カテゴリー「歌舞伎・狂言」の16件の記事

2010年3月 1日 (月)

「京都の念仏狂言」 第40回京の郷土芸能まつり

28日の日曜日、京都会館で財)京都市文化観光資源保護財団が主催する「京の郷土芸能まつり」が開催されました。この催しは、毎年この時期に開催されるのですが、今年は財団設立の40周年ということで特別に京都に残る4つの念仏狂言が揃って演じられました。

このように念仏狂言が揃って上演されることはめったにありません。通常でしたら、春にすこしずつ時期をずらして演じられるので、京都に住んでいてもひとシーズンにすべての狂言を観ることは至難のワザとなっています。
まあ、そのような珍しさも手伝ってか、京都だけではなく各地から観劇の方々が集まり盛大な会となりました。

神泉苑狂言も出演しましたので、お手伝いに行ってきました。

開演は2時からでしたが、リハーサルやら衣装合わせやらで、朝から始まります。
やはり、着物を着て袴を履いて楽屋にいると気が引締る感じがします。

演目は「嵯峨大念仏狂言」の「釈迦如来」から始まります。

仏像がギッタンバッタン動いたり、拝みに来た母親と手を取って何処かへ行ったり、また、仏像の身代わりとなった坊さんが同じように娘と手を取りながら何処かへいったり、筋書きの滑稽さと念仏狂言のユーモラスな動きとが相まって、お客さんから笑い声が広がります。

続いて「神泉苑狂言」の「棒振」です。

この演目は、通常は狂言最終日の最後の出し物として演じられるものです。
厄払いを行うもので、中央の棒振の演者が両端に五色の房がついた棒で八方の厄を払うため上下左右に振り回します。その廻りを講中の者たちが取り囲み「チョウハ サッサイ」と扇子を上下にあおぎ囃し立てます。

「棒振」の一つ一つの動作には、厄払いの意味が表されていると思えるのですが、詳しいことがわかりません。「チョウハ サッサイ」という掛け声も元の意味は不明です。
ただ見ていると、相撲の土俵で行われる「弓取り式」での所作に似ている所もあり、同じ厄払いという行為において共通なものが感じられ、興味深いものが有ります。
この「棒振」自体は「壬生六斎念仏」や祇園祭の「綾傘鉾」で演じらています。

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中休みを挟んで「千本えんま堂」の「鬼の念仏」です。

「千本えんま堂」の念仏狂言は他の3つと異なり、科白がはいります。能・狂言の狂言に近い形態の念仏狂言です。そのため身振り手振りの面白さに加えて科白の掛け合いの面白さがあります。

今回演じられた「鬼の念仏」は、大津絵の題材としてもよく描かれたもので、鬼が何故羽織りを着て、鉦を打ち念仏を唱えて踊っているのか、そのストーリが狂言を観るとよくわかります。

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最後は「壬生狂言」の「土蜘蛛」です。

源頼光とその家来である渡辺綱、藤原保昌の土蜘蛛退治のお話です。土蜘蛛の撒く蜘蛛の糸の激しさとわかりやすい筋立てで壬生でも人気の演目です。

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土蜘蛛の撒く蜘蛛の糸を昔は狂言講の人達が和紙を巻いて作っていたという噺も、老人達からは聞きますし、その蜘蛛の糸の端(小さな金属の錘がついている)を財布等に入れておくと良いことがあるよいう言い伝えもあり、壬生や神泉苑でこの演目が終わると、観客の方々がこの蜘蛛の糸を拾い集めておられます。

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各念仏狂言が一演目だけでは、念仏狂言の魅力がすべて伝えられたとは思いませんが、その面白さ、その素朴さなんかは観にこられた方々には伝わったと思います。

もうすぐ桜が咲く頃になり、各お寺で春の念仏狂言が行われます。これをきっかけにして念仏狂言に興味を持たれる方々が増えれば幸いです。

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2009年5月 4日 (月)

神泉苑大念仏狂言 「紅葉狩り」

念仏狂言の演目には念仏会や仏の教えから派生したものや、能狂言から派生して来たものがある。
(詳しくは過去の記事で)

