を見ています。真ん中のコップを差し出す老婆は隣の女性を見ているが、その女性は気付かない振りで、黙々とお茶を注ぐことに専心しています。背中を向けている子供はジャガイモの湯気をぼんやりと眺めている様子だし、夕餉の団欒と言うには余りにも寂しい情景です。

他人を思いやる気力も無いぐらい、昼間の労働に疲れているのでしょうか?
先の見えない貧しい生活に打ちのめされているのでしょうか?

これがゴッホの描きたかった世界なんでしょうか?

Img_gogh2

この絵は「ジャガイモを食べる人達」と同じ頃描かれた「白い頭巾の農婦の顔」。

この時期、ゴッホはいくつもの貧しい農民や織物工場の職人の絵を描いていることが並んでいる作品からわかります。
それは人の一部のスケッチだったり、畑で働く農民の姿であったり、肖像画であったりするが、その中では同じような構図でいろいろなテクニックをためしています。

光の描き方をかえたり、タッチを粗くしたり、色の組み合わせを変えたり、歳を取ってから絵を描き始めた分、相当の努力をしていたのでしょう。

この絵はモデルの持つ素朴さと、ゴッホの試みた単純なテクニックとがうまくマッチしている絵だと思えます。

Img_gogh4

これは「ドレンテ地方の小屋」。
曇り空の下黒々とした小屋の姿が広がってます。
この風景にも明るさは感じられません。

牧師の家に生まれ、自らも伝道師としての活動を行ったゴッホにおいて、貧しき人々をいかに救うかというのは切実なテーマであったでしょう。芸術とは苦しんでいる人を救うためにあり、ゴッホはそのために絵を描こうとしたような感じがします。

逆に、その描いた絵が世間に受け入れられなかったことに対する焦り、焦燥はゴッホ自身を相当苦しめたと思えます。

ゴッホの絵のスタートがこのような暗い絵から始まっているということは今後のゴッホの絵を見て行くにあたりポイントになることだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月17日 (火)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(RIJKS美術館 その2)

続いてフェルメール関連の部屋。

このRIJKSには4点のフェルメールがある。「手紙を読む青衣の女」「牛乳を注ぐ女」「デルフトの小径」「恋文」。
このうち、「牛乳を注ぐ女」がメトロポリタンへ、「恋文」がパリへ出張していた。
「恋文」はパリで見るとしても、「牛乳を注ぐ女」と再会できなかったのは残念!

Th_

これは「手紙を読む青衣の女」。
この服の青色がなんともいえない。軽く、柔らかでふわーっとした感じ。
青色というのは、幅の広い色で、神秘的な感じを受ける場合もあるし、黒よりも深い闇を表す事もある。
また、天上へのプロムナードを現す場合も有るし、溌剌とした力を示す場合もある。

この場合、妊婦の母性と妻としての貞淑さを現しているのだろうか?

手紙には何が書いてあるのだろうか?
「一筆啓上 火の用心 赤ちゃん大事に 馬肥やせ」的な事が書いてあるのだろうか。

後ろの地図ははっきりとしないが何処の地図だろうか。手紙の主は多分あの地図の何処かにいるのだろう。

構成する色が、青と白と黄土色だけの質素な感じの絵だが、いろいろと想像が膨らむ絵である。
そして、白い光の揺らぎが魅力的だ。

Th__2

フェルメールは2点の風景画を描いている。これはそのうちの1点「デルフトの小径」。
デルフトはフェルメールが住んだ街。あの街の何処かに今もこの家は残っているのだろうか?

この絵の中で目を引くのは、右側の入り口の横にある赤い雨戸と白い壁のコントラスト、そして左側の小径の奥から絵の下まで続く奥深さ。
色のコントラスト、絵具の塗りの強さにより、見る者に取って雨戸は壁より30cm前に出てくるし、小径は巧みに引かれた消失点からの壁の線それに続く排水路の線により距離感を持つ。

それが感覚的に絵の中に立体感を感じ、自分が絵の視点の場所に居るかのような錯覚を得る。

フェルメールだけでなく、この頃のオランダの画家達は遠近の表し方をよく考えていた。
消失点を複数作る事によりより立体感を感じさせたり、光と影を組み合わせ人物をより浮かび上がらせたり工夫を重ねたことがこの部屋に展示してある絵をみていくとよくわかる。

同じ頃、同じデルフトで活躍したホーホの絵も何点か有った。

Th__11これは「母親の義務」

子供の髪から虱を取っている母親が居る室内を描いた絵。

フェルメールと比べても、決して負けてはいないと思うのだが・・・。
もっと人気が出ても良い作家なんだがなぁ。

そんな部屋の様子はここから

そのほか面白かった絵は、

Th__1317世紀初頭の画家で、ヘンドリック・アーフェルカンプの「スケートをする人々のいる冬景色」。

一見フランドル派の絵みたいだが、細かい所を見てみるとその時の風俗が伺い知れて面白い。ついじっくりと見てしまう。ちょうど洛中洛外図を見ている感じ。あっ、トイレをしている人もいるぞ!