今回の「紅葉狩り」は、能狂言から取り入れられたもので、その中でも最も初期の時代に取り入れられたとされている。

その分、他の演目よりも能狂言の要素が多くのこっており、幽玄さや優雅さが色濃く残っている。

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あらすじは、平維盛が深山へ狩に行き、その途中に不思議な美女と出会う。その美女がすすめる酒には毒がもられており、それを知らずに飲んだ維盛は眠りに落ち込んでしまう。謎の女は正体を表し、維盛の刀を奪い姿を消す。夢うつつの維盛は、夢の中でお地蔵さんに出逢う。お地蔵さんは維盛に謎の女は鬼である事を告げ、退治するようにと立派な太刀を授ける。

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夢から覚めた維盛の所へ、姿を消したあの謎の女が美しい打掛を被って現れる。お地蔵さんにその正体を教えられている維盛が、その打掛をはがすと形相すさまじい鬼が現れる。
そこで、維盛と鬼との戦いが始まる。
毒を盛られている維盛はどうも分が悪い。打ち込んで来る鬼の木杖をかわすのが精一杯。そんな維盛の様子を見て、鬼は高台にあがり様子をうかがう。乾坤一擲。維盛めがけて空中から襲いかかる鬼をお地蔵さんの加護により咄嗟にかわし切り返すと見事に手応えあり。
鬼は最後の断末魔をあげて紅葉の枝にしがみつく。そこへ維盛最後の一刀。見事に鬼を退治する。

というお話。

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艶やかさと優雅さとスペクタルの溢れた演目です。
思わず魅入ってしまう。

能では維盛に謎の美女の正体を告げるのが、武人の神である「武内の神」となっている。そこが地蔵尊となっているところが念仏狂言らしい。
そのお地蔵さんの姿が、なんとなく愛らしく、慈愛に満ちた顔をしている。
昔の人達はこのところでお地蔵さんが現れると、ほっと安心して手を合わしたりしてたのだろうな。

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維盛に切られて、鬼が紅葉の枝にしがみつく場面なんかは本当に鬼気迫るものが有る。
金色と朱の衣装、みずみずしい新緑の紅葉、黒々とした髪、赤黒い鬼の面、色彩的にもあっと息を呑む場面である。

この「紅葉狩り」が念仏狂言に取り込まれて行ったのは桃山から江戸にかけてだと思われる。
鎌倉時代にはまだ貧しかった庶民の生活が、応仁の乱を経てだんだんと力を付けて来て上流階級の好む能までその演目に取り込んで来た事は、当時の京都の様子が伺い知れるようで有る。

泥臭い一面や素朴な一面を魅せる念仏狂言のなかにも、このような優雅で鮮烈な美しさも持ち兼ねる念仏狂言。
いつまでも興味は尽きない。

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2009年5月 3日 (日)

神泉苑大念仏狂言 「炮烙割」

「カンデンデン」のゆったりとした金鼓と太鼓の調べが五月晴れの空にながれ、観客席からは人々の屈託のない笑い声が起って来る。
今年も1日から4日まで、神泉苑の狂言堂で大念仏狂言が演じられた。

鎌倉時代から延々と続けられている念仏狂言、そこには庶民の笑い、悲しみ、喜びが積み重ねられるように表されているし、また願い、知恵が込められている。

いつものようにお手伝いに行き、幕間から覗き観る舞台に飽きる事は無い。

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数ある演目の中から今回は「炮烙割り」。

あらすじは、「町に新しい市場を開くにあたり、一番に店を出す者に税を免ずる」という立札がたった。それを見た「羯鼓(小太鼓)売り(下の画像)」がさっそく前日から場所をとり、誰も来ないので一眠りしだす。そこへ「炮烙売り(上の画像)」がやって来て、先に居る「羯鼓売り」が寝込んでいるのを見て順番をすりかえる。目覚めた「羯鼓売り」と「炮烙売り」との間で争いとなり、代官の前で芸を競う事で順番を決める事となる。「炮烙売り」はどうにかごまかして勝ち抜き一番となる。喜びいさんで炮烙を並べだすと、腹の納まらない「羯鼓売り」が並んだ炮烙を地面に落とし、すべてを割ってしまう。
「羯鼓売り」は商売のできなくなった「炮烙売り」を尻目に税を免除する立札を受取り、意気揚々と商売を始める。
「ずるをしてもあきまへんでぇ〜」というお話。

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この時舞台からガラガラと落されて割られる炮烙は、節分の時に参祀の人々が納めたもの。
この狂言で見事に割られる事で厄が祓えるとされている。今年も見事に割れました。

春の壬生狂言では毎日初番でおこなわれるが、神泉苑では1回だけ。
それだけに、見に来られている方々も炮烙が落ちるとやんやの喝采。

この演目だけ主人公は演者でなく炮烙。

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ちょっとずるそうな「炮烙売り」と律儀そうな「羯鼓売り」との掛け合いがなんともいえないおかしさを感じさせるが、ふと振り返ると、現実の世の中でもよく有る風景。

長年の生活の中の風景から見いだした人間の性を喜劇の中に表していくことは、古今東西の古典演劇によく見られる題材だが、この念仏狂言でも見事に演じられている。

愉快!、愉快!。

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2009年4月 5日 (日)

嵯峨大念仏狂言 「花盗人」

桜の花と共に、京都の念仏狂言がはじまった。嵯峨清涼寺の嵯峨狂言からはじまり、壬生狂言、五月はじめの閻魔堂狂言、神泉苑狂言と続いて行く。
春の京都を彩る愉しみの一つ。

Rimg0058_4昼過ぎに桜満開の清涼寺に着き、まずは念仏狂言保存会の方々に楽屋見舞いがてら挨拶に向かう。

この4つの念仏狂言は各狂言講や各保存会によって継承されている。狂言を専業にしている人達が演じているのではなく、練習を積んだ一般の人々が演じている。
よって、どちらもその芸の継承に悩んでおられるが、特に後継者の事は大きな問題。
昔は講中の人達の中で技の継承を行っていたが、今は広く門戸を広げ、地元在住者の興味が有る人を集め、なんとか継承しているのが現状らしい。

そんな話をして、狂言堂の前に戻ると、客席にはもう多くの人が集まっている。

地元のお年寄りの人達もいれば、偶然桜見物の途中で立ち寄った人達、また京都の文化に興味を持って観に来られた方々等、多くの人達がうららかな春の陽の下、狂言の始まりを待っている。

Rimg0042最初の演目は「花盗人」。

あらすじは、
「金持ちの旦那がお供を連れて花見にやって来、土産にと一枝の桜をお供に折り取らせる。その枝を盗人がお供の隙を見て盗み出す。お供はそれに気付き桜を取り返そうとするが、なんとか桜を取り戻すが、今度は刀を奪われる。それを見た旦那は、自分の刀をお供に与え、取り返す様命じる。しかし間抜けなお供は旦那の刀も取られてしまう。そこで旦那はお供に縄をなわし、自ら盗人を捕まえようとする。やっと旦那が盗人を捕まえ、お供に括らせようとするが、お供は誤って旦那を括ってしまう。その間に盗人は逃げおおせ、旦那は怒ってお供を木槌をもって追いかけてまわす」
という話。

Rimg0061「泥棒を捕らえて縄をなう」という格言を狂言にしたものである。

この「花盗人」は、いずれの念仏狂言にもある演目だが、嵯峨、壬生、神泉苑では旦那だが、閻魔堂では大名となっている。しかし内容的には大差はない。

しかし「能」の「花盗人」は、「花盗人は罪に有らず」として、題名は同じだが内容は大きく異なる。

どちらが原本かわからないが、念仏狂言においても、最初桜の枝を土産とする為、折り盗らす旦那は罪にはならないが、その桜を奪い取る盗人は罪が有るとしている。

Rimg0053その辺の筋書の違いは興味ある所である。

「カンデンデン」の鉦、太鼓、笛の音によって奏でられる独特のリズムにのって、ユーモラスな仕草で無言で演じられる念仏狂言。昔の人々にとっては、これから始まる厳しい農作業の始まり前のひとときの愉しみであったろうとおもわれる。

昔の人々と同様に、狂言の持つおおらかさ、笑いにひと時の現実の憂さを忘れる時間を共有できたような気がしたのは、桜の花の取り持つ幻想だろうか?