Th__15

これはヘダの「鍍金した酒杯のある静物」。

この手の静物画は多く有ったが、イタリアやスペインの静物画はドカッと机なんかに置いたままを描いていたが、オランダの静物画は構図を考え作為的に並べ替えた状態で描いている。

そしてそこには必ず、牡蠣、チーズ、レモン、胡椒の粒が描かれているのは面白い。どれもが何かを象徴してるのだが、「胡椒は富を現す」位はなんとなく想像付くが、後はわからない。

絵だけではなく、日本の古伊万里や有田焼の名品も有ったし、螺鈿細工のすばらしいものも有った。
このようにピックアップしていけばきりがないので最後に一つ。

Th_rijks1

これは「ドールズハウス」。人形の家です。
大きさは2m四方位有り、一番上は脚立に登って見るようになっている。
しかし、一つ々のもの、机とか椅子とかだけでなく、壁に飾ってあるデフォルト焼の皿や絵、また花や本や服なんかもすべて丁寧に作られている。縮尺は1/9らしい。

まわりの文様も細かく丁寧に作られている。見事なもんだ。見ていて飽きない。

一部の所蔵品だけでこれだけ見応えがあるのだから、全館が改築されたらもっとすごいだろう。日本のものもたくさん持ってそう。

改築後の再訪が楽しみだなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月14日 (土)

アムステルダム、ベルギーそしてパリへ(RIJKS美術館)

アムステルダムでの最初の美術館は「アムステルダム国立美術館」。

改修工事中ということで、フィリップ棟のみの公開となっているが、そこに大体の名品が集まっている。
いわば、傑作コレクションを見ているようなもの。

Th_pa020089

入館すると目の前にはアムステルダムがスペインから独立した事を祝う「アムステルダム市警団の宴会」の絵が飛び込んでくる。少し太めの大柄なオランダ人達が、赤ら顔で祝杯をあげている。細部まで徹底して写実的である分、それまでのイタリアルネサンスの絵画より、より人間臭く、高貴な様子は抜けている。

入り口の左側には大きな当時の帆船の模型。日本の南蛮屏風に描かれている帆船そのまま。

そして奥の部屋には、大量の武器や細かい装飾がなされた銀の杯や皿が並んだ部屋、デルフト焼が並んだ部屋が続いている。

当時のオランダおよびアムステルダムの繁栄が美しい物を通じて実感できる。

その様子はこちらと、  こちらから。

さて二階へ上がると、そこから絵画の部屋が続く。
RIJKSというとやはりレンブラントとフェルメールが有名。

部屋もレンブラント関連が3部屋、フェルメール関連の部屋が1部屋設けてある。

まずはレンブラントの「夜警」から

Th_

大きな絵である。横が4m50、縦が4m程。
この絵、「夜警」として知られているが、それは以前には汚れていたために絵全体が薄暗い印象を与えたから。
しかし、50年程前修復でこの絵を洗ったら、射し込む光が強く、現在はどうみても夜の絵ではなく昼の絵と判断されている
確かに、真ん中の隊長の白い襟や、横に立つ副長の黄金の服、そして何故か光のあたっている少女の顔色なんかを見ていると昼間の太陽の光が差し込んでいるように思える。

この絵については色々と解説がなされているが、それは別として、以前から思っているのだが、この絵の構図には無理が有るように思える。
上方に大きく空間を取って、暗くて見えにくいが、そこに注文主の名前全て(16名)を彫った盾のようなものが描かれている。その空間を確保するために下に描かれている自警団の面々の背の高さが(特に下半身が)縮まって描かれたように見える。

ちょっとレンブラントにしてみれば不思議な構図だ。

どうしてそんな絵になったのかと考えていると、見る位置が変わればそのようには見えないということに気付いた。

現在この絵は、見る者が同じ高さの目線で正面から見るように飾られており、図録なんかも正面からの図が載せられている。が、もともとはもっと高い位置に飾られていたのではないだろうか?だから、見る者は下から見上げるような感じで見ていたのではなかったか?

そうすれば、自警団の連中も縮んだ様子ではなく、不自然には見えない。

同じような事は、次の「アムステルダム布地ギルトの見本監察官達」にも言える。

Th__2

少ししゃがんで見上げるように見ると、机の線が立体的に見えてくる。

それまでのオランダの集団肖像画は、大抵が旅行に行った時、観光地をバックに皆がハイチーズとカメラを見つめてとる集合写真のような絵が多かった。ところがレンブラントはビデオのように動きがある状態で集団肖像画を描いた。そして、その動きを光と影で誇張していった。これらの絵に人気があるのはその工夫に魅かれるからだろう。

レンブラントの絵では他に「ユダヤの花嫁」が、なんか優しくて愛情溢れてくる雰囲気がしてよかった。

Th__3

そんなレンブラント関連の部屋の様子はこちらと  こちらから

これはレンブラントの自画像。
レンブラントは自画像を案外たくさん描いているが、左は20歳位の自画像で、右は55歳位の時

Th__4 Th__5

まだ自信はないが、野望だけを持って絵を描き出した頃に比べ、浮き沈みの激しかった人生を過ごした後の一種の満足感、あきらめ見たいなものを感じさせる老境のレンブラントに何故か愛着を感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