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2008年5月 4日 (日)

神泉苑大念仏狂言 「大江山」

壬生狂言には源頼光とその家来の渡辺綱、平井保昌が鬼等の怪物を退治する物語が幾つか有る。
「土蜘蛛」「大江山」「羅生門」である。
いずれもが、派手な立ち回りがあり人気のある演目である。

Img_5991今回は「大江山」。
あらすじは、
「大江山に住む酒呑童子を頼光らが退治しにいく。途中血の付いた着物を洗う娘に出会い酒呑童子の館を尋ねると酒呑童子にさらわれた娘であることがわかる。また住吉明神の化身の老人に出会い兜を授かる。やっと酒呑童子の館に着くと、都から客人の到着を喜んだ酒呑童子は酒宴を催す。その酒に頼光らは毒をもり、住吉明神の助けにより、酒に酔った酒呑童子を頼光、綱、保昌の3人が力を合わせ打ち取る。」
という話。

Img_6051絵巻等に描かれている「酒呑童子」の物語。
室町時代にこの物語は好まれたらしく、何種類もの絵巻物が残っている。
また、能にも謡曲にもこの話の演目が有る。

念仏狂言の「大江山」は、絵巻に描かれている様子と比べると、上品な感じがする。上の写真にある、童子が鬼に変身する前の顔付からしても、なぜか子供のようなあどけなさを含んでおり、この演目が能から壬生へと写されたものと思われる。面白い話や、人気のある話はどんどん取り入れていったのであろう。

念仏狂言が盛んになった室町時代に、同様に盛んだった能はあくまでも上流階級の愉しみ。それに比べて念仏狂言は庶民というか下層の人々の愉しみであった。彼らにとって年に一度行なわれる狂言は現在の映画や演劇以上にインパクトのあるものだったと思われる。

Img_6026これは舞台の袖で出番を待つ小鬼達。

彼ら小学生ですよ!。

壬生狂言はこの地区の有志の方々によって保存・継承されている。
多くの講の人達は、それぞれ仕事をしながら、一年を通して練習を重ねている。
それを引継ぐ子供達も、一所懸命練習している。

念仏狂言には、今で言うマニュアルのようなものはなく、先輩達の身振り手振りを覚えて行く事でその芸が伝承されて行く。
そのようにして約700年間程続られてきたことは、驚くべき事であり、近くにいるとそのすごさが感じられる。

講中の皆さん、今年もごくろうさまでした。

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2008年5月 3日 (土)

神泉苑大念仏狂言 「桶取」

ツツジが咲き乱れている「神泉苑」で5月1日から4日まで行われた大念仏狂言、今年はお手伝いとしてズーッと詰めていた。
もちろん舞台にあがって演ずるのではなく、単にいろいろと雑用をしていただけですが・・・。

Img_1910一日、舞台の下の部屋に座っていると、体のリズムがあの「カン デンデン」というリズムになってしまう。
子供の頃から聞き慣れたお囃子だが、大人になってしばらく観に来る事もなかった。
最近やっと余裕が出て来て、こうしてお手伝いにも参加できるようになった。

金鼓と太鼓と笛が奏でるゆったりとした独特のリズムに身を任せていると、本当にリラックスした気持ちになれる。

その日の舞台が終わって、家に帰っても頭の中にはあの音が鳴り響いていた。

そんな狂言の演目の中から「桶取」について。

この演目は壬生狂言(神泉苑狂言と壬生狂言の関係についてはこちらに)の中でも最も古い演目といわれており、傑作の一つとされている。

Img_5953あらすじは、壬生寺に美しい若い女が小桶に水を汲んでお地蔵さんに供えている。この女は左手の指が不自由で3本しかない。この不幸を来世ではお地蔵さんに願いなおしてもらいたいと願っている。この若い女を大尽が見初め口説こうとする。最初はいやがっていた女だが、ついには口説かれ契りを結ぶ。そして女は男に踊りを教える。初めはうまく踊れなかった大尽も、女に手取り教えられるうちに、うまくいっしょに踊れる様になる。二人が踊っている最中に大尽の身重の嫁が現れる。嫁は男と女を責める。大尽は美しい女に気を惹かれながらも身重の嫁を慰めようとする。しかし、去って行った女が忘れられず、身重の嫁を棄てて女を追いかけて行く。残された嫁は、鏡に己の顔を写し、化粧をして、でっぱった額をたたき低い鼻をひっぱりなんとか美しくなろうとする。しかしその願いも虚しく、歎き悲しみ狂死してしまう。

Img_59631時間程の舞台だが、ストーリがよく出来ており、テンポもよく、場面々に見所が有り、ぐいぐいと惹き付けられる。

最初の女の登場から、大尽との出会い。
あの手、この手をつかった大尽の口説きの場。
女と大尽が踊りを通じて親しくなって行き、囃子もテンポをあげ、二人が一緒に激しく踊る場。
そこへ、突然大尽の嫁が現れ、争う場の、大尽の身振り。
残された嫁が己の不細工を歎き、美しくなろうとする愁嘆の場。

現在の演劇としても充分に成り立つ構成である。

Img_5922しかし、じっくりと観てみれば残酷な物語である。

若い女の肉体の欠損や大尽の嫁のお多福顔は、本人の希望ではなく生まれついてのものであってどうしょうもないものである。
どうしようもない事がわかっていながらも、お地蔵様にすがりついてしまう人間の弱さ。

大尽の愛欲にしても同じ物かも知れない。

それらの人間の苦しみを大きく受け止めるお地蔵さん。

形、思想は変わっても、現在も同じ様な事が起っている。ただ現在はすがるものを見失い己の中で大きな塊として抱え込んでしまっている。

この「桶取」。演じている人達に聞くと、身振り、足の運び一つ一つに意味が有り。もっと多くの真実を含んでいるらしいが、我々素人にはなかなかそこまで全ては理解できない。
しかし、念仏狂言の素晴らしさを知ることができる、見応えのある舞台だった。

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2008年4月20日 (日)

念仏狂言の季節

桜の花が散り終わる頃、京都では念仏狂言が行われる。

「カン デン デン」と金鼓、太鼓、笛による単純な調べが京の町に流れていく。その調べに合わせて狂言堂では勧善懲悪、喜怒哀楽、浄土念仏の物語をおおげさな身振りでゆったりと無言劇で演じている。時は流れても、演者や観客が変わっても、念仏狂言自体が持つ単純さと素朴さは変わらない。

壬生寺、千本えんま堂、神泉苑と催される念仏狂言は、平安時代の後期位から延々続けられ、今年もこの季節に開催される。

Img_5522壬生大念仏狂言
 4月21日〜29日
 壬生寺狂言堂
 午後1時〜5時30分  
 *29日のみ夜の部もあり 午後6時から10時
 鑑賞料 大人800円


ゑんま堂狂言
 5月1日〜4日
 引接寺(千本ゑんま堂)狂言堂
 5月3日・4日は夜間公演有り
 鑑賞料 無料

神泉苑大念仏狂言
 5月1日〜4日
 神泉苑狂言堂
 5月3日・4日は夜間公演有り
 鑑賞料 無料

ゴールデンウイークのこの頃、人混みの行楽地も良いですが、素朴な狂言も癒されていいですよ。

過去の狂言に関する記事はこちらから

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2007年5月 8日 (火)

念仏狂言について

京都の4つの念仏狂言も、その春の公演をこの5月4日に全て終えた。今年もそれぞれを見に行って来たが、狂言の近くにいる者として、これらについて知っていることをまとめておこうと思う。(過去に書いた内容と重なる部分がある。)

続きを読む "念仏狂言について"

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2007年5月 4日 (金)

「神泉苑大念仏狂言」

今年の「神泉苑大念仏狂言」も今日が最終日。午後と夜の2部構成。昼前から狂言堂へ行く。

Img_1906既に何人かの老人の方々が集まって、昔の話を色々としている。聞いていると新撰組の話やら、神泉苑の獄舎の話やら、幕末の頃の話らしい。彼らもその祖父位から聞いた話をしている。
老人の話を聞くのは昔から好きだ。その話の中から、昔の事を想像するのは楽しい。どうなるか判らない未来の事を想像するよりも、過去におこった事を想うほうが心が静まる。
横では、着付け方の人達が、今日の演目の着物を並べている。それを壁にかかった面たちがじっと見ている。

しばらく話を聞き、「今年は観客席の方で見ます。」と言って、話の輪を外れる。
狂言堂を出しなに、写真撮影用の腕章を受け取る。

Img_1937最初の演目は「羅生門」。
「都の南にある羅生門に鬼が住むという噂が有る。渡辺綱はそれを否定し、平井保昌はそれを認め口論となる。源頼光がそれを仲裁し、渡辺綱に立札を立てて来る様命じる。綱が羅生門に行き、立札を立てようとすると頭上から鬼が襲う。鬼は綱の兜をつかみ取り綱を食おうとするが、逆に綱に腕を切られ逃げて行く。渡辺綱は、鬼の腕を掲げ、意気揚々と戻って行く。」 謡曲や能狂言でも演じられる演目である。壬生系狂言に源頼光、渡辺綱、平井保昌のトリオが出て来る演目はこれ以外に「大江山」「土蜘蛛」があり。これらの話が庶民に好まれたことを示している。
狂言の途中に鬼が次々と通行人を襲い、食べてしまう場面がある。通称「クワレ」という場面だが、子供から大人の通行人まで4人が順番にでてきて、次々と鬼に食われてしまう様子は笑いを誘う。

Img_1979その次は「花折」。念仏狂言独特の笑いにあふれた演目。
「お寺の住持(坊さん)は、外出に際し新発意(若い僧)に、美しく咲いた庭の桜の番をさせるために『この花折るべからず』の札を付けさせ、花見客を寺内にいれることを禁じて行く。若い僧が鉦をたたき読経しているところへ、お供を連れた大尽が花見を頼むがことわられ、しかたなしに塀越しに花見を始める。大尽の飲む酒が欲しくてたまらない飲み助の若い僧は、塀越しにその酒をかすめとって飲み出す。しかし何回かはうまく行くが、最後にとうとうお供につかまり不承々寺内に入れ、酒盛りを始める。興に乗って若い僧は女の着物を着て踊り出すが、酒に酔い泥酔してしまう。大尽とお供は、これ幸いと桜の枝を折り持って帰える。
やがて、住持が戻り、折られた桜を見つけ、泥酔している若い僧を叩き起こし、追いかけ回して叱りつける。」と言う話。
この狂言、見ている方にとっては、面白おかしい内容だが、演じる方(特にお供と若い僧)は難しそう。掛け合いの要素も多いし、仕草も一つ々がメリハリを付けた形でないと、面白さが観客に伝わらない。そういう点では、今年は良かった。
花見の演目も念仏狂言には多い、「大原女」「道成寺」「花盗人」そして「花折」。花見はやはり昔から庶民に人気のある行楽だったのだろう。それにまつわるいろいろな出来事に、庶民の喜怒哀楽が現れている。念仏狂言はやはりこのような「やわらか物」が最も面白い。

Img_2050最後は「土蜘蛛」。この狂言において、最も人気のある演目である。ストーリーが派手で、土蜘蛛が糸を投げるという見せ場もある。このクモの糸、この糸の先に付いている、重りを財布に入れるとお金が貯まるとされていて、この演目が終わると、クモの糸の取り合いになる。
筋書きは先程の頼光、綱、保昌の3人トリオが土蜘蛛を退治する話。

今年は土蜘蛛さんサービスが良くて、クモの糸の量が多い。パーッ、パーッと右や左に糸を吐く。頼光なんかは、そのクモの糸に絡められ、まるでミイラ男。

最後に土蜘蛛をやっつけて、その面をとり、首をとったかに見せる演出は、わかっていても思わず拍手をしてしまう。

夜の部では、いつもの様に最終から二番目に「湯立」が演じられる。神事の湯立神楽が仏教の念仏狂言で演じられていることの不思議さ。昔は神も仏も同居していたのだなぁ。
そして最後は、「棒振り」。壬生系の狂言で唯これだけがセリフがはいる。演じた役者全てが素顔で舞台に立ち、六斎念仏の棒振りに合わせ「チョーハ、サッサイ」と掛け声をかける。一種の厄払いの儀式。

これで今年の狂言も全部終了。神泉苑のツツジも満開。しかし念仏狂言、毎年の事ながら興味は尽きない。保存会のみなさんご苦労様でした。

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2007年5月 2日 (水)

「千本えんま堂大念仏狂言」 

千本鞍馬口にある「千本えんま堂」。そこで5月1日より「大念仏狂言」が始まったので見に行って来た。
京都に伝わる四つの念仏狂言といえば、「壬生念仏狂言」、「神泉苑念仏狂言」、「嵯峨釈迦堂念仏狂言」、そしてこの「千本えんま堂念仏狂言」。前の三つは同じ円覚上人が鎌倉時代に始めたもので、演目も似ているし、また演目全てが無言劇。そして「カンデンデン」のお囃子がすべて入る。それらと異なりこの「えんま堂狂言」は始まりが平安時代と考えられており、一時途絶えたが鎌倉時代に再興されたとされている。この狂言の特徴は、セリフがはいること。よってセリフのはいる演目にはお囃子が入らない。そのような点で、能楽堂で行われる、能・狂言の影響を色濃く受けている。

Img_1733舞台は本堂の横に造られたもので、能楽堂とおなじように鏡板の部分に松を描いた幕が張ってある。その他の狂言堂にこれは無い。その幕の寄贈者が国立劇場となっていたのには驚いた。
壬生、神泉苑、嵯峨は狂言堂で行われるため、橋懸かりの前に「飛び込み」といわれる観客からは見えない空地があり、「土蜘蛛」等の演目で鬼が飛び込み姿を消したりする部分があるが、ここには無い。

観客は、地面の椅子に座って観劇する。午後7時近くになると、皆さんはやく御飯を食べてぞろぞろと集まって来る。
雨が降らなければよいのだが・・・・。

Img_1747最初の演目は「閻魔庁」。この演目は、公演の一番最初にいつも演じられるもの。そのせいか、「カンデンデン」のお囃子が入る。
筋書は、「閻魔庁に鬼に連れられて亡者がやってくる。鬼は亡者をいじめるが、亡者が持っている不思議な巻物の力により負かされる。その巻物を閻魔法王と帳付(記録係)に見せると、そこにはこの亡者が善人であることが書いてある。そこで鬼を懲らしめ、この亡者を地獄から解放するよう命じ去って行く。鬼は再び亡者をいじめようとするが、やはり巻物に負け、亡者を極楽へ案内して行く。」
閻魔法王への感謝を表す演目で、「えんま堂」固有のもの。

鬼と亡者のやりとりが面白い。筋書を知らしめる為の念仏狂言独特のオーバーなアクション。
無言劇と思ってみていると、突然、打ち据えられた鬼が「ぎぇ〜」と声をあげて、びっくりさせられる。
しかし、閻魔さんの顔、本堂に安置してある閻魔法王像よりこわそう。地獄には行きたくないなぁ。

Img_1780これは「花盗人」。お囃子はなく「セリフ」のある狂言。
「大名が太郎冠者を供に連れて、花くらべに来るが、肝心の花を忘れて来る。そこで、太郎冠者に花を調達するよう命ずる。そこへ花で一儲けを企む悪人が来、太郎冠者はこれさいわいと花を得ようとする
が逆に小刀を取られてしまう。もう一度今度は大刀を持って花を得ようとするが、再び刀を奪われる。大名と太郎冠者は刀を取り戻そうと悪人を取り押さえるが、太郎冠者の失敗で花も得られず、刀も奪われてしまう。」というお話。

壬生系にも同じ演目がある。壬生系の方は旦那風の設定となっているが、こちらは大名。またセリフがあるため、細かい所が省かれている。しかし、どちらもお供の太郎冠者の性格が面白い。まじめそうでどこか抜けてる感じが笑いを誘う。今の世でも、こういう感じの人はいるなぁ。
このような演目を見ると、壬生系とえんま堂の違いがはっきりとでる。壬生系は泥臭い感じがするが、えんま堂の方が高尚な感じをだそうとしている。
念仏狂言としては、壬生系のほうがなじむなぁ。

寺内に咲く「普賢象桜」がまだ花をつけていた。この桜の縁で「えんま堂狂言」は足利義満から扶持米を与えられてたと言う。そういう意味でも、この狂言は幕府に近く、能・狂言とも近かったのだろう。

花も見られたし、狂言も見られたし、天気だけが心配だったが、楽しめた狂言だった。

*千本えんま堂狂言(千本鞍馬口下がる西側) 無料
  5月1日〜4日(1日・2日は夜のみ 7:00から、3日・4日は午後1時からと夜7時から)
*神泉苑狂言(堀川御池から西へ200m) 無料
  5月1日〜4日(1・2・3日は午後のみ、4日は午後と夜)

  

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